11:勇者教団の罠
微睡の意識の中、ゲシゲシと脇腹を蹴られる感覚を感じ取る。その小刻みな痛みにアレンは段々と意識が表層化し始め、自分が蹴られている事を理解して目を覚ました。
身体の節々から痛みを感じ、まだ痺れた感覚が残っている事からすぐに起き上がる事は出来なかった。アレンは目を開け、まだ青い空を見上げながら小さくうめき声を漏らした。
「……うぅ」
「こんな所で昼寝とは暇そうなことだな。アレン・ホルダー」
するとどこかで聞き覚えのある声が聞こえて来た。まだ身体が完全に動かす事が出来ず、その人物を視界に捉える事は出来ない。かろうじて視線だけ動かし、アレンは声の主を探した。どうやら自分の事を蹴っていたのもその声の主のようだ。すると視界の端にいつか見た兵士の隊長の姿があった。
「……あんたは……」
「ジーク隊長だ。いつぞやの西の村では世話になったらしいな」
男にしては長めの髪をなびかせながら兵士の隊長はそう名を明かした。
やはりダンが見たのはあの時の兵士達だったのかと分かり、アレンは同時に自分を襲った白ローブの事を思い出して思わず無理やり身体を起こす。それだけで身体全体に激しい痛みが走った。まだ眠り粉の効力が残っているのだ。アレンは忌々しそうに拳を握り絞めた。ふと隊長の事を見上げると、部下が数人その後ろに控えていた。だが前回の時よりも人数がかなり少ない。何か王都であったのだろうか?だが、今はそんな事を考えている場合ではなかった。
「何やら怪しい連中に囲まれていたぞ、貴様。我々が取り押さえようとしたら貴様を置いてすぐ逃げ出したが……一体何があった?」
「白いローブを羽織った連中に襲われた……確か、〈勇者教団〉って名乗ってた」
「なに……ッ?!」
どうやら自分を助けてくれたのは隊長だったらしい。彼に何があったのかを尋ねられ、アレンは頭を抑えながら先程あった事を思い出してそれを伝えた。すると勇者教団という言葉を聞いた瞬間隊長は目を見開き、信じられないといった表情を浮かべた。
「知っているのか?」
「フン、貴様は八年前に王都から去ったから知らなかったのだな……奴らは昔から存在する教団でな。予言が出てから再び活動し始めたのだ。だが過激な連中で、王都でも度々問題になっていた」
アレンがどのような教団なのかと尋ねると隊長は面倒くさそうに腕を組みながらも渋々教えてくれた。
やはりアレンが遭遇した時の行動を見て分かる通り、教団と言うには少々暴力的な所があるようだ。王都でも問題に上げられたという事は、何か事件も起こした可能性がある。アレンは急に不安に襲われた。今だ自由が効かない自身の身体をうっとおしく思いながら隊長の事を見上げる。
「殺されなかったのは運が良かったな。我々が来るのがもう少し遅ければどうなっていたか分からないぞ?」
「…………」
隊長にそう言われてアレンは悔しそうに拳を握り絞めた。
油断したとは言え、自分は完全に意識を失っていた。この時点でもう死んだも同然だ。隊長の言う通り後少し彼らが来るのが遅ければ自分は確実に死んでいた。その事を深く受け止めながらアレンは頭を下げた。そして問題の勇者教団の事について思考を巡らせる。
「奴らは王都で一体何をしたんだ?」
「中々現れない勇者に痺れを切らして、関係ない村の子を攫って勇者として奉ったんだ」
隊長はあまりにも簡単にそう言い切ったが、村に住むアレンからすれば酷く恐ろしい内容だった。勇者が現れないからと言って関係のない子を勇者として攫う。そんなのその子供の親からすれば迷惑を通り過ごして恐怖しか抱かない。
「当然、その子供は勇者じゃないから連中は勝手に攫ったのにも関わらず子供に暴行を加えた。時にはもっと残忍な事もした。そういう狂った連中なんだ……奴らは」
彼も事件に関わった事があるのか酷く不愉快そうな表情をし、地面を蹴った。ただでさえ他者を見下す傾向がある彼がここまで露骨に嫌悪感を現すのだから、相当問題のある人物なのだろう。アレンはそう推測すると同時に、一つの不安に襲われた。
「本当に奴らは勇者教団と名乗ったんだな?だとしたら不味いぞ。奴らが集団で現れたと言うなら付近の村の子が狙われている可能性がある」
「……ッ!!」
隊長の言葉を聞いてアレンが抱いていた不安はより深まる。
何故こんな辺境の山の中に王都で活動しているはずの教団が来ているのか?もしもそれが隊長の言う通り子供を狙っているのだとしたら?彼らが子供を勇者だと思って攫うつもりだったとしたら?痺れが切れたのか腕が震え始める。アレンの額から一筋の汗が流れ落ちた。
「貴様、子供は居るのか?」
「ああ……二人……」
「まさか貴様のような奴の子が勇者である訳が無いが、それでも奴らは自分達が勇者だと思った子供なら紋章がなくともその子が勇者だと信じ込む……これは不味い事態だぞ」
アレンの不安と同じ事を隊長も口にした。
アレンが村に残して来たリーシャとルナ。もちろん村には他にも子供達が居るが、それでもあの子達には特別な力がある。リーシャは剣術に長け、精霊の加護も受けている。ルナは膨大な魔力を持ち、闇魔法まで使えるのだ。たとえ勇者じゃなくても妄信的な教団なら勇者だと信じ込んでしまうかも知れない。
「リーシャ……ルナ……ッ!!」
二人が危ない。そう思ったアレンはすぐさま立ち上がろうとした。しかし腰に力を入れた瞬間、身体全体に痛みが走った。その痛みに耐えながらアレンは立ち上がるが、フラフラとその立ち方は不安を煽り、一歩歩けば倒れてしまいそうな程弱々しかった。
「おい、どうした?毒でも盛られたか……?」
「ぐっ……くそ……魔物用の眠り粉のせいだ……急いで村に戻らないとならないのに……!」
ふらつくアレンに手を貸す事はなく、隊長は様子を見ながらアレンにそう言った。よろめきながらアレンはあの時の煙の事を思い出し、それが眠り粉だと伝える。
薬として使用される眠り粉。別に珍しいものではないが、ここまで痺れや痛みが来る物は中々手に入らない。何故ならばこれは魔物を捕獲する際に使われる特別な眠り粉だからだ。通常ならギルドから支給されたり、専門の人が調合する物だが……あの教団は一体どうやってそれを入手したのか?いや、今はそんな事を考えている暇はない。アレンは考えを切り替えてふらつきながらも山を登り始めた。
「ちっ……しょうがない。お前達、肩を貸してやれ」
「はっ」
「……!」
意外な事に隊長は部下達に命じてアレンに肩を貸してくれた。二人の兵士に助けられながらアレンは山を登る。ふと隊長の方に顔を向けると、彼は明らかに不機嫌そうな表情をしていた。
「貴様には借りがあるらしいからな……だが、部下を数名付けるだけだ。私は至急王都に戻らなくてはならない」
「協力してくれないのか……?勇者教団が村を襲っているかも知れないんだぞ」
隊長は腕を組みながら自分達は王都に戻ると言った。彼の性格ならケンタウロスの時のように自分の手だけで始末すると言い出しそうな物だが、アレンがその事を指摘すると彼はバツが悪そうな表情を浮かべた。周りの部下達も苦い顔をしている。
「私が見た時は数人しか居なかったが、貴様の話では教団は数が多かったのだろう?今の我々の兵力では敵わん……魔物一体を相手するのとは訳が違うのだ。応援を呼んで戻ってくる」
それでは間に合わない可能性もある。だが彼の言う通り兵士の数が少ないのも事実であった。アレンはチラリと周りの兵士達の事を見る。こちらの数は隊長を入れて七人ほど……前回の時と比べて明らかに少ない。苦い顔をしているという事は、王都でなんらかの事情があって兵を削がれてしまったのだろう。対して勇者教団は軽く二十人程は居た。いくら訓練を積んだ兵達でも向こうは眠り粉といった罠を仕掛けてくる可能性ある。そこまでアレンは冷静に分析し、確かにこのまま突撃した所で無駄に終わる可能性があると結論を出した。隊長の言う通り、今は王都に戻って勇者教団が現れたという報告をし、応援を要請するのが最善なのかも知れない。だが、頭ではそうと理解出来てもアレンの中では簡単に割り切れる物ではなかった。
「心配するな。奴らも攫ったばかりの子供は最初は丁重に扱う。勇者だと信じているからな……勇者じゃないと分かるまでは時間があるはずだ」
「そうか……」
勇者教団は勇者だと思った子供を攫ったら最初は丁重に扱う。勇者だと信じて崇め奉り、十分な衣服や食事も与えるそうだ。だが数日もして全く勇者としての片鱗を見せないと、彼らも痺れを切らして暴行に移るらしい。確かにそうならば幾分かの猶予はあるだろう。アレンはひとまず彼の言う事を信じるしかなかった。
「分かった……よろしく頼む」
「ふん……貴様は精々身体を癒すのに集中しておけ。魔物用の眠り粉ならば大の大人でも丸一日は動けなくなる程の効力だ。勇者教団の事は我々に任せておけ」
隊長はそれだけ言うと兵士達に早く行けと手を振り、自分も残った兵士達を連れて急いで山を下り始めた。
二人の兵士の助けを得ながらアレンは山を登り続ける。眠り粉のせいで足が動かなくなったり、痺れで痛みが身体を襲う事もあったが、それでも精神力と気力で何とか村まで辿り着く事が出来た。少し息を切らしながらアレンは村の入り口の門の所に立ち止まる。
「ここまでで良い……有難う、助かったよ」
「すいません、アレンさん。隊長もすぐに応援を連れて戻って来てくれるはずです」
よく見ればその兵士達は以前西の村でも会った兵士達だった。その事を今更ながら思い出し、アレンは頭がくらくらしながらもお礼を言って兵士達と別れた。他の兵士達もそれぞれ村の調査をしに向かう。
まだ身体がふらつくが、それでも剣を杖代わりにしながらアレンは村の中へと入った。別段異常はない。村が破壊されている様子もなかった。だが広場の方で村人達がざわつき、慌てている様子だった。アレンがその近くまで行くと、アレンの事に気が付いた村長が急いでアレン元にやって来た。
「アレン!」
「村長、何があった?リーシャとルナは無事か?」
村人達が傷つけられた様子はないが、リーシャとルナの姿がない。いつもならすぐにアレンの姿を見つけて駆け寄ってくるはずなのに。まさかと思ってアレンは表情を青くしながら村長に二人の事を尋ねる。すると村長もまた暗い表情を浮かべ、申し訳なさそうに頭を下げながら声を絞り出した。
「それが……リーシャとルナは突然村にやって来た白いローブの連中に連れ去れてしまったのじゃ……」
「ッ……そんな……!!」
まさかの最悪の事態が起こり、アレンは思わずその場に膝を付いた。ただでさえ身体が眠り粉の効果で傷ついているのに、ここに来て最も心を傷つける出来事が起こった。最早アレンは心も身体もボロボロだった。
「リーシャは抵抗したんじゃが……ルナが人質に取られて逆らえんかった。儂らにはどうする事も出来なかったんじゃ……何せ数が多くて……」
「それで……奴らは今何処に?」
「ダンに見張らせておいた。奴らは今森の奥にある洞窟に隠れているらしい。どうやらそこを根城にしているようじゃ」
村長から居場所を聞き出し、アレンは静かに思考を巡らせる。
話からして勇者教団はリーシャかルナのどちらかを勇者だと思って攫ったのだ。もしくは両方かも知れないが、二人の力なら数が多くても対抗は出来たはずだ。それでも連れ去られたという事はまた眠り粉のような動きを制限する何かをされたか、村長の言う通り先にルナを人質にされてしまったせいで大人しく言う事を聞くしかなかったのか……いずれにせよ二人は連れ去られた。ならば自分がする事は一つ。アレンは痺れている身体を無理やり立ち上がらせた。
「……くっ」
「アレン、お主そんなにふらついておるのにまさか行く気か……?! いくらお主が元冒険者と言えど相手は数が多すぎるぞ?!」
「それでも俺は行く……俺は二人の父親なんだ……!!」!
立ち上がり、今にも走り出しそうな勢いのアレンを見て村長は思わず引き留める。アレンの性格からして勇者教団の所に乗り込むつもりなのは明白だ。だがいくらアレンが冒険者と言っても二十人は居る勇者教団を相手に勝てる訳がない。そう思って村長はアレンを止めた。だがそんな理屈などアレンはもとより理解していた。そういう事ではないのだ。アレンは全て頭で理解している。こんな状態の自分が勇者教団の所に乗り込んだ所で全くの無意味である事は十分理解していた。だが今のアレンはそれら全てを度外視した上で、リーシャとルナを助けたいからという思いだけで動いていた。
「待て! せめてダンを連れて行け! 今呼んで……」
「そんな暇はない!」
村長の制止を振り切り、アレンは駆けだした。身体中から痛みが走りながらもその勢いを止める事なく、村を飛び出すとダンが発見したという洞窟まで豹のように走り続けた。
走りながらアレンはリーシャとルナの顔を思い浮かべる。一緒に居ると約束したのに……守ってやると言ったのに、こんな事になってしまった。最初に勇者教団と対峙した時にもっと警戒するべきだった。悔やんでも悔やみきれない。アレンは血が出るくらいに唇を強く噛み締めた。
「リーシャ、ルナ……必ず助けるからな!」
力強くそう言いながら、アレンは前に進み続ける。身体を蝕む眠り粉の事など忘れ、最早痛みも感じずにただリーシャとルナを助ける為だけに走り続けた。