106:蜘蛛の侵攻
壁に設置されている本棚の他にも普通に並べられている本棚もあり、それもとても高く、子供のリーシャ達など簡単に隠してしまう。三人はトタトタと小さな足音を立てながら歩き、図書塔内を見て回った。
「へぇー、ほぉー、色々あるんだねぇ。あっ、あの本とかおもしろそー!」
アンナは器用にクルクル回りながら前に進み、自分の気に入った本を見つけるとそれを指差して口に出す。しかしその本を取ろうとはせず、ただ見て回るだけだった。魔法が使えないからか単に興味があるだけで読む気はないのか、いずれにせよ楽しんではいるようである。
「アンナちゃんはどんな本が好きなの?」
「え、私?えっとー、んーとぉ……魔法書とかかな?」
興味本位でリーシャが尋ねると、アンナは少し困ったように顔を左右に傾け、しばし悩んだ後にようやく答えた。
好きな本がたくさんあって迷ったのか、その答え方も曖昧で多分これだろうと自分で無理やり決めたような言い方だった。
「リーシャちゃんとルナちゃんは?」
ふとアンナは服と同じ真っ赤なスカートを揺らしながら振り返り、リーシャ達に質問を返す。二人の場合はそれ程悩む必要はなく、それぞれ口を開いた。
「私はあんまり本とか読まないなー……でも父さんに絵本読んでもらうのは好き!」
「私は……アンナちゃんと同じ魔法書。あと歴史の本とかも好きだよ」
二人の答えを聞いてアンナはへぇーと声を漏らし、再び視線を前に戻して進み始める。それから三人は一階の部屋の殆どを見て回った。改めて図書塔の本の保管量は凄まじく、一階の部屋だけでも十分図書館に匹敵する程であった。それなのにまだ上の階がたくさんあるのだ。ルナは思わず唾を飲み込み、リーシャは目が回るような感覚を覚えた。
そして部屋の奥の方に行くと、そこには二階へと続く階段があった。横幅のある階段で長く続いており、その横には鎧の騎士が鎮座している。しかし甲冑の隙間から空洞が見える為、中に人間は入っていないのが分かる。その構え方から見張られているような雰囲気が漂っていた。
「おっ、何あれ?」
ひょこっと本棚から顔を覗かせながらアンナはそう呟く。同様にリーシャとルナも何となく真似をして本棚から顔を出した。別に隠れる必要はないのだが、鎧騎士が少しだけおっかないのであまり近づきたくないのだ。
「あれは守護兵だよ。受付の人が説明してた。防衛魔法で侵入者を捕まえるよう命令されてるんだって」
ルナは受付の女性が説明していた事をしっかりと覚えていた為、そうアンナに教える。何故か上では同じ説明を聞いていたはずのリーシャもふーんと声を漏らしながら頷いており、恐らく説明を半分も聞いていなかったのだろうとルナは呆れた表情を浮かべた。
「へー、すごーい! どういう風に侵入者って判断するんだろう?」
「んー、それは分からない。受付の人は結界魔法で反応するとか言ってたかなぁ……」
守護兵のような魔法が付与されているものは術者の判断によって設定される。今回の図書塔のような場所なら受付の人達、もしくは責任者によって設定されているだろう。
このような警備魔法具は他でもよく使われており、お店や教会にも設置されている事がある。中にはダンジョン内にも置いてある事があり、冒険者が宝物を取ろうとした瞬間襲われるという事例もあった。
また普通の魔法具とは違って鎧や剣の質によっても実力が変化する為、術者の実力以上の力を与える事も出来る。費用が多く掛かるという点に目を瞑ればかなり優秀な兵士なのだ。
「戦ったら強いのかな?」
「リーシャ……そんなワクワクした目しても戦っちゃ駄目だからね?怒られるよ」
リーシャがそわそわとした様子でそんな事を言う為、ルナは不安そうに注意をする。彼女の場合だとほんの遊び半分で戦いを挑みそうな為困る。負けはしないだろうが、それでも図書塔でそんな事したら迷惑になる為、ルナはしつこく注意した。
「あはは、リーシャちゃんおもしろい事考えるねー」
リーシャの言っている事を冗談と思ったのかアンナはクスクスと笑い、お腹を抱えて笑っている。ただしリーシャの腰に装備されている剣は本物の聖剣であり、彼女は柄の部分にそっと手を添えている。無意識の行動でつい剣を触っているのだろう。ルナはハラハラとした様子でそれを見ていた。
それから三人は一階の部屋はあらかた見学した為、一度部屋の中央へと戻って来た。まだ見学者も多く見回っており、人気がなくなる気配は全くない。
「これで一階は一周したね。この部屋だけでも周るのにすっごい疲れたけど!」
「そうだねー。ここってすごい広いんだね。私ももう足がクタクタだよー」
散々歩き回り本棚を見て回った為、流石のリーシャも疲れたように太腿を手で叩く。同じくアンナも足を片足ずつ動かし、ほぐすような動作を取った。
「ところでアンナちゃん、今日はお母さんと一緒じゃないの?」
「え?あー……」
ふとルナは顔を上げて気になった事をアンナに尋ねる。
この前道具屋で会った時は母親も一緒に居た為、姿が見えない事が気になったのだ。図書塔のような大きな場所に子供だけで入れるとは思えない為、いずれにせよ大人が同席しているはずだとルナは考えていた。するとアンナは頭を右に左へと傾け、口を開く。
「お母さんも一緒だよ。多分今はそこら辺見て回ってるんじゃないかな」
「ふーん、そっかぁ」
チラリと辺りを確認しながらアンナはそう言う。
どうやら彼女も自分達と同じように今は保護者と別行動中のようだ。自分一人で見て回りたい時もあるだろうし、ルナは大した疑問も抱かなかった。
「私そろそろ二階の方見たいなー。ちょっとシェルさん探して来るから、ルナ達はここで待っててー」
「うん、分かった」
一階も見回ったので次の階に移動したくなったリーシャはそう言ってシェルを探しに行った。本棚の角で見えなくなるとルナはふぅと息を吐き、服のしわを整える。するとアンナが気になった様子でルナに声を掛けた。
「シェルさんって誰?」
「あっ……うん、私達の保護者って感じかな……?」
「へー、そうなんだ」
アンナに尋ねられ、ルナは少し口ごもってから無難に答えた。
身内という訳ではないがルナはシェルの事を家族と思っており、母親のような存在と思っている。だがそれを会ったばかりの人に説明しても理解は難しいと思うので、とりあえず保護者という事にしておいた。実際それで間違ってはいない。アンナも納得したように頷いていた。そして二人で本棚を見つめながらリーシャを待っていると、再びアンナはルナに話しかけた。
「ねぇねぇ、変な事聞くけどさ……ルナちゃんとリーシャちゃんって本当に姉妹なの?」
「えっ……?」
今度の質問はルナの心臓をドキリと高鳴らせる。何故急にそんな事を尋ねられたのか分からず、自分が何か正体を見破られるようなミスをしてしまったのではないかと慌てるが、横に居るアンナは相変わらずニコニコと笑っているだけだった。
「な、何でそんな事思うの?」
「えー、だってぇ二人って全然似てないじゃん。リーシャちゃんは金髪で、ルナちゃんは黒髪だもん。瞳の色も違うし、姉妹には見えないなーって……」
アンナは純粋に思った事を口にしているだけのようで、子供だからどうしても気になったのだろう。実際ルナも村で何回かそういう事は聞かれた事があり、父親であるアレンとも二人とは特徴が一致しない為妙だなと思われている。アレンはそこをうやむやにする事で複雑な過去があるように思わせているが、生憎ルナはそこまで話術が得意ではない。子供のアンナの指摘に対して目をグルグルと回して慌てていた。
「え、えっとそれは……そのぉ……」
必死に頭をフル回転してルナは言い訳を考える。どうせこの街に居る間の友達なのだから適当に答えておけば良いのだが、真面目なルナはつい真剣に考えてしまっていた。
「じ、実はリーシャって魔法で髪色を変えてるの! 本当は黒髪なんだけど明るい色にしたいって……だから瞳の色も変えてるんだよ!」
最終的にルナはそんな大嘘を吐いてしまう。はっきり言って色々とめちゃくちゃな所があるが、焦っているルナは混乱している為正常な判断をする事が出来なかった。リーシャでももうちょっとマシな言い訳が出来る気がする。後から後悔してルナはアンナの事を恐る恐る見るが、彼女は変わらず笑顔のままだった。
「へぇ~、そうなんだ!」
大して気にしていないだけなのか、アンナはそう言ってニコニコと微笑む。対してルナは先程の発言が急に恥ずかしくなり、赤くなった顔を俯いて隠した。
「あ、私ちょっとトイレ行って来る。リーシャちゃんが来る前に戻って来るから、ちょっと待ってて」
「う、うん。分かった」
ふとアンナはそう言って本棚を横切り、トイレを探しに去って行った。彼女が居なくなった後ルナは自分の失態にまだ悔やんでおり、長い溜息を吐いて本棚の横にもたれ掛かった。
「は~……何であんな事言っちゃったんだろ……」
いくら焦っていたと言えもう少しマシな言い訳があっただろうとルナは額を叩いて自分を叱る。そもそも言い訳などせずちょっと濁す程度に話しておけば良かったのだ。どうせ子供なのだから深く追求はしないだろうし、気にもしないだろうし。そうルナは後悔する。
そんな風に彼女が項垂れていると、ふと本棚の奥にある通路から足音が聞こえて来た。ルナは誰か来たのだと思ってもたれ掛かっていた本棚から離れる。だが彼女はその音を聞いていると首を傾げた。
「…………ん?」
足音がやけに小さく、そして小刻みに聞こえて来るのだ。まるで人間ではなく小動物のようで、おまけにカツカツと響くように聞こえて来る。何か嫌な予感を抱いてルナが身構えてると、本棚の角からはルナの胸辺りくらいまでの大きさがある巨大な蜘蛛が現れた。
「----ッ……蜘蛛……!?」
それは頭部に幾つもの目玉があり、奇妙な模様の入った蜘蛛であった。気味の悪い声を漏らしながら歩行しており、普通の子供が見たら叫び声を上げていただろう。しかしルナはあらかじめアレンから今噂になっている蜘蛛型魔物の特徴を聞いていた為、目の前の蜘蛛がその魔物だと気付いていた。そのおかげで幾分か冷静でいる事が出来た。だが何故図書塔に蜘蛛が入り込んでいるのか?他にも蜘蛛が居るのか?など、疑問は絶えない。ルナは冷や汗を流し、指をピクリと動かす。
「うおっ……蜘蛛?! 何でこんな所に魔物なんかが……!?」
その時、丁度蜘蛛と同じ通路から男の見学者が通りかかった。当然その男は声を上げ、持っていた本を落として大きな音を立ててしまう。それに反応するように蜘蛛は目玉を動かし、男に向かって飛び掛かった。
「ギチィィァアアアアアアアアアアア!!」
「に、逃げてください!」
すぐさまルナは逃げるように声を掛けるが、男は動揺しているせいで動く事が出来ない。そのまま蜘蛛に飛びつかれて悲鳴を上げると周りの本棚にぶつかり、本を散らかしながら暴れ回った。
「うわぁぁぁぁ!! や、やめっ……! やめろ!!」
蜘蛛の襲い方は凄まじく、男の顔に足先を突き刺しながら噛み付いていた。男も引き剥がそうとしても蜘蛛は巧みに移動し、男の顔の後ろへと移動する。この勢いでは顔全部を喰らいつくしてしまうだろう。すぐさまルナは手をかざし、呪文の詠唱をする。
「氷よ、凍てつくその力を我に……!」
詠唱を終えるとルナの手の平が輝き、尖った氷の塊が発射される。その塊は見事男に張り付いている蜘蛛に直撃し、血をまき散らしながら本棚に突き刺さった。腹を貫かれてもまだ動いている蜘蛛は悲痛の叫び声を上げる。
「はぁっ……はぁ……」
「早く逃げてください!」
「あ、うぁぁ……っ!!」
顔に傷が付いている男は混乱しているのか呆然としていたが、ルナが声を掛けると情けない声を漏らしながら逃げ出した。
壁に突き刺さってまだ暴れている蜘蛛はやがて叫び声も小さくなり、身体を丸くして動かなくなった。それを見てルナは手をかざしたまま警戒しながら近づく。試しに小さな氷のつららを作り出して突いてみるが、蜘蛛は動かない。完全に事切れているようである。
「蜘蛛型魔物……これがお父さんの調査してた魔物?でも何でこの街に……」
白いまだら模様に頭部には毛が生えており、特徴的な無数の目玉。恐らくアレンが言っていた新種の蜘蛛型魔物なのだろうとルナは判断する。そんな魔物が何故こんな街の中、それも図書塔に入り込んだのか?街は壁できちんと防衛されているし、番兵も居るはずである。普通魔物など入って来れないはずなのだ。
「ルナ! 怪我してない!?」
「ルナちゃん! 無事だった!?」
ルナが蜘蛛の事に関して考えていると後ろから走る音が聞こえて、落ちている本につまずきながらリーシャとシェルが現れた。どちらもひどく慌てた様子で、ルナを見つけるなり勢いよく走り寄って来る。
「リーシャ、シェルさん……!」
「良かったー、何もなくて……ってうわ! 蜘蛛死んでるじゃん!」
ルナが無事である事を知るとリーシャは彼女に抱き着いたが、ルナの後ろの本棚に突き刺さっている蜘蛛の事に気が付き、顔を青くしてその場から引き下がった。
「な、何かあったの……?」
「……シェルさん」
「…………」
蜘蛛が侵入して来ている事から異常事態なのは分かるが、ルナは厳密に何が起こっているのかを知る為にリーシャ達に尋ねる。するとリーシャは言い辛そうな顔をし、シェルの方に顔を向けた。するとシェルは持っていた純白の杖を握り絞め、深刻そうな表情を浮かべる。
「実は、受付の人からの情報なんだけど……少し前に街の門が破壊されたらしいの。そのせいで今渓谷の街は混乱状態。冒険者ギルドも総動員で事態の鎮圧化に動いてる……」
「え……それって……」
シェルから語られた言葉は今街が危険な状態にあり、一刻を争う事態だという事であった。更に門が破壊されたのは外敵の侵入を意味しており、それで蜘蛛が現れたという事はルナも自ずと事態を理解する事が出来た。だからこそ、彼女は光を失ったように暗い表情を浮かべた。
「今外では街の大半を埋め尽くす程の蜘蛛達が暴れ回ってるわ。此処が包囲されるのも、時間の問題よ」
シェルはそう言って杖を握り締め直し、被っていたフードを脱ぐ。身の上を隠している暇すらない事態という事だ。リーシャも腰にある聖剣を引き抜き、険しい表情を浮かべる。一方でルナは足元がなくなるような感覚を覚え、その場で転びそうになった。出来る事ならこの事態が夢であって欲しいと、子供ながらそう願った。