105:図書塔
あの後、ルナは遅れて起きて来たリーシャと共に朝食を食べ終え、支度をするとシェルと三人で街へと出掛けた。街は昨日と変わらず活気に満ち溢れており、道には多くの人が行き交っている。ルナとリーシャは迷子にならないよう手を繋ぎながらシェルの横を歩き、目的地へと向かった。
そして数分もしない内に目的地である〈図書塔〉が見えて来た。街を見守るように聳え立つ純白の巨大な塔。大嵐が来てもびくともしなさそうな頑丈さを思わせながらも、造形はガラス細工のように美しい。とてもこの建物が図書館と同じ機能をしているとは思えない見た目であった。
「うわぁ……近くで見るとやっぱり大きいね」
「うん。これなら塔って言うより……お城だね!」
塔の前まで来るとルナとリーシャは感嘆の吐息を漏らしながらそう言い合う。子供からの目線だとなお図書塔は大きく見え、てっぺんまで見上げようとすれば首が痛くなってしまう。リーシャなんかは調子にのってひっくり返りそうになるくらいだった。
「ほら二人共、こっちだよ」
すると呆気に取られている二人にシェルが声を掛け、手招きをした。リーシャとルナは慌てて我に返り、シェルの所へと移動する。
図書塔の入り口は大きな門が設置されており、横には番兵らしき男達が立っていた。扉は常に開いているので、誰でも出入り出来るようになっているようだ。現に魔法使いらしき風貌をした人達や、冒険者や商人、リーシャとルナと同い年くらいの子供達まで出入りしている。二人はその自分達の知識にはない光景に興奮したようで、瞳をお星さまのようにキラキラと輝かせていた。
そうして三人はいよいよ図書塔の中へと足を踏み入れる。すると門を通り抜けただけで何となく空気が変わったような気がし、奥からひんやりとした風が吹いて来た。入り口の先は少しだけ通路が続いており、洞窟のように薄暗い。リーシャとルナは手を繋ぎながらシェルの後を追った。そして光が見える場所へ出ると、思わず興奮した声を漏らした。
「「おおおぉぉぉぉぉ……!」」
そこは神殿のように美しく、埃一つない綺麗な空間であった。辺りには柱が四本設置されており、細かい装飾が施されている。何より二人が驚いたのは壁一面は本棚となっており、それが天井にまで続いてる事であった。そしてその棚全てにびっしりと本が入っているのだ。
「すごい! これ全部本なの?!」
「魔法書に歴史書、文学書まで。何でもある……っ」
その光景に圧倒され、リーシャは興奮した様子で腕を振り、ルナも胸に手を当てて感動している様だった。
図書塔と言うからにはそれなりに本が並んでいるのだろうと予想はしていたが、まさかここまでの規模だとは思っていなかった。天井にまで設置されている本棚を数えれば街中の本屋を足してもここの数には届かないかも知れない。
「ようこそ、渓谷の街の〈図書塔〉へ」
ふと前の方から声が聞こえて来る。おびただしい量の本に目を奪われていたリーシャとルナがハッとした様子で視線を前に戻すと、そこには白と赤の制服に身を包んだ女性が立っていた。格好からして受付係の人なのだろう。人当りの良い優しい笑みを浮かべ、受付嬢はお辞儀をする。
「図書塔は初めてでしょうか?」
「私は初めてじゃないけど……この子達に説明してあげて」
「承知致しました」
受付嬢の問いかけにシェルはフードを深く被り直しながらそう言った。やはりここでも身分は隠しておいた方が彼女にとって都合が良いらしい。受付嬢は顔を見せないシェルにも特に詮索はせず、礼儀正しい姿勢を崩さずリーシャとルナの方に顔を向けた。
「改めまして、私は図書塔一階の受付係です。一階の本の貸し出しに関しましては私にお申し付けください。一階の本や資料は制限対象外となりますので、自由な閲覧が許可されております。また質問や相談がありましたら何なりとお答えします」
笑顔のままテキパキとした態度で受付嬢は分かり易く説明をする。
どうやらこの図書塔では階によって仕様が変わっているらしく、あくまでも今の説明は一階の部屋だけに当てはまる物のようだ。という事は二階には二階の受付係が居ると言う事なのだろう。そんな事を考えながらルナはうんうんと頷き、リーシャも面白がるようにへぇーと声を漏らす。そして受付嬢が質問に関しての事を言うと、すかさず彼女は手を真っすぐ伸ばした。
「はい! はーい! 質問! 高いとことか天井にも本があるけど、そこの本が読みたかったりしたらどうすれば良いのー?」
「手の届かない場所に本がある場合はこちらの〈魔法眼鏡〉を使えばその本の題名を確認出来ます。こちらは各場所に置いてありますので、ご自由にお使いください」
受付嬢はそう言って懐から変わった形の眼鏡を取り出す。金の装飾に何重ものレンズが備わっている変わった眼鏡。魔法によって遠くの物を確認出来る便利な道具だ。それが各本棚の近くの台に幾つも置かれている。
「また中身を確認したい場合は我々に声を掛けてくださればお持ちします。それとこの塔では魔法の禁止も特にしてない為、周りに迷惑を掛けなければ魔法で本を取る事も許可されています」
受付嬢の言葉にルナは僅かに首を傾げる。魔法の使用が許可されているという点がピンと来なかったのだ。それを疑問に思ってシェルの方に視線を向けると、彼女はそれに気が付き、優しく微笑むと指を軽く振った。すると彼女の目線の先にあった天井の本棚から一つの本がスルリと抜け、シェルの手の平にまるで綿のようにゆっくりと落ちて来た。
「こういう事。だからルナちゃんも気になった本があれば好きに魔法で取って良いんだよ」
「へー、すごい! 面白いね! ルナ」
「う、うん……何か、自由なんだね。図書塔って」
まさかそういう方法で取って良いという事はルナも予想外だった為、少し緊張した様子で胸を高鳴らせる。そして同時にまた一つの疑問が浮かんだ。
この建物は塔という構造上横に幅があるのではなく縦の階層が多い。その為どうしても本棚の設置も高さで場所を確保するしかない。そうなると当然常人が本の題名を確認したり手に取ろうとするのは難しいだろう。一応梯子も設置されているが、それでは手間も掛かるし労力が大きい。逆に魔術に心得がある者ならば簡単だ。気になる本があれば浮かして引き寄せれば良いだけなのだから。だからこそルナはそれが引っ掛かった。それではまるで……。
「まるで、魔術師が使う為の施設みたい……」
ポツリ、とルナは思わず考えていた事を口から零す。すると本を再び浮かして元あった本棚に戻しているところだったシェルが目を見開いてルナの事を見た。
「お、良い所に気付いたね。ルナちゃん」
「へ……?」
シェルは褒めるようにルナの頭を撫でる。ルナからすれば思った事を口にしただけの為、何の事か分からずキョトンとした様子で首を傾げた。するとシェルは本棚に本を戻し終え、微笑みながら説明を始める。
「元々図書塔は大昔の魔術師達の研究所を参考にしてるの。昔の人はいちいち本を取りに行くのを面倒に思ってこういう造りにしたんだって。まぁ私は……そんな使い易いとは思わないけど」
シェルはそう言ってから確認をするように受付嬢に視線を向ける。すると受付嬢もその通りですと言うように微笑み、頭を下げてシェルの説明を肯定した。
聞いてからルナは納得する。確かに魔術師の研究所ならば研究の為に資料本はたくさん必要となる為、本棚もそれなりの量となる。そして研究をしながら本を持ち出すのは非効率だと考え、魔法でさっさと取り出す方が効率的だと考えるだろう。それならば今の様な構造になっているのも納得だ。魔術に心得のない一般人からすれば至極使い勝手の悪い本棚と感じるだろうが。
「へー、昔の魔術師って面白い事考えるんだね」
「そうだね。リーシャちゃんは自分の家がこんな風だったら楽しい?」
魔法には興味のないリーシャでも建物の構造に関しては興味があるようで、ほーと感心したように声を漏らしながら手を握り絞めている。そしてシェルの質問に対して考えるように頭の横に指を当て、少し悩んだ後口を開いた。
「うーん……首が疲れそうだから嫌かな!」
素直なリーシャは元気な声でそう答える。彼女は表裏のない性格の為、思った事を本当にそのまま口にしたのだろう。
「リーシャらしいね……」
「ルナはどうなの?こういう家に住みたい?」
「うーん……」
クルンと振り返り、リーシャはルナにそう尋ねる。自分も聞かれるとは思っていなかったルナは少しだけ慌て、改まって塔の中を見渡しながら考える。
魔法好きとしてはこれだけの本に囲まれているのは幸せだ。現に今はとても興奮しているし、かたっぱしから本を読みたいとも思っている。だが住みたいかと聞かれれば……と、そこまで考えてからルナは顔を上げた。
「私も住むのは嫌かな……何かの拍子で本が落ちてきたら怖いし」
「だよねー。ぶつかったら痛いもん」
実用的に考えればこの構造は便利かも知れないが、日常的ではどちらかと言うと使いづらいだけだ。子供にとって本の衝撃は致命傷になりかねない。現にアレンもリーシャとルナがもっと小さかった頃は本棚に近づけないようにしていた。
それから三人は受付嬢から注意事項や禁止事項の説明を受け、改めて部屋の中央へ進む。辺り一面が本で埋め尽くされていると普通なら圧迫感を覚えるかも知れないが、不思議とこの空間ではそれがなかった。建物の構造や装飾で神聖な場所と思えるのだ。
そして部屋の中央に来るとシェルは二人の方に振り返り、パンと両手を叩いた。
「はい、それじゃ自由に見て回って良いよ。でも二階に行く時は皆一緒だからね。迷子になったら嫌だから」
「「はーい」」
シェルの言う事を素直に聞き、二人は駆け足で自分の気になっている本棚へと向かった。ルナは早速台に置いてある魔法眼鏡を使って遠くの本を確認し、リーシャは部屋の中を一周するつもりなのか本棚をキョロキョロと見渡しながら歩いている。シェルもそんな二人を視界に捉えながら自分も本棚の近くにより、気になっている本を魔法で引き寄せた。
「おー、色々あるね」
「この本とかお父さんが持ってたものだよ。あ、絵本もある」
一度リーシャとルナが合流し、それぞれ感想を言い合う。
流石は図書塔と言うだけあってかなりの種類の本が保管されており、中には二人がアレンに読んでもらったものと同じ絵本も置かれていた。あまり知られていない古い本の為珍しいはずなのだが、それすらも保管しているのだから大したものだろう。
「こんな所にずっと居たらルナ抜け出せなくなっちゃうんじゃない?本に夢中になって」
「う……否定できないかも」
ふとリーシャがからかうようにそう言うとルナは複雑そうな表情を浮かべる。
実際先程からルナは興奮してばかりで魔法眼鏡をずっと掛けており、気になった本を何冊も魔法で引き寄せていた。リーシャの言う通り時間を忘れてこの場所で読みふける事など造作もないだろう。
「どうせなら父さんとも来たかったなー。今頃調査中かな?」
「うん……村に到着した頃くらいじゃない?順調に進んでると良いけど……」
リーシャは手に取った本を広げながらポツリと言葉を零し、ルナに問いかけるように話し掛ける。するとルナも読み終わった本を魔法で本棚に戻しながら頷き、アレンの事を考える。
予定ならばそろそろ目的の村に到着する時間帯のはずだ。あまり詳しい事は聞いていないが、夕刻前には帰って来ると聞いていた為、そこまで長引くような仕事ではないはず。だがこの世界はいつだって油断する事は出来ない。何が起きるか分からないし、どこに敵が潜んでいるかも分からない。故に今回の調査もひょっとしたら大惨事を引き起こすかも知れない。心配性のルナはついそんな事を思ってしまった。するとそんな彼女の心境を察したのか、リーシャは読んでいた本をパタンと閉じ、一歩ルナに近づく。
「大丈夫だよ! だって父さんだよ?何があってもかならず切り抜けて帰って来るって」
満面の笑みを浮かべながらリーシャはそう答えて見せる。その綺麗な黄金の瞳には一切の不安がなく、完全にアレンの事を信じているようだった。そんな真っすぐな性格の彼女を見てルナは僅かに羨ましく思う。自分もそれくらい断言出来る自信があれば、と思わずにはいられなかった。
「うん……そうだね」
「ね。だから戻ってきたらここの事教えて上げよ。色んな本を読んだって言ったら父さん褒めてくれるかもよ?」
「えー、それはリーシャだけじゃない?」
笑顔が戻ったルナを見てリーシャも嬉しそうに微笑む。それからアレンが戻ってきたら色んな体験をしたと伝える為に二人は更に図書塔を見て回った。様々な本を手に取り、ルナもまだ見たこともない魔法書を読んで楽しんだ。それから数分後、本棚を眺めている二人の背後からコツンと足音が聞こえて来た。
「あー、ルナちゃんとリーシャちゃんじゃん!」
言われて二人が振り返るとそこには可愛らしい真っ赤な服を着たアンナが立っていた。二人を見つけてやったと言わんばかりに手を振っており、ぱっちりとした赤く丸い瞳を輝かせながら近づいて来る。
「あれー、アンナちゃんだ」
「アンナちゃんも図書塔に来てたの?」
「うん! ちょっと用事があって!」
相変わらずリーシャに負けずも劣らないハキハキとした様子でアンナは喋る。こうして見ると二人よりも身長は低いのだが、それでもしっかりとした印象を受ける。
「私図書塔来るの初めてなんだよねー。中ってこんな風になってるんだ!」
そう言ってアンナは興奮した様子でその場でクルクルと周り、辺りの様子を見渡す。そんな彼女を見ながらルナはこの街に住んでいても図書塔に訪れていない子供も居るんだ、と平凡な事を考えていた。
「ねぇねぇ! せっかくだから一緒に見て回ろうよ!」
「うん! 良いねー。見よう見よう! ルナも良いでしょ?」
「う、うん」
アンナからの誘いにリーシャは即答し、ルナにも確認を取る。ルナもこういう場所を友達と見て回るのは夢だった為、少し緊張しながらも頷いた。
こうして子供達三人は共に図書塔を見て回る事となった。