100:友達
初めて街を見てリーシャとルナが何よりも驚いたのは人の多さであった。自分達が住んでいた村では全員の名前を覚えるのが簡単なくらい住人の数は少なく、規模も小さかった。だがこの渓谷の街では道を埋め尽くす程の通行人が歩いており、冒険者の格好をした者や兵士の格好をした者、商人らしき者と言った様々な人物が行き交っている。当然そんな人だかりは村祭りの時くらいでしか見た事がなかった為、リーシャとルナはお祭り気分のように興奮していた。
「すっごい人の数ー! 何かのお祭り?」
「いいやこれが日常さ。街では毎日これだけの人々が行き交ってるんだ」
「へー、すごいね!」
ぴょんぴょんと道を跳んで歩きながらリーシャは楽しそうに通り過ぎている人々の事を見る。目立つ行為であるが、子供だから然程気にはされないだろう。アレンもリーシャの後ろを歩きながら転ばないか注意していた。
「お父さん、あれは何……?」
「あれは魔法具屋だな。特別な道具を売っている店さ。魔法書とかもああいう所で売ってるんだぞ」
ルナはアレンに教えてもらった魔法具屋を興味津々と言った様子で眺める。
西の村でもお店には訪れたが、魔法具屋と言った専門的な店を見るのは初めてなので気になるのだろう。特にルナの場合は魔法が好きな為、より一層好奇心が駆り立てられるらしい。
「ちょっと見てみるか?」
「うん!」
試しにアレンが聞いてみると珍しくルナは力強く頷いて応えた。拳を胸の前まで上げ、ぎゅっと握り絞めている。大分気合が入っているらしい。リーシャにも一声掛けてからアレンは移動し、ルナに店の中を見せてあげる。リーシャは魔法にそこまで興味がない為、店の前でうろちょろしながら周りの建物などを眺めていた。
「ほらリーシャ、あまりフラフラするなよ。迷子になるぞ」
「大丈夫だってー」
万が一の事を考えてアレンはそう注意をするが、リーシャはニヘラと何だか気の抜けた笑みを浮かべながら大丈夫だと手を振り返して来る。
どうやら初めての街という事で大分興奮しているらしく、浮足立っているらしい。仕方ないと思いつつもリーシャは人一倍好奇心が強く更には行動力もある為、一人で何処かへ行かないかとアレンは心配になった。
試しに店の中を見てみると、ルナはしっかりしている為奥の方まで行こうとせず、棚に並んでいる商品や魔法書を眺める程度にしている。それを見てアレンはほっと安堵の息を吐いた。
「おいおい、お前まさかアレンか?」
その時、ふと道行く人混みの中から声が聞こえて来る。アレンは誰が自分の名前を呼んだのかと顔を向けて見ると、人混みの中から三人の男達が近づいて来た。
「お、おおー。お前達か、久しぶりだなぁ」
「いよーアレン! 何でお前こんな所に居るんだよぉ?!」
それはかつてアレンが冒険者だった頃共に戦った仲間達であった。
三人共アレンと歳は近く、髭を生やしておじさんらしい格好をしている。一人はお腹が多少出ていたりなど、昔とは違う姿にアレンは驚いた。
「噂で聞いたぜ?お前もとうとう冒険者辞めたんだってなー」
「ああ、まぁな。あの時お前達と一緒に辞めておけば良かったよ」
「だはは! なーに言ってやがんだ。小遣い稼ぎで冒険者やってた俺らよりお前は真面目にやってただろぉ。何で辞めたんだ?」
アレンと歳が近いという事は当然彼らも既に冒険者を辞めている。それもアレンが辞めるよりも大分前に。ただし彼らの場合は戦力外通告をされた訳ではなく、自分達の意思でギルドから去った。元々腕試しや小遣いを稼ぐ為に依頼を請け負っていた為、彼らに未練などなかったのだ。中には本職がある人間も居る為、時期が来たら冒険者を引退するのは当然の事であった。
男達の一人は旧友に会えた事から大笑いしながらアレンに近づき、肩をバンバンと叩く。そして何故冒険者を辞めたのかと尋ねたが、アレンは適当にはぐらかしておいた。
「まぁ歳だよ。やっぱりあそこまでなると身体が全然言う事を聞かなくてな」
「おいおい、あの〈万能の冒険者〉がそんな弱音吐く訳ねーだろ。お前はどんな逆境でも絶対諦めない奴だったじゃねぇか」
アレンの答えを聞くと意外そうに目を見開きながら男はそう言って来る。それはアレンにとって耳の痛い話であった。
言葉だけ聞けばアレンという冒険者は熱く、絶対に曲げない意思を持った男のように聞こえる。ギルドではかつてそう評価された事もあった。だがアレンからすればどんな逆境にも諦めないというのは単なる自身の我儘で、降りかかる試練や壁を無理やり突破しようとしていたに過ぎない。才能や宿命、そう言った物を絶対に認めないという反発だったのだ。だが今更そんな事を説明する気にもなれない。自身の若気の至りを告白するなど恥ずかし過ぎて言える訳がない。するとそんなアレンを救うかのように横からリーシャが近づいて来た。
「父さん。その人達誰ー?」
ぴょこんと顔を横に傾けながらリーシャはそう話に入って来る。どうやらアレンが見知らぬおじさん達と楽しそうに会話しているのに気が付き、街の見物から戻って来たらしい。
「は?父さん?おいアレン、まさかこの嬢ちゃんお前の子供か?」
「ああ、まぁな。リーシャって言うんだ」
「はー! おいおい本当かよ?! こんな可愛い嬢ちゃんがか?」
当然男達はアレンの娘のリーシャに驚き、まるでお化けでも見たかのように年齢にふさわしくない驚き方をする。彼らにとってそれだけアレンに娘が居るというのは衝撃的だったらしい。
「おまっ……誰と結婚したんだよ?! この金髪って事はサリナか?それともマリンダか?いや声はミラに似てるな……」
「いやいや違うわ。冒険者の頃のは関係ねーよ」
腕を組んで何かを探るようにじーっとリーシャの事を見つめながら男は次々と知らない女性達の名前をあげていく。するとアレンは呆れたように男の肩を小突き、黙らせた。
名前があがるという事はそれなりに親交のあったという事だ。リーシャは意外とアレンは女性との交友関係も広いのかな、呆然と考えた。
「ったく、お前達はこういう話になると本当相変わらずだな……リーシャ、ルナと一緒に店の中見てなさい。俺はこいつ等の相手してから行くから」
「ん、分かった」
久しぶりに出会った仲間となると色々と詮索したくなるのが当然の理。アレンは話が面倒くさくなる前にリーシャを非難させる事にした。
言われた通りリーシャも魔法具屋の中に入り、ルナと合流する。彼女は丁度本棚の中から一冊の魔法書を手に取り、それを眺めていた。
「ルナ、何か良い本あった?」
「うん……凄いよここ。色んな魔法書が揃ってるの」
声を掛けられてルナはようやくリーシャが来た事に気が付いた。かなり夢中になっていたようで、声は静かだがリーシャはいつも一緒に居る事から彼女がかなり興奮している事に薄々と気付いていた。
残念ながらリーシャ自身は魔法に興味がなく、魔法の適性もあまりない為この場所にどれだけの価値があるか分からない。ただし妹が喜んでいるという事だけはしっかりと理解していた。
「街ってだけでこんなに違うんだね。びっくりした」
「そうだね。物流も盛んみたいだし、この街は魔法関連の物を集めるのに力入れてるんだって。さっき言ってた〈図書塔〉には古の魔法書とかもあるらしいよ」
「へー、それって凄いの?」
珍しくルナは饒舌にこの街の事について分かった事を説明し始めたが、殆どが魔法関連の事であった為、リーシャにはちんぷんかんぷんであった。
きょとんとした表情をするリーシャを見てルナは思わずズッコケそうになるが、元々リーシャにはそう言った話をしても無駄だという事を思い出し、こほんと咳払いをする。
「まぁとにかく、村にはない凄い物がたくさんあるって事」
かなり大雑把であるが本を閉じて棚に戻しながらルナはそう話を纏める。それなら何となく理解出来たらしく、リーシャはなるほどと言ってうんうんと顔を何度も頷かせた。
「ところでお父さんは?」
「外で昔の友達と話してる。何でも冒険者の頃の仲間なんだって」
「そっか。じゃぁ話が終わるまで待ってた方が良いね」
リーシャに言われて外の様子を確認し、ルナはまだ店の中に居た方が良いと判断する。リーシャの話では結構色々詮索したがる人達のようだ。ここで髪色の違うルナまで出たら厄介な事になってしまうかも知れない。慎重派のルナはそう考え、店の奥に逃げ込むように移動した。
いずれにせよルナにとってこの魔法具屋は夢のような場所なのである。本棚に並んでいる魔法書はどれも見た事がないものばかりだし、魔法の効果が付与された道具というのも面白いものばかり。ずっとここに居られる。ルナはそんな気持ちにさえなっていた。
二人はとりあえずアレンが話を終えるまで店の中で時間を潰す事にする。リーシャにとっては少し退屈かも知れないが、ルナが喜んでいる姿を見れるだけでも楽しかった。そんな時リーシャとルナが棚に並べられている魔法具を見ていると横から声を掛けて来る人物が居た。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん達、ひょっとしてこの街は初めて?」
二人が振り返ってみると、そこには可愛らしい女の子が立っていた。
黒に近い紅い髪を短めに纏め、まん丸のぱっちりとした赤い瞳に子供らしい柔らかそうなほっぺ、色白な肌。歳はリーシャ達よりも少し歳下くらいか、身長もルナよりも低めで大人しそうな印象を受ける。
「うん、貴女は……?」
「私はアンナ! この街に住んでるの。お姉ちゃん達はどこから来たの?」
歳下が相手でも少し警戒するように距離を取りながらルナが尋ねる。すると女の子はぱぁっと明るい笑みを浮かべて自己紹介をした。続いてリーシャとルナも自己紹介し、簡単な自分達の身の上の説明をする。
「私達は遠くの村の方から来たの。お父さんと一緒に」
「へー、そっかぁ! じゃぁ長旅だったでしょ。疲れなかった?」
「うん、でも馬車で来たから景色とか見れて楽しかったよ」
社交的なリーシャは初対面のアンナ相手でもちっとも物怖じせず、いつも通り会話をする。
リーシャが凄いというよりも歳下の女の子相手でも警戒してしまうルナが慎重すぎるだけなのだが、ルナ自身はそんなリーシャをちょっと羨ましそうに見ていた。
「お姉ちゃん達も魔法に興味あるの?私の周りは男の子ばっかりだからさぁ、皆冒険者とか剣士とかに夢中なの。だからこういうお店に来れるのもお母さんと一緒の時だけなんだ」
目をキラキラとさせながらアンナは二人の事を見て来る。ルナが魔法書を眺めていた事をしっかりと覚えているようで、それで親近感が湧いたらしい。確かに子供がこういう専門的なお店に来るのは珍しいだろう。リーシャは隣に居るルナの事をチラリと見た。
「だってさ、ルナ」
「え、な、何で私に振るの……?」
アンナの相手は全部リーシャがしてくれるとばかり思っていたルナは途端に慌てた様子で目を回し始める。
生憎リーシャ自身は魔法の話は付いて行けない為、アンナの話はルナに任せた方が良いと判断したのだ。話を振られたルナは困ったように髪を掻きながらもアンナの方におずおずと視線を向ける。
「え、えっと……ちょっとなら私も、魔法に興味あるよ」
「わー! 良かったぁ!」
とりあえず無難に答えておこうと考え、ルナはある程度魔法に興味があるとだけ答えた。本当は魔法だって使えるし、大魔術師が使う魔法も使う事が出来るのだが、当然そんな事は言わない。信じる信じない以前にこんな事を言えば頭がおかしい子と思われてしまうだろう。
アンナはルナも魔法に興味があると知ると同志を得たかのように喜び、手をばっと広げて小躍りした。
「私ねー。魔法の中でも水魔法が好きなの! 水って綺麗でしょ?それを操れるって素敵だよねー」
「う、うんそうだね。確かに綺麗だね」
アンナは自分が好きな魔法や使ってみたい魔法、伝説と言われている魔法など様々な事を話し始める。趣味の合う仲間を見つけれて興奮しているのか、一度喋り出すと中々口が閉じない性格のようだ。だがその積極的な姿勢のおかげか、ルナも段々と慣れ始め、普段リーシャと喋る時のように砕けた感じで話せるようになって来た。
「ところで二人って友達同士なの?」
「ううん、姉妹だよ。ルナが妹で、私がお姉ちゃん」
「へー、そっかぁ! 良いねルナちゃん。リーシャちゃんみたいな美人のお姉ちゃんが居て!」
「そ、そうかな……」
ずっと一緒に居る為ルナからすればリーシャが居るのは当たり前で、近すぎてついその存在がどういう物なのかを忘れてしまう。本当はリーシャは勇者で、いずれは戦う運命にあるはずなのに。だがアンナのような女の子からすれば普通に仲の良い姉妹に見えるらしい。ルナはつい本当の姉妹だったら良かったのに、なんて事を考えてしまった。
「あ! お母さんが呼んでる。私そろそろ帰らなきゃ」
ふとアンナは店の入り口の所を見てそう言う。視線の先には大人の女性が立っており、彼女がアンナの母親なのだろう。
アンナはクルリと振り返り、赤い髪を揺らしながら二人に向かってにぱっと明るく笑って見せる。
「それじゃまた会おうね! リーシャちゃん、ルナちゃん!」
「うん、またねー!」
「またね……」
そのままスタスタと足音を立ててアンナは店から出ていき、母親らしき女性と人混みの中へと消えて行った。それを見届けてリーシャとルナは小さく息を吐き出す。
「はー、びっくりしたね。街の子供って皆あんな風に元気なのかな?」
「うーん……でもいつものリーシャもあんな感じだと思うよ?」
天真爛漫のリーシャでも元気に喋るアンナには結構面喰ったらしく、胸に手を当てて疲れたような笑みを浮かべた。ただルナからすればアンナの相手はリーシャの相手をする時と大して変わらなかった為、どこか既視感を覚えていた。
何にせよ街に来て初めての住人との会話。しかも歳の近い子と。二人にとってこれは大きな出来事であり、良い経験になったとも言える。
「お待たせ、リーシャ、ルナ」
そんなリーシャとルナの元にアレンがやって来る。ようやく古い仲間達との会話が終わったらしく、店の前には既に先程の男達の姿はなかった。余程説明するのに苦労したのか、アレンは少し疲れたような表情をしている。
それから三人は店を出て街の見物を再開する。途中、歩いているとアレンはリーシャとルナがご機嫌な事に気が付いた。
「二人共上機嫌だな。何か良い事でもあったのか?」
「うん、まぁね!」
アレンが尋ねてみると待ってましたと言わんばかりにリーシャは元気よく答える。そして何故かルナの方に目配せをした。ルナは戸惑ったように自身の事を指差したが、アレンが視線を向けて来た事に気が付くとちょっと恥ずかしそうに口を開いた。
「友達が出来た……かも」
ルナの答えを聞いてアレンは驚いたように目を見開く。だがしばらくするとアレン自身も嬉しそうに笑い、ルナの頭をわしわしと撫でてやった。