10:日常が崩される日
その日、アレンとリーシャはいつものように庭で剣の特訓をしていた。木剣で戦う二人の様子をルナはクロと共に丸太に座りながら眺めている。二人の攻防は激しく、模擬戦であるのにまるで本気で戦っているかのようであった。
「今日こそ……父さんに勝つ!」
額から汗を流しながらリーシャは瞳を力強く輝かせてそう言い放つ。
どうやら今回はかなり本気のようで、打ち込んでくる剣にも力が込められている。アレンはリーシャの成長をひしひしと感じながらその剣を受け流し続けた。
「はぁ……ッ!!」
「おっと……!」
まだ子供である為当然リーチの差はある。だがリーシャはそれを不利だとは考えず、素早さを活かしてアレンの懐に入り込み、距離を取らせないようにした。真下から嵐のごとく剣を打ち込んでくるリーシャをアレンは冷静にいなしながら、どのように行動するか分析した。
(リーシャの奴、本当に強くなったな……この分じゃ本当に俺が追い越されてしまいそうだ)
リーシャの強い一撃を受け流し続けながらアレンは感慨深くそう思う。
最近リーシャの成長は著しい。ただでさえ精霊の恩恵を受けて治癒能力や悪い力を払う効果を得ているのに、剣術だけでも十分アレンに追い付く程であった。現に最近調子が良いアレンでさえ、リーシャの一撃を受ける度に手に電流が走ったかのように強い痺れが起る。今まさに彼女は最高の成長期であった。
「えいッ!!」
「……むっ!」
リーシャの木剣が掻い潜るようにアレンの手元の所まで伸びて来た。寸での所でアレンは木剣でそれを受け止めるが、剣の根元部分を取られた。リーシャの狙いはそれだったのだ。
次の瞬間、リーシャは思い切り力を込めて木剣を振るうと、アレンの手が弾かれて木剣が宙を舞った。それを見た瞬間リーシャは自身の勝利を確信する。
「勝った……!」
満面の笑みを浮かべて思わずリーシャはそう呟く。しかしそれは驕りであった。
アレンはまだ勝負に負けた瞳をしていない。未だに鋭く輝きながら、一切の集中力を切らさずに舞っている木剣を見続けていた。
それにリーシャが気付いた時にはもう遅かった。彼女がとどめの一撃として木剣を振るう前に、アレンは跳躍して宙を舞っている木剣を掴むとそれをそのままリーシャに振り下ろした。
「……ひっ!」
ピタリ、とリーシャの眼前で木剣が止まる。自分に目の前に迫って来た木剣を見てリーシャは思わず悲鳴を上げてしまい、アレンに振るおうとしていた木剣を止めてしまっていた。
「ほい、俺の勝ち」
「……う、うぅ~……」
アレンは小さく息を吐いてから木剣を戻し、トントンと木剣で肩を叩きながらそう言った。自分が敗北した事を理解したリーシャは悔しそうに顔をしわくちゃにし、その場にズルズルと崩れ落ちた。
「また父さんに負けた~! 今回は絶対に勝ったと思ったのにー!!」
良い所までいっただけに今回の悔しさは大きく、リーシャはいつも以上に情けない事を上げながら悔しがった。木剣をバンバンと地面に叩きつけ、不満を訴える姿は実に子供らしい。
「ああ、今回は本当に危なかったよ。だが油断したリーシャが悪かったな。剣を飛ばした後すぐに俺にとどめの一撃を打ち込めば、勝利は確実だったのに」
アレンも肩に木剣を乗せたまま困ったように笑いながらリーシャにそう言った。
実際の所今回のアレンはかなりギリギリだった。あのままリーシャの強い一撃を受け続けていればきっと先に手の限界が来て負けていただろう。勝利を急いだリーシャだったからこそ、アレンは不意を突いて勝つ事が出来たのだ。だがリーシャがそれを聞いて納得しない事も分かっていた。だからこそアレンはまだまだリーシャの目標でいる為に、より鍛錬をしなければと改めて心に誓った。
「うぅ~……次は……次こそは絶対に父さんに勝つ!」
「ははは、ああ、楽しみにしてるよ」
リーシャは身体を起こして瞳を熱く燃やしながらそう宣言した。もう何度も聞いた台詞であるが、いつもよりも凄みのある台詞である為、リーシャの本気具合が伺えた。アレンはそれを聞いていつものように笑って頷いた。
「惜しかったね、リーシャ」
「うぅぅ……ルナ~」
勝負が付いたのを見届けて近づいて来たルナがリーシャの事を励ます。するとやっぱり悔しさがいつもより大きかったのか、リーシャは泣きつくようにルナに抱き着いた。ルナはそれをよしよしと言って頭を撫でながら受け入れた。姉妹の立場が逆転だ。
(俺もうかうかしてたら次は本当に追い越されちまうかもなぁ……)
その様子を見ながら頭を掻いてアレンはそう心の中で思う。
いずれ超えられてしまう事は分かっているが、それでも出来るだけ長い間彼女達の目標でいたい。それは年寄りの驕りであろうか、とアレンは誰か答えてくれる訳もない疑問を心の中で呟いた。
それからクロもやって来てリーシャは抱き着こうとしたが、クロはそれを華麗に避けてリーシャを転ばせた。やはり魔物であるクロは中々リーシャに懐かず、むしろ嫌われている傾向もある。リーシャは涙目になりながらなにくそとクロを追い掛けた。
「やぁアレン、素晴らしい戦いぶりじゃったのぉ」
「ああ、村長。どうかしたのか?」
ふと横から声を掛けられる。アレンが振り向くとそこには村長の姿があった。腰を曲げながら笑みを浮かべてこちらの事を見ている。どうやら先程までの特訓の様子を見ていたようだ。アレンは木剣を下ろして村長の方に身体を向けた。
「うむ。実はお主に少し話したい事があってのぉ……」
長い髭を弄りながら村長はそう言ってチラリとリーシャとルナの事を見た。どうやら二人の前では話しづらい事らしい。そう判断してアレンはリーシャ達の方に顔を向けた。
「リーシャ、ルナ、先に家に戻ってなさい」
「はーい」
「はい、お父さん……」
いつの間にか元気になっていたリーシャは手を上げながら返事をし、ルナもクロの事を抱きながらそう返事をした。二人は一緒に家の方に戻り、見えなくなったのを確認してアレンは村長の方に振り返る。
「それで、また森に魔物でも出たのか?」
「いや、実は獣達が何やらざわついていての。ダンの奴に山を調べさせたらふもとの方に王都の兵士が居たそうじゃ」
「……!」
アレンが尋ねてみると、何と村長の口から王都の兵士という言葉が出て来た。それを聞いてアレンは僅かに眉を顰めてその言葉を聞く。
「今まで王都の者がこの村に来る事は滅多になかったからのぉ……しかもただの兵士達ではない。武装し、人数も多い。何かを探しているようだったとダンは言っていた」
ダンの報告によると山のふもとに居る兵士達は武装までしているらしい。もちろん魔物に襲われる可能性もあるのだから武装するのは当然だが、平和を好んでいるこの村人からすれば武器を持つ人間というだけで警戒してしまう。アレンもまた顎に手を置き、考えるようにふむと声を零した。
(ひょっとしたら前西の村に行った時に会った兵士達かも知れないな。勇者の紋章を持った子を探してるとか言ってたし……)
ふとアレンは以前西の村に行った時の事を思い出した。そう言えばあの時も武装した兵士達が居た。彼らは勇者の紋章を持った子供を探しているらしいが、ひょっとしたら今回は自分達の村を調べに来たのかも知れない。アレンはそう推測した。
「すまんが少し様子を見て来てくれないか?お主はかつて王都に居た事があるから、勝手も分かるじゃろう?」
「ああそうだな、分かった。任せてくれ」
村長もかつて王都で冒険者として過ごしていたアレンなら任せられると思い、そう言って来た。確かに以前会った兵団の隊長も自分の名前を知っていた。自信がある訳では無いが、身の上が分かっていれば多少は話が出来るかも知れない。そう考えたアレンも快く村長の申し出を受け入れた。
そうと決まったら早速アレンは家に戻って準備を整えた。急に慌ただしい様子で準備を始めているアレンを見てリーシャとルナは呆然と見つめていた。
「父さん、どこか行くの?」
「ああ、ちょっと用事が出来たんで森の方に行く。良い子に待ってるんだぞ」
「気を付けてね……?」
「ああ、心配するな。すぐ戻ってくるよ。リーシャ、ルナを守ってやるんだぞ?」
「もちろん!」
リーシャ達には適当な事を言い、家で待っているように言った。リーシャ達は余計な事は聞かず素直に頷き、それに従った。
そして護身用に剣を装備し、準備が終わったアレンは家を出て森へと向かった。
ダンは身のこなしが速い為、兵士をふもとで見かけたのならまだ彼らはふもと辺りに居るだろう。そう判断したアレンはさっさと木々を通り抜けて山のふもとまで降りた。するとアレンの視線の先に白いローブを羽織った人物達が複数集まっているのが映った。
ダンの報告で兵士のはずだったが……旅人用のマントとかの代用だろうか?そんな軽い考えをしながらアレンは警戒せずその者達に近づいた。
「どうも、おたくらが王都の兵団?」
「…………」
試しに話しかけてみるが彼らから反応はない。そしてよく見て見るとそのローブを纏った人物達は頭まですっぽりとフードで覆われており、顔は何やら剣の紋章のような物が描かれた仮面が付けられていた。それを見て明らかに普通の人達ではない事が分かるが、温厚なアレンは別に気にせず話し掛け続けた。
「えーと、ひょっとしてうちの村に用があって来たのか?」
何かしら目的があるのだと思ってアレンはそう質問するが、やはり白ローブの人物達からは返答がない。まるで幽霊のようにゆらゆらと揺れながらアレンの事を見ていた。すると白ローブの一人が動き、別の白ローブに顔を向けた。
「奴がそうなのか……?」
「ええ、間違いありませぬ……」
「であるならばこいつが勇者様を……」
何かを確かめるように白ローブ達は話し合っている。アレンは距離があってそれを聞き取る事が出来なかった。
やがて白ローブ達の話が纏まると、急に全員がアレンの事を敵意を持った視線で見つめて来た。全員が仮面を付けている事もあってその異質さは際立っている。
「む……っ?」
流石に何かがおかしいと感じたアレンはその場から距離を取ろうとした。その瞬間白ローブの集団から二人の白ローブが飛び出し、手にナイフを持ちながらアレンに襲い掛かった。
「おいおい、どういうつもりだ?」
すぐさまアレンは剣を引き抜き、白ローブ達が振るって来たナイフをいなす。囲まれないように後ろに距離を取りながらナイフを弾き、白ローブ達と対峙した。
二人の白ローブも警戒をしながらアレンの事を見つめている。仮面のその下からドス黒い狂気に包まれた瞳が覗いていた。それを見てアレンは彼らが王都の兵団ではない事を理解し、同時に彼らが何者なのかと疑問を抱いた。
ダンが見間違うはずがない。であるならば彼らは王都の兵団とは別の集団。一緒に行動していないし恰好からして仲間とは考えづらいであろう。そして何よりその異質な雰囲気。アレンは彼らが良からぬ集団だと推測した。
そうこう考えている内に白ローブが動き出す。ローブを羽織っているわりには素早い動きで距離を詰め、アレンにナイフを突き出して来た。しかしアレンはそれを華麗に避け、白ローブの二人の間に入ると剣の柄で思い切り殴った。白ローブ達はうめき声を上げてその場に倒れ込む。
「ぐはッ……!」
「随分なご挨拶だな。王都の兵団ではなさそうだ……何者なんだ?」
「…………」
ピッと剣を振るいながらアレンは白ローブ達に向かってそう尋ねる。だが当然返答はない。それどころか仲間が倒されたというのに何の反応も見せなかった。それを見てアレンは奇妙に思う。すると辺りに紫色の怪しい煙が立ち上り始めていた。それを嗅いでしまった瞬間、アレンはとてつもない疲労感と眠気に襲われ、一気に身体が重くなったのを感じ取った。
(これは……眠り粉か……しかも超強力な……ッ!)
それが魔物などに対して使用する強力な眠り粉であると分かったアレンは何とかその場から離れようとしたが、既に匂いを嗅いでしまった為、足は言う事を効かずにもつれてしまった。ドサリとその場に崩れ落ち、アレンの意識が闇に沈んで行く。そんなアレンを見ながら白ローブ達は取り囲むようにアレンの元に集まった。
「勇者様を洗脳した下衆な人間め……そこで這い蹲っているが良い」
「勇者様は我々が正しき道に引き戻す」
白ローブ達は仮面越しに冷たい目線をぶつけながらアレンにそう言葉をぶつけた。何人かはアレンに足蹴りを食らわせる者も居た。しかし強力な眠り粉の効果によってアレンは起き上がる事すら出来ず、うめき声上げながら苦しんだ。きっと奴らは仮面の下に粉を吸わないようフィルターを付けているのだろう。アレンは震える手を前に突き出した。
「ぐっ……お前達は……一体……?」
一体白ローブ達は何者なのか?一体何が目的なのか?どうして村の近くに居るのか?その答えを求めるにアレンは手を伸ばした。そんなアレンの手をぞんざいに蹴り飛ばし、白ローブの一人がアレンの事を見下ろす。
「我らは〈勇者教団〉。貴様のような悪しき者から勇者様を救う団だ」
恐らくはリーダー格なのだろう。低い声で白ローブの人物はそう言うと、アレンの顔を足で蹴り飛ばした。ドサリと顔から地面に伏せ、次第にアレンの視界は真っ暗になっていった。意識が完全に闇の中へと沈んで行く。もう、アレンは立ち上がる事が出来なかった。