雪月花 一ノ一 修行
辺りの木々が微風と共に揺れる。
枝の上で小鳥が囀る。
「はぁー…えぇ天気やなぁ…」
そんな鈴を転がしたような声が聞こえた途端音楽は途絶え、枝にいたはずの小鳥は姿を消していた。
数秒後。その音楽とは違う音楽が下から聞こえてくる。
少女――花月飛椴が鼻歌をしているのだ。
それは昔聞かせてくれた歌。
飛椴自身その歌が何というのかは知らない。
だが飛椴の心に残っている歌だ。
「――さて、修行やろか」
歌を途中で止め、飛椴は立ち上がる。
飛椴の手が懐に入る。
そしてそこから出てきたのは手裏剣。
決して今は戦国ではない。現代と呼べる時代にいる。
花月家は戦国から代々続く忍者家で、飛椴が20代目なのだ。
飛椴は忍術も使える。苦無や手裏剣を扱うのは得意分野なのだ。
だが、そんな花月家を潰そうとする者が最近出始めたと飛椴は聞かされた。
その為毎日の修行は欠かせない。
左手に手裏剣を持ち、構える。
一瞬の気の緩みも許せない。
上下前後左右から風が吹き付ける。
手裏剣を持つ左手を掲げ、てやぁっと言う声と共に振り下ろされる。
高速で回転しながら空気を切っていく手裏剣は数秒の後、飛椴から100メートルは離れている木に真っ直ぐ突き刺さった。
「成功…やな。いつも曲がっとったけど」
そう言うと飛椴は朗らかに笑った。
手裏剣を取りに行こうと一歩踏み出したとき。
「――よぅ、飛椴」
「…あ、月榮やないの。どないした?」
月榮と呼ばれた者は枝に座っていた。
「いや、修行やってるって聞いたから見に来た」
「月榮は?修行やらへんの?」
「やらねぇな。今起きたばっかりでよ。眠いったらありゃしねぇ」
「んじゃ其処ら辺で寝たらええやろ」
「出来たらやってるっての。…なぁ、飛椴」
「ん?何や?」
「お前ってさ、よくもまぁ花月家を引き継ごうって思ったよな」
「しゃーないやろ。代々存続させよ言われ続けたんやから。だからうちも協力してる。それだけや」
「俺は…なんか存続させる気にならねぇんだ。都家十六代目以降をさ」
「それやったらお姫さんが嘆くやろ」
「だから雪姫のことをお姫さん言うなって。彼奴別に姫じゃないぞ」
「知ってる。でも何となくそう言った雰囲気が出てるからなぁ。言われてもおかしないで?」
「まぁな…。彼奴は確かに都家を引き継ぐ唯一の女だしなぁ」
「なら尚更や。大切にしたりや」
「別にっ。彼奴は自分で何とかする」
「うっわ。ひどっ。変わりも双子なら大切にしよとか思えへんの!?」
「おもわねーよ!いくら双子だからって……何だよ、飛椴」
飛椴が含み笑いをしていたため、月榮は怪訝そうな顔をした。
「月榮、ほんまは大切にしとるんと違う?」
「なっ、ちげーよ!誰があんな女を!」
「…あんな女で悪かったね。月榮」
「――ゆ、雪姫?!」
「なぁお姫さん!月榮が酷いことゆうてはったわ」
「大丈夫よ。最初から聞いてる。…月榮、後でどうなるか」
「いやいや、其れ勘弁しろよ!お前にぶっ叩かれるのはホント嫌なんだからな!」
「だったらんな事言わないの。飛椴御免。月榮が酷いこと言ってしまったかも」
「気にしてへんからええよ。さてと、取り敢えず修行再開しよ」
「月榮行こう。都家存続のための修行なんだ。ちゃんとやろ?」
「分かってるって」
月榮はそう言うと怠そうに立ち上がり、手裏剣を片手に一本の木の前に立つ。
右腕を天に掲げ一気に振り下ろす。
飛椴が投げた手裏剣より遙かに威力が高い。
一本の木を貫通させ、その後ろにあるもう一本の木に刺さった。
「月榮…」
「あんだよ」
「月榮ってあんま修行してへん癖に何でそんな上手いん?」
「…知るかよ」
「月榮は密かに練習してるんだよ」
「雪姫!」
「え?そうなん…?」
「人の前で練習するの苦手で。月榮夜中によく練習してる」
「月榮、あんた何でそんな人の前では出来ひんの?」
「下手なところ見せられっかよ。だから人目を避けて練習してるんだ」
「下手でもええねや。うちもまだ上手くはあれへん。一緒に練習してうまなっていく方がええと思えへんの?」
「おもわねぇよ。家を存続させるための修行に一緒だの一緒じゃないだのは関わってない。自分の考えで動く」
「存続させたいのはうちもお姫さんも同じやで。花月家を都家を…存続させたい気持ちは三人とも同じと違うんか?」
「私もそうだよ。都家はちゃんと存続させたい。月榮だけじゃないんだよ」
「うっせえよ…。一人で練習して何が悪い。お前等にはわかんねぇんだ。俺がどういう気持ちで修行してるか何てな!」
そう言うと月榮は木に刺さった手裏剣を取りに行き、そのまま奥の方へと姿を消した。
「月榮、何かおかしいなぁ」
「だね…。何かあったんじゃない?」
「――うち、見てくる」
「あ、うん。私此処で待っておくよ」
「ううん。お姫さんは父様や母様に帰り少しおそうなる言うておいて!」
「わかった!月榮を頼むね!」
「まかしとき!」
そう言うと飛椴は木に飛び、そのまま月榮を追いかけた。
一本、二本、三本と木を飛んでも月榮の姿は何処にもない。
(何処行ったんや…?月榮の奴…)
そんな間に二十本は木を飛んだ。
だが月榮は何処にもいない。
(あ、下におるんか?)
そう思い飛椴が下に視線を落とした瞬間。
着地するはずの枝で足を滑らせ飛椴はそのまま真下に落ちていく。
「うわぁっ!!」
だが体が打ち付けることはなかった。
(あれ?何で痛みあれへんのや…?)
ゆっくりと閉じていた目を開けると…
「げ、月榮!?」
飛椴は今、月榮に抱きかかえられている状態なのだ。
それを瞬時に悟った飛椴は降ろし!と喚いた。
うっせぇと言いつつ月榮は飛椴を降ろした。
「気をつけろ、馬鹿が」
「馬鹿やて!?あんたよりマシや!」
「あんだとゴルァ!…ったくよ、俺捜しに来たのは良いけれど、枝で足踏み外すなよ。ドジだの馬鹿だの言われてもおかしかねぇぞ」
「な!うっさいなっ。だったら何でうちを助けたんや!」
「ほっとけねぇからに決まってるだろ」
「…え!?」
「そんな足踏み外して落ちてきた人ほっとけるか、つってんだ」
「あ、そゆこと。深い意味はあれへんのね。分かった分かった」
「おい。深い意味って何だ」
「あんたは知らんでもええ。いつか分かるときが来るはずや」
「けっ。面倒な話だ。……一寸待ってろ」
「は?いきなり何言うとん?」
「お前、足怪我してる。何しでかした」
「そんなんうちが知るわけあらへんやろ。足に聞きぃな」
「聞けるもんならとっくに聞いてる。…包帯取ってくる」
「ちょ、待ちぃ!うち歩けるからええって!」
「あ?…なら良いか。今度から気をつけろよ」
「わかってるって」
そう言って飛椴は立ち上がる。
大して足に痛みは感じない。
(ま、大丈夫やな)
じゃ、帰るよ俺と言って月榮は飛椴に背を向けた。
(あ!うち月榮に聞きたいことが!)
「月榮!ちょー待ち!」
「んあ?何かあんのか?」
「話があんねんけど」
「…あ、あぁ…」
「あんま聞かれたら困るから向こうで話そ」
「分かった」
そう言うと月榮と飛椴は地面を蹴り木に飛び乗る。
そこから数十本ほど木を飛んだところに神社があった。
あの場所で話そと言い、飛椴は其処に着地する。
其れと同時に月榮も着地する。
息をつきながら石段に座った飛椴。
座りと飛椴に言われ、月榮も石段に座る。
「…んで?話って何だ」
「――何で、其処までして強うなりたいん?」
「は?」
「一人で練習するほどに強うなりたい由、あるんとちがうん?」
「別に。お前が知っても意味ねぇし」
「なんでや!うちはただ、月榮がどんな思いで修行してるんか聞きたいだけやの!」
「……守りたい奴がいる」
「守り、たい…?」
「それだけだ。…じゃあ逆にお前は何なんだ。お前はどういう思いで修行やってんだ」
「うち?…うちはな、花月家を守りたい思てるんよ。今までずっと続いて来たんや。終わらせるわけにはいかんのや」
「…へー」
「なんや!信用してへんやろ!?…ほんまやねんで。うちは、家をちゃんと続けたい思てるよ。中途半端な気持ちでやってるんと違うんやから」
「中途…半端…」
「それが今の月榮やろ!?」
「はぁ!?俺がそんな気持ちで」
修行やってると思ってるのかと続けようとした月榮を勢いよく立ち上がった飛椴に止められた。
「都家存続させよとか思わへんの!?それでもあんた本当に都家の正統継承者か!?今の月榮はそんな思い感じられへんわ!やる気無い言うて、そんなん都家の正統継承者にふさわしゅうないわ!」
「ひ、飛椴…?」
「……あっ」
つい興奮して言ってしまったのに気がついた飛椴は口元を押さえ、立ちつくす。
「ご、御免…」
いつもの強気な声音とは真反対のような声が飛椴の口から零れた。
石段に崩れ落ちるように座る。
(うち、なんでこんな事…言うてしもたんや…)
突然後悔が心を渦巻いた。
言い過ぎてしもた…
そう呟いて、頭を垂れた。
「――飛椴?」
「何…?」
「大丈夫か?お前、顔赤い」
「なっ」
「…確かに俺は中途半端だったな。気持ち全てが。お前の一言で変わった」
「え?」
「何とかして存続させる。今のお前の一言でそう思い直した。―……な」
「え?最後なんて言うた?」
「――…ありがとうな」
「…ほんま素直やないなぁ。月榮は」
「うっせぇっ!」
「でも、それが月榮やしな。素直になれとは言わんし」
そう言うと月榮に向かって飛椴は柔らかく微笑んだ。
その微笑みを見た瞬間、月榮の顔が少しだけ熱ったのは本人しか知らない。
「御免な、質問に長々付き合わせてしもて」
「別に…」
「うわっ。素っ気な!月榮そんな奴やったんやな!?」
「あぁ!そうだ!」
その言葉の後静寂が訪れた。
だがその直後、飛椴と月榮は二人ほぼ同時に吹き出して、笑い出した。
(こんなに笑たん…久々やなぁ…)
暫く神社に笑い声が響いていた。