第93話 闇の一族《ダークマター》
闇の一族、それは王家の守護者。ある大犯罪者の首を刎ねた処刑人を祖とし、一族単位で稼業と秘密を受け継いでゆく。王家を守るために全てを捧げ、王家の闇を一手に引き受けた一族である。
その任務は、古くは王家にとって不都合な存在を粛清することであった。しかし近現代においては情報統制が主な仕事であり、王家にとって不都合な情報を消し去ることに心血を注いでいた。
しかし当時の妖精王であったラザニアは、闇の一族を使わない主義だった。ただでさえ現代の彼らはその戦闘技術を活かす機会が少ないというのに、情報統制の仕事すらさせて貰えない。不満は溜まるばかりだったのである。
ハバネロはその一族に生まれ、少年時代から天才的な任務遂行能力の持ち主として持て囃されていた。一族内で多大な期待を寄せられていたのである。
ハバネロ十六歳のある日のことだった。王宮で催された、王子の二十歳の誕生パーティ。ハバネロは族長の指示を受けて参加者の一人に扮装し、諸侯の動向を探っていた。たとえ妖精王からの指示が無くとも、王家に害なす可能性がある者を探るのは重要な職務である。
まず目に入ったのが、始まってすぐラザニアの方へ早足で一直線に向かっていった財務大臣トンコツ・エンケラドゥスであった。ハバネロと同い年くらいの少女が、その後をついてゆく。
(なんて可憐な娘だろう)
ウェーブがかかったピンクのロングヘアをなびかせながら、頑張ってついていく健気な姿。ハバネロは思わず仕事を忘れ見蕩れてしまっていた。
(いかんいかん、トンコツ卿は何かと不穏な噂のある男だ。陛下に何を話すか見張っておかねば)
聞き耳を立ててみると、どうやら娘をラザニアに紹介しているようだった。王子の結婚相手にと、しきりに推しているようである。娘の名はテリーヌといった。お世辞にも美男子とはいえない父親と本当に血が繋がっているのか疑いたくなるほどの美少女であった。
(王家に嫁がせるための娘か。俺のような賤しい身の男とは吊り合わないことこの上ないな。我ながら馬鹿なことを考える)
正直、一目惚れであった。こんな場所に招待されるような身分の娘と自分が結ばれることなど万に一つも無いことはわかりきっていた、始まる前から終わっていた恋である。
テリーヌは妖精王の前で照れ笑いをしていたようだったが、その後どこか悲しげな表情を見せた。
彼女が王妃となれば、自分はそれに仕えることとなる。あんなにも可憐な彼女が、いつか王家の闇に染まってしまうかもしれない。ハバネロは心に針が刺さったような痛みを覚えた。
(もう、あまり彼女に関わるべきではないな)
闇の一族たるもの、決して感情に振り回されてはならない。己の人生を王家に捧げ、常に冷徹たるべし。これ以上心を乱されるわけにはいかない。
エンケラドゥス親子がラザニアから離れると、ハバネロは別の有力貴族の監視を始めた。
ただ機械的に、己の職務を果たす。闇に生まれた以上は、人並みの幸せなどありえないのだ。
そんなことを思っていると、ふとテリーヌの姿が目に入った。彼女は部屋の隅でひっそりと泣いている。が、ハバネロが見ていることに気付いてすぐに作り笑いをした。
(彼女は一体何故泣いているのだろう)
ついそんなことを考えてしまったが、すぐ我に返る。
(いかんな、集中力を乱される)
冷静であらんとするために、テリーヌから目を逸らす。
「あ、あの……」
が、その時、信じ難いことに向こうから声をかけてきた。まさかと思いそちらを向くも、やはり彼女が話しかけた相手はハバネロのようである。
「何か?」
「その、一人で寂しそうにされていたので、どうかされたのかしら、と」
それは俺の方が言いたい、とハバネロは思った。
「別に……ただ一人でいるのが好きなだけだ」
そっけない態度をとるも、心の中では沸き立っていることに嫌気が差した。今さっき一人の娘に出会っただけなのに、どうしてこうも自分はおかしくなってしまったのか。
「そういう君こそ、先程泣いていたように見えたが」
ハバネロが尋ねると、テリーヌは俯いた。そして暫く思い悩んだ後、目を潤ませながら答えた。
「私には……人並みの幸せを得ることなどできないのだと思って……」
「王家に嫁ぐのが嫌なのか?」
「そういうわけでは」
テリーヌははっとした表情の後で言う。
と、そこでトンコツ卿の声が聞こえてきた。
「あっ、お父様が呼んでいるわ。それではさようなら」
会釈をして去るテリーヌを、ハバネロは引き止めることなく見送った。
(無駄な時間を過ごしてしまったな)
先程のことを忘れようと、また気を張り詰める。王家のために得るべき情報はまだまだ沢山あるのだ。
暫く任務に従事していると、ハバネロに声をかける者が現れた。
「そこの貴様」
偉そうな口調で呼ばれて、ハバネロはすぐにそちらを向き跪く。
「これはこれは殿下、お誕生日おめでとうございます」
相手はオーデン王子。このパーティの主役である。
「話がある。少しこちらに来い」
王子の命令とあれば行かざるを得ない。大扉から廊下に出て、すぐ側の小部屋へと連れられた。この部屋には他に誰もいない。
「貴様、闇の一族であろう」
入ってすぐ、オーデンは尋ねた。
「よくお気づきになられましたね」
「その歳で外に出ることを許された天才児。話題にならぬ方がおかしいというものだ」
「殿下に存じて頂けるとは光栄の限りです」
「つまらん話はここまでだ。それよりも、貴様に仕事を与える」
突然降って沸いた、王子直々の依頼。ハバネロに緊張が走った。
「財務大臣のトンコツ、奴を粛清しろ」
「……畏まりました」
信じ難い命令に衝撃が走るも、ハバネロは聞き返すことなく了解する。
ラザニアの即位以降、粛清命令が出されたことは一度として無かった。にも関わらずここでオーデンがそれを破ったのは、よほどのことがあったに違いないとハバネロは確信した。
トンコツ卿は政治家としては有能だが、何かと失言が多く場の空気を悪くする人物として知られていた。今日も何かオーデンの逆鱗に触れるようなことを言ってしまったであろうことは想像に難くない。
これほどの重要ポストに就く人物が突然消されたとあれば、国が少なからぬ混乱に陥るのは間違いない。それに彼は、テリーヌの父親なのである。父親を失い悲しみに暮れるテリーヌの姿が、頭の中に勝手に現れた。
(くだらんことを考えるな)
心頭滅却し余計な想像を消し去る。たとえどんな結果を生むとしても、王子様の命令である以上は殺るしかない。
ハバネロはすぐに王宮を出て、準備のために一度帰宅した。
王都のとある場所に設置された地下への隠し階段が、アジトの入り口である。その先にある巨大な地下トンネルに、彼らは一族全員で住んでいる。
パーティが終わる頃に、ハバネロはアジトを出てエンケラドゥス邸へと向かった。警備を掻い潜って容易く忍び込み、トンコツの部屋へと足を進める。
殺しの訓練は嫌というほどしてきたが、実際にそれを行うのはこれが初めてだ。覚悟はできていたが、緊張はあった。
途中、ある部屋の前を通った時に、トンコツの声が聞こえてきた。そしてもう一人、テリーヌの声も。暗殺のためにはトンコツが一人の時を狙わねばならないので、今は待つしかない。一先ず聞き耳を立てて様子を窺う。二人は一体何を話しているのだろうか。王子との婚姻に関わる何か重要な情報を得られるかもしれない。
だが、何か様子がおかしいことに気付いたのは程なくしてだった。不穏なものを感じる。いけないとわかっていながらも、ハバネロは恐る恐る扉を小さく開けた。僅かな隙間から、中を覗き見る。
そこで行われていたのは、身の毛も弥立つほどおぞましい光景だった。見間違いを疑いたかったが、これま紛れもなく現実。
ハバネロの中で、何かが切れた音がした。扉を閉めて、物陰に隠れる。暫くして、トンコツが一人部屋から出てきた。ハバネロは足音を立てずに後をつける。そして自室に入ったところで、一気に踏み込んだ。
「だ、誰だ!?」
慌てふためくトンコツに、火炎放射器が向けられた。
「テリーヌに何をした?」
「あ、あれは殿下を悦ばせてさしあげる術を教え込んでいただけだ! あれは殿下に嫁がせる娘だからな、何も問題は無いだろう!」
「汚物は消毒だ……」
支離滅裂な言い訳が当然通じるわけもなく、言った直後に顔を炙られた。ハバネロには最早この男を殺すことに、緊張も躊躇いも無かった。思春期の心に湧いたどす黒い憎悪が爆発した。実際に使うことはまずないだろうが知識として伝承するためにと覚えさせられた拷問術を、片っ端から試してみた。そしてトンコツが廃人になりかけた辺りで、体内に炎を流し込んで爆死させた。
ただ王子を不快にさせたというだけでここまでされる謂れはない。これは完全に任務外の私刑であった。
トンコツの部屋を出たハバネロが向かったのは、テリーヌの部屋であった。テリーヌは一人、うずくまって泣いていた。
「君を助けに来た。一緒に逃げよう」
突然後ろから声をかけられ、テリーヌはびくりとした。
「貴方は誰!?」
「闇の一族の者だ。君の父親は俺が殺した」
ハバネロはテリーヌの手を強引に引いて連れ出す。不思議とテリーヌは抵抗せずについてきた。
だがアジトに戻ったハバネロを迎えたのは、ハバネロと同じ訓練を受けた工作員兼戦闘員達であった。
ハバネロはテリーヌをアジトで匿うつもりだった。しかし当然、一族の者達がそれを許すはずがなかった。
「その娘を一体どうするつもりだ? そんなものは任務には含まれていないはずだが」
「お前を外に出すのは早すぎたようだ。再教育が必要だな」
ハバネロとテリーヌを取り囲む十三名の工作員。その全員が深き闇の底で地獄のような訓練を乗り越えた猛者である。仕事が無くて体がなまっている彼らにとって、命令違反者への制裁は願っても無かった暴れられる機会。ここぞとばかりに集まってきていたのである。
ハバネロは何も言わず火炎放射器を構え、戦う姿勢を見せた。だが次の行動は、広範囲へ派手に炎をばら撒いた目晦まし。敵の武器を掻い潜りながら、テリーヌを抱えて走り去る。
「逃がすな! 闇の一族の沽券にかけて、確実に捕えろ!」
行く当てもないまま闇の中を駆け、辿り着いた先は王宮であった。二人の初めて会った場所を、無意識に目指していたのかもしれない。
当時は王族暗殺事件が起こる前であり現在よりも警備は薄い。ハバネロの技術を以ってすれば、夜の王宮に忍び込むのは容易なことであった。
この場所に着いた時点で、ハバネロにはある考えが浮かんでいた。目指す先は、この王宮で最も厳重な警備の敷かれた場所。
慣れた手つきで鍵を開け部屋に足を踏み入れると、眠りに就こうとしていた妖精王ラザニアはベッドから起き上がった。
「誰かね?」
部屋に明かりが点く。この非常事態においてもラザニアは堂々としており、落ち着いた調子でこちらに語りかけてきた。
「陛下、夜分遅くに申し訳ありません。闇の一族の者です。一つお話があって参りました」
するとそこに、追手の工作員達が雪崩れ込んできた。
「この人数の闇の一族が首を揃えて私に直訴とは……なるほど、心当たりはあるがね」
「いえ陛下、彼らは……」
「ハバネロ! よもや陛下を人質にするつもりではあるまいな!」
そう言われたところで、ハバネロは火炎放射器を手放した。この場で交戦するつもりはないことのアピールである。
「ふむ、大方状況は理解した。まずはそちらの諸君も武器を手放したまえ」
妖精王の命令とあってはそうせざるを得ず、工作員達は揃って武器を廊下に投げ捨て跪く。
「そちらの娘は今日お会いしたエンケラドゥス家のお嬢さんだね。何故彼女がここにいるのかも含めて、全て話してもらおう」
「畏まりました、陛下」
ハバネロはしめたとばかりに、これまでの経緯を余すことなく全て話した。
「そうか……テリーヌ嬢、心中お察しする。とても辛い思いをしてきたことだろう。トンコツ卿の邪心を見抜けなかったのは私の責任でもある。この場で謝罪させてほしい」
「へ、陛下が謝罪など……とんでもありません」
「しかしオーデンが粛清命令を出すとは……私の思いは息子には伝わらなかったようだ」
ラザニアは目を瞑り、酷く悲しそうな顔をした。
「陛下、私は闇の一族としてあるまじきことをしました。何なりと罰をお与え下さい。その代わり彼女を、安全な場所で保護して頂きたいのです」
「ふむ、君の言い分はわかった。しかし彼女に危害を加えていたトンコツ卿は君が殺害したのだろう。ならば既に彼女は屋敷にいても安全な状態であり、連れ出す必要はなかったはずだ。君は錯乱して衝動的に彼女を連れ出したに過ぎない」
「陛下の言うとおりだ。お前は技術こそ大人以上でも、精神面は未熟極まりない。地下に戻して再教育か、或いは処刑してしまう方が今後のためになるやもしれん」
工作員の中で一番年長の男が口を挟んだ。が、それに反論したのはテリーヌであった。
「陛下、私はハバネロ様に連れ出された時、とても救われたと感じました。たとえ意味が無くとも、その行い自体が私にとっての光だったのです。ハバネロ様は私の救世主です。陛下、私からもお願いがあります。どうか私を闇の一族の一員とさせて下さい」
「馬鹿を言うな!」
ハバネロが声を荒げた。
「君は闇の一族が何か知っているのか!? 我ら一族は決して外に洩らせない王家の秘密を取り扱っている。それ故に一族に生まれた者の殆どが一度として陽の光を浴びることなく一生を終える。外に出ることが許されるのは、厳しい訓練を積んだ工作員や諜報員だけだ。そしてそれは外部から嫁入り、婿入りした者とて例外ではない。闇の一族になればもう二度と外に出ることは許されないのだぞ」
「私は元より、外を歩くことなどできぬ身です」
テリーヌはきっぱりと答える。ハバネロははっとした。
(そうだ、彼女は実の父親に殺されたも同然なのだ)
「できることならば何でもします。どうか私を闇の一族の一員として、地下アジトに置いて下さい」
その真剣な眼差しを見て、ラザニアは考えるような素振りを見せた。
「外部の者が闇の一族に入る場合、嫁入りという形になるが……相手はハバネロ君で構わないかね?」
「はい」
即答したテリーヌの顔を、ハバネロは見た。その後ラザニアの方を見て、またテリーヌを見る。そうした辺りで言葉の意味をはっきりと理解し、心臓が爆音を立て始めた。
「しかし結婚というものは本来相手のことをよく知ってからするものだ。結婚したはよいが結局相手のことを気に入らなかったというのは、神様が結んで下さったご縁に失礼というものだ」
「私にはこの人しかいません」
「それにまだハバネロ君の考えを聞いていない。君はどうしたいのかね?」
急にこちらに振られて、ハバネロは言葉が出なかった。
「ハバネロ様、私ではお嫌ですか? 私は穢れた女です。ハバネロ様が嫌だと申すならば、私は……」
「そんなことはない。君が望むなら、俺は君を妻に娶ろう」
彼女の言葉を遮るように、思わず口から言葉が出た。途端、テリーヌは感極まって泣き出した。
「ふむ、そこまで言うならば仕方あるまい」
ラザニアは立ち上がると、机に向かって書類を書き始めた。
「さて、これがテリーヌ嬢がハバネロ君に嫁入りすることに署名した私の書状だ。ハバネロ君、テリーヌ嬢を自宅に連れて帰るといい。闇の一族諸君、私が君達に仕事を依頼するのはこれが初めてとなるが……トンコツ卿の粛清とテリーヌ嬢の嫁入りの件、後処理は君達の得意な情報操作で綺麗に纏めておいてくれたまえ。テリーヌ嬢がトンコツ卿からされたことは、彼女の名誉に関わることだ。揉み消しておくのがよいだろう」
「……畏まりました」
工作員達は不服そうに答えると、アジトへと帰り始めた。
「ふう、とうとう私も闇の一族を使ってしまったな。本当は最期まで使いたくはなかったが」
そう言うラザニアに、テリーヌは深々と頭を下げる。
「私のために信念を曲げてまでそうして頂いたこと、深く感謝します」
「いや、構わぬよ。王族として生きながら彼らを避けてゆくこと自体、元々無理のある話だったのだ。それよりも君達、お幸せにな」
「はい、陛下からそのような言葉を頂けたこと、一生の栄誉です」
そうして二人は、王宮を出た。アジトへの帰路、ハバネロは手を繋ぐべきだろうか、などと普通の少年のようなことを考えてしまったが、自分はそういうのじゃないと必死にそれを掻き消した。
(……神よ、これが貴方の結ばれた縁だというのか)
思いもよらぬ一目惚れから、急転直下でその日のうちに結婚。今まで大して信じてもいなかった神に、ハバネロはこの日初めて祈りを捧げた。
<キャラクター紹介>
名前:第八使徒・無敵のトリガラ
性別:男
年齢:36
身長:186
髪色:青
星座:牡牛座
趣味:暴力