第149話 カニミソの騎士道
磨羯宮に待ち構えるは忠義に厚き騎士、山羊座のミソシル。重厚な甲冑に身を包み、左目に眼帯をした渋い見た目の男である。
拳凰一行が磨羯宮に足を踏み入れて、ミソシルの右目が真っ先に向いたのは朱色の髪。
「カニミソ……よもや人間側に寝返るとは、どこまでも神経を逆撫でする男ぜよ」
怒りの炎を右目に宿らせ、闘志を剥き出しにして挑発。対してカニミソは、至極冷静にそちらを見ていた。
「俺は陛下の考えには賛同できない。それだけカニ」
「ジンギスカン卿も嘆いとるぜよ」
「勝手に父上の気持ちを語るんじゃないカニ」
「わしに腹が立つんなら上がってこんかい。この手で首を落としたるぜよ」
「言われずとも、貴方を倒すのは俺だと決めていたカニ」
ステージに上がろうとするカニミソを、智恵理は不安げな瞳で見つめる。
「大丈夫カニ。勝ってくるカニよ」
結界を通り抜けステージに上がると、ミソシルは武器を下ろした体勢で仁王立ちしたまま待っていた。不意打ちをかましてきた前二人の騎士とは違う、正々堂々とした佇まいである。
見合った二人は互いに戦闘態勢へと入り、空気がぴりぴりと震える。
「では尋常に――勝負!」
合図と同時に駆け出すと、次の瞬間にはステージ中央で火花が弾けた。力強く突き出された槍に手刀をぶつけて防ごうにもパワーで劣るカニミソは、一瞬の間に両手で何発も手刀を当ててどうにか互角の威力を叩き出す。
ミソシルは押し戻された槍を引かせて、即座に再び突き出す。カニミソは同じく手刀の連打で防いだ。
パワーを手数で補うカニミソの戦術は、一見理に適っている。だが運動量には大きな差があり、そもそものスタミナでもミソシルが勝る以上、これを続ければ先に疲弊するのはカニミソの方だ。
カニミソは大きく跳んで退き、天を突くように左手を振り上げる。衝撃波を撃ち出して遠距離から攻める算段だ。だがそれをさせまいと、ミソシルが瞬時に距離を詰める。重たい甲冑を着込んでいるにも拘わらずこのスピード。カニミソに力を溜める隙など微塵も与えはしない。
移動のスピードを乗せた強烈な一突きを紙一重で避けたカニミソだったが、そこから発せられる衝撃波によって吹っ飛ばされる。
(このままじゃ防戦一方カニ! 俺の実力でミソシル殿に勝つ方法は……)
追撃に出るミソシル。カニミソは魔力を左手に集中させた。迫り来る槍をギリギリまで引きつけて体を横に反らして躱すと、間髪を入れず手刀を叩きこむ。
響く金属音。その一撃は衝撃波もろとも鎧に阻まれ、ミソシル本体には届かない。
「ぬるい手刀じゃのう! この鎧は我がアルデバラン領で採掘された最高品質の魔金属を鍛えに鍛えて作り上げた特注の一品! そんなもんでは傷一つ付かんぜよ!」
己の象徴とも言える鎧を誇ると同時に、槍で大きく薙ぎ払う。またも吹っ飛ばされたカニミソは背を結界に打ち付け苦悶に顔を歪ませるも、すぐに切り替え怯まず立ち向かってゆく。
「まだまだカニーッ!」
己を鼓舞するような雄叫び。だがミソシルは槍をプロペラのように回転させてカニミソの進路を阻み、右目一つの眼力でカニミソを威圧する。
「わしはジンギスカン卿を尊敬しとった。あの方こそまさしく騎士の中の騎士。かつてケフェウスの侵攻からこの国を守り抜いたシリウス家の精神を体現するお方ぜよ。その息子が騎士団に入るとあったんじゃ、期待せん方がおかしい。じゃがお前は親の七光り以外何の取り得もないボンクラじゃった。わしゃあ心底失望したぜよ。あまつさえこうして敵に寝返る始末。まったくどれだけシリウス家に汚名を着せる気じゃあ!」
「だったら、オーデンは妖精王家に汚名を着せたんじゃないのカニ!」
「じゃかあしい! 陛下のすることは全て正しい! 陛下が白と言えば黒も白になるんぜよ!」
カニミソも負けじと言い返すと、ミソシルは逆上したかのように叫び己の左目を覆う眼帯を引き千切った。
その眼孔に収まる緑の石は、あらゆる物を見通す覇者の宝珠。これを解放したことは即ち、カニミソを本気で殺すという意思表示だ。
妖精王のすることは全て正しい。ミソシル・アルデバランは、幼い頃から繰り返し父にそう教えられてきた。それが当たり前のことだと信じてきた。
騎士として直接王に仕えるようになると、その忠誠心にはより磨きがかかった。
だからこそラザニアを始めとした多くの王族を暗殺者の手から守れなかったことを悔やみ、自らの左目に覇者の宝珠を移植したのだ。
だがその左目は、あらゆるものが見えすぎる。たとえそれが見たくないものであっても。
ミソシルは決してその目でオーデンを見ようとはしなかった。勿論主君に対して失礼であるからというのもあるが、見たくないものが見えてしまう可能性を恐れていた――見たくないものが見えてしまうことを、どこか確信していたのだ。
己の疑念に蓋をして、ただオーデンに忠誠を誓う。それがミソシルの選択。
主君が悪に堕ちたなら、共に悪となる。どうせ汚名を被るなら国を売った裏切者ではなく、暴君に従い悪逆非道に手を染めた邪悪な騎士として国民に罵られよう。
それだけの覚悟と信念を持って、忠義の騎士はこの戦いに臨んでいるのだ。
「死に曝せカニミソ! 陛下を罵った罪、その身を以って償うがいいぜよ!」
覇者の宝珠でカニミソの動きを全て先読みして、一切回避不可能の連続突きをぶちかます。
「ミソシル殿……俺は貴方を尊敬していた! 貴方の掲げる騎士道と忠誠心は、俺の目指す手本だった!」
その身を幾度となく刺されながらもカニミソは必死に喰らいつき、手刀の連打を槍にぶつけてゆく。
「だが陛下が悪と知ってなお従う貴方の考えには賛同できない! 主君の悪事に加担することが貴方の騎士道だと言うのなら、俺は貴方を打ち倒しそれが間違いだと証明してみせるカニ!」
己の信念を叫んでみるも、防戦一方の状況を変えられるだけの力は無い。その手刀が相手に届くことはなく、ただ一方的に猛攻を受け続けるのみ。
「こいつで……終わりぜよ!」
とどめを刺さんと力の限り突貫した槍は、カニミソの腹をぶち抜く。背から血肉を撒き散らせ、口と鼻からは血を噴いた。
ショックのあまり放心する智恵理。誰もがカニミソの敗北を悟ったその時――カニミソは腹に槍が刺さったままミソシルの方へと駆け出した。
たとえ腹を貫かれても、気合で戦い続けられることは先の戦いでカニミソ自身が証明している。そしてミソシルの持った槍とカニミソ自身が一体化しているということは、たとえ覇者の宝珠で動きが見えていたとしてもミソシルは槍を手放さねば避けることができないのだ。
カニミソの気迫に圧されたミソシルは槍を手放すという考えに頭が回らなかった。左右から挟むような形で両腕を使って放たれた手刀。より鋭利に切り裂くイメージを魔力に乗せて、重厚な鎧を挟み切る。
鎧の切れ目から血が噴き出し、ミソシルは口からも血を吹いた。
「ぐ……まさか……こんなことが……無念……ぜよ……」
「ミソシル殿……これが俺の騎士道カニ……」
言葉とは裏腹にどこか安らかな表情でミソシルが姿を消すと、カニミソの腹に刺さった槍も消える。栓が抜けたことで傷口からはどばっと血が噴き出した。
「カニミソ!」
智恵理が慌てて駆け出しステージに上がる。花梨もそれに続き、急いで包帯を生成しカニミソの腹に巻いた。
「バカ! 何でこんな無茶したの!」
「ミソシル殿には、どうても俺のこの手で勝たねばと思ったカニ……」
「それにしたって度が過ぎるわよ! ていうかそれ、魔法少女だったらとっくに変身解除されてるレベルの傷よ!?」
「お腹に穴が開くのは二度目だから、もう慣れたんカニよ。あ、君、治療はお腹の穴埋めるだけで大丈夫カニ。魔力消費は抑えておくべきカニよ」
花梨は不安に思いつつも、本人がそれを望んでいるならとカニミソの言葉に従った。
「それに俺はホーレンソーに頼まれたんだカニ。みんなを頼むって。だからこんな所で倒れるわけにはいかないカニよ」
「ホーレンソーが……」
梓ははっとさせられた。ホーレンソーが去り際に視線の先を梓からその奥に変えたことは気付いていたが、それはカニミソにそう伝えていたものだったのだ。
腹の傷が癒えてきて顔色がよくなってくると、拳凰がカニミソに話しかけた。
「やるじゃねーかカニホスト。またいつかお前と戦いたくなってきたぜ」
「ちょっ、今の君とやるのは流石に無理カニよ!」
「もう、ケン兄ってば……」
相変わらずな拳凰に、花梨も呆れるばかり。
「男ってどうしてこう……お互い大変だよねぇ、ホント」
とりあえず安心した様子の智恵理がそう花梨に話しかけると、花梨は苦笑いした。