第130話 そうして二人は結ばれた2
「俺の親父の本当の名前は――ユドーフ。妖精王オーデンの、双子の兄だ」
ケルベルス温泉で混浴しながら突然明かされた、拳凰の父親の正体。花梨はそれを聞かされてもなかなか意味を理解できず、ぽかんと口を開けていた。
「えっと……徹叔父さんが妖精界の王様の弟で、ケン兄がその子供だから……ケン兄は王子様!?」
「いや、俺は王子なんかやるつもりねーし自分を王子だとも思わねー。ただ妖精界の王族の血を引いてるってだけのことだ。だが少なくとも俺の半分は人間じゃないわけでもあってな」
そう聞かされたところで、花梨の脳裏には昨日拳凰の言っていた「もしも俺が人間じゃなかったらどうするよ」という言葉が思い出された。
「それでもケン兄はケン兄だよ。強くて優しくていつもみんなを守ってくれる、昔から何も変わらないケン兄だよ」
花梨が心に思い描く光景は、自分が拳凰に恋をした日のことだ。
それ以前からこの格好いい従兄弟に仄かな憧れこそあったものの、どちらかといえば親愛に近いものであった。それが恋に変わったのはあの日、花梨の父と拳凰の両親の葬式が行われた日であった。
今から四年前のことである。
共に親を亡くした花梨と拳凰がお互いの心の支えになるようにと花梨の母である亜希子は拳凰を引き取り、花梨と拳凰は一つ屋根の下で暮らしていた。
美緒の両親の手厚い助けもあって生活こそ問題なくできてはいるが、花梨も拳凰も酷く塞ぎ込み家でも会話は殆ど無かった。
そうした中で始まった三人の合同葬儀。花梨の父、和義は乗っていた自動車の爆発により遺体の損傷が激しく、棺の蓋を開けられぬ状態であった。
棺に泣き縋るばかりの花梨。だが同じく親を亡くした拳凰は涙を見せることなく、静かに拳を握っている。
ふと、拳凰が立ち上がった。そして亜希子の方へと歩みを進める。
「亜希子叔母さん、俺、花梨を守るよ。和義伯父さんの分まで!」
花梨がふと顔を上げる。
突然拳凰がそんなことを言い出すので亜希子は初めきょとんとしていたが、やがて微笑みを見せた。
「……うん、それでこそケンちゃんだよ」
亜希子が拳凰の言葉を受け止める中、花梨は思う。
彼は両親とも失っており、母親は健在である自分の倍悲しくて辛いはずなのだ。それなのに涙一つ見せず気丈に振る舞い、そればかりか自分を気遣ってくれてまでいる。彼の強さと優しさが胸に沁みて、何故だか胸が苦しいのに暖かくも感じたのだ。
「ケン兄覚えてる? 私のこと守ってくれるって言ってたこと」
己の出生に悩む拳凰を今度は自分が救いたい。そう思って尋ねた花梨だが、拳凰の表情は優れない。
「だが俺は結局それを有言実行できなかった。何度もお前を危険な目に遭わせちまった」
「そんなことないよ! 最終予選の時だって、それに今日だって、ケン兄は私もみんなも助けてくれた!」
「だが尾部津の時はどうだ。あの場にカニホストが居合わせなかったら取り返しの付かないことになっていた」
「うん、カニミソさんには今も凄く感謝してる。でもケン兄だってちゃんと助けに来てくれたし、悪い人をやっつけてくれた」
「そんな慰めは必要ねーよ。どの道俺一人じゃお前を守りきれなかったことに変わりはねーんだ」
「一体どうしたのケン兄? らしくないよ……」
いつになく気弱な拳凰に、花梨は不安を募らせる。
「妖精騎士団のマッチョジジイに色々説教されたっつーか、俺の今までやってきたことを全否定されたっつーかよ……確かに俺は最初、お前みてーな弱い奴らを守りたくて強さを求めてたはずだった。それがいつの間にか強くなることそのもの、そしてその強さを振るって強敵と戦うことが目的になってやがったんだ」
それは花梨もまた感じていることであった。フォローのため拳凰は変わっていないと言いはしたが、本音を言うと拳凰は変わってしまったと感じることは多々あった。
空を見上げた拳凰は、どこか遠い目をしながらこれまでの人生を思い出す。
両親を亡くしてからの拳凰は、これまで以上に喧嘩に明け暮れるようになった。もしも両親が生きていたなら、きっと止めてくれ叱ってくれるはずだった。誰もストッパーがいないまま、修羅の道を怒涛の勢いで驀進していった。
周りからは恐れられ孤独になり、敵ばかりが増えてゆく。それでも拳凰は、戦うことを止めなかった。
そして自分よりも遥かに強い存在――魔法少女との出会いによってこの男は更に激しい戦いへと身を置くこととなる。
「親父の教えも、お前と亜希子叔母さんに誓ったことも忘れて、俺はすっかり迷走していた。俺は戦うことも強くなることも大好きだ。それが迷走だったと気付かされた今でも、その気持ちは変わらねえ。一度染み付いた性根はそうそう簡単に変えられやしねーんだ。実際今日のフォアグラとの戦いだって、俺はすっかり胸躍らせちまってた。戦いの最中は興奮しきってたが、こうして冷静になってみると俺何やってんだろうなって思っちまってよ。親父とお袋の死の真相を知っちまったことといい、俺が半分妖精の血を引いてるってことといい、なんかもう聞いただけでどうにかなりそうなこと色々一気に知っちまって、柄にもなくナイーブになっちまった」
「それで、悩んでたんだね……」
花梨は拳凰に体を寄せると、上半身を水面に出した。小さな胸を曝け出す花梨の姿に何事かと呆気に取られ目を見開く拳凰。花梨は両腕を広げ、顔を胸に押し当てるようにして隙だらけの拳凰を抱擁した。
らしくもない弱音を吐く拳凰の姿にいてもたってもいられず、裸を見られることも構わず行動に出たのだ。
「大丈夫だよ。ちゃんとケン兄はみんなを守れてる。たとえ始めの目的を忘れてしまったとしても、根っこの部分が変わってないのはわかってるから」
慈しむような優しい声をかけながら、そっと背中を撫でる。思いも寄らぬ行動に拳凰は驚いて目を見開きながら、花梨の声と心音に耳を傾けていた。
小さくてか細い身体だけど、その感触は柔らかい。甘くて、心地良くて、幸福感に包まれる。
「悩んでること、話してくれてありがとう。ケン兄に頼ってもらえて嬉しい。もしも辛いことがあるなら、これからも私を頼って。たとえどんな生まれであっても、私はケン兄を嫌いになったりなんかしない。これまでもこれからもずっと、私の大好きなケン兄だよ」
「……花梨」
少しの間を置いて、拳凰は囁くようにその名を呼ぶ。今度は花梨が驚いて、拳凰から体を離し顔を赤くしながら肩まで湯に浸かった。
拳凰からその呼ばれ方をされるのはいつ以来だろうか。物心ついた頃から既にチビ助とあだ名されていたから、数える程しかそう呼ばれた記憶が無い。
お陰で急にそう呼ばれたことがどうにも刺激的でむず痒く感じてしまい、思わずビクリと体を震わせてしまった。
「ったく、俺の言おうとしてたこと先言いやがって! これじゃ格好つかねーだろが!」
「えっ」
花梨の心臓が跳ねた。拳凰に顔を向けると、拳凰の頬は仄かに染まり目線は花梨から逸らしつつも横目で見ているような位置を向いていた。
「まあ、その、何だ。そうやって悩んでんのを少しでも解消するために、一つ気持ちに整理を付けようと思ってな……」
何か伝えたさげな様子ではあるがどこか言葉に詰まっており、彼のその手のことに不慣れな様子が窺える。
だけでも先程の一言で伝えんとしていることは既に伝わっており、後はより直接的なその言葉を聴くのみである。
花梨の胸の高鳴りがより速度を増す。まだ湯に入ってそう時間が経っていないにも関わらず、のぼせそうなほど身体は火照っていた。
「あー……とりあえずお前のこと、ガキ扱いすんのはやめることにした」
「それって……つまり……」
「あー……だからな……」
また言葉に詰まり、拳凰はらしくもない恥じらい顔を見られたくなくて完全に花梨から顔を背け頭を掻いた。だがその行動と裏腹に耳は赤く染まっており、感情を後方に露呈させていた。
意を決して再び花梨の方を向いた顔は照れを押さえようとしているのか、妙に強張っている。そしてその口から紡がれた言葉は。
「股間にチョビ髭生やしてるんじゃもうガキ扱いはできねーだろ」
照れ隠しのあまり結局そういう方向に。花梨は頭からボッと湯気を噴き両手で股間を隠した。
「もう、ケン兄のエッチ!」
だがすると拳凰は花梨の両手が塞がれたのをいいことに、親指と人差し指で花梨の顎を持ち上げ自分と目を合わさせた。花梨がエメラルドグリーンの瞳に魅入られて怯んだその時、拳凰は顔を近づけ唇を奪う。
先程不意打ちで抱きしめたことへの意趣返しか、突然の出来事にますます熱を帯びる花梨。目が回りそうだが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。強引な口付けなのにどこか心地よく、温かい唇の感触が心を満たしてゆく。
拳凰は唇を離すと、こちらも顔を赤くしながらフンと鼻で笑った。
「おうよ、俺はエッチだよ。わりーか」
轟沈させられた花梨は、幸福と羞恥を噛み締めながらプルプル震えていた。拳凰はそんな獲物に睨まれた小動物のような姿を見ていると何だか色々な所が刺激されたような気になり、湧き上がる感情を抑えようと奥歯を噛み締めた。
「あー、くそ、このまま入り続けてたらのぼせちまいそうだ。上がるぞ」
拳凰は今の気持ちを誤魔化すようにぶっきらぼうに言いながら、花梨に背を向けて立ち上がる。その広い背中から湧き立つ色気が、花梨の情緒を惑わせた。
花梨も拳凰に背を向けるようにして立ち上がったその時、拳凰が一言。
「……好きだ、花梨」
今はあらゆる意味で花梨の方を向けないのだが、だからこそ言える。
「私も、ケン兄が好き」
瞳を潤ませ、震える声で、ずっと聞きたかった言葉への返事を交わす。
二人はそのまま振り返ることなく温泉から上がり、体を拭いて服を着た。
再び見つめ合った時、二人とも顔が赤いのは湯上りだからというだけではないだろう。
お互い次の言葉が出なくなり、無言で見つめ合う。
「……話も終わったことだし、帰るか」
恥じらいに耐えかねた拳凰が、そう切り出した。
「……うん」
拳凰はフェアリーフォンを取り出し、転移魔法陣のアプリを立ち上げる。
二人の時間は一先ずここまで。ようやく確かめ合った互いの想いを胸に抱いて、二人はそれぞれの仲間の元へ戻る。
「お帰り拳凰」
ホテルの自室に入ると、デスサイズが幸次郎と共に出迎えた。
「王立競技場では大変だったようだな。向こうの様子はモニター越しに見ていた」
デスサイズと幸次郎はこの日王都球場で試合観戦をしており、拳凰とフォアグラの戦闘を現場で直接見てはいない。
「フォアグラ教団のボスを倒すくらい強くなるだなんて……最強寺さん、一体どんな修行を?」
「まあ、色々とな。マッチョジジイの修行はクソロンゲよりよっぽどキツかったぜ」
特に精神的な面では、である。
「ところで拳凰、顔が赤いようだが」
デスサイズに指摘されて、改めて拳凰は未だ引かぬ熱に気がつく。どんなに冷房の効いたホテルにいても、この熱はそうそう簡単に引くものではないのだろう。
「ん、ああ。さっき温泉入ってきたからな」
二人から目を背けつつ、拳凰は決して嘘ではなくかつ尤もらしい理由を述べた。
「温泉って、ケルベルス山のですか?」
「ああ」
「フォアグラとの戦いの傷を癒すため……というわけではなさそうだな。お前の傷はあのナース服の娘が全て治していたからな」
不意に花梨のことを話題に出された拳凰がドキリとたじろいだのを、デスサイズは見逃さなかった。
「あの娘と何かあったのか?」
デスサイズがからかい気味にそう言うと、拳凰はますます動揺。
「まさか本当に何かあったんですか!?」
ヒタイニ汗を浮かべる拳凰を見て、幸次郎が興味津々で乗ってくる。
「隠すなよ拳凰。俺達の仲だろう」
俺に隠し事はできないと言わんばかりに、デスサイズは歴戦の傭兵の貫禄を表情で見せながら迫る。拳凰はそれでも話すのを躊躇っていたが、やがて観念して溜息をついた。
「……チビ助と付き合うことになった」
「おめでとうございます!」
幸次郎から即座に祝福を贈られると、拳凰はかえって羞恥心を刺激される。
「っせーな! お前俺のことロリコンだって思ってんだろ!?」
「別にそんなことないですよ! それ言ったら僕だって……」
好きな人が小学生だから、と言おうとして言葉が喉の奥で詰まる。
「それで、やったのか」
デスサイズがど直球に下世話な質問をしてきたので、拳凰と幸次郎は同時にむせた。
「馬鹿言ってんじゃねーよ! あいつ中一だぞ!」
「俺は妻と恋人になったその日にやったが。確かお互い中学生くらいの歳だった」
「いやデッさんの奥さんがどうだか知んねーが俺らの場合はそもそも入んねーよ! あいつあんなに小せーんだぞ!」
「生々しい話やめてもらえます?」
話の流れが完全に下の方向に行ってしまったので、幸次郎が静止する。
「お前らこの話はもういいだろ! やめだやめ!」
拳凰もそれに乗じるように、強引に話を切り上げた。
一方同じくホテルの自室に戻った花梨もまた、チームメイトから祝われていたのである。
「やったね花梨ー!」
「よかったねぇ花梨、本当によかったよー!」
「おめでとうございます花梨さん」
「え、えへへ……」
嬉し恥ずかしなむず痒い気持ちになりながら、花梨は照れ笑い。
(このこと、ムニちゃんにも報告したいなぁ。明日会えるといいけど)
<キャラクター紹介>
名前:射手座のワンタン
本名:ワンタン・フェクダ
性別:男
年齢:37(125話当時)
身長:187
髪色:緑
星座:射手座
趣味:ボードゲーム