再会
目が覚めたら体が動かなかった。
「……え?」
慌てて視線を動かしてみれば、視界に映るのは見慣れた屋敷の自室の壁や天井。
森で意識を失ったはずなのに何故。もしかして全部夢だったのだろうか。
「ぎぃ!?」
そんなことを思いながら体を起こそうとしたのだけれど、少し背中が浮いたところで瞬間全身の筋肉がひきつり、電流でも走ったみたいに痙攣し、重りをつけられたみたいにベッドに沈み込んだ。
「な……何コレ?」
痛い。
痙攣はすぐにおさまったけれど、全身が鈍痛を訴えていて再び起き上がろうと試す気力すら萎えていく。
一体何が。
「筋肉痛だ」
わけが分からず、しかし身動きも取れずに混乱していると、不意に凛とした女性の声が部屋の入口の方から聞こえてきた。
「大方強化魔術を使って無茶な動きでもしたのだろう。あれは慣れないうちは負担が大きいからな」
「あなたは……」
室内だというのに、つばの深い帽子をかぶった銀髪の女性がベッドに近寄り僕の視界に入ってくる。
森で僕を助けてくれた女性。そして十年前に短い間だが僕の親代わりをしてくれていた女性だ。
「……お久しぶりです」
「ん? 何だ覚えていたのか坊や。とっくの昔に忘れ去られていると思っていたが」
そういって首を傾げる女性の顔は帽子のせいで影になってよく見えない。だけど喜んでいる。そんな気がした。
「エリーとギュンターは?」
「あの二人は怪我を治したらすぐに目を覚ましたよ。しばらくおまえを心配してついていたが夜が更けるころには帰らせた。ちなみに今は坊やが気を失ってから半日と少しといったところだな」
「なるほど」
通りで薄暗いと思った。まだ夜が明け始めたばかりなのだろう。
しかし困った。このままでは騎士学校に行くことができない。
それに先ほどこの女性は気になることを言っていた。
「さっき強化魔術って。それって聖剣を抜いたせいですか?」
「恐らくはな。聖剣には歴代の使い手の記憶の残り香のようなものが宿っている。それを基準に戦い方を再現しようとして、坊やの体では追いつかないから無理やり動かせるようにしたのだろう」
「なるほど」
つまりあの戦い方は歴代のシュティルフリート家の誰かのものだったらしい。
随分と野性味あふれる戦い方だったけれど、剣を振り回すのではなく振り回されてしまう僕ではああいう戦い方をするしかなかったということだろう。
そこまで納得したところで、ふと別の疑問を思いつく。
「あの……聞いた僕がいうのもなんですけど、何でそんなことを知ってるんですか? それに何故あの森に?」
「私も聖剣とはそれなりに因縁があってな。あの森に居たのは、坊やを探していたのもあるが、半分は偶然だ」
「僕を?」
一体何故。そう訝しむ僕に女性はどこか申し訳なさそうに話を続ける。
「おまえの爺様に頼まれてな。自分が死んだら坊やが一人前になるまで面倒をみてやってくれと。だがどういうわけか爺様が死んでも連絡が私のところまで来なかった。今更爺様が死んだと聞かされて押っ取り刀で駆け付けたというわけだ」
「お爺ちゃんに……」
そういえば後見は頼んであるとか言っていたような。
てっきり領地の管理をしてくれている代官の男性のことかと思ってたのだけれど、それは僕の勘違いだったらしい。
それならそうと詳しく話しておいてくれればいいのにとお爺ちゃんに内心で文句を言いつつ、はて何か忘れてないかと首を傾げる。
「そうだ。あの化け物のことを報告しないと」
「ほう。王にか?」
「え……?」
王に報告するのかと言われ、しかしそれは無理だろとすぐに内心で思った。
ロイヤルガードだったお爺ちゃんならともかく、今の僕は成人もしていない弱小貴族だ。
王宮をいきなり訪問したって門前払いを受けるに違いない。
かと言って正規の手順で面会や手紙を書いていたのでは遅いかもしれない。
「そうだ。ヴァルトルーデ卿に」
「ヴァルトルーデ? 確かクレヴィング家の娘だったか。何故そいつに?」
「ヴァルトルーデ卿はロイヤルガードです」
「なんだと……。あの娘がか」
僕の言葉に何やら驚いた様子の女性。
もしかして十年前にヴァルトルーデ卿と会ったことがあるのだろうか。
「まあそれを抜きにしてもクレヴィング家は選帝侯の一人でありこの国の筆頭貴族だ。直接王に報告するよりはまともに取り合ってもらえるか」
「はい。だから何とかして……起き上が……」
「ああ、ああ無理をするな。痛むだろう」
鈍痛を無視して体を起こそうとしたけれど、その前に女性に体を軽く押されてベッドに戻されてしまう。
「ヴァルトルーデなら私も面識がある。報告は私がしておくから、今はゆっくり休め。いいな」
「……はい」
前半は心配したように、後半は叱るように言われ、僕は素直に頷いていた。
「よし。いい子だ。おとなしくしていろよ」
それに女性も満足したように頷いて、動けない僕の頭をわしゃわしゃと犬みたいに撫でる。
そして再度言い聞かせるように言うと、女性は踵を返して部屋から出て行った。
「一応守れた……のかな」
大人しくベッドに横たわったまま、初めて経験した命がけの戦いを思い出す。
結果的にオリヴィアさんに助けられたとはいえ、僕はエリーとギュンターを守ることができたのだろうか。
いや、守るなんておこがましい。その前にギュンターとエリーが居なければ、僕一人ではさっさとやられていただろう。
それに――。
「……ごめん。フェイ」
守れなかったものもある。
悩み事なんてないみたいにいつも笑っていた妖精の少女はもういない。
もう二度と僕の名を呼び、飛びついてくることもない。
「ぃッ!」
痛みで動かない体を無理やり転がして、顔をまくらへと押し付ける。
この日僕は初めて自らの弱さという罪を思い知った。
・
・
・
エドバルド・フォン・クレヴィングという少年にとって、姉であるヴァルトルーデは敬愛する姉であり、目指すべき目標でもある。
若くしてロイヤルガードの一人に数えられた彼女の実力と人望は誰もが認めるものだ。
エドバルドにとってもそれは同じであり、歳が離れていたこともありその羨望が嫉妬へと変わることもなく、男である自分が当主の座を継ぐべきだなどといらぬ野心をもつこともなかった。
だからこそ、久しぶりに実家へと戻ってきていた姉が不意に放った一言に、エドバルドは咄嗟に言葉を返すことができなかった。
「そういえば、シュティルフリート伯はエドと同期だったな。仲良くしているか」
「……」
テオドール・フォン・シュティルフリート。
座学の成績こそ自分やエリノアと並びトップを争っているが、その体はとても自分と同い年とは思えほど小さく、何故騎士を目指したのかと疑問に思うほどに脆弱だ。
あんなやつが騎士になどなれるはずがない。だというのにヴァルトルーデはあの出来損ないを対等の友であるかのように扱い何かと気にかけている。
「さあ。知りません」
だからだろうか。
姉に嫉妬も劣等感も抱かず真っすぐに慕った少年は、その姉のお気に入りに歪んだ感情を抱き持て余していた。
何でもないように言って紅茶の入ったカップを置いたエドバルドは、しかし拗ねたように視線を反らす、
そんなエドバルドの態度から察したのか、ヴァルトルーデは一瞬驚いたように目を丸くすると呆れたように息をついた。
「馬が合わないというなら仕方ない。だが彼は将来間違いなくロイヤルガードになる器だ。あまり波を立てないでくれよ」
「あいつが?」
騎士になれるかすら怪しいあの小僧がロイヤルガードに。
質の悪いジョークだと笑いかけ、次に冗談など言っている雰囲気ではないヴァルトルーデの真摯な瞳に視線をからめとられて言葉を失う。
「……シュティルフリートの名はそれほど重いということですか?」
「大外れだ。エド。客観的に見て彼はおかしいと思わないのか?」
「どういう意味かによります」
おかしいと言えば他に親族が居ないとは言え、何の後ろ盾もない子供があの歳で正式に爵位を継いでいるのがおかしい。
あんな頼りない少年に国宝とも言える聖剣が預けられたままなのもおかしいし、そもそも見た目がおかしい。
成長不良なのはまあまだいいにしても、あの頭はなんだ。わざと染めでもしない限り、人間の毛髪があんなまだら色になるわけがない。
要するに、改めて考えると存在そのものがおかしい。
「そう。彼はおかしい。だがそこで止まらず『何故おかしいのか』ということを考えてみろ。そうすれば事実は分からずとも真実に近づくことはできる」
「何故おかしいか……」
つまりは自分が理解していないだけで、あの少年にはヴァルトルーデが贔屓にする理由があるのだろう。
そう思い思考を巡らせるエドバルドだが、いくら考えてもその理由は分からない。
せいぜいが政治的な理由だの生臭く嫌な予想だけだ。そしてこの姉がそんな理由で一人の人間を贔屓するとは思えない。
「ヴァルトルーデ様。お客様がお見えになっております」
「客だと? 私にか?」
突然の侍女からの報告に、予定になかったのだろうヴァルトルーデは訝しげに眉をひそめた。
ロイヤルガードである彼女は常は王宮につめており屋敷に居ることは少ない。
故に数少ない休日に、わざわざ屋敷まで訪ねてくる人間などそうは居ないはずなのだが。
「銀髪の女性で、オリヴィアと名乗っています」
「……分かった。客間の方にお通ししてくれ。くれぐれも失礼のないように」
客人の名前を聞いた瞬間、それまでの弛緩していた空気は失せ、ロイヤルガードとしての顔になったヴァルトルーデがそこに居た。
「すまないエド。今日はお開きにさせてくれ」
「はい。次の機会を楽しみにしています」
だからエドバルドも多くは問わず、ただ頭を下げて茶会の終わりを了承した。
その頭の中で多くのことを考え始めながら。