前兆2
領地に戻り二日が経過すると、クレヴィング公から戦勝の祝いと書状を携えた使者がやってきた。
もっとも戦勝祝いはついでみたいなもので重要なのは書状の方。中身は無事グラナート伯をこちら側に引き込むことができたという知らせ。
僕が戦で勝利を収めている間に、クレヴィング公も政治的に一つの勝利を重ねていたわけだ。
「しかしグラナート伯もあっさり寝返ってくれたというか」
執務室で書状を眺めながら呟けば、肩に乗っていた親指少女が不思議そうに身を乗り出し、僕の右腕をつたって書状へと近付いていく。
そしてそのまま何やら興味深そうに見ているが読めるのだろうか。
もしかして声が出ないだけでこちらの言葉自体は理解しているのか。
「あの一族も結構な変わり者だからな。それにシュティルフリートともそれなりに長い付き合いでもある」
「そうなの?」
オリヴィアさんに言われて思わず聞き返したが、思えば領地が隣接していたとはいえお爺ちゃんがわざわざ僕をグラナート伯に紹介したことがあったのはそのためだったのだろうか。
付き合いがある割にはお爺ちゃん相手にカチコチに固まってたけどグラナート伯。
「私が生まれるよりも古い話になるが、グラナートは平民出身の女騎士を正妻に迎えたことがあるそうだ。しかもその女騎士との間にできた子が後を継いでいる」
「ええ? 形だけ貴族の娘を正妻に迎えて子供もその正妻の子だということにするとか建前作らなかったの?」
「ああ。そのせいで他の貴族からの扱いが微妙になった時期もあるらしい。だからこそ祖が平民出身のシュティルフリートとの付き合いが深くなったのだろうよ」
「それはまた剛毅な」
確かに変わり者だし子孫の現グラナート伯からは想像がつかない。
意外と恋をすると変わったりでもするのだろうか。
「まあとはいえそんな昔のことを覚えてる者もほとんどいないだろう。だが逆境に強いというか追い詰めると何するか分からん一族だとも言える」
「……なるほど」
傍から見ればグラナート伯が僕たちの側についたのは正に「追い詰められてやらかしやがった」と見ることもできるだろう。
追い詰めたのは主にクレヴィング公だろうけれど。
「それで。グラナートが味方に付いたはいいが、クレヴィングは次はどうすると?」
「とりあえずグラナート伯の領地で落ち合って直接話し合いがしたいって」
「悠長な……とも言えないか。誰か一人が裏切れば間違いなく瓦解する同盟だ。信頼関係を築くのも大事だろう」
カンタバイレ王国軍を撃退した以上、当面の敵がいなくなったピザン王国軍の主戦派がいつ攻めて来てもおかしくない。
逆に言えば呑気に顔合わせなんてできるのも今の内だろう。
戦は苦手だと言っていたけれど、あのクレヴィング公がその辺りのことを考えていないとは思えない。
さて、グラナート伯は果たしてどの程度覚悟ができているのだろうか。
そんな値踏みするような侮りは、本人に会えば吹き飛ぶことになった。
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「ジビラは凄いね」
「……は?」
シュティルフリートの屋敷の一角。
父であるヴォルフラムに貸し出されている部屋から帰ろうとしたところで、ジビラは自分と歳はそう変わらないくせにそこらの男よりでかい少女兵士に見つかり、唐突にそんなことを言われた。
「何それ? 厭味?」
「厭味じゃないよ!? 城壁壊してたのとか本当に凄かったよ!」
冷めた目で予想外の返答をもらったラーラは狼狽え、慌てて自分の言葉が本気であることを説明する。
その様子を見てジビラは呆れと疲れの混じった息をつく。
分かっていた。
短い付き合いではあるが、この少女は純朴で人に悪意を向けるような人間ではない。
その言葉にも裏はなく、純粋にジビラの魔術を称えてのことだろう。
「あれくらい貴方の主人にだってできるでしょう」
だがそれを額面通りに受け取るには、ジビラはひねくれている上にまだ子供だった。臆病と言ってもいい。
相手に否定される前に自分を下げる。
だが相手が上であることを認めることもできない。
傍から見ればひねくれてはいても実に分かりやすい状態ではあったが、だからといってその解決方法まで分かりやすいものが用意されていたりはしない。
魔術師という浮世離れした印象をもたれがちな存在ではあるが、ジビラという少女は見た目通り面倒くさい年ごろの少女だった。
「え? テオドール様は自分には無理だって言ってたよ?」
「嘘」
「嘘じゃないよ。テオドール様は相手を凍らせる魔術しか使えないからむしろ逆に城壁補強しちゃうって言ってたの」
「……は?」
「ヒッ!?」
ジビラが思わず出した低い声にラーラがビクリと震えて一歩後退る。
大の男より背の高いラーラが年端もいかない少女から怯えて距離を取る姿は滑稽ですらあったが、当の本人はそれどころではなかった。
「あれだけ馬鹿みたいな魔力持ってて術も完璧に制御してたのに氷結魔術しか使えない?」
「と、というか魔法はともかく魔術はアレしか使えないって」
「……」
「ヒゥ!?」
話題の最中の氷結魔術をかけられたように下がっていく周囲の気温とますます怯えるラーラ。
そこまで怯えるなら余計なことは言わなければいいのだが、良くも悪くも純粋であり、ジビラの地雷も把握できていないラーラに察しろというのも酷である。
「……いない」
「……へ」
「……」
「あ、ジビラ?」
何かつぶやくと、ラーラのことなど忘れたようにその場を去っていくジビラ。
追おうかと一瞬悩んだラーラだったが、流石にこれ以上藪蛇を突きたくないと思ったのか心配そうな視線を向けながらもそのままジビラを見送る。
「……もったいない。何であいつは」
漏れた言葉に込められたのは苛立ち。
なんてことはない。以前ユリアンがテオドールに告げた推測の一部は事実だった。
ジビラという少女は、敬愛する父に認められ、自分以上の魔術の才を持ちながらそれを腐らせているようにしか見えないテオドールに嫉妬していたのだ。
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「お久しぶりです。父上」
「うん。久しぶり。大変だったねエドバルド」
どこかホッとしたような、柔和な笑みを浮かべて自分を迎え入れた父を見て、エドバルドはそのまま駆け出して腰かけたソファーごと殴り倒したくなった。
見た目は喜んでいるように見えるが、内心では落胆しているのが目を見れば分かった。
その理由も心情もそれなりに頭が回るエドバルドには十分理解できている。しかし父親ならそんなものは横に置いて少しは喜べと思うエドバルドは我儘ではあるが悪いとも言い切れないだろう。
「それにしても自力で脱出してくるとは思わなかったよ。ヴァルトルーデといい誰に似たのかなあ私の子供たちは」
「申し訳ありません。そのまま行方を眩ませるべきかとも思ったのですが」
「うん。そうしてくれるとありがたかった。何せ絶対に勝てると言い切れる状況じゃないしね」
発した言葉に肯定が返って来て、やはりかとエドバルドは思う。
クレヴィング公としては、負けた場合に備えてエドバルドには今回の反逆は知らず存ぜずで通してほしかったのだろう。
そうすればかなり力は削がれるだろうが、クレヴィング家をエドバルドが継いで存続させられる目もある。
だが当のエドバルドが反逆に参加してしまってはそれも不可能だ。
故にクレヴィング公は息子の帰還を手放しに喜ぶことはしなかった。
「私は卑怯者になってまで生き延びるつもりはありません」
「青いなあ。本当に誰に似たのやら」
「それに怒ってもいます」
「おや? 何にだい」
「父上に」
「ヴァルトルーデのことなら本当にすまない。私がもっと気を付けていれば」
「姉上のこともありますが本題は別です」
「おや? じゃあ何かな?」
「シュ……テオドールのことです」
まったく心当たりがない。
そうとぼけて見せる父に向けて、エドバルドは確信を持って言い放つ。
「今の状況に持ち込むためにテオドールが嵌められるのを見過ごしたのでしょう。父上ならあんな穴だらけの策謀粉砕できたはずだ」
「……」
エドバルドの言葉にクレヴィング公は何も答えない。
ただその目と口元が、先ほどまでとは違い本気で楽しそうに弧を描いていた。




