魔法の力
クライン式魔法というのは、その名の通りクラインという名の魔女が生み出した魔法だという。
彼女自身は初心者向けの、魔術へ傾倒する人間を増やすための入門として開発したらしいが、あまりに彼女が優秀すぎたのかあるいは周囲が無能すぎたのか。
彼女にとって初歩的な取るに足りない魔術方式は、凡人には万能の道具に他ならなかった。
例え魔術師から見れば術式展開に無駄が多く魔力運用の効率が悪くとも、魔術を理解できない只人には分かりやすく簡単な結果があればそれで良かった。
結果魔法という万人に扱える道具によって、魔術はその役儀を失っていった。
皮肉なことに、魔術を啓蒙するためにクラインが生み出した魔法が旧来の魔術を駆逐していったのだ。
魔術師の数は減り、人々は与えられた道具をただ使うだけで、新たな魔術も魔法も生み出されない停滞期が生まれる。
「なんていうのは言い訳ね。クライン式魔法が生み出された後も魔術師は魔術を使っていたんだし、停滞したのは単にクラインの始祖以降の魔術師が不甲斐なかっただけよ」
しかしそんな一般常識を、エリーは屋台で買った芋を片手につまらなそうに否定した。
「そもそも始祖以降のクラインの系譜にも大魔術師と呼ばれる人は居たし、新しい魔術も生み出されたわ。しかしそれらが日の目を浴びることはなかった。要は魔術が停滞したんじゃなくて、人から注目されなくなったの」
「……なるほど」
そして魔術師であるエリーが騎士を目指しているのもその辺りが原因らしい。
魔法により魔術の価値が下がり、宮廷魔術師という役職もその地位を落としていった。
落ち目の宮廷魔術師ではなく、騎士として国に仕える道を選んだわけだ。
「うん、中々いけるわね。テオも早く食べないとバターが溶けきっちゃうわよ」
「……」
寒空の下、王都を一望できる高台の塀に腰掛けて、エリーはついばむように少しずつ、笑顔で芋にかじりついている。
いつもより年相応な幼さを見せる彼女に見とれたが、それを言ったらエリーは拗ねるだろうか。大人びて見える自分の容姿を理解し、あえてそれを意識して振舞っている彼女だから。
もっともそんな矜持もギュンターに言わせれば『ガキの強がり』なのだろうけれど。
こうして時折見せる少女としての顔に安堵するのは、僕自身が自覚している以上にエリノアという女の子が好きだからかもしれない。
「……うん。美味しい」
僕の手の中にもある芋は、冬になると城下町の屋台で売られるようになる風物詩の一つだ。
それなりに良い家のお嬢さんであるエリーには馴染みがなく、しかし漂ってくる良い匂いに好奇心が湧き立ち、こういった庶民的なものに慣れている僕を連れ出して買いに来たわけだ。
熱々の芋にバターの塊を乗せただけの簡素なものだけれど、身を切るような寒さがどんなスパイスよりも効いて美味しく感じる。
どうやらエリーも気に入ったらしく、気付いているのか普段は貴重な笑顔を惜しみなく振舞いながら咀嚼している。
「他の屋台はどんなものを売ってるの?」
「腸詰の串焼きとかお菓子ならドーナツとか。少し凝った店だと揚げたてのコロッケとかもあるよ」
「コロッケ? その場で食べるの? ナイフもフォークも無いのに?」
「うん。これと一緒でそのままかぶりつく」
「へえー」
コロッケを手づかみで食べるという発想が無かったのか、目を丸くしながら芋をついばむエリー。
まあ普通のお貴族様はまずやらない食べ方だろう。今エリーが両手で芋を持ってるのだってある意味珍しい光景なのだし。
「よう、そこのお二人さん。うまそうなもの食ってるじゃないか」
「……ギュンター?」
絡まれた。そう思い背後を見てみれば、そこにはいつのまにか堀の上に立っているギュンターが居た。
「何よ優男。今デート中なんだから邪魔しないでくれる」
え、デートだったのこれ。等と口にしなかったのは正解だろう。
万が一口にしていたら『私じゃ不満なのか』と拗ねるに違いない。
「いやいや、堀に並んで座って芋食ってるカップルなんて見たことねえよ。せいぜい仲の良い姉弟じゃないか」
「そうね。男は鬱陶しいけどテオみたいな可愛い弟なら欲しかったかなあ」
そう言ってぐりぐりと頭を撫でてくるエリー。
この二人僕が同い年だということを忘れているのではなかろうか。
完全な年下扱いに断固として抗議したい。
「そう言われてもなあ。実際ガキにしか見えないわけだし」
「そうよね。しかも私よりも背が伸びるの遅くない?」
「……」
無慈悲な現実に声も出ないが涙は意地でも見せない。
確かに僕はギュンターの胸にも頭が届かない。女子であるエリーにすら肩に頭の天辺が届くか否かという程で、しかも現在進行形で引き離されていたりする。
祖父は細身ではあるが背の高い人で、父は熊のような巨漢だったのに、何なのだろうか僕のこの成長不良っぷりは。
幼いころあの人に言われたと通り先祖返りで、その先祖は実は妖精だったのだろうか。
「テオー!」
「え?」
そんなことを考えていたせいだろうか、突然目の前に一体のフェアリーが躍り出てくる。
「……フェイ?」
現れたのは南の森に住む妖精であるフェイだった。
何があったのか、今にも泣きそうな顔で僕の鼻にしがみついている。
「え、うそ、妖精? こんなところに?」
「フェイは僕の友達で……それよりどうしたのフェイ? 君が森を出て来るなんて」
妖精は好奇心旺盛だが同時に臆病でもある。こんな人ばかりな街中に出て来るなんて、余程の理由があるに違いない。
「森に、森に変なやつが来て。みんなが食べられたの!」
「食べられた!?」
捕まえられたならともかく食べられた。
妖精はその構成からして精霊に近く、食べたところで腹なんて膨れない。そんな妖精をわざわざ捕食するなんて、一体何が現れたというのか。
「……ごめんエリー。ちょっと森に行ってくる。埋め合わせはするから」
「あっちょっと、テオ!?」
食べかけの芋をエリーに押し付け、塀を飛び降りるとすぐさま駆け出す。
フェイはもちろん他の妖精たちだって僕にとっては友であり長い付き合いだ。何より泣きつかれて見て見ぬふりなどできるはずがない。
「まあまあ落ち着け勇者様」
「うわあ!?」
そのため急いで城門へと駆け出したというのに、追いかけてきたギュンターに持ち上げられそのまま肩に担がれた。
「何するんだよギュンター!?」
「急ぐんだろ? なら俺が担いで走ったほうが速いぜ」
そう言うなりギュンターは本当に走り出す。
いくら小柄でも人一人担いでいるとは思えない速さ。振り落とされそうになり慌てて両手でギュンターの服を掴む。
「何で? 君には関係ないのに」
「水臭いな。友達だろ。それに同期の盾仲間は助け合うのが騎士ってもんだぜ」
僕の問いに、ギュンターは事も無げに言って見せた。
ああまったく。騎士になんてならないと言ってるくせに、彼は誰よりも騎士らしい。
「……ありがとう」
僕の礼に、ギュンターはただ黙って頷いて見せた。
・
・
・
「これは……」
森に辿り着けば、すぐに異変に気づいた。
枯れている。
葉を無くした木々は骸のような無残な姿となり、地面は渇きはて命というものが感じられない。
以前森の一部を襲った謎の現象が見渡せるほどの広範囲に広がっていた。
「何だコリャ?」
「……分からない。ヴェルトルーデ卿が言うにはマナの枯渇らしいけど。フェイ。いつこうなったの?」
「ついさっきだよ。いきなり黒いやつが来て、みんな吸い込んじゃった」
「吸い込んだ?」
それはまたよく分からない状況だ。
マナが枯渇する。ヴェルトルーデ卿は魔術師が大掛かりな魔術を使用したのではと疑っていたが『吸い取った』となればその線も薄くなる。
マナを吸い取る。そんな生物が居るのだろうか。
「気になる事は多いが、のんびり考えてる暇は無さそうだぜ」
「え?」
不意にギュンターが剣を抜き、骨になった木の一つをねめつける。
そしてその木の陰から生えるように、無造作にそれは現れた。
「骨?」
本当に木が分裂して動き出したのかと思えたそれは人骨だった。
服も朽ち果て無くなったと言うのに鎧と兜だけ身につけて、その手に剣を携えマリオネットのような動きでこちらへと向かってくる。
「よりによってロード級のスケルトンかよ。本物は初めて見るが……やばいなこりゃ」
アンデッド。
黄泉帰った死者の亡骸。
その存在の厄介なところは『急所が存在しない』ということだ。
腕が飛ぼうが頭が無くなろうが、彼らは塵になるまで動き続け生者を怨み妬むように襲い続ける。
いくら斬ったところで死ぬことは無い。本当のアンデッドだ。
「テオドール。攻撃系の魔法は使えるのか?」
しかしそんな彼らにも当然弱点はある。
一つは破邪の力を持つ銀。そしてもう一つは魔力による霊的な攻撃だ。
この二つによる攻撃ならば、アンデッドを動かす怨念を絶ち打倒することが可能となる。
「……術式は頭に叩き込んでるけど、発動にどれくらいかかるか分からない」
言いはしないけれど、本当に覚えただけで成功するかも怪しい。
だけど――
「上等だ。俺が時間を稼ぐ。おまえがあいつを倒す。それで万事解決だ」
――自信に満ちた笑みで信頼を込めて言われてしまえば、そんな弱音は見せる気にもなれなかった。
「……分かった。フェイは隠れてて。任せるギュンター!」
「任された! なに、こんな死に損ない相手なんて楽勝だ!」
そう言うとギュンターは少しの気負いも見せずに走り出し、ロードスケルトンが振り下ろした剣を打ち返した。
「て、テオ」
「大丈夫……さあ、やろう」
おろおろするフェイを帽子の中に押し込め、地面へ向けた手のひらをゆっくりと伸ばす。
「……」
クライン式魔法に呪文はいらない。
ただ己の中の魔力を感じ取り、己の根源を汲み上げる。
瞬間、僕という人間は変革され魔法を使うための器官へと生まれ変わる。
空気が変わるのを感じる。否、変わったのは己か。
大気に漂うマナを感じ取り、己の支配下へと組み入れる。
「……綺麗」
そうして僕の体を中心に描き出されたのは火を意味するトーラを基本とした魔法陣。
基盤となるそれの周囲へ、制御や安定を初めとした術式を書き込んでいく。
――これがクライン式魔法。魔術を扱えない者へ与えられた神秘の剣。
大気に漂うマナを下敷きに、自身の周囲へ魔法陣を展開し完成する魔法。
必要な術式や言霊は全て魔法陣の中に。故に要となる魔法陣を正確に描くことさえできれば、そこにある図形や記号の意味など知らなくても発動できる。
「……できた。ギュンター! 離れて!」
予想以上に早く描けたそれを維持したまま、僕はロードスケルトンと剣を打ち合わせるギュンターへと声を上げる。
「ほいさ! やれ! テオドール!」
素早く飛びのいたギュンターの向こうに姿を現すロードスケルトン。
頑強な鎧に包まれたその身は、何度もギュンターの剣に打たれたというのに顕在だ。
だがそれも、この一撃で無へと帰す。
「――ファイアーアロー!」
唱えるのは初歩の火の魔法の発動キー。
その言葉を口にした瞬間契約は成され、発火したように熱を帯びた魔法陣が収束し一筋の矢となってロードスケルトンを穿つ。
ドォンと、火薬でも爆ぜたような音がした。
放たれた炎の矢は狙い済ましたようにロードスケルトンの頭部へと命中し、炸裂した炎の魔力が重厚な兜ごと中身を吹き飛ばした。
「……」
頭を無くしたロードスケルトンはしばらくそのまま佇んでいたが、しばらくすると世界の法則を思い出したようにゆっくりと倒れた。
動き出す気配も無い。どうやら本当に今の一撃で彼の仮初の生は終わったらしい。
「……やった?」
「やったなテオドール!」
「うわ!?」
「キャア!?」
呆然としていた僕を、突然ギュンターが小脇に挟み乱暴に撫でてくる。
僕の頭はもちろん中に居たフェイもぐちゃぐちゃだ。
「ちょっと気を付けてよ! 潰れちゃうじゃない!」
「おっとわりぃ。いや、しかしやるじゃないかテオドール」
「別に、あれくらいの魔法なら使える人は幾らでも居るよ」
騎士学校の中にも、クライン式魔法の使い手はいる。
覚えたての僕などよりは余程上手く魔法を扱えるに違いない。
「それがどうした。今この場で、ビビらずにあいつを倒したのはおまえだ。他の誰でもない」
そう言ってもう一度僕の頭を撫でてくるギュンター。
子供扱いするなと言いたかったけれど、何故かできなかった。
認められた。ただそれだけのことが嬉しかったからかもしれない。
「待って……テオ。あいつが来る」
「あいつ? あいつって……」
言葉を続ける事はできなかった。
そうだ。フェイは言っていたではないか。
『変なやつが来てみんなが食べられた』と。
ならばその正体はスケルトンなどであるはずがない。
「……」
そして……異様な、不可解なそれが現れた。
黒い影。否、あれは闇色の体を持つ何かだ。
人の形をしては居るが顔はなく、ただ黒い闇が覗いている。
無貌の悪魔。そうとしか表現しようの無い怪異がそこに居た。