グラウハウの森3
クライン式魔法ではなく古式魔術を覚えたい。
そうお願いした僕に、オリヴィアさんは最初にこう説いた。
「魔術は一部の選ばれた人間にしか使えない強力な力だ。力を持つということは義務と責任を負うということであり、その力の使い道についてもよく考えなければならない」
大義なき私闘を禁じる。
魔法ギルドの党員に対する初歩にして絶対の戒律がそれだという。
魔術というものはその威力のみならず周囲への影響も大きく、ときに気象にすら影響を与え場合によっては天変地異を引き起こす可能性もあるのだと。
故に魔法ギルドの党員は己の力を誇りながらも無闇矢鱈にそれを誇示することはしない。
逆に言えば己の欲望のために魔術を乱用するものを戒めるために存在するのが魔法ギルドでもある。
巷で言われているような、特権意識の高い己の力に驕りを持つような魔術師は十中八九魔法ギルドに所属しないはぐれ魔術師だ。
「だがその魔法ギルドの役割もクライン式魔法の登場により微妙なものとなった。多くのクライン式魔法使いは魔法ギルドに所属などしていないし、その力を使うことに躊躇いもない。まあクライン式魔法程度では大した影響がない故に放置したという側面もあるが」
そしてそれは魔術師と魔法使いの溝を大きくするものでもあった。
魔術という選ばれたものにしか使えない巨大な力を持ちながらも日陰の道を歩む魔術師。
魔法という万能の力を誇示し栄光の道を歩み始めた魔法使い。
魔術師たちは魔法使いたちの傲慢さを嘆きながらも、それを止めることもなく表舞台から次第に姿を消していった。
「坊や。魔術を覚えたいのなら魔法ギルドの党員になれ。それが最低条件だ」
「それは……」
はい分かりましたと素直に頷くことはできなかった。
私闘を禁じるという戒律。それはシュティルフリート伯という公私の区別が薄い立場にある僕には致命的な足枷となりかねない。
戦うための力を求め、その結果戦えなくなるのでは本末転倒だ。
「脅し過ぎたか。大義なき私闘といっただろう。逆に言えば大義があると言い張れば案外通るものさ。今の魔法ギルドの党首はカビの生えたような組織を率いている割に頭はやわらかいしな」
「カビって」
仮にも女神教会と並んで歴史と権威ある組織になんて言い様だろうか。
まあオリヴィアさんからすればその党首も年下の子供扱いなのかもしれないけれど。
「しかしカビが生えているとはいえ腐っても世界を股にかける大組織だ。その後ろ盾が得られるなら、坊やと敵対するのを避ける者も出るだろう」
「魔法ギルドが魔術師を率いて援軍に来るわけでもないのに?」
「少なくとも魔法ギルドの党員が一斉に居なくなって以後助力を得られなくはなるだろうな」
あっさりと言うオリヴィアさんだけれど、魔法ギルドの党員はどんだけ統制がとれているのだろうか。
「まあ魔術師が居なくなってもクライン式魔法があるのだから大昔程影響はないだろうが。ジレント共和国以外の国の魔術師は不遇な扱いを受けていることが多いからな。魔法ギルドの党員が領主だと聞けば移住してくる者も居るだろうし、その領地が攻められていると聞けば助力を得られるかもしれん」
魔術師の仲間意識が強すぎる。
もしかしてエリーがやたら僕に構っていたのは、将来的に魔術師になると見越していたからなのだろうか。
「そういうわけで、党首には私から話を通しておくから魔法ギルドには入っておけ。その前に一つくらいは魔術を覚えておきたいところだが、初歩的なものはクライン式魔法で代用可能だしどうしたものか」
将来的にはともかく魔法ギルドに入る口実のためなら、最初は初歩的なものを手っ取り早く覚えたのでもいいのでは。
そんな意見は当然のように無視され、僕はオリヴィアさんからとりあえず一つ魔術を叩き込まれた。
ちなみに後からその話を聞いたエリーに「そんなもんとりあえずで覚えるもんじゃないわよ!?」とつっこまれたのは別の話。
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教会での小休止を挟んでからは、特に問題なく行程は進んだ。
時折アンデッドや狼のような魔物には襲われたものの、そのほとんどは誰一人負傷することなく倒せたし、森の中心から徐々に離れているためかその数も少なくなっていった。
まあその対処が簡単だったのは、間違いなくラーラとユリアンさんが強すぎるからだろう。
ラーラは相手の防御など知ったことかとばかりに短槍で相手を殴り飛ばすし、ユリアンさんは単純に動きが速くて隙が無い。
しかも相手がスケルトンだろうとお構いなしにその体を手にした剣で斬り落としていくのだから、恐らく相手が人間でも一瞬で相対した相手の腕が落ちているに違いない。
「いやー。楽でいいですね」
そしてそんな二人の戦いを眺めながら呑気に言うエルマーさん。
別にサボっているわけではなく、彼は僕とジビラが不意をつかれないための護衛だ。
まあそれでも二人が危険ならば手を出したのだろうけれど、言った通り危険なんて欠片も転がってない。
「かなり歩いたけど、森の出口はまだ遠い?」
「いえ。全体の九割は来ましたよ。ここまで来ればもう魔物はともかくアンデッドの類は遭遇する方が珍しいですね」
「やっぱり森の奥ほどアンデッドが多いの?」
太陽の光を浴びれば灰になって消え失せる。なんていうのは大袈裟な表現で、アンデッドの多くは別に太陽の光を浴びても灰になったりはしないし活動を停止したりもしない。
それでもやはり闇の眷属であるためか彼らは光を嫌い、陽の下に自ら出てくることは殆どない。
逆に言えば日中でも光が届かない場所は彼らにとって非常に居心地がいいのだ。既に死んでいる彼らに居心地も糞もあるのかは知らないけれど。
「いえ。若干南寄りに集中してますね」
「何で。というか南寄りってうちの領地方面だよね」
「何故かは分かりませんが、大昔にシュティルフリートの領地が増えたのはそのせいだとも言われてますよ。万が一アンデッドが溢れ出て来ても何とかするだろうって」
「うわー……」
要するに僕の先祖は厄介ごとを押し付けられたらしい。
いや、実際今まで何もなかったのだから、領地が増えたこと自体は良かったのかもしれないけれど。
「それにしたって……どうかしたのジビラ?」
「……」
ふと隣に居た少女の様子がおかしいことに気付き声をかけたけれど、予想どおりというか返事はない。
ただジビラは何かに気付いたように後ろを、僕たちがかき分けてきた藪の先をじっと見つめている。
「……感じないの?」
「え?」
ぼそりと、聞き逃しそうなほど小さな呟きに思わず呆気にとられた声を返していまい、それに苛立ったようにジビラが初めて視線を合わせてきた。
いや、その瞳は苛立ち以上に焦りが見て取れた。まるで獣に追われた子供のような。
「何かが凄い速さでこっちに来てる。アンデッドや低級の魔物化した動物じゃない」
「何か……」
言われて魔力を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ませば、確かに何か大きな気配が感じ取れた。
いや。きっとそれを感じ取れたのは僕が意識したからではなく、意識せざるを得ない距離にまで近づいていたからだ。
僕らが必死にかき分けてきた藪や木々の障害なんて存在しないみたいに、獣が駆けるような速さで何かが迫ってきている。
「ラーラ! ユリアンさん! 後ろから何かが来る!」
「え? 何かって!?」
僕が警告を発し終わる前にはその何かはすぐそこまで迫っていた。
断続的に何かを砕くような音が森の奥から響き始め、辛うじて見えていた藪の奥で木が何本かへし折れ倒れていくのが見える。
「下がって!」
そしてエルマーさんが僕らを庇うように剣を抜き立ちはだかったところで、そいつは藪を突き抜け、木々をなぎ倒しながらその姿を現した。
「な……こいつは!?」
まず顔を見せたのは、馬の顔面が削げて平らになったみたいな面に、大きく裂けた口からよだれをまき散らす四つ足の獣。
形状としては馬に近いその獣の肌に皮膚はなく赤く脈打つ肉が露出していて、見るだけで不快な姿をしていた。
しかしその獣の異常性はそれだけではなかった。
「人……?」
此方を認め、立ち止まった馬のような化物。その背から、上半身だけの人型の何かが生えていた。
細い腰とわずかに膨らんだ胸部からして女性なのだろうか。こんな状況で、相手が化け物の背に生えているのでなければ、思わず見惚れていたであろう程に均整がとれている。
しかしその肩は異様に盛り上がり、伸びる両腕は地面を引きずりそうなほど大きく長かった。
女の体だけが美しくすらあるのと相まって、まるで出来の悪いコラージュみたいだ。
「オイ。何だこの子供が粘土細工で作ったみたいな不格好な化物は!」
「私も知りませんよ!」
ユリアンさんとエルマーさんが言い合うのを聞きながらも、僕はその化物から目をそらすことができなかった。
だって馬の背に生えたそいつは明らかにみんなを無視して僕だけを見ている。
無造作に伸びた白髪の奥から、赤く憎しみに染まった目で。
『――!』
馬が前足を上げ嘶きを上げると同時に、女が硝子を擦ったような悲鳴みたいな叫び声を上げる。
辛うじて何かの意味を持った言葉だと分かるその声が何と言っていたのかは、同時に響き渡った馬の嘶きと混じり合い判別することはできなかった。




