妖精の友
王家に伝わる聖剣。
その聖剣がシュティルフリート家に預けられてから随分と経つらしいが、僕は未だその聖剣の姿を拝んだことがない。
何せこの剣を託されて三年間、一度も鞘から抜いていないのだから。
「初めましてシュティルフリート伯。君の祖父殿に栄誉ある任を与えられ参上した」
そう言って年端もいかない子供に恭しく礼をとったのは、祖父の同僚でありロイヤルガードの一人である至高の騎士。
傲りも侮りも見せない誠実なるその騎士は、祖父との約束を果たすためわざわざ時間をさいてやってきたのだという。
「この聖剣を。代々のシュティルフリート伯たちが継承してきた剣。君が受けるべき剣だ」
そうして差し出された聖剣を、僕は受けとることができなかった。
子供の身には分不相応な剣。自分などよりも目の前の騎士の方がよほど相応しい。
謙遜も打算も無く当然のようにそう思ったのだ。
「その称賛は光栄だが、残念ながら私にその資格は無い」
微笑んで言った騎士は目の前で聖剣を抜こうとしたが、その刀身は鞘に吸い付いたように離れなかった。
からかっているのかと思い渡された剣を抜こうとしたが、まるで最初から中身など無いかのようにびくともしない。
「その聖剣は主を選ぶ。私はもちろん、祖父殿以外はロイヤルガードも誰一人抜くことはできなかった」
託された剣を見る。
聖剣などと銘打たれている割には、優美な装飾も無く実用本位な武骨な剣。
「君はいつかその聖剣を抜く時がくるだろう。シュティルフリートの名を継ぐ君なら」
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騎士学校なんて名前ではあるが、この学校を卒業すれば騎士になれるかと言えばそうではない。
騎士になるには他の騎士の元で従騎士として修行を積み、認められなければならない。騎士学校で学ぶのは言わば従騎士としての心得だ。
故に騎士学校を卒業しなくても騎士にはなれるのだが、肝心の師事する騎士のあてがない僕のような弱小貴族は騎士学校に通わなければ先がない。
「今日の午後は城門の外で戦闘訓練を行う」
清廉潔白を謳うかのような白い校舎。
その空間に馴染みきれない異分子である僕は、教官の意味ありげな視線にため息をつきたくなった。
どうやら視察があるというのは本当らしく、騎士学校に相応しくない出来損ないは大人しくしていろということだろう。
情けないが反論はできない。僕の実力など下から数えた方が早いのだから。
「各自周辺に生息する魔物について頭に叩き込んでおけ。情報を疎かにする者は生き残れない」
厳めしい顔で言う教官の言葉を表面的にはともかく重く受けとる人間は果たしてどれだけ居るのか。
定期的に騎士団による間引きが行われる王国内において、人が出歩く場所での魔物の脅威など無いに等しい。
王都の周辺ともなればなおさら、自分たちのようなヒヨコでも油断に油断を重ねなければまず死ぬような目にはあわない。
視察に来るお偉いさんも安全なデモンストレーションというわけだ。
「シュティルフリート」
皆が午後に向けて準備を始める中で教官に呼び止められる。何事かと振り向けば、相変わらずの仏頂面。
この人の眉間の皺が消えるのを僕は見たことがない。
どんだけ気に入らない人生を歩んでいるのだろうかこの人は。
「おまえは南の森に行け。訓練終了まで逃げるなよ」
あからさまな特別扱い。感激のあまりに涙が出そうだ。
要するに教官は『視察が終わるまでその面見せるな』と言っているのだ。
確かに僕の実技の成績は悪いが、何故にそこまでやらねばならないのか。
「今回の視察にはラウホルツ候が来る」
ラウホルツ候というのは、ロイヤルガードを弟に持つ今ノリにノリまくっている侯爵様だ。
発言力も高く、三年前の僕の伯爵就任の際に有難いお言葉を下さった貴族の一人でもある。
なるほど僕を隠蔽するのも納得だ。
この有能な教官殿が問題が起きるのが分かりきっているのに対処しないはずがない。
僕の心情に配慮して等という気遣いは欠片もないのが素敵である。
「了解しました」
ビシリと敬礼をして直ぐ様その場を離れる。
ああ、まったく。
どうして世の中というのはこんなに生き辛いのだろうか。
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王都の南に広がる森には妖精が住んでいる。
妖精と言ってもその内実はピンキリであり、中には人間の命を奪いにくるモノも居る。
王都周辺にたむろする魔物化した獣たちとは違い、見習い騎士には警戒が必要な相手だ。
もっとも僕は“彼女たち”を脅威だと思ったことは無いのだが。
「テオだー!」
「ブフッ!?」
森に足を踏み入れるなり顔面に突撃をかましてくる小さな影が一つ。
「久しぶりテオ」
「……久しぶり」
右手でベリッと引き剥がしたそこには、手のひらサイズの少女が一人。
絹糸のような金色の髪が美しい少女だが、大きく背中の開いた白いドレスの隙間からは虫のような透明の羽が生えている。
彼女はフェイ。この森に住むフェアリーだ。
どういうわけか僕になついており、森に入ると何処からともなく現れて顔面に熱烈な抱擁をしてくる。
「テオ?」
「テオが来た?」
「テオー」
そしてフェイの後を追うように、木の葉の裏や茂みの奥からフェアリーが何体も現れて僕にまとわりついてくる。
「今日は何しに来たの?」
戦闘訓練に来た。帽子を直しながらそう言えば、フェアリーたちは一斉に不思議そうに首を傾げる。
そりゃそうだろう。戦闘訓練をしようにも、この森に僕と戦ってくれるような妖精や魔物は居ないのだから。
何でも僕は精霊に親しい気配がするらしく、妖精の類いに仲間認定されている。
人前に滅多に現れない妖精と仲良くなれるのは嬉しいが、妖精というよりは魔物に近いゴブリンにまで仲間認定されたときは流石に自分の種族を疑った。
父は熊のような外見だったし、実は熊の妖精だったのではなかろうか。
「まあ時間潰し……散歩しに来たのかなあ?」
「散歩? ならこっち来てテオ。変なのがあるの」
両手で僕の人差し指を掴んで引っ張るフェイ。
それにつられて森の中を歩くが、フェイは僕との体格差など考えずに動くものだから、木々の間に挟まりそうになる。
「……なにこれ?」
枝に持っていかれそうになる帽子を押さえながら苦心して辿り着いたのは、枯れ果てた木々の広がる異様な空間。
まるでそこだけ秋になったみたいに落ち葉が降り積もり、痩せた骨のような白い木がみすぼらしい姿をさらしていた。
「これなんなのテオ?」
「僕も分からないなあ。いつからこうなってたの?」
「この間」
この間とはいつかと聞いても無駄だろう。
妖精は人間とは感覚が違うので、昨日の事は覚えていても一昨日の事は覚えてない。しかし数年前のことはハッキリ覚えていて明日のことは考えない。
こと時間というものについて妖精はあてにならないのだ。
「……誰!?」
不意に、フェイが僕の背後に向けて言った。
つられて振り返るがそこには誰も居ない。しかししばらくすると、苦笑するような声と共に木陰から人影が進み出る。
「気配は消していたのだが、まさか妖精に見つかるとはな」
現れたのは白い軍服に身を包み腰に剣を帯びた青年。
否。一見すれば美しい青年にしか見えないが、よくよく見れば彼女が女性であることは分かるだろう。
男装の麗人。そう著すに相応しい凛とした女性がそこに居た。
「久しぶりだなシュティルフリート伯」
「……ヴァルトルーデ卿。お久しぶりで……す?」
戸惑い、我に帰った僕に合わせるように、一斉にフェアリーたちが飛び去り姿を隠していく。
あまりの速さに呆気にとられたが、失礼だと注意しても無駄だろう。
彼女たちに礼儀なんて概念は存在しないのだろうし。
「ハハッ。嫌われてしまったな」
「ねぇテオ。この人間知り合い?」
「……申し訳ありません」
苦笑するヴァルトルーデ卿。そんな彼女に唯一残ったフェイが指差しながら聞いてくる。
もう謝るしかない。別に僕はまったく悪くないが謝りたくて仕方がない。
「この人はヴァルトルーデ卿。僕のお爺ちゃんの同僚だった人だよ」
そして僕にとって目標となる人でもある。
現在三人しか居ないロイヤルガードの一人。女性の身で最高位の騎士にまで登り詰めた傑物だ。
実力だけでなく人格的にも尊敬できる人物であり、国民……特に女性からの人気も高い。
本来ならば僕のような名ばかりの伯爵などとは一生縁が無いような人だ。
「ヴァルトルーデ卿はどうして此処に?」
「騎士学校の視察だ。ついでだから知り合いの顔を見ておこうと思ったのだが、どこぞへ行方を眩ませようとしていたからな。こうしてこっそりと付いてきたわけだ」
つまり僕は街を出てからずっと尾行されているのに気付かなかったわけだ。
まあこの場合は僕の未熟さより、フェイの感知能力が異常なのだろうけど。
「しかしこれは異様だな。枯れるだけなら自然現象の範囲内だろうが、マナが枯渇している」
「マナが?」
マナ。
魔素とも表されるそれは大気や万物に宿る魔力であり、一説には命の大素ともされる。
「魔術師が大がかりな魔術でも使ったのか……どちらにせよ警戒した方が良さそうだ」
眉をひそめるヴァルトルーデ卿を、僕はただ何も言わず見つめていた。
どうせ僕には関係ない。そう思っていたから。