英雄の末裔
十年前、僕は女神に出会った。
父を亡くして一人ぼっちになってしまった僕。
そんな僕を祖父が引き取りに来るまでの僅かな間、一人の女性が僕の面倒を見にきてくれた。
「おまえがあいつの息子か。なんともまあ、熊のような父親とは似てもにつかないな。先祖帰りか?」
月を思わせる銀色の髪の女性。
彼女に頭を撫でられて、僕は自分でも知らない内に泣いていた。
「ああ、泣くな泣くな。大丈夫だ。おまえのじい様が面倒事を片付けるまでは、私がおまえを守ってやるからな」
そう言うと女性は慈しむように暖かく僕を抱きしめてくれた。
「そうだ。折角だからお伽噺でもしてやろう。凪の時代というのを知っているか? この世界に魔物が居なかったという何とも羨ましい時代でな……」
僕を後ろから抱えるように包み込んだまま、彼女は色んな話をしてくれた。
一週間にも満たない、暖かい雪のような奇跡の時間。
ただ母を知らない僕にとって、彼女は母であり姉であり、そして初恋の人だった。
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王室騎士団。
ロイヤルナイツともロイヤルガードとも呼ばれる彼らは王家直属の騎士であり、一騎当千の兵たちである。
国中の人間――貴族平民を問わず全ての人々の憧れと期待とを受ける英雄たち。
そんなロイヤルガードを代々輩出してきた家系に生を受けるという事。それは果たして幸運な事だろうか。
「……」
いつも通りに目が覚めて、僕は転がるように大きなベッドから降りた。
無駄に大きなベッド。
無駄に大きな部屋。
無駄に大きなお屋敷。
一応は伯爵位を持つ我が家には必要な見栄であり、内実が伴ってないのは当然だと祖父は笑って言っていた。
そんな祖父に育てられた僕だから、貴族らしさなんて欠片もない。
その気になれば真似事くらいはできるけれど、慣れないそれは見る人が見れば滑稽に違いない。
「……」
無言で朝食をとり、無言で出かける準備をする。
挨拶をする相手も、話をする相手もこの家にはもう居ない。
「……」
玄関を開けて空を眺める。
抜けるような青空の下は太陽の加護も役に立たないくらい寒かった。
思わずギュッと襟をしめ、祖父から貰った帽子を深くかぶり直して歩き始める。
鍵はかけない。かける必要がない。前に壊れてそのままだ。
だけど問題はない。盗まれて困るものはあるけれど、何より大切な物は僕の背中にかけられている。
「……行ってきます」
まだまだ小柄な僕には大きな幅広な剣。
それを確認するように一撫ですると、誰も居ない我が家を背に向け歩き始めた。
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テオドール・フォン・シュティルフリート。
そんな大層な名前が僕の名だ。
家を興したのは凪の時代と呼ばれる古の時代の英雄であり、王家に伝わる聖剣を託された勇者。
平民でありながら騎士となり、王に最も信頼された忠義の騎士。
王室騎士団の席には常にシュティルフリートの名を継ぐ人間が居た。
それは飾りや贔屓等ではなく、代々のシュティルフリート家の当主は実力でその地位を勝ち取ってきたのだ。
だがそんな歴史も、僕の父の代で途絶えてしまった。
一年前に最期まで現役のロイヤルガードであり続けた祖父も亡くなり、僕は十三歳という若さで伯爵家の当主とならざるを得なかった。
当然そんな子供がロイヤルガードになれるはずもなく、歴史上初めて王室騎士団の籍からシュティルフリートの名が消えることになった。
ここぞとばかりに僕を嘲笑し罵る貴族が居たのは……まあ当然だろう。十歳の子供に何とも大人げない話だが。
「よう『勇者様』じゃないか」
そして大人げないやつがここにも居た。
声をかけられ見上げれば、民家の塀に腰かけた悪ガキたちが一人、二人、三人。
『勇者様』というのは僕の先祖に肖ったあだ名……というわけではない。
分不相応な大剣を背に負ったその姿が、まるで市井で勇者ごっこをする子供のようだと揶揄しているのだ。
加えて成長不良で小柄な僕を子供みたいだと嘲る意味もあるのかもしれない。
「……ギュンター」
悪ガキたちの大将は、僕と同じ騎士服を纏った騎士学校の同輩だ。
もう十四になるというのにガキ大将気分が抜けていないあたり、人の事を言えないくらい子供なのに違いない。
「今日も朝早くから登校か。真面目だねぇ」
日も出ない内から遊び回ってる君には負ける。
そう僕が言えば違いないとギュンターは笑った。
意外に思われるかもしれないが、僕と彼はそれなりに仲が良い。
騎士学校はその名の通り未来の騎士を育成する学校だ。当然生徒は将来騎士になることが約束された貴族の子息ばかりであり、僕やギュンターのような貴族らしくない貴族は浮いてしまう。
言うなれば『どら息子同盟』とでもいったところか。
一応は真面目に学業に取り組んでいる身としては、甚だ不本意な同盟ではあるが。
「でも今日は休んだ方が良いと思うぜ。お偉いさんが視察に来るとかで、エドバルド辺りがピリピリしてるからな」
そこでサボるという発想が出てくるあたり、ギュンターは中々大物である。
お偉いさんが視察に来たのに生徒がボイコットなどしたら教師の面目丸潰れだ。
後でどんな制裁を受けるやら。
「構わないさ。俺は騎士になんてならないで冒険者になるんだ」
そう言って笑うギュンターの言葉は、よくある思春期の憧れや反抗ではなく本心からのものだろう。
ギュンターは僕とは違い発育がよく、背だけ見れば成人のそれだ。剣術だって騎士学校でも上位に入る。
頭だって悪くない。むしろよく回る方だろう。
だからこそ、実力があっても騎士には向いていない。そうギュンター本人が諦めてしまっているのだ。
「おまえも旅に出たくなったら言えよ。俺の冒険譚の添え花にしてやるぜ」
そこは添え草だと思うのだけど、気持ちはありがたく受け取っておいた。
だけどそれが現実になることは無いだろう。
僕はロイヤルガードにならなければならないのだから。