8
ワンルームに四人とだゆうちゃんは、ちと狭い。
座卓を四人で囲み、僕と白子ちゃんの間にはだゆうちゃんがうつ伏せになっている。傍目からは白子ちゃんの手と思える僕の手でだゆうちゃんの頭をなでなで、だゆうちゃんは心地良さげにくわわと口を半開きにしている。
「ありゃあ。だゆうが懐くのはトイチンだと思ってたけど、姫百合さんだったかあ」
実際には僕なんだけど、しれっとしている白子ちゃんを真似してやり過ごす。
「えと。とりあえず永久ちゃんが無事で良かった」
向かいの永久ちゃんはえへへと笑みをこぼす。
「ほとんど寝てたから何があったのかは知らないんだけどねえ。玉響先生がハンター? で、だゆうをどうするのか、話し合うんだっけ」
正座でびっしり背筋を伸ばしている玉響先生が一つ頷く。
「そうですね、いずれドラゴンの捕獲は仕事として請け負うことになるでしょうし、そこも踏まえてどのようにするのか、妥協点を見つける必要があります」
妥協点、妥協点かあ。争いがなくなったのは喜ばしいが、妥協点と言われるとたじろいでしまう。
そもそも僕に妥協点はない。
永久ちゃんを取り戻し、だゆうちゃんを渡さないのが最優先事項だった。
しかして、こうして永久ちゃんを取り戻せたのなら、後は当人同士の問題というか、僕と白子ちゃんが同席する意味合いはほとんど消失してしまった。僕が今も座卓から離れないのは、いざって時、万が一の事態に備えてのことだ。玉響先生が強制的に場を動かそうとしないよう、抑止力となるために座っている。
まあ、僕が抑止力になるのかは甚だ疑問だけど。
ちらちらと面子を見回した永久ちゃんが、何故だか僕に視線を投げてくる。
「んんっと。ん。それで? どーしよっか?」
何故だか僕に疑問を呈してくる。
それで? えっと……あ、僕が主導するの? 完全なる第三者だけど、いいのかな?
沈黙は早く喋れと急かされているようで落ち着かない。
「あー、うん。それで、玉響先生はだゆうちゃんを捕獲しようとしてるけど、永久ちゃんはどうするのってのが、まずは第一なのかな?」
「えー、駄目、それは絶対駄目だよお。だゆうは私のペットだもん、ずっと一緒に仲良くやって来たんだから、先生の頼みといえどお渡しすることはできません」
玉響先生は露骨にため息を吐く。
「平行線ですね。私は今回、機関から仕事として命じられる前に行動しています。よって、この場は私が引き下がれば収まりますが、いずれ機関から仕事として命じられれば、話し合いなど介在する間もなくドラゴンは捕獲されます。その際の相手は私かもしれませんし、他のハンターかもしれません」
この場をやり過ごすだけでは何も解決しないってことかな。
白子ちゃんがめんどくさそうに欠伸をするので、ささっと手を動かし口元を隠す。自画自賛したいほどの協力だが、永久ちゃんは気にも留めずに僕を見据えている。
「どうしよっかあ、トイチン」
「へ? あー、うん、ええっと」
あ、僕が考えるんだね?
第三者となった僕と白子ちゃんは置き物状態で話は進み、切りがいいところでさよならーってなるのかと思っていた。
乗り掛かった船だし、だゆうちゃんも可愛いし、好都合といえば好都合だけど。
さて、では当事者二人の最善策を確認しよう。
「ええっと、永久ちゃんとしてはだゆうちゃんを元のように……っていうか、今まで通りに過ごしたい感じだよね?」
「そうだねえ。ばれないように益々注意するから、今まで通りに過ごしたーい」
「先生は今、この場を見逃すのはオッケーですけど、それだと永久ちゃんの要望には応えられないって感じですよね?」
「そうですね。先ほどの運動場で機関に連絡を入れるつもりでしたし、この場を見過ごしたとしても、明日には機関へ連絡します」
ふむふむ、交渉としては平行線か。しかも圧倒的に有利というか、望むべく道を進めるのは玉響先生の方だ。本来であれば妥協するしかなかった道を無理やりに現状へと落とし込んだだけなので、仕方なしといえば仕方なしってなとこは否めない。
争うことを人質にして玉響先生が見逃してくれると嬉しいんだけども、強固な姿勢から難しそうだ。しからば両腕が入れ替わっちゃった時と同じく、状況を改善できそうにないのなら手掛かりを探ろう。
頼れそうな人を頼って話を聞こう。
「あの、先生。どうするのかって前に聞いておきたいんですけど、そもそも永久ちゃんの体に住んでるドラゴンって、どういう存在なんですか?」
玉響先生はちらとだゆうちゃんを見下ろし、眼鏡の位置を直す。
「太古の世界に住んでいたのか、空想の生物が具現化したのかは分かりませんが、亜種と呼ばれる生物が存在します。そして亜種は、必ず人体に内在されて生まれてきます。そのドラゴンも他の亜種と同様、三間坂さんが生まれると同時に三間坂さんの体の中に生まれ、これまで育ってきた。そういった存在です」
無表情でつーんとした顔の玉響先生は突っ込みを待っているわけではなさそうだ。
亜種、亜種かあ。
「その亜種って、ハンターの中では有名なんですか? ええっと、永久ちゃんが特別ってことでもなく、亜種は結構存在します?」
実は永久ちゃんも宇宙人で空想現実化をしてるんですかね? とは聞けない。
玉響先生は小さく一つ頷く。
「感覚的に多いとは思いませんが、一つの県にハンターが一人置かれるくらいには存在していますね」
くっくと白子ちゃんが笑みをこぼす。ううん、邪悪さを感じさせる笑いだ。
「初めて知ったぜ。ってことは探せばドラゴンも他にいるのか」
「そこは不明です。亜種という単語に押し込めている通り、人体生息している生物は多岐にわたります。今まで五体ほど捕獲していますが、その中にドラゴンはいませんでした」
「はわあ、そっか。ドラゴンはいないんだあ。残念だねえ、だゆう」
だゆうちゃんの同種という意味合いでのお仲間は近くにはいないってことか。
「あの、捕獲された亜種って、どういう扱いを受けるんですか?」
「そこは機関の管轄なので知りません。私は捕獲するまでが仕事ですから」
「……はあ、なるほどです」
そうなるとだゆうちゃんを渡すっていうのは、個人的にも賛同できない。賛同できないが、渡さずに済ませる方法ってのが思いつかない。
うーん、澄ました表情を崩さない玉響先生を懐柔できればいいんだけどなあ。
「あのー。ちなみに先生、この件って先生がしれっと黙っててくれれば円満解決かなあと思わなくもないんですが……」
「駄目です、亜種を捕獲するのは仕事です。先に控えている仕事は今片付けます」
むう。むむう。
隣で露骨な舌打ちが鳴る。
「めんどくせー奴だな」
あ、白子ちゃんに賛同です。
「言葉遣いを弁えなさい。すり潰すぞ」
あっぶない、賛同の意を言葉にしなくて良かった。すり潰されては非常に困る。
「…………うーん」
白子ちゃんと玉響先生の睨み合いによって発生した重力場を和ませる勢いで唸りつつ、これは困った。確かに平行線、僕らの意思など関係なく玉響先生は突き進むのみだ。こっちから手を伸ばして譲歩を訴えたところで揺るぎそうにない。
「えと、先生ってハンターの仕事に妥協を許さないって感じですか? 例えば、ほんとに例えばですけど、絶対にだゆうちゃんは渡しませんって争いになったとしても、致し方なしって感じですか?」
「さっきも言いましたが、争うつもりはありません。あなたたちが絶対に争おうとしても、争いは起こさせません。生徒に怪我をさせるわけにはいきませんからね。ですので、争ってでも渡さないというのであれば、この場は引き、機関に然るべき対策をお願いするだけです」
「争わないで捕獲する手段を選ぶってことですか」
「そうですね、そうなります」
うーん、駄目だ、意志が強固過ぎる。唯一の材料である、争いますよ、という脅しさえも駄々っ子のおねだりみたく跳ね除けられてしまう。
むう。むむう。
こうなったら駄目で元々、ほんとに駄々っ子みたく泣き喚いて嫌だ嫌だを連呼してみるか。白子ちゃんや永久ちゃんならまだしも、高校一年生の男子たる僕が実行すればそれなりにインパクトはあるかも……とか思い悩んでいたら、不可思議さが浮き上がる。
「ん?」
じっと僕を見ていた玉響先生が、いつの間にやら視線を外していた。はて、と怪訝に思えば、永久ちゃんも玉響先生と同じものを見ている。
何を?
二人が見ているのは、両手で頭を抱えている白子ちゃんだ。
不機嫌そうな顔をしている白子ちゃんが、これは困ったとばかりに頭を抱えている。どこかちぐはぐな様子が目を引いたのだろう。さもありなん、白子ちゃんから伸びているのは僕の両腕、ついつい悩むに至って白子ちゃんの頭を抱えていた。
「あ? 何だ?」
お互いの両手が意思に反して動くのにはすっかり慣れてしまった。意図しない感触が両手に走るのも同様だ。故に白子ちゃんも二人、更には僕の視線を受けて場の不可思議に気付き、僕の後頭部を掻き始める。
「私は人体生息している亜種を見つけるため、物事を注意深く見るようにしています」
突然の玉響先生の言葉に、僕も白子ちゃんも、はあ、と応じる。
「二人の両手はどうなっているのですか?」
う。
あ、遂に突っ込まれてしまった。ぽかんとしている永久ちゃんは気付いていないようだが、玉響先生の視線、僕と白子ちゃんの両手を行き来する視線は気付いている。
「あー……えと、その、ばれました?」
「お互いの両手が入れ替わっているようですね」
「ええっ? な、なにそれー?」
素っ頓狂な永久ちゃんの声を聞き流し、肩を落とす。
まあ、そりゃそうか。座卓で向き合うような近場で、しかも入れ替わっちゃっている僕と白子ちゃんが隣同士に座ってれば、ばれない方が不自然かもしれない。
自画自賛したくなるくらいに自信を持ち過ぎちゃったのは失敗だったか。
「おー、遂にばれちまったな。どうすんだ、トイチン?」
どうしましょう。白子ちゃんみたく平然とはしていられない。
今すぐに病院へ、これは大変なことだ、珍事だ珍事、という展開は困っちゃう。はあ、と大きくため息を吐いて肩を落とす。
ばれたのなら仕方がない、説明するだけだ。幸か不幸か、永久ちゃんにしろ玉響先生にしろ、普通とはちょっとばかり外れている。
事情を説明すれば分かってもらえる可能性はあるかもしれない。
「ええっとですね、これには色々と事情がありまして……」
交渉は一時休憩、そこからしばしの間、僕の思い出話が始まった。
午前一時四十五分、眠い。
白子ちゃんは僕の両腕を枕にして座卓に突っ伏してしまったし、永久ちゃんは仰向けになってすやすやと眠っている。だゆうちゃんは永久ちゃんの露になっているお腹へと姿を消してしまい、狭い部屋では僕と玉響先生が向き合うばかりだ。
「なかなかに奇想天外な話でした。世の中には不思議なことがあるものですね」
「はあ。ほんとにそうですねといいますか、両腕が入れ替わっちゃったのもそうですけど、ドラゴンやらハンターやら、世界は不思議で一杯ですね」
眼鏡を外し、目頭を揉んでいる玉響先生はちょっと疲れてるっぽい。僕は疲れはそれほどじゃないけど、とにかく眠い。
「まだ両腕を元に戻す方法は見つからないのですか?」
「あー、はい。ちっともさっぱりです。白子ちゃんが宇宙人……といいますか、空想現実化ってところに戻す方法があるんじゃないかなって思ってるんですけど、それらしい手掛かりは見つかっていません」
「そうですか……両手がその状態では色々と不便でしょう」
「あ、その辺は結構慣れたので不便ってこともないんですけど……ただ、ばれないようにっていうのが難しいみたいです。こうしてばれちゃいましたし」
「隠し通そうとする事情は分かっているつもりです。協力できることがあれば言ってください、力になれるように励みます」
「ほんとですか? あはは、有難うございます。あ、じゃあ、一つお願いなんですけど、だゆうちゃんのことは黙っててください」
「別問題です、駄目です」
「……………………」
うう、和やかな空気に便乗してしれっと流せないかと若干期待したけど駄目でした。肩を落とす僕の、だらりと垂れている両腕を、玉響先生はじいっと見つめる。
「もし良ければ、機関に問い合わせましょうか?」
「えっと……へ? 何をですか?」
「両腕についてです。私では解決できませんが、機関であれば何かしら情報を持っているかもしれません」
思いも寄らない提案に、眠ろうとしていた頭が冴え渡る。
ハンターに仕事を与えている機関、人体生息や亜種といった今まで知りもしなかった情報を持っている機関であれば、何かを教えてくれるかもしれない?
おお、と内心で感嘆しつつ、玉響先生をためつすがめつ、まじまじと眺める。
細面に細い目、ほぼほぼ無表情なので印象的に怖さを感じていたが、もしかしなくても完全なる勘違い?
「信用できないのは分かりますが、私が対話をした限り話は通じやすいところですよ。人体生息や亜種のことを秘匿する辺り情報統制にも信用が置けますし、今市形君や姫百合さんに害を及ぼそうとすれば私が守ります。どうでしょうか」
「あーっと……あれ。先生って優しいですね」
つい、ぽろっと口から出てしまい、慌てて首を振る。
「あ、いえ、すみません。そうじゃなくて、えと、てっきり敵対? してるものかと」
「私は誰とも敵対していません。無論、あなたたちもです。敵などいませんよ。私はただハンターの仕事をしているだけですし、教師の仕事をしているだけです」
はあ、そういうものなのかな。
だゆうちゃんを奪おうとしている玉響先生は敵じゃない? 争いにまで発展しそうなのに敵じゃないって考え方もあるのか。
「ははあ、先生は大人ですね」
「二十八ですからね。今市形君の倍近くを生きていますし、そこそこ大人です」
「あ、まだ二十代だったんですね」
「そうですね。踏み潰すぞ」
「ごめんなさい、ほんとすみません」
無表情でさらっと言うものだから怖いったらない。ぺこぺこと頭を下げて謝罪し、さてと話題を逸らす。
「機関に聞くのって、お願いしちゃっても大丈夫ですか?」
結局、二ヶ月を通して戻れる方法は見つけられていない。もしも手掛かりを得られるのなら、願ってもないチャンスだ。
「構いません。では、明日にでもドラゴンのことと合わせて機関に連絡しておきましょう」
「あの。だゆうちゃんのこと、黙っててもらうってのは絶対に無理ですか?」
「無理です」
「えと。それは例えばなんですけど、僕がこの場で大泣きして駄々っ子みたいにお願いしたり、土下座したりしても、無理な感じですか?」
玉響先生は言葉なく、冷徹さを感じさせる目で僕を捉えている。
「例えば、先生のためなら何でもしますし、指示されれば絶対に叶えてみせますって誓っても無理な感じですか?」
「逆に問いますが、挙げたそれらを実行できますか?」
「あ、はい、できます」
えっと……ん? できるよね? あ、いや、玉響先生の望みを絶対に叶えるっていうのは無理があるかもしれない。空が飛びたいですとか望まれても、飛行機のチケットを取るくらいしかできない。
しまった、そこは訂正しないと。
僕が口を開くより早く、玉響先生が声を発する。
「宿主が言うのならともかく、今市形君は第三者的な立場でしょう。それとも、三間坂さんのドラゴンとは長い付き合いなのですか?」
「え? あー、いえ、六時間くらい? の付き合いですけど……あんまり時間は関係ないっていうか、永久ちゃんはすっごい可愛がってますし、だゆうちゃんが永久ちゃんを好きなんだなってのは伝わりましたし、僕としてもだゆうちゃんは可愛いですし……このままを続けられるなら、そうなればいいなって思います」
無難な考え方だろうか。
大人が聞けば、呆れてため息を出しちゃう考え方だろうか。
でも、玉響先生は呆れるでもなくため息を吐くでもなく笑うでもなく頷くでもなく、何ら表情を浮かべずにたった一言、こう言った。
「分かりました」
ええっと……それは、つまりは?
「だゆうちゃんのこと、黙っててくれるんですか?」
「誰かのためにそれだけ言えるのであれば、無下に切り捨てるわけにはいきません。一先ずは様子を見るという妥協点を設けましょう」
さらりと言ってのけた玉響先生を八秒くらい凝視し、突っ伏している白子ちゃんを見て、すやすやと眠っている永久ちゃんを見る。
いやいや、ここは遠慮する場面じゃないだろう。
「ありがとうございます!」
僕の一言で白子ちゃんはがばりと顔を上げ、永久ちゃんは脅威の反射で体を跳ね起こし、玉響先生はびくりと肩を震わせた。




