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 明日は日曜日ってことで、多少の夜更かしは平気のへっちゃらだ。

「……うあ、超ねむてー。目がしぱしぱする。やっぱトイチン一人で行ってこいよ」

 うん、一緒に頑張ろうっていう意気込みはどこに行ったんだろうね。

 時刻は午後の十一時三十分、普段ならとっくに寝ている時間帯だ。いつもであれば白子ちゃんはベッドに横たわり、僕はベッドの横に敷かれた布団に丸まっている時間帯だ。

 しかして今日だけは、そうも言ってはいられない。

 煙玉みたいな隠し球はないし、武器も防具もない。だゆうちゃんを残して外出するわけにもいかないので、永久ちゃんの部屋にあるあれやこれやを探り、使えそうなものをまとめることしかできなかった。

 それでも、完遂しなければならない。

 永久ちゃんは助けるし、だゆうちゃんだって渡さない。

「ほらほら、だゆうちゃん、クッキーをあげるよ」

 座卓にあったクッキーの缶を勝手に開けて一掴み、だゆうちゃんの口元に持っていく。

 大きく口を開けているだゆうちゃんの口内にクッキーを落とし、手を引けば、オッケーの合図などなくともだゆうちゃんの口が閉じられる。

 ばりばりぐしゃぐしゃ、クッキーの噛み潰される音が響く。

「……ああ? あー、今何時だっけ? ちょっと寝ていーか?」

 駄目だね、そろそろ出ないと間に合わないからね。時間前行動、せめて十分前くらいには現場に到着すべきだろう。

「えっと、永久ちゃんを助けるために、力を合わせて頑張ろうね」

 白子ちゃんががくりと前のめりに揺らめき、だゆうちゃんがクッキーを飲み下す。

 うん。

 ん? えっと、何で僕だけ修学旅行前夜みたいなテンションなのかな?

 ともあれ約束の時間が迫っているのであれば、行動しなければならない。

 僕と白子ちゃん、だゆうちゃんにて永久ちゃんの部屋を抜け出して外に出る。向かうは学校、僕らの通い慣れている学校だ。

 深夜が迫っているということもあり、外は真っ暗で人の気配はない。しかも空は梅雨空、雲が分厚く広がっているせいで月の明かりさえない。この暗闇であれば、真っ黒な体をしただゆうちゃんの姿は完全に闇へと溶ける。

 暗闇の中を歩くこと数分で、いとも容易く学校に辿り着く。

 夜の学校は不気味で、何もかもを吸い込むような虚無を広がらせていた。門が閉ざされていることで吸い込みが防がれているかのようだ。白子ちゃんと協力し、両腕を必死に使って門を乗り越える。

 だゆうちゃんは翼を羽ばたかせ、風を振りまきながら浮き上がり、大きなジャンプで門を越えた。

 あー、だゆうちゃんは飛べるんだね? そういうアドバンテージはもっと早めに示してもらいたかったけど、言葉によるコミュニケーションが通じないのでは致し方なしか。

 運動場に到着し、隣に立つ白子ちゃんすら見えない暗闇の中で約束の時を待つ。時間前行動により、約束の0時には今しばし猶予がある。

「何にも見えないね」

「そうだな、相手も来てるかどうか気付かねーんじゃねーの?」

 ふうむ、学校という施設ならば夜間であろうと最低限の照明はあると思っていた。

 誘拐犯は真っ暗闇を見越して待ち合わせ場所にしたのかな?

「白子ちゃん、明かりを用意するからしゃがんでもらっていい?」

「あいよ」

 ビニール袋に入れておいたろうそくを取り出し、ライターで火を灯す。

 赤い揺らめきに照らされた周囲に白子ちゃんとだゆうちゃんがいるのを確認し、ろうそくを地面に突き立てる。風が吹いて炎が消えてしまわないよう、画用紙を丸めて作っておいた風除けでろうそくを囲う。こちらも風で飛ばないよう、ペットボトルの水を散らし、砂を泥に変えて固定しておく。

 こういう小細工は割りと好きだ。

「懐中電灯とかなかったのか?」

「ん。まあ、あったんだけど」

 いやいや、時間もあったしね。暇だから作っていたわけじゃない、懐中電灯も持参はしている。

「後は誰が何人出てくるのか、待つべしって感じかな」

「百人くらい出てきたら笑っちまうな」

「いやあ、どうだろ。笑える、かな」

 百人出て来た時点で震え上がっちゃいそうだし、きっと笑えない。

 立ち上がった白子ちゃんを隣に、仄赤い揺らめきを眺めつつ、静かに0時を待つ。

 静か過ぎる気配が緊張感を高めていく。

 心音が早まっているのを自覚できる。もうじき事態は開始され、一時間後には何らかの結末を迎えているに違いない。

 永久ちゃんを助け、だゆうちゃんを永久ちゃんの中に戻す。

 それが最善の結末なれど、どうなることやら。

 僕の喉が鳴ると同時、声が届いた。

「今宵0時を迎えました」

 ろうそくの光に照らされた周囲に人の姿は見えない。

 声は夜の闇の中から聞こえてくる。

「乱暴な呼び出し方でごめんなさい。あの狭い部屋でドラゴンに暴れられては困るので、手荒な手段を用いてしまいました」

 聞き慣れた女性の声は淡々としている。声が、段々と近付いてくる。

「私に危害を加えようと考えないでくださいね。特に、ドラゴンです。もしも私に襲い掛かってくれば、三間坂さんの安否にかかわりますよ」

 揺らめく光に、声の主の足元が照らされる。スニーカーに黒のタイツ、スカート、ワイシャツと、下から順に、歩み寄ってくる度に姿を露にしていく。

 細い首の上には細面がある。

 眼鏡を掛けている厳しそうな面は、どう見たって玉響先生、その人だった。

「おい、トイチンのクラスの担任が出てきたぞ」

「……ん。え、いや、白子ちゃん、同じクラスだよね?」

 さしもの白子ちゃんも驚いているのかもしれない。

 ともあれ、そういうことか。犯人は玉響先生だったのか。

 紙切れに学校としか記されていない辺り、少なくとも永久ちゃんを含めて僕らのことも知ってるんじゃないかと思わないでもなかったが、ちょっと安心してしまう。学校でしか接しないとはいえ、担任ならば話しやすい。

 見ず知らずの誰かが百人くらい出てくるよりは、よっぽど話しやすい。

「あの。永久ちゃんを返してほしいんですけど」

 玉響先生はだゆうちゃんに視線を固定させている。

「では、先生の言う通りにしてください」

「えっと、どうすればいいんですか?」

「ドラゴンが暴れないよう、そうして立っているだけで構いません」

 それってつまり、ドラゴンが暴れちゃったら困るってことかな? そりゃそうか、見た目だけで十分に怖いドラゴンが暴れ出したりしたら、ちょっとやそっとのことでは止められないだろう。

 しかも目の前には玉響先生、一人が立っているだけだ。

 ならば勝機がある。

「あの。僕ら、永久ちゃんを取り戻しますし、だゆうちゃんを渡す気もありません」

 これは、いわゆる宣戦布告というやつだ。

 玉響先生の眼鏡の奥にある目がすっと細められる。

「争うつもりですか? ぺしゃんこにするぞ」

 う。怯みそうになるも、必死に我慢する。

 大丈夫だ、僕が一度たりとも喧嘩をしたことがなかったとしても、強い味方がいる。僕が戦う必要など一つもないのだから、言い合い位で怯んではいけない。

 強気で交渉するんだ。

「こっちにはだゆうちゃんがいます。争いになったら、先生の負けじゃないですか?」

「ドラゴンがおとなしくあなたたちについてきているのは、主人を奪還するためです。その主人を私が人質として持っていることを忘れないでください」

「その人質……永久ちゃんって、どこにいるんですか?」

「言う必要はありません」

「じゃあ、先生と争います」

 玉響先生はまるで動じない。

 むう、ならば仕方がない。

 勢いをつけ、両腕を大きく広げる。傍目には白子ちゃんが両腕を広げているように映るが、そこは大した問題じゃない。

 腕の動きに合わせて、じっと立っていただゆうちゃんが大仰に翼を広げた。

 ばさり、と質量を伴う音が鳴り響いて風が舞い上がる。壁を作っていたろうそくの炎が激しく揺れ、赤い揺らめきが踊る。

 ぴくりと、玉響先生のまぶたがほんの一瞬揺れた。

「えと。待ち合わせまで六時間くらいあったので、ひたすらだゆうちゃんとコミュニケーションを取って、協力関係を築きました。僕は永久ちゃんを助けるために交渉する。だゆうちゃんは、僕の交渉に協力してくれるそうです」

 たかが六時間、されど六時間だ。

 二ヶ月も掛ければ完璧と自画自賛したくなるくらいの協力関係が築けるのは実証済み、六時間もあれば、だゆうちゃんは僕の動きから意思を汲み取って動いてくれるようになった。だゆうちゃんだって永久ちゃんを助けたい、目的は一緒なのだから協力して頑張れば何だってできる。

 玉響先生の沈黙は葛藤だろうか。悩んでいるのだとしたら、答えてくれるはずだ。

「あの。永久ちゃんって、どこにいるんですか?」

 玉響先生はようやくだゆうちゃんではなく、僕に目を向けた。

「車に寝かせています」

「返してください」

「本当に争うつもりですか?」

「つもりです」

 一歩だって引かない。

 玉響先生の後ろには大勢の協力者がいてだゆうちゃんの力なんて気にも留めないというのなら、すぐさま玉響先生を捕まえて人質にする。誘拐犯、玉響先生の目的がだゆうちゃんであることは明白だ。なら、だゆうちゃんを餌にして、囮にして、兵力にして、永久ちゃんを取り戻す。

 ええっと、他に使えるものは何を持ってきていたっけ。

 懐中電灯はだゆうちゃんを突っ込ませる目印として使える。防犯ブザーは人を集めるのに使える。携帯電話は最後の手段、警察を呼ぶのに使える。

 ただ、どれも軽んじては使わない。それらを持参しており、最悪の場合は使ってでもこの場をぶち壊すぞ、という交渉の手段として使う。

 僕らの目的は永久ちゃんを取り戻すことと、だゆうちゃんを渡さないこと。

 争わなくたって達成できるはずだ。

 否、争ってはいけないんだ。

 いくらだゆうちゃんがドラゴンといっても、物量に勝てる見込みはない。尚且つ、いくら協力してくれるとはいっても、だゆうちゃんが傷付くような指示は出せない。

 好条件にも玉響先生は一人で前に出てきてくれた。

 ならば僕の立てた作戦を貫き通す。

 虚勢を張って交渉し、争うことも辞さないと一歩も引かず、強気で押し通す。なので、ですのでどうか、ここらで折れてくださいと固唾を呑んで祈る。ここで折れてくれなかったら、次は玉響先生を捕まえ、人質とし、脅したりしないといけない。

 捕まえるのはだゆうちゃんに協力してもらえれば可能だと思うけど、現状でさえ心臓がばっくばくと鳴り響いているのに、脅すってできるだろうか。

 いやいや、ここまで来ればやるしかない。

 見る限りに相手は一人という好条件、何としてでもこちらの要望を叶えさせるんだ。

 両腕を横に広げて待つこと数分、玉響先生は大きく一つ、ため息を吐いた。

「争うわけにはいきませんし、妥協点を見出しましょう」

 ん? ええっと? いや、まだ強気を崩してはいけない。

「妥協点はありません。永久ちゃんを返してもらい、だゆうちゃんも渡さない。それが叶わないのであれば、争うより他はありません」

 仏頂面で黙っていた白子ちゃんが唇を歪めて笑い、ひゅう、と口笛を放つ。

 おおう、さすが白子ちゃん、全身くまなく汗でびっしょりな僕とは違い、余裕がある。

 再び玉響先生がため息を吐く。

「一つ言っておきますが、私が争うのを敬遠しているのはあなたたちを傷付けないためです。正直なところ、ドラゴンなど怖くも何ともありません」

「……………………」

 突っ込み待ちかな? あっはは、怖くないわけないじゃないですか、ドラゴンですよドラゴン、とか言ってみたいが、ここは我慢だ。

 これは交渉、僕が必死に虚勢を張っているように、嘘を言っている可能性は否めない。

 強固な姿勢で睨みつければ、玉響先生が続ける。

「私は教師の他に、ハンターの仕事をしています」

「……………………」

 もはや何が突っ込み待ちなのかが分からなくなってきた。どうしよう、黙って聞いてればいいのかな。

「ハンターって何だ?」

 しれっと問うたのは僕の頭をがっしがしと掻いている白子ちゃんだ。こ、心強い。

「人体生息している亜種を捕まえる仕事のことです」

 教師と生徒の関係からなのか、玉響先生はきっちりと問いに答えてくれる。ええっと……両腕を広げた威嚇のポーズはいつまで続ければいいのかな。

「機関と呼ばれる組織から仕事が入り、仕事が入れば標的を捕まえるのがハンターです。例えば三間坂さんの中に亜種、今回ですとドラゴンが住んでいることが分かり、機関から仕事が入れば、私はドラゴンを捕まえます」

「あー。仕事が入ったから、こうやって捕まえに来たってことか」

 白子ちゃんの相槌に、玉響先生は首を横に振って否定する。

「いえ、今回は仕事として受けていません。たまたま自分の担当する生徒の中に亜種がいると分かり、自主的に捕まえに来ました」

 んん? 白子ちゃんが後頭部を掻き毟ってくる。

「話を戻しましょう。私はそういったハンターという仕事をしている中で、三間坂さんの中に亜種が存在すると気付きました。亜種はいずれ発見され、機関から仕事として下りてくるのは明白なので、私は先んじてドラゴンの捕獲を試みたのです」

 だゆうちゃんは最近、隠れ切れずに姿を出すようになったと言っていた。そこを玉響先生に見咎められたのかな。

 振り返れば今朝も、机が吹っ飛んだ場面には玉響先生がいた。

「人体生息する亜種の特徴は、逃げ場が人体にあることです。そして一旦警戒されて人体に逃げられてしまっては、亜種を引っ張り出すのは非常に困難となります。そこで通常、捕獲する際は人体から亜種が出て来た一瞬を狙うのですが、捕獲対象がドラゴンとなれば周囲への被害を考慮しなければなりません」

 決して広いとはいえないワンルームの室内で、だゆうちゃんの尻尾はベッドを這いずっていた。戯れとばかりに遊ぶことさえ、いやいや全治何ヶ月になるんだろうと危機感を持つほどだった。

「周囲に被害を出さないためには、ドラゴンを広い場所に連れ出す必要があります。また、同時に逃げ場である宿主を引き離す必要があります。そこで三間坂さんをさらい、あなたたちにドラゴンを連れてきてもらったのです。亜種は宿主を求めるので、本来であればあなたたちの協力は必要なかったのですが、役割を持ってもらうことでおとなしくこの場に現れるように仕向けました」

「めんどくせーって警察に連絡してたらどーなってたんだ?」

「それはそれで好都合です。警察にも機関担当がありますので、私が直接手を下さなくとも亜種を捕獲することができます」

 玉響先生は大きく深くため息を吐く。

「ただ、予想外だったのは亜種……ドラゴンと協力体制を作っていたことです。宿主ならともかく、まさか第三者がそのような手を用い、こうして交渉を持ち掛けてくるとは思いもしませんでした」

 白子ちゃんが、くっくと小さく笑い声を漏らす。

 ううん、明らかに褒められていないので、僕としてはどう反応すれば良いものやら。

「以上の説明からも分かると思いますが、私の目的はあくまでもドラゴンです。争いなどをしてあなた方に怪我を負わせるわけにはいきません。ですから、何が起ころうとも絶対に、争いだけはしません。分かりましたか?」

 ちらと白子ちゃんを窺えば、じーっと僕に視線を向けている。この場にやって来たのは僕の意思だ、幕引きまでは僕に責任がある。

「えーっと。あの、何となく事情は分かりました。争いを避けたいのは実のところ僕もでして、となれば共通の認識があるのかなって。それなら争う必要はないですし、交渉で問題が解決できればいいのかなって思います」

 玉響先生は二つ頷き、だゆうちゃんを見据える。

「それでは妥協点を見つけましょう。ドラゴンを、亜種をどうするのか」

 その言葉が終わると同時、ふっと周囲が真っ暗闇に包まれる。あ、ろうそくが燃え尽きてしまったらしい。

 懐中電灯を探る中、白子ちゃんの声が届く。

「要は話し合いで解決しよーってことだろ? それなら、こんなとこで立ち話しねーで、トイチンの隣の席の女の家で話そうぜ」

 ん、そろそろ永久ちゃんの名前を覚えた方がいいんじゃないかな。

 突っ込みはさておき手探りで見つけた懐中電灯を点ければ、真っ白な光が闇を抉り取る。瞬間、だゆうちゃんがばさりと翼を広げて大層驚くも、どうどうと両手でなだめる。

「えっと、そうですね。先生、今後をどうするのか、永久ちゃんも含めて話し合いにしたいんですけど……オッケーですか?」

 玉響先生は光に照らされ、尚も細めた目で僕を見据えている。

「そうしなければ争うのですか?」

 そんなことはありませんよ、と回答したらどうなるのだろう。

 気にはなるものの、試すだけの勇気はない。

「あ、はい。全力で争います」

「では、仕方がありませんね」

 玉響先生は深く息を吐き、交渉を受け入れてくれた。

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