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向き合っていたので気付かなかったが、だゆうちゃんには漆黒の翼がついていた。
折り畳まれていた翼が不意に脈絡もなくばさりと広げられれば、誰だって驚く。無論、だゆうちゃんをドラゴンとして目一杯に警戒していた僕は大層驚いて、うっかり手近なものに抱きついてしまった。
僕の両腕が抱き締められる手近なものといったら、僕だ。
白子ちゃんから伸びる僕の両腕で僕自身を力一杯に抱き締めたらどうなるのか。
抱き心地はともあれ、こうなる。
「気持ちわりーだろ、離れろ」
淡白な物言いで切り捨てられ、頭突きをお見舞いされた。
おでことおでこがぶつかり合い、衝撃でくらくらしつつ、よろめいてベッドに座り込む羽目になる。ううん、煙玉の襲撃にうろたえなかったのは、状況が突発的過ぎて混乱さえも追いついてなかっただけか。
しっかり警戒しているだゆうちゃんが動けば、簡単に驚いてうろたえてしまった。
失敗失敗、大失敗だ。
柔らかなベッドに腰を落ち着け、間近でしっかりとメモを見下ろす。
『今宵0時、学校の運動場にドラゴンを連れて来い』
文字は鋭角化していて、筆跡とやらを残さないようにしているっぽい。
明らかに煙玉以降に置かれたであろう紙片が意味するところ、更には閉じられていたはずの窓が開かれていてカーテンがたなびいている理由は一つだろう。
「永久ちゃんが誘拐されたっぽい」
隣に腰を落とした白子ちゃんがばっりばりと僕の後頭部を掻き毟る。
「不自然なくらいに姿を消したからな、そうかもな」
「ので、助けに行こうかな」
「おお、そうか。頑張れ」
振り返り、じっと白子ちゃんと目を合わせる。不機嫌そうな表情は慣れたものだ。間近で見つめ合うと怖いけど。
「えっと、白子ちゃんにも協力してほしいな、なんて」
「ああ? 誘拐事件にあたしを巻き込むつもりか?」
う。唾を飲み下して緊張を落とし込む。
うだうだと考え込めば、相当にめんどくさいってのは重々分かる。そもそも誘拐事件ってだけで大問題だし、警察に連絡すべきだろう。でも、ドラゴンがかかわっている以上、そうするわけにはいかない。永久ちゃんはだゆうちゃんのことを隠して生活していると言っていた。ならば警察を介入させるわけにはいかない。
しかも、だ。誘拐犯はドラゴンのことを知っている。
何が狙いなのか、どうすれば永久ちゃんを助けられるのか、どのように行動するのかが最善なのかは浮かび上がってこない。
けれども、だ。
「永久ちゃんを助けたいし、助けるためには白子ちゃんと協力しないと駄目なんだ」
僕にとって白子ちゃんは、絶対に必要な存在なんだ。
えと、両腕が使えないから。
それだけ?
うん。うん?
自問自答で答えが出ないのは問題じゃない。今はただ、白子ちゃんの返答を待つ。
まあ、何となくながら答えは分かっている。
白子ちゃんは唇の両端を吊り上げて邪悪に笑い、予想に似た答えを発する。
「おもしれー、やってみようぜ」
では、状況整理と作戦会議を始めよう。
床に散らばるガラスを掃除し、窓ガラスに空いた穴ぼこをガムテープで封じ、だゆうちゃんが佇む部屋で今宵0時を待つ。
「おお、冷蔵庫にケーキが入ってるぞ。食おうぜ」
「いやいや、人様の冷蔵庫を無断で開けるに留まらず食べちゃうのはちょっと……」
「は? 開けたのはトイチンの手だろ」
「……まあ、うん、そうなんだどね」
開けようぜって提案したのは白子ちゃんだし、僕は止めた方がいいよって提案したし、僕に非があるような物言いは如何なものだろう。
「ドラゴンも腹が減ったろ、ケーキ食うか?」
コンビニで購入したと思しきショートケーキ二切れのパックを僕の手が掲げれば、だゆうちゃんは翼を広げて首肯した。
えー、食べちゃうの? だゆうちゃんも乗り気なの?
っていうか二切れしかないのに白子ちゃんとだゆうちゃんが食べちゃったら僕の分ってないよね?
えー、僕の分はないのかあ。
しょんぼりと肩を落とす僕をよそに、白子ちゃんはパックを手に並んで座る。隣同士になれば、僕の手を使わずとも白子ちゃんは自分の手でケーキを掴み、頬張れる。
まさかの手掴み、さすがは白子ちゃんといったところか。
はあ、食べちゃったものは仕方がない。永久ちゃんを救出した際には代替品の購入をしつつ素直に謝罪しよう。
「えと、だゆうちゃん、こっちにおいで」
ショートケーキを手掴みし、だゆうちゃんに手招きをしてみる。
一歩二歩と、だゆうちゃんは重量級の動きを見せながら寄ってきて、ベッドに座る僕に対してぐぐっと前屈みの姿勢となる。
間近で見るだゆうちゃんはやっぱり怖い。
真っ黒だしおっきいし牙とか爪が迫力満点だし開いた口から覗く真っ赤な舌が血の色を思わせて本能的な寒気を覚える。
それでも、永久ちゃんを助けるにはだゆうちゃんの助けも必要だ。
お互いに協力する必要がある。
僕と白子ちゃんみたいに。
「はい、ケーキ。口の中に入れるよ? うっかり僕の手をかじっちゃだめだよ? オッケーっていうまで口は閉じちゃ駄目だからね? 結構命懸けでお願いしてるよ? いいね?」
だゆうちゃんの翼がばさりと広がり、閉じられる。
ん、きっとオッケーの合図に違いない。口の中にケーキを落とし、手を引く。オッケー、って言うより早く口は閉じられ、咀嚼が始まった。
「……………………」
手は引いていたので無事だ、何ともない。しかし、だ。
「えっと、だゆうちゃん? 今、まだオッケーって言ってなかったよ? 協力には信頼関係が第一だよ? 割かし裏切られた立場だよ?」
だゆうちゃんの翼がばさりと広がり、閉じられる。ん、伝わってる。伝わってるって思いたい。
「ったく、細けーことは気にすんなよ。ほら、トイチンも食べろ」
いやいやちっとも細かくないよ? そう反論するより早く、目の前にケーキがやって来る。白子ちゃんに手掴みされたケーキは尖っていた先端を齧られているものの、まだまだ生クリームはたっぷりだし、イチゴも載っている。
「え、あ、食べていいの?」
「食べねーと0時までもたねーだろ。イチゴも食っていいぞ、すっぱいの苦手だからな」
僕はショートケーキのイチゴが大好きで、白子ちゃんは苦手としている。
完璧、完璧すぎる。
ああ、何だろう、この理想のパートナーっぷり。両腕が入れ替わるという泣きたい現象でさえ、相手によってはこうも満足感に浸れたりするのか。
大口を開けてイチゴもろともケーキを咀嚼、すっぱ甘い味に幸福感が伴っている。
食事を終え、思考回路が落ち着きを取り戻したのを見計らって状況の整理を始める。
「ええっと、とりあえず0時に運動場に行ってみるとして、まるで分からないのは現状だよね」
自身の指を舐めている白子ちゃんの姿は、傍目からは僕の指を舐めているように見える。
「ああ、分かんねーことしかねーな。さらわれたってのが分かってるくらいか?」
「ん。永久ちゃんがさらわれちゃった、それは置き手紙の内容からも明らかだね。煙が立ち込めているうちに誰かが部屋に侵入、永久ちゃんをさらったのかな」
窓を割り、煙玉を投げ込み、視界を奪った上で標的をさらった。
はてさて、疑うべき点は山ほどある。
「標的って、永久ちゃんだったのかな?」
さらえるであろう人間は三人いた。僕に白子ちゃんに永久ちゃん。
果たして標的は永久ちゃんだったんだろうか。
「ってか、さらった奴の目的はドラゴンだろ。わざわざ紙切れ残して待ち合わせ、ドラゴンをさらうのは無理だからトイチンの隣の席の女をさらったんじゃねーの?」
ううん、妥当な線だ。
紙切れはあらかじめ用意されていた。さらう標的も決まっていた。目的はドラゴンことだゆうちゃん、故に永久ちゃんを標的としてさらった。
何故?
ドラゴンをさらうのは無理があったから。だゆうちゃんをさらうのは無理だから、飼い主である永久ちゃんをさらった。
では、どうして僕と白子ちゃんという邪魔者がいるのにさらったんだろう。
「永久ちゃんを今、この場でさらった理由って何だろう」
白子ちゃんは僕の後頭部をがっしがしと掻いている。うん、舐めた手だね。
「まー、確かにリスクはでけーな。あたしかトイチンの両腕がきっちしちゃんと動く状態だったら、四方八方に暴れてたかもしんねーしな」
それなのに相手は二人も、プラスでだゆうちゃんがいる中で永久ちゃんをさらった。
危険性を顧みず、実行しなければならなかった?
「あ。そういえば、だゆうちゃんを外に出すのは久しぶりって言ってなかったっけ」
「ばれるわけにはいかねーからか? ああ、言ってた気がすんな」
だゆうちゃんを永久ちゃんの体から出す瞬間だけを狙っていた? だゆうちゃんさえ永久ちゃんの体の外に出ていれば、そこに誰がいようと関係がなかった。
じゃあ、何でだゆうちゃんが外に出てないと駄目だったんだろう。
「んー。永久ちゃんとだゆうちゃんを一旦切り離してから永久ちゃんをさらって、だゆうちゃんを連れて来いって書き置きが残された」
「まどろっこしい奴だな、んなのトイチンの隣の席の女をさらってドラゴンを引っ張り出せば済む話じゃねーか」
そうしなかったのは、だゆうちゃんが最優先だったから?
永久ちゃんと一緒にさらってしまっては、だゆうちゃんが出てこないかもしれない。いや、永久ちゃんの性格やだゆうちゃんへ向けていた愛情から鑑みるに、絶対にだゆうちゃんを出そうとしないかもしれない。だから永久ちゃんとだゆうちゃんを切り離し、さらえないだゆうちゃんを残して飼い主の永久ちゃんをさらった。
居合わせた第三者にも役割がある。
僕らがだゆうちゃんを連れて行くように仕向けた。
この場でさらったのは、誘拐犯にとって都合が良かったから? 永久ちゃんとだゆうちゃんは切り離され、僕らという案内人がいる。
誘拐犯は、今日という日を狙っていた。
正解など分からないとしても、闇雲よりは筋道のある方が動きやすい。
「今宵0時、僕らはだゆうちゃんを連れて運動場に向かう」
「ドラゴンを渡すってことか」
「いや、僕らはそれを阻止しないといけない」
「ドラゴンは渡さず、トイチンの隣の席の女も取り戻すんだな」
「ん、そうだね。そうしたい」
さて、そうなると目的を達成させるだけの作戦めいたものが必要になってくる。
「えっと、こうすればオッケーみたいな作戦って、何か思い浮かぶ?」
白子ちゃんは舌打ちを織り交ぜて応じる。
「めんどくせーのは大嫌いなんだよ、そんなの知るか。相手が何人であろうとまとめてぶっ潰せばいいんじゃねーか?」
見事な正面突破思考だ。
しかして相手が数十人、数百人規模の相手だったりしたら、とてもじゃないが勝ち目はない。僕も白子ちゃんもいわゆる普通の高校生だし、だゆうちゃんがいるからといって永久ちゃんを人質にされては勝てる見込みは少ない。
そうだ、圧倒的な戦力差が存在している。
僕にしろ白子ちゃんにしろ、煙玉みたいな道具さえないんだ。あるのは、入れ替わっている両腕とドラゴンであるだゆうちゃんのみ、けれども相手はだゆうちゃんをドラゴンと認識して煙玉なんぞを用いて仕掛けてきているくらいだ。
まともにやり合ったって、勝算は見込めない。
「トイチンは何かねーのか?」
厳しい目の白子ちゃんに睨まれ、頭をひねる。
うーむ、今まで考えたこともない方向性の作戦だ、あっさりと思い浮かぶものはない。では一旦方向転換、慣れている方向性から考えたらどうだろう。
無難にやり過ごすとしたら、どうすればいいだろう。
それはもちろん、従えばいいだけだ。だゆうちゃんを運動場に連れて行き、だゆうちゃんを引き渡すことを条件に永久ちゃんを返してくれとお願いしてみる。果たして相手が呑むのかどうか、そもそも相手の目的さえはっきりとはしないが、無難な手ではある。
相手が僕らのお願いを聞いてくれれば、永久ちゃんは取り戻せる。
ううん、すっぱりさっぱり、この場で諦めて何もかも投げ出して家に帰って寝るという最悪の手と比べれば、無難と思しき手だ。そして無難な考え方じゃ、永久ちゃんを取り戻せてもだゆうちゃんは取り戻せない。
それでは駄目だ、永久ちゃんとだゆうちゃん、二人を取り戻さないといけない。
そうだ、そうしないといけない。
だって、これこそ永久ちゃんが危ぶみ、回避しようとしていた事態だもの。ドラゴンを体内に飼っているのがばれないよう、一人暮らしをしてまで隠していたんだ。それなのに、誰かにばれたせいで厄介な状況へと発展してしまっている。
永久ちゃんの現状は、僕と白子ちゃんにも起こるかもしれない問題なんだ。
見逃せるはずがない、無難な手なんてありえない。
無難を捨て、やり過ごすことを捨てるんだ。
座卓に置かれている時計を見やれば、0時まで六時間くらいの猶予が見て取れる。六時間もあれば一日の疲れを癒して次の日に臨むことだって余裕だ。
じゃあ、どうしよう。
考えよう。
何を考えよう。
「永久ちゃんもだゆうちゃんも助けるし、誘拐犯には負けない。いや、誘拐犯にも勝って、この状況を終わらせる方法を考えるよ」
口に出せば、白子ちゃんがにたりと笑う。
口元だけで笑うような怖い笑顔、ともすれば間近に立っているだゆうちゃんよりも怖い。
「おもしれー。やっぱりトイチンは妙におもしれーな」
はてさて個人的には突っ込みの部分で面白いと思われたいんだけど、まだまだ駄目か。
とにもかくにも、やるしかない。
あ、違った。
やってやる。




