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 相変わらずうら寂しい一号棟の裏側には梅雨らしきじめっとした空気にへばっているプレハブがあるだけで生徒の姿はさっぱり見えない。絶好の相談事スポットというのか、学校という人で満ち溢れている施設内でこれほど内緒話が似合う場所は他に思いつかない。

 そんな場所でいつぞやと似た状況、僕の真向かいには永久ちゃんが立っている。

 ああ、あの時はぼっこぼこにされるんじゃないかと心穏やかじゃなかったが、目の前に立っているのが柔和に笑っている永久ちゃんならば、浮き足立つ心配さえない。

「ええっと、それで相談って何なの?」

 曇り空の下、永久ちゃんはにこやかに笑っている。

「んんー、実はねえ。私ってペットを飼ってるんだあ」

「ペット?」

 自己紹介で動物が大好きって言ってたのを思い出す。とはいえ、普段のお喋りの中でペットは登場したことがないので、飼っているとは知らなかった。

「それでね、そのペットがすっごい甘えたがりっていうのかなあ。今までは私に甘えるだけだったんだけど、最近はそうじゃなくて困ってるんだあ」

 ううむ、相談を受け初めて即断ではあるが、今までペットの類を飼ったことのない僕は相談相手として相応しくないやもしれぬ。

「えっと、そのペット? が他の人に甘えるのが困るってこと?」

「いやあ、それは仕方ないのかなあって思うの。ほらほら、例えば犬を飼ってて、その子が別の犬に甘えるのは止められないでしょー?」

「まあ、うん。それは止められないかな?」

「だよねえ。しかも犬じゃなくて例えばライオンだったら、同じライオンに出会う機会なんてよっぽどないだろうし、出会っちゃったら甘えても仕方ないかなあって思うよねえ」

「……まあ、うん。そうかな?」

 ライオンを飼ってる人はなかなかいないよねっていう突っ込みはともかくとして、ライオン同士が出会っちゃったのなら甘えるのは仕方がない。かな? 早速価値観の違いというのか、ペットにかかわったことのない僕とペットを飼っている永久ちゃんの間でちぐはぐさが生じている気がしなくもない。

「えーっと、それで相談っていうのは……何に困ってる感じなの?」

 永久ちゃんはぐるりと周囲を見渡す。生徒の姿はない。侘しさ漂う気配を確認してから、咳を一つ打つ。

「あのね、私のペットがトイチンを気に入っちゃったみたいなの」

「…………ん? あー、そうなの?」

 いやいや、永久ちゃんのペットって聞くのも初めてだし会ったこともないけどね?

 両膝を器用にすり合わせてもじもじしている永久ちゃんはいかにも女子って感じで可愛らしいが、今一つ何一つ要領を得ない。

「だから……んんー、トイチンには悪いんだけど、私のペットがはしゃぎ回らないように、こっそり遊んであげてほしいの」

 永久ちゃんはぺこりと頭を下げた。

「……………………」

 ん、さっぱり意味が分からない。

「いや、あの……永久ちゃん、色々と疑問点が多くて大変なんだけど……ペットが僕を気に入ったのはいいとして、それで何か困ってる感じなの?」

 頭を上げた永久ちゃんはきょとんとしている。

 いや、立場として逆だけどね? 僕の方がきょとんとしたい感じだけどね?

「あ、ごめんごめん。そこ言ってなかったね。えとねえ、ペットがトイチンのことを気に入っちゃって、教室でもじゃれつこうとしちゃってて。んんー、今まではぐーっと我慢してくれてたんだけど、もう我慢の限界みたいでさー。ほら、朝の机、ばーんって突き飛ばしちゃったり、このままだと教室で出てきちゃいそうですごく困ってるんだあ」

「あー。あー、朝の机」

 今朝、永久ちゃんの机が前方に吹っ飛んだのはペットの仕業だったのか。

 なるほどねえ……って納得できない。

 え? ペットが机を吹っ飛ばした? ペットって持ち運んでるの? っていうかペットが机を吹っ飛ばすってどれだけ凶暴なの?

 何だろう、そこはかとなく無難にやり過ごした方が良いように思えてきた。しかして一つ、後一つは興味本位からも聞かねばならない。

「えと……ちなみに永久ちゃんのペットって、何なの?」

「んん? ドラゴンだよ?」

「……………………」

 あ、突っ込み待ちかな?

「あっはっは、そんなドラゴンってまた」

 ファンタスティックなペットだね、と続けようとしたけど言葉が止まる。

 ずしん、と重たげなものが地面に落ちる音が響く。永久ちゃんのスカートから落ちたものが音の原因というのは一目で分かった。

 丸太のような太さを誇り、段々と先に行くにつれ細くなっている。柔軟性のある三角錐のようなものが、永久ちゃんのスカートからずるりと垂れていた。色は真っ暗闇、しかし蛇を思わせる光沢を発しており、生物らしさを醸している。永久ちゃんのスカート、両足の後ろから垂れているそれは尻尾みたく地面へと垂れ落ち、先っちょの尖った部分が砂地を均すように這いずっている。

 あー、永久ちゃんには僕の足より太そうな尻尾が生えているのかな?

 ははは、まさかそんな。

「……えっと、永久ちゃん?」

「んん? なあに?」

「いや……え、何かスカートから垂れてるけど……」

 永久ちゃんは這いずり回っている尻尾らしきものを見下ろし、その場にしゃがみこむ。そうして真っ黒のぬらっとしてそうな尻尾らしきものを撫でる。

「あ、これねえ、だゆうの尻尾。あ、だゆうっていうのはペットの名前ね」

「そう、なんだ?」

「んん。でねえ、だゆうったらドラゴンっぽいトイチンがすっごい気に入っちゃったみたいで、もーちょっかい出したくて溜まらないみたいなんだあ。んふふ、今までドラゴンってだゆうしか見たことなかったし、ドラゴンっぽい人っていうのも見たことなかったから、トイチンに甘えたくなるのも分かるなーって感じなんだけどさあ」

「…………あー、うん」

 落ち着こう、まだ慌てるのは早い。というより慌てるタイミングを完全に逃し、尚且つ無難にやり過ごす機会すら通り過ぎてしまったようにも思えるが、ここで下手にだゆうとやらを刺激するのは非常にまずい気がする。

 机を吹っ飛ばす一撃を食らったらとてもじゃないが一大事だ。しかも僕だけが被害を受けるならまだしも、両腕は白子ちゃんのものだ、傷を負わせるわけにはいかない。

 いつぞや白子ちゃんと向き合った時のごとく緊張しつつ、ごくりと喉を鳴らす。

「あのー……それで、その、だゆうちゃん? どこにいるのかな? 尻尾だけしか見えないんだけど……」

 永久ちゃんはどことなく興奮した面持ちというのか、やや頬を紅潮させ、ふんふんと鼻を鳴らしながら尻尾を撫で回している。

「あ、だゆうはねえ、私の体の中に住んでるの。隠れてなきゃ駄目だよ、世間様にばれたら酷い目に遭っちゃうよって出てこないように言い聞かせてるんだけど、やっぱりトイチンが好きなんだねえ。えへへ、尻尾振ってるよお」

 ああ、うん、その尻尾の振り方には一欠けらも友好性を感じないけどね?

 さっさと射程距離に入ってこねーかなー、吹っ飛ばしてやるのになー、っていう声が聞こえてきそうだよ?

 そして何で永久ちゃんはそんなに嬉しそうなのかな?

 さて困った、いや正直両腕が白子ちゃんと入れ替わっちゃった時以上に困った。

 あの時は白子ちゃんも僕と同じ立場、何だこれーの同志気分だったけど、目の前で展開されている状況は見事な一人ぼっちだ。

 僕一人で困り、慌てふためいている。

 いや、落ち着け。

 高鳴る心音を抑え、大きく深呼吸する。そう、二ヶ月前であれば、白子ちゃんと出会う前であれば慌てふためき、狼狽し、ともすれば叫んで逃げ出していたかもしれない。

 しかして僕は成長したのだ。

 断崖絶壁とも思えるスタートラインを超え、今や白子ちゃんとはトイレからお風呂から歯磨きから寝所までを協力して過ごしているのだ。目の前にドラゴンの尻尾が現れたからといって取り乱したりはしない。このような事態であろうと、今の僕であれば無難にやり過ごせるはずだ。

「ええっと、状況を整理しよっか」

「ん? んん、いいよお」

 尻尾と戯れている永久ちゃんを見下ろし、思考を巡らせる。

「えと……まず、だゆうちゃんは永久ちゃんの体の中に住んでるドラゴンなんだね?」

「そうだねえ、ずーっと一緒の可愛いペットだよー」

「だゆうちゃんが衆目に晒されると大変だから、体の中から出てこないように躾けてるんだね?」

「そうだねえ、知ってるのはパパとママくらいかなあ」

「今まで隠し通せてたんだけど、ドラゴンっぽい? 僕が近くにいるから、だゆうちゃんが出てきちゃいそうで困っていると」

「そうだねえ、早く遊んでーって尻尾振っちゃってるもん。かあいいー」

「だゆうちゃんを隠し通すためにも、僕が遊んであげてだゆうちゃんを落ち着かせることが必要ってことだね?」

「そうそう、ごめんけど他にどうしようもなくってえ」

 なるほど、一通りの状況は把握できた。

 いつの間にやら僕がどのように決断するのかって事態にまで発展していることも十分に理解できた。となれば、後はこの場合における無難なやり過ごし方を導き出せば問題は解決だ。

 無難、無難かあ。

「ええっと。まあ、うん、だゆうちゃんと遊ぶのは丸きりオッケーだよ」

「わあ、ほんとー? って、トイチンならそう言ってくれると思ってたんだけどねえ」

 えへへー、と砕けた笑みを浮かべ、永久ちゃんはのたうつ尻尾をなでなでしている。

「ただ、一つ条件っていうか……だゆうちゃんと遊ぶのって、他の人の目に触れないよう、こっそりってことだよね?」

「ん、そうだねえ。ばれちゃったら実験材料にされちゃうぞーってパパが怖いこと言ってたし、私の家がいいかなーって思ってるんだけど」

「あー。それじゃあ尚更なんだけど、白子ちゃんも一緒でいいかな?」

 提案型の問い掛けではあるが、必須事項のようなものだ。

 僕は白子ちゃんの側にいなければならない、それはどうしたって譲れない最優先事項だ。学校の敷地内でちょっとの間を離れるのならともかく、永久ちゃんの家に赴き、しかも両腕を必要としそうなだゆうちゃんとの戯れに一人で臨むわけにはいかない。

 視界の届かない距離での単独行動はまだまだ不慣れな領域に他ならない。

「えへへ、そりゃ彼女だもんねえ。私の家で二人して遊ぶってわけにはいかないか」

「……え? あー、うん、そうだね」

 すっかり忘れていた。

 そうだそうだ、僕と白子ちゃんは擬似的とはいえ付き合っているんだった。確かに白子ちゃんという彼女がいるのに永久ちゃんと二人して遊ぶのには問題がある。

「私は全然オッケーだよお、むしろお願いしまーすって感じ」

「ん、じゃあ今日の放課後で白子ちゃんと相談してみるよ」

「ありがとー、ごめんねえ」

 まあ、白子ちゃんが同意して協力してくれるかと問われれば正直分の悪い賭けとしか思えないが、そうなったらそうなったで新たな手を考えるしかない。

 どうなることやらと慮る僕をよそに、永久ちゃんはだゆうちゃんを撫で回している。

 ドラゴン、ドラゴンかあ。

 っていうかドラゴンって実在したんだ。しかも永久ちゃんの体の中に住んでるってどういうことなんだろう。尚且つ永久ちゃんが当たり前みたくだゆうちゃんの尻尾を撫でているのって常識的に考えてすこぶる奇異なことではないだろうか。

 ふと思い浮かぶのは、空想現実化だ。

 体の中にドラゴンを飼いたい。

 こういった無理難題と思しきファンタジーな空想に対しても、お母さんと同じくの宇宙人なら実現できるのかな。

 ドラゴンの存在が、僕と白子ちゃんの間に発生している問題を取り除く起爆剤となりえるか、そこは溢れ出る疑問を整理して解決に導かないと分からない。

 いやはや無難な生活ってのは大層難しい。

 ずるずるとスカートの中に引っ込んでいく尻尾を眺めながら、僕は一つ息を吐いた。


「はあん、ドラゴンってのは体の中で飼えるもんなのか」

「…………うん、まあ、らしいよ?」

 放課後を迎えた教室で僕と白子ちゃんは向き合ってお喋りに興じている。まあ、お喋りというより事情の説明に終始し、背中にびしびしと永久ちゃんの視線を感じているが、聞き終えるなり白子ちゃんの口から出て来たのはそんな感想だった。

 えっと、もうちょっと色々疑問に感じた方がいいんじゃないかな? そもそもドラゴンって実在しないよね? 体の中で飼うって意味不明だよね?

 激しく突っ込みたいが、しれっとしている白子ちゃんに突っ込んだら寒気が立ち上りそうな視線で睨まれるのは容易に想像できるので流してしまった。

「あたしは構わねーよ、ドラゴンってのを見てみたいしな」

「え、あ、そう? 見てみたいんだ?」

「見たことねーしな。ってか、そのドラゴンがトイチンに懐いてる理由ってのが分かんねーな。トイチンってドラゴンっぽいのか?」

 えー、そんな真顔で聞かれても返答に困っちゃう。

 僕ってドラゴンっぽいの? そんなの僕を十五年ほどやっている僕でも分からない。いっかな思い当たる節がない。

「えっと、白子ちゃんから見てどうかな? 僕ってドラゴンっぽい?」

「は? 知らねーよ、ドラゴンが何かも分かんねーし」

 わあ、相変わらず否定形の文言に関してはすこぶる冷たくて怖い。多少は慣れたといっても、まだまだ慣れ不足を実感する。

「ま、いーや。とにかく、これからトイチンの隣の席の女の家に行ってドラゴンと戯れるってことだろ?」

「あ、うん、そうだね。えっと、それで一つ確認なんだけど」

 ちらりと背後を窺えば、永久ちゃんがものすごく凝視している。とはいえ放課後の教室は特有の騒々しさに満ち満ちており、僕らの声が永久ちゃんにまで届くことはなさそうだ。

「両腕の件なんだけど、どうしよっか」

 白子ちゃんはふわわと欠伸をし、僕のほっぺたを引き伸ばす。ええっと、痛いね、手加減を知らない白子ちゃんのスキンシップは往々にして痛い。ばっりばりと後頭部を掻かれたらはげるんじゃないかって心配になるくらいなのに、その勢いでほっぺたをつままれて尚且つ引き伸ばされたら涙が出そうになる。

「どっちでもいい。うっとうしくなんのは大嫌いだが、そーならないんであれば、ばらすもばらさないもトイチンが決めろよ。あたしは相談ってのを受けたわけでもねーし、ただの付き添いだからな」

 あー、ぎりぎりとつままれている頬が大変痛いとなれば選択肢はないようなものだ。

「ん、じゃあ、ばらさないで乗り切ろっか」

 くっ、と白子ちゃんの喉から笑いがこぼれ、にたりと口元が歪む。

「トイチンはあれだな。微妙におもしれーな」

「へ? えーっと……突っ込みは苦手な方だけど……」

「は? んなのはどーでもいいんだよ、ばらすかばらさないかじゃなく、ばれるかばれないかって問題だろ。それでばれないを選択すんのが微妙におもしれーってことだ」

「……はあ」

 ばらさないで過ごす方がお互いの慣れを更に高められるんじゃないかなって理由からの選択だったのだけど、そこが白子ちゃんのツボにはまったのだろうか。二ヶ月近くも一緒に協力生活を送っているのに、どうにも白子ちゃんの面白がるツボが掴めない。

「あ、それともう一個確認なんだけどさ」

「んだよ、まだあんのか?」

「ん。体の中にドラゴンを飼うってさ、空想現実化なのかな?」

「は? 知らねーよ、あたしに分かるわけねーだろ」

 ほとんど即答で応対した白子ちゃんをじーっと見据える。

 たったさっきまで浮かんでいた口元の笑みは姿を隠し、常の不機嫌そうな表情だけが表に出ている。ううん、白子ちゃんは何かしら空想現実化に関して隠しているというか、しれっと無難にやり過ごそうとしている気がするのだけど、表情からは読み取れない。

「おい」

「え、あ、なに?」

「何じゃねーよ、どんだけ見つめてんだ。気持ちわりーからやめろ」

「あ、はい。すみません」

 やっぱり気のせいか。

 これだけはっきりと言葉に出す白子ちゃんが何かをやり過ごそうとしてるんじゃないかってのは、考えすぎかな。

「それじゃ、永久ちゃんの家に行こっか」

 僕が席を立つと、白子ちゃんの右手が白子ちゃんに伸ばされる。僕がその手を取ると、白子ちゃんが立ち上がる。

「付き添いとしてな」

 あたかも僕の差し伸べた手を取って立ち上がったかのような白子ちゃんの姿に、周囲が囃し立ての歓声を上げた。

 ええ、これにも慣れました。


 下校の道を、僕と永久ちゃんが並んで歩き、一歩後ろを白子ちゃんがついてくる。

 学校を出て何と数分で永久ちゃんの家に到着した。教室から見渡せる光景の中にある突出して高い真っ白なマンション、その一階が永久ちゃんのお家だった。

 ワンルームには座卓や本棚があり、壁には写真が飾られていたり、白子ちゃんの何もない部屋とは正反対に物が多い。とはいえ決して散らかっているわけではなく、むしろ整っていて、安らかに落ち着ける。

 何だろう、この初めて女の子の部屋に入ったあ、みたいな感動。

 おかしいな、白子ちゃんは女の子なのだから、白子ちゃんの部屋には入っている……というより住んでいるのだから、初めてではないはずなんだけど……そう感じるくらいに、永久ちゃんの部屋は女の子っぽかった。

 枕元には兎を模したぬいぐるみがあったりして、おお、と感動してしまう。

「パパがね、すっごい心配性でさあ。通学中にだゆうが出てきちゃったりしたら超大変、ってことで学校の近くで一人暮らししてるんだあ」

「へえ、一人暮らし。一人暮らしかあ」

 それって炊事洗濯掃除を一人でこなしているってことか。ううん、苦労は途方もなさそうで想像がつかない。出されたクッション――ピンク色の豚の顔を模した円形――に座り、座卓を挟んでのお喋りが始まる。

「姫百合さん、急にごめんねえ? だゆうがそわそわしちゃって、このままじゃ色んな人にばれちゃいそうでさあ。トイチンに協力してもらうことになったの」

 華やかな永久ちゃんの声に、当たり前のごとく白子ちゃんは応じない。ワンルームの部屋で座卓を囲んでお喋りしているのに完全無視って相当なものだ。

 あー、この場に為我井君がいてくれたら合いの手とも呼べる突っ込みを入れてくれただろうに、相談が相談だけに、為我井君とは教室でおさらばしてしまった。若干気落ちしていた背中が申しわけなくもあり、懐かしくもある。

 白子ちゃんと永久ちゃんの間を取り持つのは、今は僕しかいない。

「あ、全然ね、気にしてないって言ってたよ。むしろドラゴンを見るのって楽しみだなって言ってたよ」

「は? 楽しみとは言ってねーよ」

「……………………」

 おおう、僕の言葉にはすかさず反応するのか。

 何だろう、この居た堪れなさ。三人で一つのグループのはずなのに二人×二人みたいな、僕だけだぶって二人分こなしてるみたいな切なさが存在している。

 永久ちゃんからきゃっきゃと笑い声が上がる。

「あはは、トイチンってお尻に敷かれるタイプかな? 何かお似合いの二人って感じー」

 見当違いで完全なる板挟みだけどね。

 さて、永久ちゃんが白子ちゃんに言葉を投げ掛けないよう、僕が配慮するより他ない。

「あのさ、永久ちゃんとだゆうちゃんの馴れ初めが知りたいんだけど、いいかな?」

「馴れ初め? 馴れ初めかあ」

 永久ちゃんの視線が天井へと投げられる。

「だゆうに初めて気付いたのは、小学生の頃かなあ。体からだゆうの顔とか尻尾が出てきて、わあ、私の体の中にはドラゴンがいるんだあって気付いたの。パパとママはもっと前から気付いてたんだけど、私がちっちゃかったから、説明しなかったんだって」

「へえ、体からドラゴン。何ていうか、びっくりだよね」

「んー、どうだろ。ほら、まだ小学生だったから。あー、皆も同じなんだろうなあって感覚だったよ。それがパパとママに話を聞いて、私だけの特異体質って分かって、そこで初めてほんとにびっくりした感じ」

 なるほどなあ、と一つ頷く。

 何もかもが初めての不思議と直面する子供の頃であれば、いきなり体からドラゴンが出てきても、おー、また新たな不思議だー、ってなっちゃうのか。

 納得しつつ、ついつい白子ちゃんを窺ってしまう。

 白子ちゃんって子供の頃から誰とも触れ合っていなかったのかな。もし子供の頃に誰かと触れ合っていたら、誰かと両腕を交換していたのだろうか。

 疑問が解き明かされることもなく、永久ちゃんの話は続く。

「気付いてからは、パパが説明してくれたなあ。体の中にドラゴンなんて特異体質、公になったら大問題、秘密組織の研究材料にされちゃって大変だから、絶対に隠さないと駄目だよーって、もう口を酸っぱく言われちゃった」

「ん。秘密組織は分からないけど、研究材料っていうのは分かる気がする」

「えへへ、やっぱり? こういうのはばれると大変そうだよねえ。マンガとか映画とか、ばれちゃったら大体が超大変そうな感じになるもんね」

 概ね同意だ。

 映画はほとんど見ないのでぴんと来ないが、マンガではよくある展開だ。特異な体質がばれて超大変、そんでもって主人公は大体が諦めない挫けない熱血漢ってな感じで、自分の道は自分で切り開く、運命なんぞ切り刻んでやるって展開になる。

 読む分には楽しげながら、いざ自分がそんな立場に置かれると考えれば、いやいや勘弁してください、そっと穏便に、しれっと無難にやり過ごせばいーじゃんって思ってしまう。

 だからこその現状だ。

 白子ちゃんと両腕が入れ替わっちゃった。けれどもマンガみたいな超展開は断固断る、熱血漢に運命を切り刻むぜーってノリはほとほと無理、無難にやり過ごしてみせるってな僕の意思があり、そこに白子ちゃんの協力が加わり、今がある。

 内心でうんうんと頷く僕の前で、永久ちゃんが片手を上げる。

「じゃあ、そろそろいいかなあ?」

 のんびりとした物言いながら、それが驚天動地の引き金だったりする。

 今の言葉を補足すれば、だゆうちゃんを出してもいいかな? ということだろう。

「えと、うん、僕は大丈夫」

 とは言いつつ、ドラゴンが出てくるのだ。何が起こるか分からない。さり気なく白子ちゃんの隣に寄り、両手は拳を作る。

 いざって時は白子ちゃんと白子ちゃんの両腕を守らないといけない。

「あはは、おとなしい子だから大丈夫だよ」

 立ち上がった永久ちゃんは、おもむろにカッターシャツのボタンを下から外し始めた。

 えっと……ん? 見てていいのかな?

 にこやかに笑う永久ちゃんは胸の下までボタンを外し、シャツの裾を開いて見せた。さすれば当然、永久ちゃんのぺたんとしたお腹が晒される。

 健康的な肌色のお腹は、どことなくつるつるしていそう。そんなお腹が瞬く間に真っ黒に染まっていく。

 永久ちゃんのお腹から、真っ黒の何かが出てこようとしている。

 水面からドラゴンが顔を出すように、永久ちゃんのお腹から真っ黒のドラゴンが顔を出した。頭の大きさは僕らとさして変わらない、しかして形は途方もなく違う。何かで見た恐竜のような、蛇を膨れ上がらせて骨組みを露骨にしたような形をしている。突き出ている口には、ぎらりと輝く鋭い歯が並んでいる。

 闇にも溶けそうな漆黒の顔に、目だけが白く浮き上がっている。

 えー、怖い。とてつもなく怖い。

 およそ生物として視覚的に恐怖を与えすぎだろうってくらい怖いドラゴンの顔が、永久ちゃんのお腹から突き出している。その様子がこれまた怖い。まるで永久ちゃんの肌は水辺とばかりに、ドラゴン……だゆうちゃんは顔を出している。

「えへへ、この子がだゆうだよお。かあいいでしょー」

 永久ちゃんは何故か頬を紅潮させ、ふんふんと鼻を鳴らしながら、だゆうちゃんの頭を撫で回した。

 うん、可愛くはないね。そこは頑なに同意できないね。

「えっと、だゆうちゃんは顔? しか出せない感じなの?」

「ううん、ちゃんと出られるよー。でも、出ちゃ駄目ーって躾けちゃったから、ためらってるみたい」

 永久ちゃんがだゆうちゃんの頭頂をぺしぺしと叩く。

「ほおら、だゆう、出てきてもいいんだよー。あ、服を引っ掛けないように注意してね。ほらほら、ドラゴンっぽいお兄さんが遊んでくれるから、出ておいでー」

 遊ぶ? そうだ、体の中にドラゴンという驚きにより目的を失念していた。僕は今から、だゆうちゃんと遊ばなければいけないのか。

 ごくり、と喉が鳴る。

 獲物を狙うかのように瞬きの一つもしないだゆうちゃんが、ぐいっと首までを出してくる。永久ちゃんのお腹から段々と出てくるのは、紛れもないドラゴンだ。真っ黒の鱗に覆われた体が露となり、くすんでぬらりと光る爪が這い出してくる。

 はわわわと驚きを表わさんばかりに白子ちゃんの両手が僕の口元に当てられている。ええっと、そのポーズが白子ちゃんの驚きを表わしているのか、はたまた僕の内心を読み取ってのポーズなのかは不明瞭だ。

 少なくとも不機嫌そうな表情を一切崩さない白子ちゃんは常の通りと見受けられる。

 恐ろしく長い数十秒の後、ワンルームの室内にはドラゴンが立っていた。

「……はあん? 割とちっせーな」

 白子ちゃんの言葉通り、だゆうちゃんはドラゴンという単語から想像するほど大きなものではなかった。とはいえ身長は僕より高く、永久ちゃんとどっこいどっこいってところだろうか。

 細身な上半身に比べ下半身はでっぷりとしており、特にお腹の辺りは膨らみが目立っている。太く、それでいてしなやかに揺れている尻尾は床のスペースに収まりきらず、無人のベッドの上を這いずっている。

 二本足で立つドラゴンが、しっかりと僕を見下ろしている。

「いやあ……これは、まあ、なかなか……」

 なかなかに言葉が無い。

 今までの人生経験を吹っ飛ばす衝撃、はっきり言って両腕が入れ替わった驚きを大きく凌駕している。

 生物として存在しないだろうという自己認識が崩されたのだから、さもありなんか。

「えへへー、こうして完全に外に出るのは久しぶりだねえ。うれしーでしょお」

 永久ちゃんが後ろからだゆうちゃんを抱き締め、ほっぺを摺り寄せる。

 ええっと、嬉しげ? に尻尾が揺れる度、ベッドがもう限界ですみたいに悲鳴を上げているのは僕が気にすることじゃない。

 今、もっとも気に掛けるべき最重要事項は、だゆうちゃんといかにして遊ぶかだ。

 しりとり……いや、見る限り言語でのコミュニケーションは不可能と思われる。表情の変化は見られないことからにらめっこも無理、ではあやとり……いや、両腕は短く、しかも伸びた爪が曲線を描くくらいに伸びているので手先は器用そうではない。こうなるとトランプといった大抵のゲームも無理そうだ。

 まずい、これはまずい。

 選択肢がどんどん削られ、永久ちゃんが実践しているような肉体的なスキンシップばかりが残される。いやいや、うっかり尻尾に跳ね飛ばされるだけで全治って前置きが必要になってきそうだ。触れ合いやじゃれあいは避けるに越したことはない。

 無難に、どうにか無難にやり過ごそう。

「えと、その、だゆうちゃん? って、久しぶりに出てきて永久ちゃんに抱き締められただけでもう大満足してるんじゃないかな? 何かそんな顔してるよ?」

「えー、全然してないよお。早くトイチンと遊びたーいって今にも飛び出さんばかりだよ」

 と、飛び出さんばかり?

 直感的な恐怖により心臓の鼓動が早まっていく。こんなのが飛び出してきたら裸足で逃げ出すレベルじゃない、例え素っ裸になってでも逃げ出す自信がある。しかも万が一にでも抱きつかれようものなら、それは白子ちゃんの両腕を危険に晒すことと同義だ。

 どこか、どこかに無難な道はないか?

 逸る気持ちを必死に抑え込む僕を、白子ちゃんがじーっと見つめている。

 ん?

「トイチンとドラゴン、何一つ似てねーな」

 何気ない一言が無難の活路を切り開く。

 僕とだゆうちゃんは何一つ似ていないではないか。見た目がさっぱり似ていないのであれば、僕とだゆうちゃんが似ているという永久ちゃんの認識は勘違いかもしれない。

 そう、つまりは最近になってだゆうちゃんが外に出ようとお茶目さを見せるのは僕と一切関係なく、完全なるだゆうちゃんの気まぐれだったのではないか。

 そうであれば、僕がだゆうちゃんと遊んだところで何も解決はしない。否、命を危険に晒してまで遊ぶ必要はない。

 切り開かれた活路に向け、一歩目を踏み出す。

「あはは、そうだね、僕とだゆうちゃんって全然似てないよね。案外、似てるって思ってるのは永久ちゃんの勘違いなんじゃないかな?」

「えー、そんなことないよお。うまく言えないんだけど……外見じゃなくて、内面っていうのかなあ、私の動物占いって当たるんだよ?」

 ドラゴンの出てくる動物占いって時点で怪しいけどね。いや、ここで必要なのはそのような無粋な突っ込みではない。

 僕とだゆうちゃんが似ていない論拠をでっち上げることだ。

「あ、でもさ、その動物占いだと白子ちゃんは分からないんじゃなかったっけ」

「え? あー……うん、分かんない、かなあ」

「分からないことがあるなら、勘違いもありえるんじゃないかな。だってもう、どこからどう見たって僕とだゆうちゃんに似てる点は見つからないしさ」

 でたらめだって何だって構わない。

 僕とだゆうちゃんは似ていない、その可能性をありえるかもなと思わせられれば勝ちだ。

 永久ちゃんはだゆうちゃんに抱きつき、うーん、と唸って眉を八の字にしている。これはもう勝ったも同然、ここで駄目押しの一手だ。

「だゆうちゃんが最近出てきたがってるのは、僕とは関係のないストレスみたいなものが原因かもしれないよ」

 だから僕と遊んだってあんまり意味はないんじゃないかな。最後の一言を発する直前、いきなりに突然に白子ちゃんが立ち上がる。

「えっと……ん? 白子ちゃん、どうしたの?」

 僕から三歩ほど離れた白子ちゃんは、だゆうちゃんをまじまじと観察している。

「こいつ、トイチンしか見てねーぞ」

「……え? あー、気のせいじゃないかな?」

 実はさっきからちょっとばかり疑問には思っていた。

 確かにだゆうちゃんは、先ほどからずっと僕だけを見下ろしているのだ。気のせいだと己に言い聞かせていたが、白子ちゃんが立ち上がろうと微動だにしない視線から、もはや疑念を挟む余地はなくなった。

「ほらあ、だから言ってるじゃん。だゆうはね、トイチンが大好きなんだよー」

 うぐ、永久ちゃんを言いくるめるというやり過ごしの手段も砕けてしまった。

 そしてだゆうちゃんが明確なる意思を持って僕を見据えているのなら、どのように遊ぶか、どうやって無難にやり過ごすかという問題は小さなものとなる。

 今現在、だゆうちゃんは永久ちゃんに抱きつかれているが、だからこそ僕に向かって飛び出してこないのではないか。永久ちゃんが体を離せば、その瞬間にでも飛び出してくるのではないか。

 遊ぶ遊ばない以前に、永久ちゃんの拘束が外れた時が運命の転換期かもしれない。

 飛び出してくるのか、最悪の想定として噛み付いてくるのか、いずれにせよ白子ちゃんの両腕を傷付けないように行動しなければならない。

「ほらほら、一緒に遊んであげてー」

 だゆうちゃんに頬擦りし、ふんふんと鼻を鳴らしていた永久ちゃんが両手を広げる。

 拘束の解かれただゆうちゃんが、待ってましたとばかりに両足を前に出した。重量感のある一歩一歩で僕とだゆうちゃんの距離は詰まり、目の前に真っ黒な体が広がる。

 うわあ、でっかい。

 っていうか、こっわい。

 明らかに友好的な触れ合いを求めてないよって主張を声に出そうとするが、そびえる山みたく威圧感のあるだゆうちゃんに口を開けない。

 頭が真っ白になり、どうにでもしてくださいの心境となる。

 その時、何もかもが瞬間的に起こった。


 ぱりんとガラスの割れる音がして始まる。

「ふぇ?」

 永久ちゃんは窓へと目を向け、白子ちゃんは床に目を落としている。

 窓は閉じられ、カーテンによって外の景色を遮断していたが、薄緑色をしたカーテンが風に揺られてふわりと広がっている。

 窓が割れて風が吹き込んでいる?

「おい」

 白子ちゃんの声が上がると、床に転がっていた何かが爆発した。

 どかん、ではなく、ぶしゅー、と。

「わわわ、なになにー?」

 真っ白な煙によって視界が意味をなくす。

 床に転がっていた何かがけたたましい煙を放出して部屋を覆った。真っ白の煙はワンルームの部屋を満たし、目の前にいるはずのだゆうちゃんさえ見えなくなる。

 ん? な、何これ? どういう展開?

 中腰になって後じさりすれば、背中が壁と思しき硬いものにぶつかる。今更になって煙が目に沁み、まぶたを閉じる。

 な、何だこれ、突っ込み待ち? いや、この場合って誰がぼけたことになるんだ?

 声を出そうにも、煙が酷くて息をするのさえしんどい。

 ええっと、目を閉じて口を閉ざしてうずくまってできることって何だ? 考えることだ。

 ぱりんとガラスが割れたのは窓を破って何かが入ってきたから、何が入ってきたのかは白子ちゃんが目で追っていた。群青色っぽい野球ボールくらいの何かが床に転がっていて、それがぶしゅーっと音を鳴らして煙を噴き出した。

 催涙ガスとか煙玉とか煙幕とか、そんな感じのものが部屋を襲った?

 おおう、現実的な考えとは微塵も思えないが的外れじゃないようにも感じられる。

 はてさて、どうしよう。

 あながち誤っていないかなって回答が導き出せたのなら、次はどうしよう。見えもしない状態では両腕さえ安易に動かせない。

 一先ず煙が晴れるのを待とう。

 窓が割られたのなら密閉された空間じゃないってことだし、あれだけ勢いよく煙が噴き出したのだから逃げ道さえあれば煙は外に向かって出て行くだろう。

 時折りタイミングを見計らって薄目を開け、恐る恐る呼吸し、ひたすらに待つ。

 どれほどの時間が過ぎたのか、煙こそ漂っているものの近場のものが見えるようになってきた。呼吸をしても喉がひりつくことはなくなってきた。

 煙が薄れてきている。

 これなら声を出せるかな?

「おーい、白子ちゃん、永久ちゃん、大丈夫?」

 目の前にそびえている黒い影はだゆうちゃんかな? 白子ちゃんと永久ちゃんの姿は影としても見えない。

「おー、平気といえば平気なんだが、何だこれ? 何が起こったんだ?」

 煙が立ち込める前と変わらない位置から白子ちゃんの声が聞こえてくる。

「いや、僕にもさっぱり……煙、まだ結構残ってるね」

「窓開ければいいんじゃねーか?」

「あ、ガラスが割れたみたいだから窓に近付くのはやめた方がいいよ。反対側、玄関のドアを開けたらいいんじゃないかな?」

「あー、玄関なら何となく辿り着ける。あたしが行ってくる」

「ん、了解。気をつけてね」

 白子ちゃんが行くってことは僕が開けるってことだ。

 両腕を前に突き出して手のひらをセンサーのように意識して動かす。手触りで壁に触れたのが分かる、次いで触れたひんやりと冷たいものは壁じゃなく、玄関のドアっぽい。

 手探りで扉を開ければ、風が動くのを肌で感じた。残っていた煙が追い出され、視界が鮮明になっていく。

「あー、喉いてえ。涙ぼろぼろ出てくる」

 それは拭えってことだね?

 手の甲を自身の涙を拭うように動かせば、白子ちゃんも同じことをしてくれる。まあ、僕は床にしゃがみこんでさっさと目を閉じていたから涙は流れてないけど、いいね。

 不測の事態もばっちり、取り乱すことなく僕と白子ちゃんは協力できている。しかも、永久ちゃんには両腕が入れ替わっているのはばれていない。

 完璧、完璧だ。

 断崖絶壁を二人で登り切ったかのような満足感を胸に、万感の思いで白子ちゃんを捜す。

 玄関から戻ってきた白子ちゃんは、体を低くしている僕を見つけると唇の端を歪めて笑った。けれども笑みはすぐに消え、ぐるりと部屋を見渡す。

 ん?

 僕も倣って部屋を見渡す。

 正面にはだゆうちゃんが立っている。

 それだけだ。

 その他に人の姿はない。永久ちゃんの姿がない。

「あれ?」

「トイチンの隣の席の女がいねーぞ」

 ん、永久ちゃんって名前を覚えた方が圧倒的に効率が良さそうだね。

 いやいや、そこは置いておくとして……っていうか、それどころじゃない?

 すっかり煙の晴れた室内を見回していた白子ちゃんがベッドに目を留める。つられて見れば、ベッドにノートの切れ端っぽい紙片が落ちている。

「何か紙切れが落ちてるね」

「見りゃ分かる」

「あ、はい、すみません」

 足元のガラスに注意しつつ、もちろんだゆうちゃんには最大限の注意を払いつつベッドに歩み寄り、白子ちゃんと二人して紙切れを見下ろす。

 真っ白の紙にはマジックでこう記されていた。

『今宵0時、学校の運動場にドラゴンを連れて来い』

 ふむふむ、これは――

「……突っ込み待ちかな?」

「脅迫状じゃね?」

 はて。

 しばしの間、僕も白子ちゃんも立ち尽くすより他なかった。


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