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 幸いだったのはお互いが長袖を着ていた点だろう。

 四月の始まりということもあり、漂う風にはひんやりとしたものが混ざっている。男子の半分くらいは長袖のカッターシャツを着用しているし、女子の大半は長袖のカッターシャツに合わせてブレザーを着ている。

 僕も白子ちゃんも長袖のカッターシャツを着用していた。

 よって僕らの両腕が入れ替わっていようと、晒されるのは手元のみだ。そんな状態で昼休み明けの国語の授業をかろうじてやり過ごしたのだが、意外や意外、誰も彼も僕と白子ちゃんの変化には気付かなかった。まあ、白子ちゃんは圧倒的に避けられているというか、誰かがちらりと盗み見しようものなら舌打ち一つで追い払うので気付かれないのは頷ける。

 何はともあれ気付かれていないのであれば好都合だ。

 両腕が入れ替わるなんてとんでもマジックが衆目で露になれば、どれほどの興味津々を集めるのやら想像するだけで頭が重たくなる。

 少なくとも無難に過ごすからかけ離れた生活が訪れるのは必定ってなものだ。

 なればこそ、ばれずにやり過ごし、元の状態に戻したい。

 幸い白子ちゃんも協力――いささか協力なのかどうかを真剣に疑うレベルではあるけど――してくれるみたいだし、しからば平穏無事に過ごしてみせよう。


 全ての授業が終わり、さりげなく掃除をさぼり、下校の時間が訪れる。

 わいわいがやがやという騒々しさが教室内で爆発的に膨れ上がり、開け放たれている扉から抜け出していく。

 およそ数分で、教室内のざわめき度数は半分以下となった。

「おーい、トイチン」

 鞄を手にした為我井君が不思議そうに僕を見下ろしている。

「ん? なに、どうしたの?」

「いや、どーしたって……え、トイチン、帰らねーの?」

 ごもっともなせりふだ。

 もちろん帰りたい、すぐさま帰りたい、帰宅部の頂点は誰だってのを知らしめるくらいの勢いで帰りたいのだが、帰れない事情に満ち満ちている。

 椅子に座り、両腕をだらりと垂らし、ぼへーっとしているのには理由がある。

 このまま一人で帰ってしまったら、どうやって明日までを過ごせばよいのだろう。両腕は動かせるが、あいにく僕の動かせる両腕は白子ちゃんにくっついている。となれば、よーしと意気込んで帰宅したところで僕には何をどうすることもできない。

 トイレもお風呂も歯磨きもできないだけでなく、着替えることも、ベッドに横になって掛け布団を羽織ることさえ難しい。

 なれば必然、僕は白子ちゃんと一緒に下校しなければならない。下校しつつ、明日までの生活をどのようにして協力し合うのかを相談しなければならない。ならないのだけど、いやはや誰も彼もを完全無視する白子ちゃんを堂々と下校に誘えるわけもなく、こうして一人、教室内の生徒が減っていくのを待っているのだ。

「あー、まあ、たまにはゆっくりしていこうかな、なんて」

「ゆっくりって……はあ、そうなの?」

 怪訝そうな為我井君の隣には永久ちゃんが立っている。永久ちゃんは僕ではなく、教室の真ん中ら辺に視線を投げていた。

「あのさあ、トイチン」

「ん? なに?」

「んん、なにっていうか……すっごい見られてるよお?」

「え?」

 見られている? 誰に? 振り返らずとも答えは知れる。

 ちらと斜め後ろを窺えば、白子ちゃんがこちらを凝視していた。目つきを鋭くさせ、ほんの少し上目遣いの凝視からは怒りが迸っているようにも感じられる。

 えっと、何で怒ってるのかな?

 いつまで座ってんだとか、さっさと声を掛けてこいとか、その二人を追い払えとか、そういった感じかな?

「あ、立ち上がったよお」

 ああ、うん、立ち上がったね。これはちょっとまずいかもしれない、怒りが膨れ上がって我慢を振り切ったのかもしれない。

「お、こっち来るぞ。なんか怒ってね?」

 明らかに怒ってるね、何に怒ってるのかは分からないけど。

 両腕をだらりとさせたまま歩み寄ってきた白子ちゃんは、永久ちゃんや為我井君など眼中にも入れず、僕だけを真っ直ぐに見下ろす。

「おい、トイチン」

「あー、うん、なに?」

「さっさと帰るぞ」

 問答無用な物言いに、永久ちゃんと為我井君が顔を見合わせている。

「あー、うん、そうだね、帰ろっか」

 妙な疑念を抱かれないよう堪えてじっとしていたのに、ぶち壊されてしまった。

 今まで徹頭徹尾完全無視だった白子ちゃんが僕を下校に誘うという不可思議現象を前にし、永久ちゃんも為我井君もぽかんとしている。

 うう、疑念や興味を持たれると、お互いの腕のことがばれちゃうかもしれないのに。

「わあ、姫百合さんと仲良くなったの?」

「すげーな、どうやったんだ? さっき引っ張られた後、何かあったのか?」

 早速興味を持たれてしまったわけだが、白子ちゃんは揺るがない。というよりも、永久ちゃんと為我井君に視線さえ向けない。

 何だろう、この気まずい沈黙。

 無難にやり過ごそう。

「あーっと、共通の趣味を持っていることが発覚したから、一緒に下校しながらお喋りをしようって約束してたんだよね。ということで、僕らはこれにて」

「えー、一緒に帰ろうよお。四人で並んで下校しちゃお?」

「と、と、永久さんの言う通りだぜ。で、共通の趣味って何なんだ?」

 おためごかしの言葉は裏目に出てしまった。

「いや、それは、ええっと」

「おい、さっさと帰るぞ」

 しかも白子ちゃんは周囲のことなど意にも介さない。

 これは……まずい。

 こうなれば、最終手段しかない。

 思いのほか早く最終手段に到達してしまったけど、玉響先生の授業をぼへーっと聞き流しながら、ちゃんと考えていたのだ。

 必然的に僕と白子ちゃんは側にいるのが好ましい。そこに白子ちゃんが僕を引っ張って連れ立った要素を鑑み、最後の手段を用意していた。その手段についても相談しようとしていたのだけど、こうなってしまったら仕方がない。

 一か八かだが、まだ相談前だが、やるしかない。

 立ち上がり、両腕で白子ちゃんの左腕にすがりつく。見た目的に、白子ちゃんが僕の左腕にすがりついた格好となる。

 永久ちゃんと為我井君だけではない、教室に残っていた生徒のぽかんとした視線が集まるのを肌に感じつつ、はっきりと言い放つ。

「実はさっき、姫百合さん改め白子ちゃんに告白されたんだ」

 これぞ最終手段、強制的に二人一緒でも不自然ではない体裁を作り出す。さすれば二人でお昼ご飯を食べていようと一緒に行動していようと、あらあら仲の良いことね、という視線を浴びるのみで現状をやり過ごすことができる。

 お互いの両腕が入れ替わっちゃったという奇異なる展開を晒すことなく、学校生活を平凡にやり過ごすことができる。

 ただ、まあ、一つ問題があるとすれば、それは――

「ああ? 何だと?」

 僕の左腕をぎゅっと抱き締めている格好の白子ちゃんに他ならない。

 間近で上目遣いに睨まれて途方もなくおっかない。いやいや、違うんだよ、こうすれば万事学校生活はやり過ごせるんだよ、それを相談しようと人気がなくなるのを待っていたのに白子ちゃんがぶち壊しちゃったから一か八かの賭けに出る羽目になったんだよって視線で訴えるも効果は見られない。

「きゃあ、ほんとー? わあ、姫百合さんがトイチンに?」

 永久ちゃんが楽しげに両手を合わせ、指先のみをくっつけては離すを繰り返す。

「は? まじかよ、さっき連れ出された時か? そういうことだったのか?」

 為我井君は信じられぬとばかりに僕と白子ちゃんを交互に見ている。

 さて、白子ちゃんの左腕がわなわなと震えるのをどうにかしないと物理的に危ない。

「えっと、ほ、ほんとだよね、白子ちゃん。で、僕はオッケーしたから、しばらく仲良く一緒に過ごそうってことになったんだよね」

 うう、白子ちゃん、僕の意図に気付いてください。祈りを込めて、両腕にぎゅーっと力を込める。

 ざわつく教室の空気が何をもたらしたのか、果たして白子ちゃんはうっすらと笑った。唇の端っこを吊り上げての邪悪っぽい笑みがとてつもなく怖い。

「ああ、そうだったそうだった。そうだそうだ、あたしはトイチンに告白したんだ」

 永久ちゃんと教室に残っていた女子が、きゃー、と甲高い声を上げる。ええっと、だいぶ棒読みで随分と怖い笑みが浮かんでいるのは僕の錯覚だろうか。

 勝手に僕の右手……じゃない、白子ちゃんの右手が動き、白子ちゃんの頬を撫でる。

「どーやらトイチンもあたしのことが大好きだったらしく、良かった良かった」

 ん、まるで目が笑ってないね。

 教室は下校の瞬間を迎えた際の騒々しさを遥かに越えるざわめきに満たされたものの、僕と白子ちゃんは寄り添って一緒に帰ることに成功した。


「あー、えっと、そのー、すみませんでした」

 はやし立てられつつ校門を抜け、周囲に生徒の姿がなくなったのを確認して両腕を離す。

「ああ? どーせ一緒に過ごすしかねーんだ、悪くねーんじゃねーの?」

「あ、だよねだよね? あはは、ほんとは事前に相談するつもりだったんだけどね。ほら、いきなり白子ちゃんが詰め寄ってくるものだから、ぶっつけ本番でやるしかなくって」

「は? あたしが悪いって言ってんのか?」

「いえ、言ってません。ちっとも。ごめんなさい」

 白子ちゃんと並んで歩きつつ、まだまだ溜まっている相談事を消化する。

「でさ、これからなんだけど……学校生活は、とりあえず二人一緒にいても不自然じゃない状況が作れたよね」

「周囲の奴らがくそうざいけどな」

「……あー、えっと、それでさ。次に決めなきゃならないのは、これから明日までの過ごし方だと思うんだよ」

 そう、もっとも重要なのは学校での過ごし方じゃない、家での過ごし方だ。

 しかして白子ちゃんは気楽に肩を竦める。

「あたしの家に泊まればいーだろ」

「……………………」

 ん? えーっと、それはいいのかな?

 ちらと隣を窺うも、白子ちゃんは仏頂面で不機嫌そう、好意的な歓迎をされているわけではないんだろうな、と一目で分かる。

「えーっと、でもさ、家族とかは? 両腕のこと、ばらしちゃう感じ?」

「トイチンが言ったことだろ、あたしが宇宙人である証拠を見せろってやつ。選択肢としてはお互いの家に泊まるしかねーんだし、それならあたしの家に泊まって、あたしのことを宇宙人だって言ってる母親に話を聞くのが手っ取り早いだろ」

「あー……そっか、そういうこと」

 両腕が入れ替わってしまった、その根本原因がどこにあるのかはさっぱり分からないものの、手掛かりは白子ちゃん宇宙人説だ。その説を唱えているのが白子ちゃんのお母さんなら、直接話をしてみようと。

「でも、その……いきなり両腕が入れ替わっちゃいましたって説明して、お母さんって大丈夫? いや、悪く言うつもりはちっともないんだけど、いきなり病院とか、そういったことになっちゃったら……」

 無難な生活は急転直下で終わりを告げてしまう。

 ふん、と白子ちゃんが鼻を鳴らす。

「そーいうことにはなんねーよ、あの人は……そういうのに慣れてるだろうからな」

「そう、なんだ?」

 口を閉ざしてしまった白子ちゃんは答えてくれず、しばらく無言で歩くことになった。

 そうして徒歩約三十分で白子ちゃんの家に到着する。白子ちゃんの家は名前も真っ青な真っ白い家で、見るからにお金持ちというか、ブルジョワジーを感じさせる出で立ちをしていた。

 まず門がある。まあ、門といっても人一人が抜けるだけの門だけど、一戸建ての真っ白い家の門となればどうにもお金持ちっぽい。しかも扉を抜ければ綺麗に磨かれてぴかぴかしている板張りの廊下、二階へと続く階段も板が輝いているかのようだ。

「わあ……お邪魔しまーす」

 何となく圧巻されながら上がり込めば、リビングと思しき部屋に通される。背の高いテーブルに椅子が四つあり、その一つに黒髪の女性が座っていた。

「ただいま」

 ぶっきらぼうな白子ちゃんの声に、女性が振り向く。

 年の頃は二十歳くらい? 白子ちゃんが成長したらこんな感じだろうなって女性は、僕を見るなり目をまん丸にする。

「おかえりの前にどーしちゃったの白子ちゃん。ちょっとちょっと何で白子ちゃんが男の子なんて連れて帰ってきてるのかしら」

「は? どーだっていいだろ、それより聞きたいことがあるんだよ」

「いえいえ私の疑問の方が先決でしょ何で男の子と一緒なの。友達? 彼氏? 後者だったら今すぐパパに電話して帰ってきてもらうわよ」

「何でだよ、うるせーな。彼氏だよ彼氏、今日から付き合ってんだよ」

「ちょちょちょっとほんとなの? 今日からって何よ告白されたのしたのどっち?」

「どっちでもいーだろ、ちょっと黙れ、聞きたいことがあるって言ってんだろ」

「ちょちょっとママに何て言い草なのひどいじゃない辛辣さで老けちゃうでしょ」

「あー、うるせー、ったく会話にならねーな」

 という一連のやり取りが瞬く間に展開されて僕としては唖然とするより他ない。

 あー、お母さん、なんだあ。うーわ、若い上に綺麗な人だなあとか、いやーちょっと早口過ぎて聞き取れないなーとかはどうでもいいとして、どうやら嫌気が差したらしい白子ちゃんが両腕を前に突き出す。

「わわわ何よ何よ彼氏が威嚇のポーズを取ったわよ何なのよ」

「ちげーよ、こっちはあたしの腕だ」

 白子ちゃんが目配せをしてきたので、なるほどと僕も両腕を前に突き出す。話が進まないのでいきなり説明しちゃおうってことらしい。

「ちょちょちょなになになに白子ちゃんまで威嚇のポーズって何それはやってるの?」

「いーから黙って聞けよ、こっちはトイチンの腕だ」

「ええええちょちょっといきなり帰宅した白子ちゃんが彼氏とか言い出して二人して両腕前に出してトイチンとか言い出しちゃったんだけど何これ反抗期なの?」

 止め処なく続きそうな女性改めお母さんの言葉がぴたりと止まる。

 気付いたのだろう、僕の両手が真っ白で小さいことに。白子ちゃんの両手が僅かばかり肌色で白子ちゃんとは不釣合いに大きなことに。

 僕らの両腕が入れ替わっているのは、しっかりと目視すればたちどころに分かる。白子ちゃんを見慣れているであろうお母さんにしてみれば、それこそ瞬く間だろう。

「分かっただろ? あたしとトイチンの両腕が入れ替わっちゃったんだよ。その理由と、元に戻す方法を知らねーかって聞きたいんだ」

 しんとしてしまった空気をどうしたものか、取り分け真面目っぽい気配は苦手なのでお茶を濁すように笑ってみようかしら。けれども、それより早くお母さんが笑う。唇の両端を吊り上げて口元だけで笑うような、邪悪っぽい笑みが浮かぶ。

「あららら大変ね大変なことになっちゃったわねそれってどうなってるの? 何が原因でそんなことになっちゃって両腕はどういう感覚になっちゃってるの? どこまでが入れ替わっちゃったの?」

「右手を触れ合わせたら右手が、左手を触れ合わせたら左手が入れ替わったんだよ。あたしが腕を動かせば、トイチンにくっついてるあたしの動く。手触りやら何やらはそのまま、あたしの手が触れたものはあたしに伝わってくる」

「あららららそれは大変ねまともに生活できないじゃないの。それで? 手はどこまでが入れ替わってるの?」

 はて、どこまでだろう。何となく両腕が入れ替わっているのは感覚で分かるが、正確にどこまで入れ替わっているのか、目では確認していない。

 白子ちゃんも同様らしく、肩を竦めた。

「じゃあ二人ともシャツを脱ぎなさいよ確認してあげるから」

 おおっと、まさかの展開が訪れてしまった。初めて女の子の家に招かれてお母さんに服を脱げと進言されるという思いもしない展開が来てしまった。

「ったく、仕方ねーな」

 しかも白子ちゃんはあっさり納得してしまった。

「えっと。あ、え、脱ぐの?」

「はあ? 脱ぐんだろ、どうなってるのか気になるじゃねーか」

「あー……うん、まあ、そうだね」

 ということで白子ちゃんと向き合う。

 カッターシャツを脱ぐ際にはどのようにするか? それはもう慣れたもの、両手でボタンを外して脱げばいいのだけど、お互いの両腕が入れ替わっている今、慣れている手順は踏めない。

 手っ取り早いのは、向き合ってお互いに自分の手でボタンを外す方法だ。

 僕の両手は白子ちゃんから伸びている。その手で僕は自分のボタンを外す。白子ちゃんも同様に自分のボタンを外す。決して妙な手順ではない、お互いに自身のシャツのボタンを外しているだけなのに、傍目には服を脱がし合っているように見えてしまう。

 とどのつまり、ものすごく照れくさい。

「あらあらあらどうしたことかしら白子ちゃんがトイチン君の服を脱がしているように見受けられるし逆もまた然り娘の成長が喜ばしいような複雑なようなちょっとパパに電話しようかしら写真に残そうかしらお茶でも沸かそうかしら」

「あー、うっせーぞ、妙な実況すんな」

 ボタンを全て外せば、お互いのカッターシャツは真ん中から開かれてふわりとはためき、シャツの下にある素肌が露になる。僕はなまっちょい胸からお腹までをそのままに、白子ちゃんはブラジャーと呼ばれる真っ白な下着を身に着けている。

 おお、鼻血が出るかもしれない。割と本気で鼻血が出そうな気配がする。

「おい、ちょっと両腕上げろ、万歳だ万歳」

「え、あ、うん、任せて」

「何をだよ、さっさと上げろ」

「はい、すみません」

 僕が万歳をすれば白子ちゃんが万歳の格好になる。そして白子ちゃんの両腕が白子ちゃんのシャツを引っぺがす。

 同じ手順で僕もシャツを脱ぎ、目視にて状況を確認する。

 白子ちゃんはやっぱりというかシャツの下、素肌も真っ白だ。ブラジャーは少しばかりの膨らみを見せていて……って違う、目視で確認するのはそこじゃなかった。両肩の付け根辺りから、白子ちゃんの肌の色は変わっていた。

 それはつまり、両肩の付け根辺りから下が、僕の両腕になってるってことだ。

 目にしてみると不思議な感じというのか、白子ちゃんの肌はおよそ真っ白なのに、肩の付け根から肌の色が変わり、産毛の生えた両腕が伸びている。僕と白子ちゃんでは体の作りがそもそも違うので、だらりと下げている僕の手の先は白子ちゃんの股の下辺りまで垂れている。

 おー、歪というか不自然というか、手先の感触だけでは得られなかった明確なる違いがはっきりと見て取れる。

「あらあらまあまあきっかりくっきり入れ替わってるみたいね。つなぎ目でもあるのかと思ったらそんなものもなくて綺麗に融合してる感じかしら」

「はあん、こうやって目にすると妙な感じだな。あたしの腕がトイチンの体にくっついてる、入れ替わってるってのが良く分かる」

「両腕ってのが大変よね右手を触れ合わせちゃって入れ替わっちゃったのにどうして左手までやっちゃったの? 片腕だけならまだ何とか生活できたかもしれないのに」

 白子ちゃんがじーっと僕を見据えている。うん、まあね。そこはね。

「僕が提案しました」

「まあまあまあそれは両腕入れ替えちゃったら一緒に生活できるぞきゃっほーみたいな邪さから出て来た提案なのかしら?」

「いえ、いえ、そんなことはありません。僕はただ、現状を打破しようと、元の状態に戻る手段を探ろうと切磋琢磨した次第です」

「結果最悪の事態になっちまったけどな」

 滅相もありません、じゃなかった言葉もありません。

 うう、無難を好み、平凡な生活万歳ってな僕がこのような失態を犯してしまうとは、いやはや人生ってのは居た堪れない。

 決してわざとじゃないんですとどれだけ弁解をしようが、白子ちゃんの不機嫌そうな表情は変わらないだろうし、お母さんの興味津々的な、身を乗り出してしげしげと観察している姿は変わらないだろう。

「で、だ。こんなことになったのは、あたしが原因だと思ってるんだよ」

 白子ちゃんは厳しい視線をまるで変えず、お母さんに向き直る。

「あたしが宇宙人だってのは、そりゃーしつこく言い聞かされたからな。母さんなら何か分かるんじゃねーの?」

「いやいやいや知らないわよ何も分からないわよ」

「……………………」

 ん、びっくりするくらいの早口で手掛かりが消えたね。

「え? 何も知らねーの?」

「当たり前じゃないの白子ちゃんが宇宙人なのは確かなことだけどそれが何でこんなことを引き起こしてるのかなんてさっぱり知らないわよ」

「くっそ、あてが外れたか」

 舌打ちを放った白子ちゃんはさておき、いやいや、もっと注目すべき点がある。

「えっと、あの、ちょっと質問なんですけど」

 僕が手を上げれば見た目的には白子ちゃんの手が上がる。あーもう、煩わしい。

「え何かしら彼氏ことトイチン君?」

 トイチンクンって香草みたいですよね、とか言ったら怒るかなあ。という思いつきが浮かぶも、まず間違いなく白子ちゃんが怒るので言わないでおこう。

 下手な冗句は禁物だ。

「いえ、そのー……白子ちゃんって、宇宙人なんですか?」

「ええそうよ白子ちゃんは宇宙人よ?」

 お母さんはきょとんとした顔、白子ちゃんはふむふむと頷いている。えー、何それ、何その僕が変なこと聞いてるみたいな風潮、不安になるのでやめてください。

「いや、でも……そうは見えないっていうか、どの辺が宇宙人なんですか?」

「どの辺ってそりゃ見た目は人間と何ら変わりないでしょうけどそれは私が人間になったからであって元々宇宙人の私が産んだ子なんだから宇宙人なのは当然のことだわ」

 ええーっと? 早口なので情報の整理に時間が掛かる。

 白子ちゃんは宇宙人、それはお母さんが宇宙人だったから。でもお母さんは人間になって、そのお母さんが産んだのだから白子ちゃんは宇宙人?

「え、それっておかしくないですか? 白子ちゃんのお母さんが元々宇宙人だったのはともあれ、人間になって白子ちゃんが産まれたんですよね? なら、人間のお母さんが産んだ白子ちゃんって人間じゃないんですか?」

 っていうかお母さんって元々宇宙人だったの? っていうか人間になったってどういうこと?

 ああ、頭がパンクしそう、どういうことなのかさっぱり分からない。

 白子ちゃんの右手ががっしがしと僕の頭を掻き毟る。

「あー、何かわけ分かんなくなってきた。ちょっと一から説明しろよ」

「まあまあまあママに向かって酷い言葉遣いね。八歳児くらいの頃はママーママーって可愛くじゃれついてきたのにこれって反抗期なのかしら」

「いーから、ちゃっちゃと説明しろよ」

 はあ、とお母さんは深くため息を吐き、空いている椅子を引いた。

「分かったからとりあえず座ったら? 半裸で突っ立ってる姿はママとして正視しがたいものを感じるから」

 まあ、仰るとおりだ。

 僕と白子ちゃんはお互いに協力してシャツを羽織り、空いている椅子に腰を下ろし、ぐっと体を乗り出してお母さんと向き合う。

 お母さんは一つ咳払いをしてからつらつらと述べる。

「元々私は宇宙のとある場所で暮らす生命体だったのだけれど一つの目的を持って地球にやってきたの。私の暮らす星では一つの求められているものがあったんだけど色んな星に使者を送って目的のものを見つけようとしていたのね。私は使者として地球にやって来て宇宙人の形態を崩さずに生活をしていたんだけど物陰からこっそり見掛けたパパに一目惚れしちゃってもうこれは結婚するしかないわ人間になるしかないわってことで人間になって産まれた愛の結晶が白子ちゃんなのよ」

 早口過ぎてさっぱり聞き取れないのですが、どうしましょう。音の羅列というのか、もはや言葉として頭が受け止めてくれないくらいに早口でちっとも事情が分からない。

「人間になった私から産まれた白子ちゃんはそりゃ確かに見た目こそ人間と変わりないけど私の遺伝子を受け継いでいるから宇宙人としての性質も残っているのね。そして私も人間になったとはいえ完璧になれているかと言われたら疑問符が浮かぶくらいの中途半端な状態だからやっぱり白子ちゃんはどうしたところで宇宙人なのよ」

 情報の整理が間に合わない僕をよそに、ひょいと僕の右手、白子ちゃんの右手が上がる。

「あたしが宇宙人の子ってのはいいとして、母さんのそれは何だよ? 宇宙人なのに人間になったって、その辺が意味不明だろ」

「あらあらそれはあれよ私たち生命体は思想を体現化して過ごす種族だから人間になりたいって願えば人間になれたのよ。空想現実化って言葉がぴったりなのかしら思い描いたことを現実にできるのだけどそもそも人間ってどういう種族なのかしらって知識が曖昧だったから私の思い描いた人間っていうのも曖昧でだからきっちりちゃんと人間になれてるのかは甚だ疑問ってところなのよ」

 ううん、お母さんの声が呪文にしか聞こえない。しかして白子ちゃんは聞き取れているのか、うーむと首をひねっている。

「母さんたち宇宙人は、夢を現実にできるってことか?」

「まあそうね夢っていうとロマンチックだけど本当のところはもっと切実に一つの望むべき願いを叶えるっていうか種としてではなく個々として一つの理想を実現することで発展を目指すっていうのが私たちって感じかしらね。もちろん干渉できない部分、空想現実化では実現できないものもあるのだけど幸い私の願いは叶えられたわね」

「そんで人間になったのか」

「そうねそうね私ってばパパにべた惚れだったからもうパパと一緒になるためだったら何でもしたいって感じだったから人間になって愛される存在になって愛し合ってそれはもう夢のような日々を送ったわね」

 ええっと、もはや完全な置いてけぼりだ。お母さんは早口過ぎて何を言っているのかさっぱり分からない。

 ううむ、と唸る白子ちゃんの心情も何とやらだ。

「白子ちゃんにはこの辺のことはちっとも説明してなかったものね驚いたかしら?」

「いや、驚いたっつーか……どーでもいーけど……とにかくそういうあれやこれやがあってあたしが産まれたってのはいいとして、あたしにも宇宙人っぽさってのは遺伝されてるのか?」

 会話の成り行きは不明ながら、お母さんがぱちんと両手を打ち合わせる。

「ああそういうことかしら。お互いの両腕が入れ替わっちゃうなんて宇宙人だった私の空想現実化が原因になってるとしか思えないわ。私の空想現実化が白子ちゃんに伝わって白子ちゃんは空想現実化を用いて両腕を入れ替えちゃったんじゃないの? そんなことが可能かどうかなんて知らないし何で白子ちゃんがそんなことをしようと思ったのかはさっぱり分からないけど」

「……あたしの、空想現実化か」

 隣の白子ちゃんがどことなくしんみりとした様子でぽつりと呟く。

 空想現実化?

 何その単語、ちょっと楽しそう。

「ま、そんだけ聞き出せればいーか。結局、母さんだと分かんねーってことだしな。んじゃ、トイチンはうちに泊まるから、よろしく頼むぜ」

「えええちょちょちょっと本気なの? 付き合いだして一日目でお泊まりする気なの?」

「仕方ねーだろ、どっちかの家に泊まるしかねーんだよ」

「ああまあそうねそうねお風呂もトイレも一人で行けないものねママは忙しいから白子ちゃんの面倒なんてとても見られないしじゃあトイチン君にお願いしようかしら」

 と、何やら僕の名前が出てきたのは分かり、お母さんにじっと見つめられる。

 早口過ぎてちっとも聞き取れなかったが、何かをお願いされたらしい。まあ、とりあえず無難にやり過ごそう。

「あ、はい、任せてください」

 お母さんはきょとんとしたが、白子ちゃんと全く同じタイミングで口元を歪め、くっくと潜めた笑みをこぼした。

 うん、二人とも笑い方が怖いね。


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