終わり
終わった後のあれやこれやは流れるようにして過ぎ去った。
白子ちゃんのお母さんはルールに従い、一切聞き取れない超早口で愚痴らしきものをこぼしながらとぼとぼと帰った。
玉響先生から白子ちゃんのお父さんへ連絡が入れられ、事態は終結した。と聞かされた。
「……はあ。お父さんって結局姿を見せなかったね」
崩れ果てた玄関前でぽつりと呟けば、玉響先生が小さなため息を交えて教えてくれる。
「それだけ立場が上なのでしょう。上に行けば行くほど、人前には出て来ないものです」
「あ、そういうものなんですか」
「そーいや、あたしも父親の顔はほっとんど見たことねーな」
えっと、家族の前にまで出て来ないってのは別問題じゃないでしょうか。
ともあれ柚子柚ちゃんを標的とした争いは、一応の結末を迎えた。
それから玉響先生に連れられて病院に行き、全治二週間と診断されました。おおう、振り払われただけで全治って前置きが付いちゃったよと驚きつつ、そういえば今日は日曜日だったんだよなあという感慨に耽る間もなく、お休みは終わった。
明くる月曜日、右腕骨折によるギプス装着というアドバンテージによって僕はほんの少しもてはやされたものの、昼休みには騒ぎなどなかったかのように収束していた。
「転んで骨折って、おっちょこちょいな奴だなあ」
焼きそばパンを頬張る為我井君にあははと笑って応じる。
「カルシウム不足が祟ったのかな。結構簡単に折れちゃってびっくりだよ」
「あ、トイチン、牛乳買ってきてあげよっかあ?」
ドーナツを齧る永久ちゃんが空いている片手を上げると、すかさず為我井君が前のめりになる。
「と、と、永久さんのお手を煩わせる事案じゃないっすよ、俺が行きます!」
焼きそばパンを片手に握り潰し、為我井君はダッシュで教室を飛び出した。
ええっと、僕って弁当だし米だから牛乳はいらないよっていう言葉はもうちょっと早めに言った方が良かったのかな。
どうしよう、戻ってきた為我井君にいらないとは言えないし、ほんとにどうしよう。
「あららー、為我井君はいつだって一目散だねえ」
まあ、第三者的な視線から見れば永久ちゃんに関することのみなんだけどね。
左手で弁当箱を開き、愕然とする。
えー、僕が骨折して右手が使えないって分かってるのに母親作の弁当はいつもと何ら変わりない。丸きり箸を使うことを前提としたおかずの数々はいいとして何で今日に限って豆ご飯なんだろう。
ううん、もうちょっと僕のことを気にした方がいいよ、と喧嘩でもしてみようかしら。
「あれ、トイチンって右利きだよねえ? お弁当、食べにくくない?」
「ん、まあ……非常に食べにくいところではあるね」
せめてフォークを入れてくれれば……と思うも、これって僕が悪いのか。そう言えば良かっただけなのに、何ら要望を伝えなかった僕が悪いんじゃない?
争いやら喧嘩やらを始める前に伝えればいい。
おお、すごい当たり前のことに今更気付いた。
「私が箸使って食べさせてあげよっかあ?」
「へ? あー、いや、大丈夫。左手があるから」
「そう?」
ん、永久ちゃんがどうこうっていうことではなく、女の子に食べさせてもらうっていうのはひたすらに恥ずかしいからね。教室でそんなことをすれば、どれほどひやかされるかっていうのは白子ちゃんとの擬似お付き合いで経験している。
左手で箸を持ち、おかずを突き刺して口に運ぶ。まるで子供みたいではあるが、今日のところは仕方がない。
明日からは右手が使えなくても食べやすい弁当の作成を依頼してみよう。
もぐもぐと口を動かしていたら、後ろの席で椅子の音が鳴る。さすがは為我井君、永久ちゃんのためとあらば行動が迅速だ。
飲み下して振り向いたら、そこには白子ちゃんが座っていた。
「おう、トイチン」
「あ、白子ちゃん。どうしたの?」
白子ちゃんは為我井君の席に座り、不機嫌そうな顔でチョコレートの包装を破っている。
「あ? 別にどーもしねーよ、世間話に来たんだよ」
「わあ、白子ちゃんだあ。一緒にお昼って初めてだねえ」
ん、当たり前のように無視だね? ええっと、無難に対応しよう。弁当箱を為我井君の席に置き、後ろを向いて白子ちゃんと相対する。
「あ、世間話ね。えーっと、お母さんってどう? 昨日、帰ってから大丈夫だった?」
「ああ、すっげー口出してきてくそうざかったが、それ以外は特に何事もなかったな」
「うう。白子ちゃーん、さらっと無視しないでよお」
永久ちゃんが身を乗り出すも、白子ちゃんは一瞥もくれず、しれっと僕を見据えている。
「口出しって……えと、柚子柚ちゃんのこと?」
「そーだな。ルールに則って自分だと手出しができねーから、あたしにやれってさ」
「だ、駄目だよー、断ったよねえ?」
白子ちゃんはあたふたする永久ちゃんを無視してチョコレートを齧っている。えー、何このめんどくさい世間話、気まずい以上に緊迫感が半端じゃない。
「えと。あ、白子ちゃんは柚子柚ちゃんを狙ったりしないよね?」
「は? ったりめーだろ、あたしは母さんの目的なんてどーでもいい。母さんは母さんでルールを破る気はねーみたいだし、一先ず成金女は安全なんじゃねーの?」
そうなると柚子柚ちゃんの件も解決、様子見に落ち着いたってことか。
「で、だ。昨日の喧嘩の最中、母さんがドラゴンを知ってるみてーに言ってたから、暇潰しに聞いといたぜ」
「………………うん?」
ええっと、そんなことを言ってたっけ? という疑問が轟く勢いで浮かぶも、言ってたとしても聞き取れなかったんだろうな、と自己解決に至る。お母さんが喋る度に、皆してちらちらと白子ちゃんを見てたしね。
「わあ、だゆうのことー? なになに、知りたーい」
白子ちゃんはチョコレートをぱきっと軽妙に鳴らし、眉をひそめる。
「トイチンって右利きだろ」
「ふぇ? あ、うん、そうだね」
「えー、だゆうの話はどこ行っちゃったの?」
何だろう、もしかして僕が知らないだけで白子ちゃんと永久ちゃんには何か確執めいたものがあるのだろうか。
白子ちゃんは気にする素振りも見せず、僕の左手から箸を奪い取る。
「食いにくいだろ、協力してやるよ」
「えっと? ん?」
弁当箱からおかずをつまみ、僕の口元に持ってくる。
ええっと、とりあえず周りから黄色い歓声めいたものが上がるも、白子ちゃんはしれっとした態度を崩さない。
「ほら、口開けろよ。押し込むぞ」
あ、それは困る、ミートボールだから押し付けられるのは非常に困る。
口を開ければミートボールが放り込まれ、すぐさま豆ご飯が追随してくる。ん、ちょっとペースが早いね。
ぱくぱくもぐもぐ、咀嚼で精一杯の僕を置いて白子ちゃんが続ける。
「あー、何だっけか。ああ、ドラゴンか。あれはやっぱ空想現実化らしーぜ。母さんの故郷に新たな生命を誕生させるってのを望んだ変な奴がいるらしくて、そいつが今も引っ切り無しに、宇宙のあちこちで生命を誕生させてるんだとよ」
新たな生命の誕生を宇宙のあちこちで? ははあ、途方もない願いだ。それさえも願えば実現してしまうというのも、途方がない。
必死に飲み下し、次のおかずが来るまでの一瞬を狙い澄まして問い掛ける。
「何で体の中に産まれるのかな」
「安全だからじゃねーの? ここなら一人で産まれてきても何とかなるが、誰もいねー未開の星でぽっつり一人で産まれるってのはしんどいだろ」
「ん。そっか、そうかもね」
ちらと永久ちゃんを見やれば、満足気な笑みを浮かべてお腹を撫でている。制服に隠れているので見えないが、だゆうちゃんがこっそりと顔を出しているのかもしれない。
他の星のことは知らないけど、地球で新たな種が産まれるに適しているのが人体だったのかな。分かるような分からないような、けれども永久ちゃんの笑顔を見れば、どっちでもいいかなという答えに落ち着く。
弁当箱は、次々と繰り出される箸により数分で空っぽになった。
左手で片付けていると、白子ちゃんが立ち上がる。手にはまだ半分くらいのチョコレートが残っている。
「ん。あ、世間話って終わり?」
「あ? ああ、終わりだな。右手が不便だったら呼べよ、協力するから」
うん。うん?
あれ、やけに優しい? もしや世間話っていうのも、右手が使えなくて四苦八苦してた僕を手助けするための口実だったりするのだろうか?
何だろう、とてつもなく気になる。
「あ、あのさ、白子ちゃん」
「んだよ?」
「え。いや、有難うっていうのと、すごい優しいのが気になって」
白子ちゃんは周囲の聞き耳も気にせず、しれっと言う。
「今のトイチンが戻ってきたことだし、色々と調べたんだよ。協力し合う、他の女は敵、いつでも一緒とか、そういうもんなんだろ?」
ええっと、何のことだかさっぱり分からない。
「あの? それって何について調べたの?」
「は? 恋人に決まってるだろ」
おー、と教室内が放課後を連想させるくらいにざわつく。いやいや、僕の心臓はそれ以上にざわついている。
「えっと……あー、いや、その……」
「トイチンはあたしが好きなんだろ? ま、今一つ調べきれてないが、実践を組み込みつつやっていこーぜ」
ええっと、教室内で拍手が沸き起こるも、どう反応すればいいのだろう。
白子ちゃんは一切合切を丸きり気にもせず、すたすたと自席に戻り、残りのチョコレートを噛み砕き始める。
ん、何だろう、とびきり恥ずかしい。
白子ちゃんとは一緒に艱難辛苦を乗り越えた仲、現状よりも遥かに恥ずかしい場面は何度も経験しているはずのに、今の恥ずかしさは何時までも鮮烈に残りそうな気がする。
下敷きで火照った顔を扇げば、永久ちゃんがお腹を抱えて笑い出す。
「あっはは、私って白子ちゃんの敵なんだあ。ふくく、おもしろい、白子ちゃんっておもしろーい」
「……ん。そうだね」
危ない危ない、そこが良いよね、と口を滑らせるところだった。
一頻り笑った後、永久ちゃんがにまにまと白子ちゃんを振り返る。白子ちゃんはいつもと変わらない不機嫌そうな表情ながら、笑った時よりは怖くないのだから不思議なものだ。
「んー、私の動物占いってさあ、結構当たるんだよねえ」
「え? ええっと……」
永久ちゃんから動物占いを聞いたのは白子ちゃんと両腕が入れ替わった日だから、この永久ちゃんとは話していないんだっけ?
「僕がドラゴンで永久ちゃんはカンガルー、為我井君は鷹だよね」
「そうそう。玉響先生は蟻で、柚子ちゃんは狼、白子ちゃんのお母さんは鯨だねえ」
「ううん、そうなんだ?」
玉響先生は蟻かあ、言っても怒らないだろうけど辛辣な言葉が返ってきそうだな。
「それでねえ、白子ちゃんだけが何なのか分からなかったんだけど、やっと分かったよ」
「え、ほんとに? 何なの?」
「白子ちゃんはねー、お姫様だよ」
「……………………」
あ、突っ込み待ちかな?
どのように突っ込んだものかと逡巡している内に、永久ちゃんが笑いをこぼす。
「信じてないでしょー。ほんとだってば、人間だから分かりにくかったんだよ。白子ちゃんはお姫様で間違いないよー」
おおう、間違いないとまで言い切れるって結構すごい。是非とも玉響先生にはっきりきっぱりと伝えてもらいたい。
そう思った直後に玉響先生が教室に入ってきて心臓が止まりそうになる。
大丈夫、うっかり言葉に出したりはしていない。
しかして昼休みの終わりまでは数分ほど残っているのに、どうしたのだろう? 玉響先生が教壇に立つまでの間、そそくさと教室に入ってきた為我井君が席に座る。
「あ、為我井君、遅かったね?」
「お? おう、廊下を全身全霊の全力ダッシュしてたら先生に捕まっちまってさ」
為我井君は身を乗り出し、ひそひそと続ける。
「走っている理由を聞かれて、牛乳を買いに、って言ったら職員室に直行でまじ怒られだよ。すり潰すとか引き伸ばすとか散々に言われちまった」
ああ、玉響先生に捕まったんだね。ご愁傷様という言葉しか浮かんでこない。
「そんなわけで、トイチンの牛乳はゲットできなかった」
「あー、うん、全然気にしてないよ」
むしろ感謝してるよ、というのは伝えないでおこう。
ひそひそ話と同様、教室内のあちらこちらで発生していたお喋りは玉響先生の登場によって静まっていく。まだ昼休み中とはいえ、教卓に両手を置き、教室内を見回す玉響先生にはそれだけの威圧感が備わっている。
「ほぼほぼ全員、集まっていますね」
玉響先生が静かに言い放てば、教室内にいた他のクラスの生徒が慌てて教室を出て行く。
「まだ昼休みの途中ですが、一つ連絡事項です。来週から転校生が来ることになりました。今日、手続き等の関係で学校に来ていましたので、紹介だけ先に済ませたいと思います」
転校生?
ざわめきが教室を満たしていく。
玉響先生が一歩左に、それを合図として教室に入ってきた女の子の姿に反応し、ざわめきは一息で歓声へと移り変わった。
金色の髪を揺らして颯爽と玉響先生の隣に立ったのは、柚子柚ちゃんだ。
あー……そういえば同い年って言ってたっけ。
口笛やら歓声やらで騒々しさが臨界点を超えれば、玉響先生が静かにため息を吐く。
「静かにしてください。もぎ取るぞ」
おー、と歓声を上げたいくらいに、教室は一瞬にして静けさを取り戻す。
「自己紹介をお願いします」
玉響先生に促され、柚子柚ちゃんが顔の前で手のひらをひらひらさせる。
「こんにちはー、籐堂柚子柚、超大金持ちの令嬢だよ? このクラスにお友達がいるから、ここに通いたーいって言ったら通っちゃった。よろしくー」
えー、そんな理由が通っちゃうの?
教室内が笑いで満たされるも、少なからず事情を知っている僕としては素直に笑えない。ええっと、今のはきっと建前的な冗談で、本当のところは別にありそうだ。
玉響先生がちらりと僕、次いで永久ちゃん、最後に白子ちゃんへと視線を送る。
「籐堂さんは学校内でも護衛が必要と判断されるほど、非常に大金持ちで影響力が大きい家の令嬢だそうです。ご家族の心配により、仲の良い友人がいるこのクラスへと編入することになりました。来週から登校しますので、仲良くしてくださいね」
どれだけ感動したんだってくらいに拍手が鳴り響き、中には立ち上がっている男子の姿まである。よもや教室でスタンディングオベーションを拝めるとは思いもしなかったが、翻訳作業が忙しいので参加はできない。
えーっと、翻訳するとこんな感じかな?
学校内での警護が必要になるほど柚子柚ちゃんに危険が迫っている、或いは迫る可能性が秘められている。用心した機関、というより白子ちゃんのお父さんは、お母さんを負かした生徒のいる教室へ、柚子柚ちゃんを通わせることにした。来週から登校させるので、何かが発生したら迅速に対処するように、と。
「……って、考えすぎか」
内心に対して言葉による突っ込みを入れる。
いかんいかん、ついぞ争いやら喧嘩やらを経験したせいで、物の見方が穿ってしまった。きっと単純に、仲良しっぽい永久ちゃんのいる学校に通いたいと柚子柚ちゃんが進言したところ、機関が快くオッケーしたってのが正解だろう。
うんうんと頷いていたら、玉響先生が平然と続ける。
「では、籐堂さんと仲の良い今市形君、姫百合さん、三間坂さんには詳しい事情を説明しますので、放課後、先生のところへ来てください」
「……………………」
ん、きっと考えすぎ、そう信じたい。
ひらひらと手を振って教室を出て行く柚子柚ちゃんを見送り、姿勢良く教室を出て行く玉響先生を見送り、苦笑いをしている永久ちゃんと視線を合わせる。
ちらりと白子ちゃんを振り返れば、白子ちゃんは唇の両端を吊り上げ、とんでもなく邪悪な笑みを浮かべていた。
楽しそうといわんばかりの笑顔につられて、僕も笑う。




