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「あ、永久ちん、久しぶりー」

 柚子柚ちゃん宅を訪れて招き入れてくれた柚子柚ちゃんは、真っ先に永久ちゃんに抱きついた。

「あはは、柚子ちゃん、久しぶりー。元気だったあ?」

「もー超元気だよ、やること一つもなくて退屈でさー。あ、トイチンだ。えーっと、初めましてになるんだよね、よろしくー」

「あー、うん。初めまして……かな? よろしく」

 ちっとも新鮮味のない初めましてだけど、出会い的には初めましてで間違えていない。

 柚子柚ちゃんは永久ちゃんに抱きついたまま、じーっと僕を見つめる。

「あのさー、トイチンのチンって」

「違うよ?」

 あっはは、と柚子柚ちゃんの甲高い笑い声が響き渡る。

「突っ込みはやー、いいねー、いい感じだねー。あ、でもこれって過去に行ってないと分からないかな? んー、残念、他の皆には笑いどこが伝わらないかー」

 いやいや、こちらとしては僕のことを知らないはずの柚子柚ちゃんがそんな突っ込み待ちを披露するのにびっくりだ。僕を過去に送ったってことを知って、自分ならこう言うだろうなーっていう自覚を持って問い掛けてきたのかな。

 さすがは神ってなとこか。

「あのー、それで柚子柚ちゃんの家に集まって、これから何をするんですか?」

 玄関前、荘厳なる階段の下に集まった白子ちゃん、永久ちゃん、玉響先生、柚子柚ちゃんが一斉に、合わせたかのような一糸乱れぬ動きで僕を見据える。

 ん? とてつもなく嫌な予感がする。

 針の筵を味わう僕に、玉響先生が率先して口を開く。

「先ほど姫百合さんから話はありましたが、機関……というより、姫百合さんのお父さんとお母さんが、こちらの籐堂さんを狙って争いの火蓋を上げようとしています」

 上げようと? まだ上がってはいないのか。

「お父さんとしては機関に知られることなく解決したい、お母さんとしてはお父さんと争わずに籐堂さんを手に入れたい。私の方で両者の要望を聞き入れ、今にも始まりそうだった強制的な争いを、ただ一つの不確定要素によって停滞させました」

「……はあ。それは一体」

「今市形君、あなたです」

 おー。おおー……? 何やらいつになく注目を浴びているが、まるで分からない。そもそも白子ちゃんのお父さんとお母さんが争う理由も良く分からない。もっと無難にやり過ごせばいいのに、仲良く楽しくやっていけばいいのにと思ってしまう。

「あのー。えと、僕の存在が争いを止めてるんですか?」

「いえ、止めていた、です」

 過去形だね? それが意味するところは一つ、正に過去系だ。お、これはうまい。

「過去形……あ、つまり僕が過去に行ったことで争いが止まっていた、おお、これは正に過去系ですね」

「……………………」

 えー、黙っちゃった、玉響先生がものすごい冷たい顔で黙っちゃった。

「あれ、今ぼけたの? えー、ちょっと突っ込めないなー、分かりにくいよ?」

 おまけに柚子柚ちゃんに駄目出しされてしまった。

 うう、溢れんばかりのユーモアを発揮したのは間違いだったか。

「あ、すみません。えと、続けてください」

「概ね間違いではありません。今市形君が過去から戻ってくると同時、今に変化が訪れます。それはつまり、今市形君が過去から戻ってくるまでの間に何をしたところで、今市形君の行い次第でなかったことになってしまうかもしれない。そこを停戦の理由として利用させてもらいました」

「…………はあ、そうなんですか」

 ということは? こうして僕が戻ってきたってことは、何が起こるのか?

「争いは、これから始まるのです」

「………………おおう」

「あっはは、おおう、って言っちゃった。トイチンがおおうって唸っちゃったよ」

「大変だよねえ、争いだもんねえ。あ、だゆうはトイチンに協力するって言ってるから、一緒に頑張って柚子ちゃんを守ろうね」

「私は機関として……いえ、有力者である姫百合さんのお父さんからの密命により、籐堂さんを保護します」

 ええっと? 永久ちゃんプラスアルファのだゆうちゃん及び玉響先生は、柚子柚ちゃんを守るため、争いに参加する。いつの間にやら僕も争いに参加することになってるっぽい。そうなると、残りの一人は?

「あの、白子ちゃんは? えと、お父さんとお母さんの争いなんだよね? どっちにつくかってのもそうだけど、争っちゃうの?」

「あ? あたしは争いなんざどーでもいいよ、機関でもねーし純正の宇宙人でもねーしな。父親も母親も争いたけりゃ好きにやってろってとこだ」

「……ううん。なるほど、そうですか」

 親子の間柄なんだし、もうちょっとこう、心配する素振りがあってもいいような気がしなくもない。

「ただ、あたしがようやっとこさ見つけた楽しさってのを奪われるのは許せねーからな。機関やら宇宙人やら時間干渉者やらはどーでもいいが、あの人に真っ向から反抗したい。どっちにつくとかじゃなく、あたしは母親と喧嘩する」

「………………はあ」

 喧嘩、喧嘩かあ。

 それって何だか正しい? だって母親ってのはもっとも身近な喧嘩相手だもの。喧嘩を避ける僕でさえ、母親とは喧嘩をしたことがある。もしかしたら生まれて初めての喧嘩相手って母親だったりするのかもしれないし、白子ちゃんがとびきり邪悪に笑って喧嘩を望むのなら、止められはしない。

「トイチンはどーすんだよ?」

「へ? あー、僕? 僕は……」

 ちらっと永久ちゃんに視線を送る。目が合えば、永久ちゃんのにっこり笑った顔が眩く映る。次いで玉響先生を見るが、先生は目が合えど表情に一切の変化がない。最後に柚子柚ちゃんを見やると、柚子柚ちゃんは笑いながらぱたぱたと手を振ってきた。

 むむう、柚子柚ちゃんが狙われているのなら助けたい。助けたいけど……何だか事情が複雑で、どこに立ち位置があるのか、今一つしっくりこない。

 それなら僕は、白子ちゃんと一緒がいい。

「えと、僕も白子ちゃんの喧嘩に付き合いたいかな」

 えー、と残念そうに上がったのは永久ちゃんの声だ。対して、柚子柚ちゃんがけたけたと笑い声を上げる。

「それって結局、姫百合さんのお母さんと争うってことだよねー? じゃあ目的は一緒なんだし、皆で頑張ればいーんじゃない? っていうか、あれなの? トイチンと姫百合さんってそういう仲なの?」

「え?」

 えーっと、あれ、どうなってるんだっけ?

 僕と白子ちゃんが付き合ってるって体裁は両腕の入れ替わりを誤魔化すための嘘だったけど、両腕が入れ替わっていない今だと嘘でも付き合ってはいないのかな?

 はてと思考を巡らせているうちに白子ちゃんがくっくと笑う。

「どーいう仲かは知らねーが、いいぜ、トイチン。一緒に喧嘩しようぜ」

「え。あ、はい、よろしくお願いします」

「足手まといになるなよ」

「うん。うん?」

 安直に頷くも、ん?

 あれ、喧嘩ってバイオレンス方面のお話なのかな? 白子ちゃんは握り締めた拳を片手で覆い、骨をばきばきと鳴らしている。

 あー、これは完全に肉体を用いた喧嘩を仕掛けるつもりだ、完全なる苦手分野だ。

「話はまとまったようですね。では、これより姫百合さんのお母さんに連絡を入れます」

 玉響先生が携帯電話を耳に当て、数歩ほど離れていく。

 残された永久ちゃんと柚子柚ちゃんは楽しそうにきゃっきゃうふふ、僕と白子ちゃんは殺伐とした空気に支配されつつある。

「あ。えと、あらかじめ力強く宣言しておくけど、僕ってひ弱だよ?」

「は? そんなの関係ねーよ、どんだけ弱かろうが一矢報いる精神でぶっ飛ばす、それだけ考えて行動すりゃいーんだよ」

「あー。うん、そういった特攻精神とも無縁の温室育ちなんだけど……」

 なるほどー、不満を言葉でぶつけるのが喧嘩だと想定していたが、まだまだ白子ちゃんに対する理解が足りていなかった。

 そっかあ、一矢報いる精神のぶっ飛ばす勢いで頑張っちゃうのかあ。

 拳をばっきばきと鳴らしている白子ちゃんから一歩離れ、永久ちゃんに歩み寄る。

「あのさ、玉響先生って何の連絡をしてるの?」

「ふぇ? あー……えーっと、何だっけえ」

「トイチンが帰ってきたら連絡をすること、それが強制的停戦の条件じゃなかったっけ。ばらさないで黙っとけばいいのにねー」

「あっはは、柚子ちゃん、考え方がずるいよお」

「えー、そうかなー?」

 けらけらと笑う二人から一歩離れ、ううむと頭をひねる。

 はてさて、僕が戻ってきたという連絡を受けた白子ちゃんのお母さんはどういう行動を取るんだろう。柚子柚ちゃんを奪いに一目散にこの場所へやって来る? あ、でも柚子柚ちゃんの居場所まではノートに記していないし、ばれてはいないかもしれない。

 ならば今のうちに白子ちゃんの足手まといとならぬよう、準備を――

 リンゴーン、と来客を告げるであろうベルが鳴る。携帯電話をポケットにしまった玉響先生が、柚子柚ちゃんに目を向ける。

「あらら、誰かな? この家って機関の偉い人くらいにしか知られてないんだけど」

 ぱたぱたとスリッパを鳴らして玄関に向かい、柚子柚ちゃんが扉を開ければ、そこには白子ちゃんを成長させたかのような姿の……お母さんが立っていた。

 邪悪な笑みを浮かべたお母さんが口を開く。

「あらあらお揃いね四人してどこかに向かうから何かしらと後を追っていたのだけどトイチン君が今に戻ってきてたなんてちょうど良かったわね」

 相変わらずの超絶早口、何を言っているのか聞き取るのさえ難しい。

「ええっと四人以外のそちらの子が時間干渉者かしらそうねそうねそうに違いないわね、ではトイチン君が戻ってきたことだし停戦は終わりってことで奪って去ろうかしら」

 歩み寄ろうとしたお母さんの前に、玉響先生が立ちはだかる。

「申しわけありませんが、彼女を渡すわけにはいきません。そして今後奪おうとしない、その取り決めを確約してくださらなければ、私と争っていただきます」

「えええやだやだ争うとか何言ってるの喧嘩でもしようっていうの? もうパパったら私と直接争いたくないからってこんな人を用心棒にするなんて嫉妬よ嫉妬、邪魔だからどいてくださる?」

 堂々とした立ち居振る舞いの玉響先生がちらりと振り向く。ん?

「姫百合さん、通訳してください」

 あー、やっぱり、やっぱり玉響先生でもお母さんの早口は聞き取れていなかった。

「あ? あー、どけよおばさん、眼鏡叩き割るぞって言ってるな」

 ん、明らかに言葉の量が減ったね? ほんとにそう言ってるのかな?

 しかして眼鏡の位置を直した玉響先生は、背中に怒気を漲らせてお母さんに向き直る。

「争いは避けられない、ということですね。消し炭にするぞ」

 先に動いたのは玉響先生だった。

 前傾姿勢となり飛び出した玉響先生は瞬く間にお母さんとの距離を詰める。いや、詰めただけじゃない、振りかぶっていた右手を大砲から打ち出される玉みたく打ち出している。速度を乗せての右拳による一撃、遠慮や躊躇など微塵も感じられない拳がお母さんの胸に打ち付けられる。

 おおう、とんでもなく痛そう、僕なら背後に吹っ飛んであえなく気絶……するところだが、お母さんはぴくりとも、ほんの微かにすら動かず、表情さえ変えない。

「あらあら殴ってきたわ暴力的ねどうしたものかしら私ってば喧嘩は嫌いなのよ私たちの文化では肉体を用いた喧嘩なんて存在しなかったものね、でもでも気絶っていう状態に持っていけば邪魔者はいなくなるってことだし頑張っちゃおうかしら」

 高速で動く口から言葉が吐き出され、お母さんの右腕が横一線に振り払われる。

 残像にしか見えない右腕を、玉響先生は身を屈めて避けた。標的を外した右腕は早さを殺すこともなく玄関扉にぶち当たり、玄関扉をぶち抜く。それだけでは済まず、玄関といういかにも強固そうな壁さえぶち抜き、大小様々な破片が外へと吹っ飛んでいく。

「…………えー」

 五メートルくらいは離れているはずなのに、右腕の風圧で髪の毛がざわつく。

「うわわ、な、なにあれっ?」

「どんだけ馬鹿力なのよっ?」

 二つの黄色い悲鳴が終わるよりも早く、玉響先生が動く。バックステップで距離を空け、いつの間にやらお母さんの足元にあった二つの球体から煙が噴き出す。

 いつぞや使った煙玉?

 真っ白の煙に覆われてお母さんの姿が消える。

「皆さん、下がっていてください。あれは人間の範疇を超えています」

「ったりめーだろ、宇宙人だぞ。あんな煙、時間稼ぎにもなんねーよ」

 白子ちゃんの言う通り、煙は竜巻みたく猛烈な風により拡散した。吹き付ける嵐を踏ん張って耐えれば、数秒で衝撃波のような風が消える。散らばった煙が姿を消し、竜巻の発生源と思しき中心にはお母さんが立っている。じっと目を凝らせば、お母さんの足元がドリルを用いたかのように抉れている。

 あー、その場で回転して風を発生させ、煙を吹き飛ばしたのか。

 うん。

 これは無理だ、争うってレベルじゃない。

「ちょ、ちょ、何なのよ? あれって人間なの?」

「ちげーって言ってんだろ、人間っぽい形をしてる宇宙人だ」

 破片が散らばる床を、お母さんが一歩、ずさっと音を鳴らして寄ってくる。靴は床を抉った際に粉々になったのか、素足になっている。

 見た目こそ白子ちゃんの大人バージョンだが、威圧感により巨人と見紛わんほどだ。

「あらあらあら皆して固まっちゃってどうしたの? 私はそこの時間干渉者さえ渡してくれればすぐに帰るから手早く渡してくれないかしら」

 さり気なく、ちらっと皆の視線が白子ちゃんに集まる。

「ん? あー、邪魔だぞ、てめーらって言ってるな」

 腰を落としている玉響先生が控え目にため息を吐く。

「あの馬鹿力はどこから出ているんですか? 宇宙人とは、そういうものなんですか?」

「逆だろ、あの人は人間がそういうもんだと勘違いしたんだよ。そのせいで姿形ばっかり人間のくせして、とんでもなく頑丈で素早いときやがる」

 空想現実化か。ううん、どでかい勘違いをしてくれたものだ。これでは争うことはもとより逃げ出すことさえ不可能に近そうだ。

「ど、どーしよお。だゆうに出てきてもらう? 戦えるかなあ?」

 柚子柚ちゃんと寄り添っている永久ちゃんがお腹を見せるも、いやいやと首を振る。

「あんな一撃を食らっちゃったら、だゆうちゃんといえども大怪我するよ。動物病院に連れてくわけにもいかないし、だゆうちゃんは引っ込んでた方がいいよ」

 滑らかなお腹から顔を出しただゆうちゃんが、こくこくと頷く。おお、さすがはだゆうちゃん、僕の考えを分かってくれるのか。よしよし、とほっぺたをさすれば、だゆうちゃんの長い舌が僕の手を舐めてくる。ん、空白となった二ヶ月があれど、僕はしっかりだゆうちゃんと仲良しらしい。

 って、満足感に浸っている場合じゃない。

 どうするどうしよう? 柚子柚ちゃんに頼んでもう一度僕を過去に送ってもらう? いや、それだとお母さんに柚子柚ちゃんの存在をばらさないってのは可能かもしれないけど、根本的な解決にはならない。

 そう、必要なのは根本的な解決だ。

 僕と白子ちゃんの両腕入れ替わりが解決したように、玉響先生が交渉に応じて妥協してくれたように、白子ちゃんのお父さんとお母さん、そして白子ちゃんの間に存在する根本的な問題を解決しなければならない。

 その為に必要なのって何だ?

「ったく、その他大勢は下がってろよ、これはあたしの喧嘩だぜ」

 この場で誰よりも平然と足を出せるのは、白子ちゃんくらいしかいない。

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