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「あ。僕の靴だ」

 移動を開始するってことで白子ちゃんの家の玄関に立ったら、僕の靴があった。

「あ? あー、消える前のトイチンが履いてたやつだな」

「あー……そっか、別の僕って白子ちゃんの家に来てたんだっけ」

「そうだな、あっちはあっちで見事にトイチンだったけどな。あたしを楽しくさせる才能に満ち溢れてたぜ」

「へえ、そうなんだ」

 いやはや、もう一人の自分がどのような態度にて白子ちゃんと接していたのか、その辺はさっぱり分からない。分からないまでも、白子ちゃんを楽しませていたのなら、お礼を言いたい。すっぱり二ヶ月で消えてしまった僕に罪悪感めいたものが浮かぶも、それ以上に感謝の念で溢れている。

 まあ、どちらにしろ僕だ。今の僕が消えていたところで、別の僕が白子ちゃんを楽しませていたのなら、別の僕は今の僕に感謝をしていただろう。

 靴を履いて家を出れば、一台の車が待ち構えている。

 見覚えのある車は玉響先生のものだ。

 先んじて後部座席に乗り込んだ白子ちゃんに続き乗り込めば、運転席にはジャージ姿の玉響先生、助手席には私服の永久ちゃんが座っている。

「あ、やっほー、トイチン。えへへ、改め初めましてになるのかな?」

 柔らかな笑みを浮かべるのは永久ちゃん、どこにも違和感がない。この二ヶ月を一緒に過ごさなかったとは思えないほど、永久ちゃんは気さくに笑っている。

「あ、うん。えと、初めまして? になるのかな? 四月三日以前に会ってるはずだから、久しぶりって感じだと思うけど」

「あはは、そうだねえ。んー、でもトイチン、ほんとに別人になったの? なーにも変わってない感じだよ?」

 それはこっちのせりふだ、どこがどう変わっているのかも分からない。

「過去に戻ったそうですが、変わりはないですか?」

 玉響先生はバックミラー越しに視線を合わせてきて、車を発進させる。

「あ、はい。えと、特に変わりはありません。変わったところといえば、白子ちゃんとの両腕入れ替えがなくなったことくらいです」

「そうですか。この二ヶ月、今市形君が過ごした二ヶ月とは違う部分もあるでしょうが、さしたる変わりが見られないようなら幸いです」

 白子ちゃんや永久ちゃんと同じく、玉響先生も相変わらずだ。無表情で感情の起伏を感じさせず、淡々と言葉が紡がれる。

 走り出した車により景色が移り変わる中、ブランクを埋めるように問い掛ける。

「えと、まず気になってるんですけど、ドラゴン騒動ってどうなったんですか?」

 その問いには助手席から体ごと振り向いた永久ちゃんが答えてくれる。

「んー、虎の巻があったからねえ、争ったりってのはなかったよ? だゆうがトイチンに懐いて、私から先生に事情を説明して、すんなりと終わった感じ」

 虎の巻っていうのは、僕が僕宛に出したノートのことだろう。ざっくりとだが、これこれこういうことが発生した、というのは記していた。

「あー。ん、でも、虎の巻があったら、先生にはばれずにやり過ごせたんじゃない? 先生にはこっちから事情を説明したの?」

 わざわざハンターである玉響先生に、自ら事情を説明した?

「そうだねえ、そこは虎の巻があったからこそかなあ。ほら、トイチンを過去に送るって書いてたでしょ? 私がねえ、個人的にどーしてもその人と話してみたくて。話すには、先生の協力を仰がないと無理かなーってことで、全部事情を説明したの」

「個人的に? っていうのは、何で?」

「それはもう、だゆうのことだよ。ほら、体の中にドラゴンって、どーいう原理なのかさっぱりでしょ? 過去に送ってもらえるんなら、そーいう事情も解き明かせるかなーって」

 ああ、なるほど。僕が両腕の入れ替えを解決しようと試みたように、永久ちゃんはだゆうちゃんのことを知ろうとしたのか。

「両腕が入れ替わったという、今市形君が過ごした二ヶ月をなぞるように機関へ連絡したところ、とある方が籐堂さんの居場所を教えてくれました。少々卑怯な嘘を使ってしまいましたが、私としても人体生息の根源は気になっていましたので」

 補足してくれた玉響先生に相槌を返し、永久ちゃんの顔を覗く。

「えと。それで、だゆうちゃんについては分かったの?」

「んー、ちっとも。あはは、過去に送るにしてもどこまで遡ればいいか分かんないし、柚子ちゃん自身は過去に戻ったりってのはできないみたいでね。だゆうのことも、さーっぱり分かんなかったよ」

 ははあ、なるほどってな感じだ。

 柚子柚ちゃんの過去へと送り込む方法を鑑みるに、発生時間が不明の物事は解き明かすのが難しそうだし、何より生物の存在しない物質の世界では、人体生息している人すら発見できそうにない。

「恐らく機関も籐堂さんと協力し、既に実験済みなのでしょう。しかし明白ではないのが現状のようです。事情を聞いた私としては空想現実化がかかわっているように思えますが、はっきりとしたことは分かりませんね」

 空想現実化、何でもありとも思えるそれなら人体生息の真相にも当てはまりそうだ。

「だゆうちゃんのことが分からなかったのは残念だけど、ちょっと安心したかも。僕の過ごした二ヶ月とあんまり変わりがないっぽいし」

「あはは、そうなんだあ。あ、でもね、虎の巻のお陰で変わったことはあるよ?」

「へ? ええっと、なに?」

「んとねえ、色々と前倒しになった感じかな」

 はて、と頭を悩ませるも、永久ちゃんがすかさず続けてくれる。

「ほんとだったら? トイチンにしてみたら、昨日がドラゴン騒動だったんだよね? でもねえ、虎の巻でどういうことが起こるのかが分かってて行動を早めたから、私たちにしたらドラゴン騒動は一ヶ月前くらいの出来事なんだよねー」

「ははあ、一ヶ月」

 そういう変化をもたらしているのか。

 確かにどういうことが起こるのかが分かっていれば、先んじて行動するだろう。そう考えると僕がドラゴン騒動についてもノートに記していたのは、失敗じゃなかったのか。だって昨日の夜更けにドラゴン騒動を経験していたら、白子ちゃんはもとより永久ちゃんも玉響先生も、今は眠くて眠くて仕方がないだろう。

 と、隣を見たら白子ちゃんは上体をがっくんがっくん揺らしていた。

 あー、あんまり関係なかったね。白子ちゃんは重要とも思える二ヶ月の認識の齟齬を埋めるっていう会話の最中でも眠っちゃうんだね。

 気を取り直して問い掛ける。

「あの、それで今ってどこに向かってるんですか? えと、白子ちゃんからは何か問題が発生してるって聞いたんですけど」

 バックミラー越しに、玉響先生が視線を合わせてくる。

「問題は、その虎の巻によって生じてしまいました」

「え」

 あ、白子ちゃんの言ってた僕のせいってのは、そのことかな?

「今市形君の体験したことを綴ったノートが、第三者の目に触れてしまったのです」

「……あー。え、でも、あのノートって絵空事っていうか、誰かが見ても創作? くらいにしか思われないんじゃないですか?」

「そうですね、完全なる第三者であれば絵空事で済んだかもしれません。けれど読んだのが、そういった事情に精通している人であれば話が変わってきます」

 はあ。はて、そんな人がいるだろうか。

 疑問に思っていたら、身を乗り出した永久ちゃんがばしばしと白子ちゃんの頭を叩く。

「ほらほらー、白子ちゃん、起きてえ」

「……ああ? んだよ、うっぜーな。明らかに寝てんだろ、邪魔すんな」

「姫百合さん、問題について今市形君に説明してください」

「……んあ? 担任が説明すればいーだろ」

「姫百合さんが適任です。粉々にするぞ」

「んだと? やるのか?」

 えー、怖い、何この空気、穏便にやり過ごしましょうよ。

「あ、えと、白子ちゃん、落ち着いて。先生は気にせず運転を頑張ってください。それで問題っていうのは、どういうことなの?」

 白子ちゃんが舌打ちを放ち、睨みつけてくる。

 ん、ほんとに全然変わってないね、もういっそ僕が変わりたかったくらいだね。

「トイチンの残したノートが、あたしの母親に見られたんだよ」

 しれっと言い放った白子ちゃんに、ん? と疑問符を浮かべる。

「え。ん? それって何か問題なの? 白子ちゃんのお母さんなら、事情を聞いてはくるだろうけど、それっきりって気がするけど」

 現に僕と白子ちゃんの両腕が入れ替わり、一緒に暮らすってなっても、さしたる干渉はしてこなかった。早口で世間話やらを繰り広げ、白子ちゃんがめんどくさそうに応対する、それくらいの干渉だったはずだ。

「過去に戻ったって記述がまずかったんだ」

「……えーっと?」

 白子ちゃんは唇を突き出し、吐き捨てるように続ける。

「あの人の目的は、時間干渉者を見つけることなんだよ。あたしもしつこいくらいに言い聞かされてた。時間干渉者を見つけることが、あたしが存在してる理由だってな。あの人はずっと、父親に惚れたからって理由の他に、ただ一つの目的を持ってここで生活してたんだよ」

「…………あー、えと、そうなんだあ?」

 それだったら柚子柚ちゃんが過去に戻れるって説明をしてくれた時に言ってくれればいいのにって突っ込みたいも、そういえば説明の最中、白子ちゃんって寝てたよね。

 上体をがっくんがっくん揺らしている姿を最後に僕ってば過去に行っちゃったものね。

 あー、これはあれだね? 僕っていうより白子ちゃんのせいだね?

 あ、いやいや、人を責めるのは良くない。僕がノートを過去に残しちゃったのが原因だし、白子ちゃんとのやり取りを過去に残しちゃったのが原因だ。

 全面的に僕のせいだ。

 うん。うん? 白子ちゃんがもっと早くに言ってくれてれば……ああ、いけない。

「僕のせいだね、ごめん」

「ったく、全くだぜ。ま、そのトイチンが残したノートをうっかり母親に見つけられちまったあたしにも微分の責任があるけどな」

「……………………」

 突っ込み待ちかな?

「姫百合さん、全面的にあなたのせいですよ。球体にするぞ」

「んだと、くそ眼鏡が、あの人はずっとあたしの変化を見張ってたんだよ。トイチンと知り合って情報収集する様を見張ってたんだ。あたしはノートを完璧に管理してた。それを勝手に見たあの人がわりーに決まってるだろ」

「そもそもさー、トイチンがトイチンに宛てたノートだったんだよね? それを何で白子ちゃんが管理してたの?」

「あ? 楽しそーなことが山ほど書かれてたからに決まってるだろ」

「……………………」

 いやいや、落ち着け、間違いなく突っ込み待ちじゃない。白子ちゃんだったらやりそうなことだ、僕のノートなんだけどって言ったところで「は? いいから貸せよ」って奪われるのは目に見えているし、僕が無難な対応を望んで渡すのも目に見えている。

 白子ちゃんは悪くない、そんな白子ちゃんと一緒なのが楽しいんだもの。

「えと、それでお母さんに見つかって、お母さんの目的? が柚子柚ちゃんで、どういった問題が発生してるの?」

 しらーっとした沈黙が流れる。

 うん。え、スルー?

「あの。え? そこを知らないと、僕って何をすればいいのやらって感じなんだけど」

 僕の問いに合わせ、車が見慣れた場所に停車する。いつぞやに見た、というより個人的には数時間前に見た柚子柚ちゃんの家に到着する。

「籐堂さんの存在は機関の極秘事項です。その極秘事項が狙われていると機関に伝われば、姫百合さんのお母さんと機関の全面戦争は逃れられません」

「はあ……え、あ、そんな秘密事項だったんですか。何だか簡単に会えちゃいましたけど」

「それは私に籐堂さんを紹介してくれた、機関の有力者による力添えがあったからです。そして、その有力者は機関にお母さんの情報を漏らしたくないと切望しています」

「…………はあ?」

 機関の有力者で僕らに柚子柚ちゃんを紹介してくれたのに、その柚子柚ちゃんがお母さんに狙われているっていうのは機関に知らせたくない?

「えと。あの、今一つ何一つ分からないんですけど」

 完全停車した車の中で、永久ちゃんと玉響先生が振り返る。視線の先は不機嫌そうな白子ちゃんに向けられている。

 けっ、と白子ちゃんが舌打ちを放つ。

「機関の有力者は、あたしの父親なんだとさ」

「……………………」

 あー。あー?

「ったく、父親も母親も互いに隠し事をしてやがったんだ。父親は機関の有力者で時間干渉者を知ってるってことを、母親は時間干渉者を狙ってるってことを、お互いに隠してやがった。それがばれたせいで、くだらねー喧嘩が発生してんだよ」

 ええっと、お父さんは柚子柚ちゃんを渡すわけにはいかない、お母さんは柚子柚ちゃんが欲しい、争う要因に色んなオプションが付随した?

 僕と白子ちゃんの両腕が入れ替わった、それをお父さんは解決したかった。だから僕らに柚子柚ちゃんを紹介してくれた。そこが引き金となり、お父さんとお母さんが衝突した。お父さんは愛するお母さんの為にも事態を穏便に済ませたい。お母さんはお父さんを愛しているけれども柚子柚ちゃんを奪いたい。

 それが現状ってこと?

 あー、いや、どうだろ、お父さんとお母さんの関係がどういうものかは知らない。

 思えば白子ちゃんのお父さんって見たことがない。お母さんとは食事の際に世間話をするくらい、しかも早口過ぎて聞き取れないくらいの一方的なお喋りしか経験していないので、夫婦の詳しい事情は憶測に過ぎない。

 でも、あれだね?

 何もかもが、僕と白子ちゃんが右手を入れ替えた瞬間に帰結する、と。

「ははあ、世の中ってのは不思議なものですね」

 僕の言葉に、白子ちゃんがくっくと笑う。

「ああ、その通りだ。だからトイチンと一緒ってのは楽しくて仕方がねー」

 永久ちゃんがげんなりとした顔を見せ、玉響先生が盛大にため息を吐いたものの、不謹慎ながら楽しかったりするので何も言えない。

 せっかくだし、楽しもう。

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