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「…………ん?」

 場面転換の暗転を体験しつつ、何も変わっていない。

 僕は机に向かっている。

 ただし手元にペンとノートはない。

「ったく、ぱっと現れやがって、宇宙人もびっくりだな」

 何だか懐かしい声が聞こえて振り向けば、ベッドに白子ちゃんが腰掛けていた。さっきまで着ていた私服とは違う服を着ている。体を後ろに傾け、両手で体を支えている。

「ええっと……あれ? 何がどーなったんだっけ?」

 困惑から後頭部に手をやれば、僕の手が僕の後頭部に当てられる。

「ん?」

 白子ちゃんは真っ白な手で自身の体を支えている。僕が両手を眼前に持ってくれば、僕の両手が眼前に持ってこられる。

 両腕が元に戻っている。

「さくっと説明するか?」

 欠伸をした白子ちゃんに、それはもう勢いをつけて頷く。

「ぜ、ぜひ、どうなったのかを」

 果たして僕の慌てっぷりを笑ったのか、白子ちゃんは口元に邪悪な笑みを浮かべた。

「あたしの部屋のあたしのノートに書いてあったんだよ。四月四日、トイチンに話し掛けろってな。んで、それを実行したわけだ。そうするとどうなったか? トイチンのとこにも未来のトイチンからノートが届いてて、お互いに情報を交換した。両腕が入れ替わるって何だそりゃって感じだが、まー未来からそういうお告げが来たんだ、そーなるって信じたよ。そんでトイチンの隣の席の女とのドラゴン騒動を経て、担任教師と話し、成金女と会った。人を過去に送れるってわけ分かんねー話を聞いて、あーなるほど、トイチンはそーやって両腕の入れ替わりをなかったことにしたのかってとこまで納得ができた。何月何日にそれを実行したのか? ってのはトイチンが過去のトイチンに宛てたノートに書いてあったし、トイチンが何月何日に行ったのか? どこに行ったのか? それはあたしのノートを見れば分かった。まー、あたしの部屋から更に移動してるかもって可能性もあったが、こーして今、トイチンはここに戻ってきたってことだな」

 はあ、なるほど。なるほど?

 ん? えーっと、僕は一瞬前まで白子ちゃんの部屋で入れ替わった両腕を用いて意思疎通を図っていたけど、いつの間にやら今に戻ってきていて、ここにいる?

 えっと、今っていつだ?

「え、今日って何月何日?」

「は? トイチンが過去に行った日だろ、六月十八日だよ」

 六月十八日、今日は日曜日だ。ええっと、柚子柚ちゃんの家で過去に戻った僕が、白子ちゃんの部屋で今に戻ってきたってことか。

「えと。ん? 僕って僕のままなんだけど……四月三日以降の僕って、どこに行っちゃったの?」

 僕からのノートを受け取り、白子ちゃんと両腕が入れ替わることを避け、白子ちゃんに話し掛けられてドラゴンやら何やらを経験してきた僕ってどうなったんだろう。

「消えたな」

「え。え、消えちゃったの?」

「あー、すっぱり消えた。この部屋にいたはずなのに、そこにトイチンが現れた瞬間、さくっと消えた。成金女に聞いたが、これが人為的に過去を変えるってことなんだと。過去に行った奴は今に戻ってくる。変えられた過去から今までの体験をするのは一時的な奴でしかない。そんで過去を変えれば今に齟齬が生じる。過去の行いに、今がつじつまを合わせるとか言ってたな。何だか良く分かんねーが、過去を変えに行った奴だけが全てを記憶し、唯一人、時間に干渉できるんだとよ」

「……あー。それは、なんともはや……」

 僕が戻ってきたせいで、白子ちゃんと両腕を入れ替えないで二ヶ月近くを過ごした僕が消えちゃったのか。申しわけないような判然としないような、不思議な気分だ。結局、僕は僕のままってのが嬉しいのも、不思議な気分だ。

 そして白子ちゃんは、僕と両腕を入れ替えて一緒に協力してきた白子ちゃんとは違っていて、両腕の入れ替えはなくして僕と接してきた白子ちゃんになっているのか。

 ああ、頭がこんがらがっちゃいそう。

「……うう、つまりは、あれだね。白子ちゃんにしてみれば、この二ヶ月ほど、僕とは一緒に暮らしてないし、両腕の入れ替えがないから協力もしてないって感じなんだね」

 白子ちゃんはくっくと喉を鳴らして笑う。

「あー、そうだな。ったく、そんな分かんねー生活を送ってたのかって感じだが、その通りだ。あたしはこの二ヶ月、トイチンのノートとあたしのノートから情報を集めて過ごしてたよ」

 むう、むむう。僕の記憶と白子ちゃんの記憶に齟齬が生じちゃっているのか。

「ま、楽しかったぜ? 両腕は入れ替わらなかったが、ドラゴンとは会えたし、担任教師がハンターってことも分かった。成金女が人を過去に送り込めるってのも分かったしな」

 楽しかった。その一言がやたらと嬉しく響く。

「トイチンがあたしのことを好きだって告白したのも、ノートから分かったしな」

 ええっと? 僕の記した言葉は今が変わっちゃったから残っていない。僕の告白は伝わっていない……ってこともないか。


『好きって何だ? どーいう意味合いだ?』


 白子ちゃんが過去に記した言葉は残っている。

 は、恥ずかしい! 何だかとっても恥ずかしい!

「んで、その辺は置いとくとしてだな、一つ問題が発生してんだよ」

「ふぇ?」

 ベッドから下り、立ち上がった白子ちゃんが右手を伸ばす。

 自分の手のように感じてしまうほど見慣れた白い手が、手のひらをこちらに向け、差し伸べられている。

「……ん? どうしたの?」

「どうしたじゃねーよ、さっさと触れ」

「…………んん?」

 えーっと、白子ちゃんの手に触れてしまうと腕ごと入れ替わってしまう。それを元に戻すために過去にまで行って僕以外の二ヶ月を改竄してしまった。

 なのに触れてしまっては本末転倒、二の舞だ。

「えと、触ると大変なことになると思うんだけど」

「は? いーから、とっとと触れ」

「えー……あ、はい」

 これはあれかな? 片腕を交換して頑張っていこうっていう意思表明なのかな?

 っていうか白子ちゃん、二ヶ月を別の僕と過ごしたのに丸きり変わってないね。上目遣いで仏頂面、合わさって不機嫌そうな表情をそのままに手を出している。

 まあ、白子ちゃんであれば片腕の交換くらい何てことはない。とはいえ右手と左手が入れ替わっては大層不便になりそうなので、右手を出し、指先を恐る恐る手のひらに触れさせる。

「…………んん?」

 白子ちゃんの手のひらに触れた指先は、何ら変化をもたらさない。

 あれ? 指先で触れる程度では入れ替えは起こらない?

 手のひらを重ね合わせ、五指を絡める。白子ちゃんのひんやりとした手のひらの感触が伝わってくるも、右腕の交換は発生しない。

「あれ?」

 何だろう、何で交換されないんだろう。

 白子ちゃんの右手を、ぎゅーっと握り締める。けれども右手は僕のまんまで、白子ちゃんの手と入れ替わったりしない。

「えっと……ん?」

 過去に戻ったことで、今が変わった?

 触れ合えば入れ替わるという現象自体が失われてしまった?

「へっ、やっぱ入れ替えなんて起こらねーな」

 白子ちゃんが口元を邪悪に歪めて笑う。

「えと、あれ? 何で入れ替わらないんだろ?」

 僕の右手が脅威の握力に握り締められる。あー、痛いね、だいぶ痛い。

「分かったぜ、両腕が入れ替わっちまった理由」

「理由?」

「空想現実化だ」

 はあ、と相槌を漏らすも、さっぱり分からない。

「両腕の入れ替わりって、空想現実化によって起こったってこと?」

「そうだな、あたしの空想現実化が引き起こしてたんだ」

「んんっと? それって、どういう?」

 白子ちゃんは僕の右手を握り締め、左手までも握り締め、くっくと笑う。

「くそ退屈だったんだよ」

 退屈。何が? 問い掛けるより早く、白子ちゃんが続ける。

「ただ一つの目的を与えられて、それ以外のことなんざどーでもいいって育てられたんだ。宇宙人だって言い聞かされて、周りの奴らとは違うって言い聞かされた。あたしは、酷く退屈してたんだ。おもしれーことなんざ一つもねー、あたしはあたしでいたくねー、いっそ誰か別の人間になっちまいたいってな」

 空想現実化、一つの理想を実現させてしまう。

「別人になりたい、自分じゃない誰かになりたい。それがあたしの空想現実化だ。その思いが叶って、あたしはトイチンと体を入れ替えたんだ。両腕を入れ替え、更に触れ合えば、きっとあたしはトイチンになってたんだろーぜ」

 自分じゃない誰かになりたい。

 ううん、今一つ分からない考えだ。二ヶ月も一緒に過ごしていたのに気付けなかった。白子ちゃんには、別人になりたいって衝動があったのか。

「その思いが消えちゃったから、入れ替わりが発生しない?」

 白子ちゃんは肩を揺らして笑う。

「あー、そうだな。トイチンと話して以来、とんでもねーことの連続だ。ドラゴンやらハンターやら人を過去に送れるやら、果てには両腕を入れ替えて生活してた? 何だそれ、楽しくって仕方がねーだろ。誰かになりてーって思う隙もなく、あたしはあたしで十分楽しめてる。だから空想現実化は起こらず、入れ替えは発生しねー」

「あー……はあ、なるほど」

 いや、あんまり良くは分からない。

「えと。あの、白子ちゃんがそんな事情を抱えてたなんて知らなかった」

「ああ? ったりめーだろ、あたしがそう易々と自分のことを言うはずねーだろ」

 あー、納得、すごく納得です。

「ま、けど過去にまで戻って両腕の入れ替えを防いでくれたしな。そんで告白までされちまったし、素直に言ってやるぜ」

 くっくと白子ちゃんが笑う。

「ありがとな、トイチン。あたしは今が楽しくって仕方がねーよ」

 お礼を言われる筋合いなんてほとほとない。

「僕こそ、有難う。あはは、白子ちゃんと一緒にいると、楽しくて仕方がないよ」

 こうして両手を握り合わせて笑えるなんて、願ってもない幸福に他ならない。いっそ抱き締めたい衝動に駆られるけど、そうしたら問答無用で突き放されて暴言を吐かれて下手をすれば殴られるのが分かっているので実行はしない。

「好きってのがどういうものなのかはまだ分かんねーが、一緒に楽しもうぜ」

「ん。そうだね、楽しもう」

 いやいや、楽しもうっていうよりは楽し過ぎる。

 不敵に笑う白子ちゃんが両手を離し、さて、と後頭部を掻き毟る。おお、その行為は僕の心配事をさっぱり消してしまう。白子ちゃんに頭を掻き毟られて頭髪が危機を迎えるんじゃないかって心配事が消える。

「で、だ。今、厄介な問題が一つ発生しちまってるんだ。トイチン、どーする?」

「へ? えーっと、どうするって?」

「両腕は入れ替わってない、トイチンにすればほとんど無関係な問題だよ。それをどーする? 一緒に来るか?」

 白子ちゃんと一緒に楽しみたい。いや、白子ちゃんが一緒だから楽しい。その楽しみを無難にやり過ごすってのは、僕の信条に反するものだ。

「ん。問題ってのが何かは知らないけど、一緒に行くよ」

「おーし、いい答えだ。ま、ぶっちゃけるとトイチンのせいで問題が発生してるから行かねーとか言ったらぶっ飛ばすつもりだったが、さすがはトイチンだな」

 おおう、危ない選択だったの? 相変わらず、白子ちゃんはしれっとが過ぎる。

「んじゃ、行こうぜ。問題については移動のさながらに説明してやるよ」

「あ、うん。じゃあ、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げた僕を、白子ちゃんが邪悪な笑みで迎えてくれた。

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