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 玄関を抜けたら即座に大仰な階段があって二階へと通じているようなブルジョワジーっぽさ満天の家には当然のことながら噂でしか聞き及んだことのないシャンデリアと思しき代物があり、案内された客間は僕の部屋の七倍くらいの広さを誇っていた。

 ぴっかぴかの床はもしや大理石と呼ばれるものだろうか。装飾過多なテーブルと椅子にティーカップ、カップには柚子柚ちゃんの手により紅茶らしきものが注がれる。

「成金趣味だな」

 ん、白子ちゃんの不躾な発言はいちいち怖い。けれども柚子柚ちゃんは大きく笑い声をこぼして応じてくれる。

「私はしがない高校生だし、お金はそんなに持ってないよ? ここはねー、こういう家に住んでみたいなーって思いつきで言ってみたら機関の人が手配してくれたんだー。あっはは、一人で住むのは無理だよねー。メイドさんとかお願いしたら機関の人って手配してくれるかなー」

 柚子柚ちゃんは非常に朗らかというか、あけすけだ。僕と白子ちゃんが協力してカップを持ち、お互いの動きを仔細に観察しながら口元に運ぶ様を楽しそうに見ている。

「腕が入れ替わっちゃうって大変だねー。元に戻せてよかったね」

 はあ、と相槌を打とうとするもカップが傾けられ、あっつい紅茶がどばっと口に入る。ん、白子ちゃん、ちょっと集中してないね。割かし危険だよ? 言ったところで荒っぽい言葉が返ってくるのは明白なので、口には出さない。

 飲み下し、喉を熱量が過ぎていくのを堪え、はあと息を吐く。

「えっと、詳しいことって聞いてないんですけど、戻せるんですか? これ」

 白子ちゃんのカップを置いて両手を前に出し、十指を開いて閉じてを繰り返す。

「んー、戻せるよ。私って神だからね」

 ははあ、神なのか。

「あっはは、ちょーっとそこは突っ込んでよー。そ、そんなわけないじゃないですかー! とか言ってよー」

 あははーと笑われ、つられて笑ってしまう。

「あ、すみません。結構な急展開っていうか、まさか戻せる人を紹介してもらえるなんて想定もしてなかったので」

「あー、かもねかもねー、そういうもんかもねー。あ、別に敬語じゃなくていいよ? 見た感じ同い年くらいでしょ? 私はねー、十五歳」

「あ、僕も」

「おー、当たったね。神だからね、分かってたよ」

「またまたー」

「うーん、弱いなー、突っ込みが弱い。まあ、私のフリも悪かったね。あはは、でも意気込みはいい感じだよ。あ、そっちの子は? 同い年?」

「喋り方がうっとうしいな、何だこいつ」

「……………………」

 えー、せっかく和やかな空気を作ってさらりとやっていこうとしてるのに、白子ちゃんは相変わらず欠片も空気を読まない。

 いや、もしかして読んでいるも言わずにはいられないくらい正直なのだろうか。

「あっはは、え、何この子。めっちゃ睨んでるー」

「は? 睨んでねーよ、これが普通だ」

「は? って言われちゃった、睨まれた挙句に、は? って言われちゃったー」

 あー、これはあれだね、水と油だね。けらけらと笑う柚子柚ちゃんを、白子ちゃんがこれでもかってくらいに睨んでいる。見下ろせば、テーブルに置かれている白子ちゃんの両腕がわなわなと震えている。

 よし、僕が仕切ろう。

「あ。あの、えと、冗談はさておき、どうやって戻すの?」

「へ? あー、戻す方法? あらら、お茶を飲む暇もない感じ?」

 どちらかというと白子ちゃんと柚子柚ちゃんを相対させる暇がない感じです。

「まあ、うん。そうかな。あはは、居ても立ってもいられない感じ」

「あー、そっかそっかー、かもしれないねー。それじゃ、理解してもらわないと戻せないし、話をしちゃおっか」

 カップを置いた柚子柚ちゃんが、僕に両手を伸ばしてくる。右手と左手の親指同士、人差し指同士をくっつけ、不恰好なひし形みたいになっている。

「えーっと。あ、名前何だっけー。苗字じゃなくて名前ね、名前」

「あ、十一。えと、トイチンって呼ばれてるかな」

「はー、トイチンかあ。何? チンコと掛けてんの?」

「いや、全然……ちっとも」

「ほらほらー、突っ込みが弱いよー。女の子がチンコって言っちゃったよ! みたいなノリで頑張っていこーよ」

「ああ、うん、了解」

 世間話ならまだしも、真面目に説明を受けようとしてる時に柚子柚ちゃんのテンションは若干めんどくさいなあ、とは口が裂けても言えない。

「じゃあさ、トイチン。えーっと、何がいいかな」

 柚子柚ちゃんはテーブルをきょろきょろと見回し、受け皿に置かれているスプーンを見やる。

「そのスプーンでいいや。それをさー、私の手を通るように、上から下に落としてみて」

「スプーンを……? えと、うん」

 言われた通りにスプーンを取り、柚子柚ちゃんのひし形っぽい手の上まで持っていく。

「これ、落としちゃっていいの?」

「いーよー、しっかり見ててね。テーブルに落ちて、がちゃ、って音がするはずだよね」

「……まあ、そうかな」

 スプーンとテーブルの距離は三十センチくらい、その間に柚子柚ちゃんの手がある。

 僕が手を離すと、スプーンが落下し、柚子柚ちゃんの手で作られたひし形を抜け、何の音もなくテーブルに横たわっていた。

「…………あれ?」

 何か今、おかしかった。

 スプーンがテーブルに落下して音が鳴らなかったのもそうだが、落ちた瞬間を見ることができなかった。

 ひし形を抜け、次の瞬間には横たわっていた。

「分かったー?」

 両手を引いた柚子柚ちゃんがにっこりと笑顔を向けてくる。

「えと……ん、何が起こったかは分からなかったけど、おかしいってのは分かったかな」

「おっけおっけ、それだけ分かってれば大丈夫」

 柚子柚ちゃんは自身の眼前に手のひし形を作り、その中から僕を覗く。

「これねー、私の特技。私の体を通り抜けると時間旅行ができるんだよ」

「……………………」

 うん。

 両腕入れ替えに宇宙人にドラゴンにハンターときて、今度は時間旅行かあ。

「あの、ごめん、あんまり分かってないんだけど……」

「だよねだよねー、これだけじゃ意味不明だよね。あのね、スプーンに何が起こったかっていうのを例に説明するね。まずスプーンが私の手の中をすり抜けたでしょ? その瞬間、スプーンは一分過去に戻ったんだよ」

「一分過去……? え、でも、それなら」

 一分前にスプーンがあった場所は、ティーカップの受け皿だ。テーブルには横たわっていなかった。

「そこは過去を変えちゃったからだね。一分前に戻ったスプーンは、本来であれば受け皿に乗っかってるはずなのに、私の手を抜けちゃったせいであるべき場所を変えた。スプーンは私の手の下に落ちちゃったんだね。そして一分前にそこに落ちてたから、私たちは落ちた瞬間の音を聞けなかったの」

「………………むう」

「あっはは、むう、って言った。むう、って言っちゃった。むう、って声に出してる人を初めて目の当たりにしちゃったよー」

 何かがツボに入ったのかお腹を抱えている柚子柚ちゃんはさておき、ええっと?

「スプーンが一分前に落ちてたら、僕らって一分前にはその音を聞いたんじゃないの?」

「あー、無理無理、それは無理だねー。過去に戻ったのはスプーンだけだもの。スプーンだけが一分前に戻って、過去を変えて、今に割り込んできたの。常識的にありえないでしょ、スプーンがいきなりテーブルに横たわってるのって。そのありえないは、過去を変えたせいで起こる齟齬だよ。過去を変えたら今に変化が生じるの。過去が変わっちゃったんだから、今は為す術なく、無理やりに現実を受け入れるしかない、って感じかなー」

 ははあ、分かるような分からないような、いやいや、ちっとも分からない。

「ま、分かんないよねー。これってばほんとはおかしなことで、時間っていうのはそういう流れ方をするもんじゃないんだけどさ。私はほら、神だから、概念自体を自分の価値観に押し込めちゃって、こんな感じになっちゃったんだー」

 時間っていう概念を自分の価値観で変えた? あれ、ほんとに神なの? と、それは置いておこう、今は戻すための説明を受けてるんだ。

「ああっと、今一つな感じなんだけど……分かったってことにして、それを使って両腕を戻すの?」

「そだねー、そうそう、その通り。どっちでもいいけど、二人のうち一人を過去に送ってあげるからさ、そもそも両腕は入れ替わらなかったことにしてきなよ」

「……うん。ん? え、どっちかって、直接行くの? 過去に?」

「そだよー? スプーンを落とすくらいの切っ掛けでなかったことにできるんだとしても、場所はここになっちゃうからねー。過去に戻るためには私の体を通り抜けないといけないでしょ? そんで、私は簡単には家から出られないからさー。この場所で過去に戻って、後は自分で動いて過去を変えるしかないよー」

 ええっと? 記憶を探る。入れ替わった瞬間の出来事ははっきりと思い出せる。永久ちゃんに肩を押されたのが、そもそもの原因だ。

 過去に戻り、あれをなかったことにすれば、両腕は入れ替わらない?

「いや、あの、でも……え、行くって、過去に行くってことだよね? それって過去の自分と会っちゃったり、行くのはいいとして戻るってのはどうするのとか……何か色々問題があるような……」

「だいじょーぶだって、過去にも未来にも生物なんて存在しないから。時間軸に正しく乗ってるのは生物だけ、過去に戻っても誰もいないよ。だから気にせず、存在する物質を動かして入れ替わりをなかったことにしちゃいなー」

「………………ううん?」

「あっはは、ごめんごめん、いきなり言われてもわけ分かんないよね。私が思いついた手っ取り早い方法としてさ、手紙ってどう? これこれこーいうことが切っ掛けで両腕が入れ替わっちゃうから、それだけは絶対にやっちゃ駄目ーって手紙を自分に読ませたら、入れ替わりはなかったことになりそう?」

 手紙、手紙かあ。

 同じクラスの白子ちゃんと手を触れ合わせたら両腕が入れ替わっちゃうから、触れ合うのは絶対に禁止で、としたためるのか。いや、まあ、さすがにそれだけだと過去の僕とやらは何これ? で済ませちゃうだろうから、もっと詳しく記載する必要があるけど。

 でも、そういった手紙を事前に読んでおけば、なかったことにできるかもしれない。

「ええっと、何となく。まあ、うん、手紙を読めば何とかなりそうな気はするけど、問題は…………」

 ん? と怪訝そうに首を傾げた柚子柚ちゃんに肩を竦めて見せる。

「どうやって書こうかなって」

 僕の両腕は白子ちゃんにくっ付いている。これでは一人になった途端、両腕はさっぱり使えなくなってしまう。

「あー、そっかそっか、両手が入れ替わっちゃってるんだっけ。それじゃあ、こっちで書いて持って行けば?」

「え、持って行けるの?」

「だいじょぶだいじょぶ、ポケットに入れてればオッケーだよ」

「はあ、そうなんだ」

「そうだよそうだよ、書くもの取ってくるねー」

 柚子柚ちゃんはスリッパを鳴らして部屋から出て行く。うーん、今の説明だけではさっぱり理解できない。

 一分もせずに戻ってきた柚子柚ちゃんの手にはボールペンとノートがあった。

「はいこれ、どぞー」

 二つを僕に差し出してくるが、慣れないうちは仕方がない。いつの間にやら上半身をがっくんがっくん揺らして一切会話に参加してこない白子ちゃんが両手を振る。

「あ、僕の手、こっちね」

「ふぇ? あ、あー、そっかそっか、入れ替わってるんだよね」

 無事にボールペンとノートを受け取り、白子ちゃんの隣に立つ。

「ええっと、とりあえず手紙を書けばいいんだよね?」

「そだねー、他に思いつく手があれば手紙じゃなくてもいーけどね」

「………………うーん」

 ない、という以前に時間旅行がしっくり理解できない。ならば柚子柚ちゃんの提示してくれた案に従い、手紙を書こう。

 過去の僕に伝えるべきは、忠告だ。

『姫百合白子ちゃんと手を触れ合わせれば、腕が入れ替わってしまう。その結果として不自由な生活をすることになり、解決の当て所もなく二ヶ月近くを過ごすことになる。解決方法として、僕の手紙を過去の僕に送り、両手が触れ合わないように忠告する。この手紙が、その忠告だ。無難な生活を過ごすためにも、白子ちゃんには近付かないように、決して触れ合わないように注意せよ』

 こんなものでいいかな?

 無難を好む僕であれば、この手紙を読めば白子ちゃんを避けるだろう。

 後は具体性、真実性をより確実に与えるため、両腕がどのように入れ替わるのか、今日の日付や今日までどのようなことが起こったのかを簡略化して記しておく。

「これでオッケー……かな?」

「書けた? あ、ノートは新品だから、そのまま持ってっていーよ。両手が使えないと置くのも大変そうだけど、そこは頑張ってねー」

「ああ、うん、大丈夫。ありがと」

 ノートを丸め、ズボンの尻ポケットに押し込む。これなら体をぶつけるなりすれば、ノートを落とせるだろう。

「準備整ったっぽいね」

「かな?」

「おっけおっけー、じゃあ、やってみよっか。あ、過去から出てくる方法は、待つしかないから待っててね。どれくらい待つことになるかは戻った時間によると思うけど、そんなに長くはならないはずだから」

「………………ん?」

 あれ、何かさらっと危険だよ! ってことを流された気がするけど、どうだろう。

「んじゃ、どーする? 早速行く?」

「え? えーっと……あーっと……」

 ちらと白子ちゃんを窺えば、未だに上体をがっくんがっくんさせている。まあ、昨日は夜も遅かったしね、仕方がないね、割りと深刻な説明だったんだけどね、これから問題解決に向かおうって場面なんだけどね。

 そして当然のように僕が行く流れで話が進んでるけど、致し方ない。

「じゃあ、行こっかな」

「さっすが男の子、いいねー、頑張ってー。んじゃ、ほらほら、こっち来て」

 立ち上がった柚子柚ちゃんに手招きされ、テーブルの脇に立つ。

 目の前にいる柚子柚ちゃんが両腕を頭上に伸ばし、両手をぎゅっと握り合わせる。先ほど手で作ったひし形よりも大きな、両腕を使ったわっかが出来上がる。

 人一人なら通せそうなわっか。

「あ、そこを抜けて過去に行くの?」

「そゆこと、んで必要なのは時間ね。何年何月何日何時何分くらいに戻りたいの?」

「え?」

 えー、何その子供の言い合いに出てきそうな時間指定、何年何月はともかく何日はぱっと浮かんでこない。

「あ、私の提案した手紙で伝えるのを実行するんなら、入れ替わりが発生した当日じゃなくても大丈夫だよ? 過去のトイチンが手紙を読んで理解できるくらい、それこそ十年前とかに戻っちゃってもいいんだしさ」

「あー、なるほど」

 なるほど? えーっと、十年前はまずいだろう、白子ちゃんという存在さえ知らなければ、ノートに記した内容を理解してもらえるかが怪しくなる。白子ちゃんのことを知っていて、両腕がの入れ替わる前がいい。

 入学式が四月の一日で、自己紹介をしたのが二日。自己紹介から数日は友達作りに励んでいたから、その辺りか。

「えと、では四月の三日、夕方くらいで」

「おっけーい、それじゃあ時間旅行、行ってみよーか」

 柚子柚ちゃんがわっかにした両腕をゆっくりと下ろしてくる。僕の頭を通り過ぎ、足元までを抜ければ、過去へ行けるってことなのかな。

「……うう、ちょっと緊張する」

「だーいじょうぶだってば、ぶっちゃけトイチンの行動によって今が変化を起こすから、とんでもないことをしちゃったら大変なことになるけど、気楽に頑張りなさいな」

「…………えー」

「あっはは、リアクションはでっかくしないと。あ、それから両腕の入れ替わりがなかったことになったら、ここに来て私に解決してもらうって今も変化を起こすからね。トイチンが戻ってきても、私はトイチンのことを覚えてないよ」

「え?」

 それって。

 言葉が出てくるよりも早く、柚子柚ちゃんのわっかが僕を通り抜けていった。

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