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そして如月澪は決心する。
お母さんは夕方頃帰って来て買い物袋をテーブルの上に置きながらプランターの前に椅子を持ってきてつっぷしていた私に、あら、どうしたの、と声をかけた。
「死にたい。」
私は囁くように呟いた。母はすぐには何も答えず、椅子を持ってきて私の隣に座った。
「昨夜、何本かに黄土色のシマシマが出てたわ。どの道ダメだったわね。」
「昨日、帰ってくれば良かった。」
ぽん、と、お母さんは私の頭に手を乗せながら、
「そうね。いつも判断が正しいとは限らないわ。そしてそれは時として残酷な結果をもたらす。サヤちゃん所に泊まったんじゃないんでしょう。」
「うん。」
「ちゃんと避妊はしたの。」
「うん。」
なでなで、と、お母さんは手を動かしてくれる。
「愛、枯れちゃった。」
「何があったの。」
「話したくない。」
「単に初体験で動揺してるって訳じゃなさそうね。」
「私が悪いの。」
お母さんは一度激しくなでなでしてから手を私の頭から離した。それから、
「澪はよく、自分のせいだって思うわよね。植物育ててたらそうなるわよね。植物は嘘は付かないもの。失敗すればそれは原因は自分にある。まるでそれを正銘するかのように次挑戦すれば花が咲くもの、余計よね。」
ずっと、私の心は何かに締め付けられたままで、心臓が律儀に音を立てている。沸いてくる感情はほとんどがその締め付けに押さえつけられてしまって、時折目に湧き上がって涙を貯めるけれど、それを罪悪感が我慢させる。お母さんが続ける。
「でも、人間も同じよね。きっと、次挑戦すれば花が咲くわ。澪、妖精の花は年中育てられる。その手入れさえ怠らなければ、ね。」
私は黙っていた。お母さんは少ししてから、続けた。
「昨夜、アルフレッドに頼んでおいたからまた種が届くわ。」
「ありがと。」
あまりありがたく無かったけれど、私はそう答えた。
お母さんとお話して少し気持ちが落ち着いた私は立ち上がると、もう一度、ありがとう、と言って、それからいつもの生活に戻った。
先輩からのメールにそれらしく返事をかえしたりしながら私にまたあの花を育てる事は無理だろうな、と思っていた。気力が沸かない。夢中になれない。きっと育ててる最中、ずっとあの花が全て枯れてしまった理由を思い出す事になる。そんな辛い気持ちに私は耐えられない。
そんな事を考えていたのに、夜、お母さんから渡された小さな封筒から転がり出して掌に乗せたその種を見た時、私の胸に湧き上がったのは全く別の感情だった。
「お母さん。」
あの先輩に抉られた心の部分に全く違う感情が埋められていくのがわかる。
「私、もう一回、やる。」
全く違う感情。もう次は失敗しない、という思い、今渡こそ、という願い。
お母さんはポケットから手を取り出すとそれを私の頭に乗せて、
「そう。」
と、嬉しそうに微笑んだ。それから、
「今の澪なら、大丈夫そうね。」
と、付け加えた。
次の日。
私は放課後、先輩を呼び出した。呼び出して、お別れを切り出した。
「ごめんなさい。」
頭を下げる。
「別れてください。」
「え、どうしたんだ、一体。」
先輩は戸惑う態度を見せてくれるけれど、これを機に、って考えてるだろう事もわかる。
「なんか、先輩、やっぱりちょっとイメージと違ったかな、って。ごめんなさい。」
もう一度、頭を下げる。自分でも適当な事を言ってるのはわかってるけれど、先輩はきっと深追いしないだろう。
「そっか、残念だよ、如月とは上手くやれそうだと思ってたのに。」
言いながら先輩は残念そうな顔を見せる。それから、
「どう、もう何回か、デートとかしてみないか?まだ、ほら、お互い知らない事も多いだろう。」
「ごめんなさい。どうしてもそんな気になれなくて。」
はっきりと断る。すると先輩は少し目を細めた。電話を聞かれたのか確かめたいけれど確かめられない、きっとそんな思いなんだろう。これは私の最後の切り札。そう簡単にどっちかわかるようには振る舞わない。
「もし、いつか先輩の事考え直して、やっぱり付き合いたいなって思ったら、その時は私から告白させてくださいね。」
にっこり、と、女の子が見せるような女の子の笑顔を見せながら、私。
「そっか、じゃぁ、仕方ないな。短い間だったけど、ありがとう。」
考えが纏まったのか、判断したのか、先輩はそう言い切った。それから、先輩はとても不思議な事をした。
私に手を差し出したのだ。
「!?」
驚いて先輩を見る。先輩は、あの私に優しくしてくれている時の笑顔をしていた。一瞬、先輩は本当に私の事が好きなんじゃないだろうか、と、考えてしまう。
でも、それは馬鹿な話。例え本当だったとしても、とても馬鹿な話。
「ええ。」
私も手を差し出してその手を強く握った、笑顔と共に。先輩の手は大きくて男の人の手っていう感じがした。
「私の方こそ、ありがとうございました。」
その日、遠野は如月の処女を奪った男と一緒に帰っていた。たまたま帰りが一緒になっただけで、遠野はその男の凶行を知らなかったし二人は基本的には仲の良い友達だった。人生というものに意味を見出そうとしている遠野は男にとっても自分の邪魔はしない興味深い存在だったし、何より女にモテたのでいい餌になった。
「あれ、遠野んチこっちだっけ。」
「あ、俺ルート変えてるんだよ。」
「なんで?」
「まぁ見ればわかるって。」
しばらく進んでから、男が声をあげる。
「げ、こっちって如月んチの方じゃね?」
「ああ、良く知ってるな。」
「あー、たまたま。」(そりゃ、下調べ色々したからなー。)
そのまま遠野は如月の家の方へと歩いて行く。たまらず男が声をかける、
「ちょ、如月んチの前通るんか?やめとこーぜ。」
「ん?なんかあったんか?」
「いや、別に何もねーけど、ちょっと気まずいんだよ。」
「一週間だけ付き合ったからか?」
(なんだよ、知ってたのかよ。)「そういう訳じゃないけどさ。」
そして角を曲がるとちょっと遠い所に如月の家が見える。丁度如月は窓際のプランターに生えてる茎を布で拭いてる所だった。遠野は足を止め、男もそれに習う。
「如月、ずっとああやってあの花の面倒見てるんだよ。毎日毎日、多分、土日も。」
「親が植物園の園長なんだろ。植物、好きなんだな。」
「一回、全部枯れちゃった事があって、な。それで辞めるんかなぁって思ってたら、また新しい種植えたみたいなんだ。」
「ふぅん。」
「朝は水やりもやって、夕方はああやって拭いたりなんか切ったりして。よくあんな大変な事、出来るよな。それも毎日毎日。」
「好きだからじゃないか。」
「なぁ、ああやってすっげ丁寧に面倒見てる所見てると、さ。如月、なんか花の妖精みたいに見えね?」
「はぁ?妖精?」
男が素っ頓狂な声をあげる。あげながら、覗き見る如月は花の手入れをうれしそうにしている。その時不意に如月が顔をこっちに向けて、男は慌てて遠野の後ろに隠れる。
遠野は片手を上げると、また、歩き出した。
「なんだ、仲良くなったんか。」
そんな遠野を追いながら男が聞く。すると遠野は、
「いや、始めて目があった。」
と、うれしそうに答えた。
これが、私が日本で二番目になる妖精の花を開花させた時の物語り。アルフレッドはこの物語りを大層喜んで、鮮やかな花に囲まれた南米の地で今でも訪ねてくる人に楽しそうに語って聞かせる話の一つにしているらしい。