狐雨
「お母さん、人間の街ってきれいだね。きらきらしていているよ。
お星様が沢山輝いているみたいだね。」
森に住むキツネの子は、遠くに灯る人間の街を眺めながら言いました。
うっとりとした瞳には街の明かりが揺らぎます。
そんなある日
森の中で声が聞こえてきました。小さな女の子です。
お手手をお顔にあてて
「えーん、えーん」
と声を上げています。
キツネの子は思わず近寄りました。
女の子の目からはポロポロとしずくが落ちています。
女の子は、キツネの子に気づくと泣くのをやめました。
キツネの子は、どうしていいのかわかりませんでしたが、女の子を丘へと連れて行くことにしました。人間の街が見えるあの丘です。
もしかしたら、この女の子はあの街からやってきた子かもしれないぞ。
キツネの子は、そう考えたのです。
丘へ到着すると、女の子は笑いながら
「私のお家。ほら、お家が見えるわ。」
と遠くを指さして言いました。キツネの子は女の子を街へと続く道へと案内しました。
この道を下れば街へ帰れます。
女の子は手を振り、何度も振り返り帰っていきました。
キツネの子は女の子が見えなくなるまで見守りました。
家に帰りキツネの子は、お母さんキツネに今日のことを話しました。
「お母さん、今日ね、森に人間の女の子がいたよ。
それでね、こうやってえーんえーんしていたよ。」
キツネの子は、女の子の真似をして見せました。お母さんキツネは
「まあ」
と言って驚きましたが、キツネの子に言いました。
「女の子は泣いていたのね。」
「泣くってどういうこと?」
キツネの子は、お母さんキツネに聞きました。
「ポロポロとお目目から、涙粒が落ちるのよ。きっと、女の子は迷子になって寂しかったのね。」
それを聞いてキツネの子は
ああ、あの雨みたいなしずくが涙というものなんだな。
と心の中で思いました。
それからというもの、キツネの子は、女の子のことを真似て毎日を過ごしました。小さなお手手を顔にあて泣いた真似。別れ際、何度もお手手を振る真似。
でも、いくら真似てみても、お目目から涙は落ちませんでした。一粒も落ちてはくれません。
そして、夜が来るとキツネの子は、街の明かりを眺めながら
「あの子、お母さんにちゃんと会えたかな。」
少し心配に思うのでした。
いく日過ぎたでしょうか。
ある日、あの女の子が森へやってきました。
キツネの子は嬉しくなって、急いで飛び出して行きました。
お母さんキツネは慌てて止めようとしましたが、遅かったようです。
お母さんキツネは離れた場所から
キツネの子を見守ることにしました。
女の子はキツネの子を見つけると、顔いっぱい笑顔を見せ駆け寄ってきました。
その後ろには、女の子のお母さんがいました。
キツネの子は嬉しくて、くるくると体を回しました。女の子もキツネの子を真似て、くるくると回ります。
その時、キツネの子はおかしなことに気づきました。
女の子の頭には、キツネの子のようなお耳がついています。
キツネの子が見ていると
「あなたの真似っこしてみたのよ、キツネさん。これ私が作ったの。」
得意そうに、そう言うと見せてくれました。
それは、紙でできたお耳でした。女の子が動くたびにそれも動きました。女の子もキツネの子を真似ていたのです。
キツネの子も、女の子の泣いている真似、お手手を振る真似をして見せました。女の子はころころと笑いました。
鈴のような笑い声です。
女の子もキツネの子もお互いを思い合っていたのです。
沢山遊びました。
女の子が走ればキツネの子は追いかけます。キツネの子が隠れれば女の子は探します。
何て素敵な一日でしょう。こんなに楽しい日は初めてです。
時を忘れて遊びました。
遊んでいた女の子とキツネの子の目に、街の明かりが一つ、また一つと灯るのが見えてきました。
夕暮れです。
それを見て、キツネの子の胸は、きゅうっとしました。
いつもは大好きな街の明かりが今日はさみしく見えました。
女の子のお母さんが女の子を呼びます。女の子はキツネの子に近寄ると耳元で
「キツネさん、私、あなたのこと忘れないわ。約束よ。」
そう言いました。そして、頭を一つ撫でてくれました。
女の子は手を振りながら、お母さんのもとへ走っていきました。
キツネの子の胸はいたくて仕方がありません。
女の子たちが見えなくなるまで、ずっと二人の後ろ姿を見ていました。
二人が帰っていくのを見届けると、お母さんキツネがそばに来ました。
「お母さん、ここがいたいよ。きゅってするよ。」
きつねの子は、お母さんに胸を見せながらいいました。
「そうね。」
お母さんキツネはそう言うと、キツネの子の胸を撫で、ぎゅっと抱きしめました。キツネの子の目からは涙がぽろんぽろんと落ちました。
「いい子ね、いい子よ。」
お母さんキツネは子守唄のように繰り返しました。
その時、雨が降り出しました。
お空は晴れているのに雨はポロンポロンと落ちてきます。
「あら、狐雨。」
お母さんキツネは言いました。
きっと、この子の涙のせいね。
お母さんはそう思いました。二匹はお家に帰ることにしました。
風邪をひいたら大変です。
帰り道キツネの子は、お母さんに言いました。
「お母さんあの子、僕のと同じお耳みたいなのをつけていたよ。」
「キツネになってみたかったのかもしれないわね。」
お母さんキツネは、くすりと笑いました。
「お母さん、僕ね、僕ね、女の子が帰っていくとき、お手手を振るのを忘れちゃったよ。」
残念そうなキツネの子を見て、お母さんは言いました。
「またいつか、会える時まで取っておきましょう。
いつか会える時まで。」
それを聞くとキツネの子は嬉しそうにうなずきました。
空には三日月が笑っています。
雨は上がっていました。綺麗な晩です
キツネの子の涙も、もう乾いていました。