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番人の孫娘 ~「異世界の扉を開けぬなら用済みだ!」と捨てられた私ですが、祖父の遺志とともに幸せになります~

作者: 上下左右


 村の外れへと続く石畳の道。


 苔に覆われたその細道は、朝露に濡れて深い緑色に輝いていた。


 雨の多いこの地方ならではの静けさに包まれたその先に、不釣り合いなほど異質な扉が、ひっそりと佇んでいる。


 金属でも木製でもない。どこか透明感のある黒い門。周囲には柵もなく、見張りもいない。けれど、誰も近づこうとはしない。


 理由はただひとつ。


 この門を開けることができるのは、世界でたった一人。


 フィオナの祖父だけだからだ。


『門には触らないようにな』


 昔、そうやって釘を刺されたことがある。祖父の声は、落ち着いていて、少しかすれていて、それでいて、不思議と胸の奥まで届く優しさを含んでいた。


『もちろんです、おじい様』


 幼いフィオナは、そう素直に頷いて、祖父の隣に並んで門を見上げた。少しだけ手を伸ばせば届きそうな高さだったが、一度も触れたことがない。


 あれから、もう五年が経過した。


 いつの間にかフィオナは祖父の肩を追い越すほどに背が伸びていた。けれど、門は当時のまま変わらない。冷たい雰囲気を放ちながら、ただ静かに佇んでいる。


「おじい様なら、開けられたのにな……」


 小さくつぶやきながら、フィオナは扉の前に腰を下ろす。湿った草の感触が、足元からじんわりと伝わってくる。


 祖父はこの門の先にある異世界からたくさんの物資を取り寄せていた。穀物、調味料、薬、そして嗜好品――どれも、この村では手に入らないものばかりだ。


 中でもフィオナが好きだったのは、お米だ。炊きたての湯気に顔を近づけるだけで、ついつい笑顔がこぼれてしまうほどだった。


『ねえ、おじい様。このお米は異世界のものなのですか?』


 ある日、あまりのおいしさに我慢できず、お椀を両手で抱えたままに問いかけたことがある。


『そうだ。そしてフィオナの故郷の味でもある』

『私の?』

『とても素晴らしい国なんだぞ』


 そのときの祖父の笑顔が、今も胸に焼き付いている。


 だが当時のフィオナは知らなかった。この門が、どれほど国にとって重要なのかを。そして祖父が、どれほど貴族たちに利用されてきたのかを。


「おじい様……どこに消えたのですか……」


 門の前で、フィオナはぽつりとつぶやく。声に出したところで返事はないと分かっているのに、言わずにはいられなかった。


「おじい様が消えて、もう一か月が経過したのですよ……」


 その事件は突如として起きた。朝、目を覚ますと、祖父がいなくなっていたのだ。


 寝床も整えられていたし、家の中も荒らされていない。まるで霧のように彼は消えてしまった。


 村人と一緒に森を探し、川のほとりや、裏山のほうも見て回った。門のまわりだって何度も調べたが、手がかりひとつ見つからなかった。


『もしかしたら扉の向こうの異世界に行ったのかも……』


 それは村人の誰かが何気なく漏らした一言だった。


『異世界、か……』


 最初は受け入れられなかったが、祖父ならありえるかもしれない。そう思い始めた彼女は、それから毎日、門の前で待つようになっていた。


「おじい様……今日も、まだ帰ってこないのですね……」


 呟いた声は、門に吸い込まれるように静かに消える。


 そのときだ。


「おい、フィオナ」


 背後から不機嫌そうな声がかかる。


 ぴくりと肩を揺らしながら振り返ると、陽の光を受けた銀髪の青年が立っていた。整った顔立ちに、冷たい光を宿す瞳の持ち主。


 アルバート・ヴァルン公爵子息。


 一か月前まで、フィオナの婚約者だった男である。


「また門の前にいたのか……」

「ここにいると落ち着きますから」

「くだらないな。この門は、あの老人がいたから価値があったんだ。もう開かないものを眺めて何になる」


 あの老人。フィオナの祖父をアルバートはそう呼ぶ。


 胸の奥がちくりと痛んだが、彼女は表情を変えずに聞き返す。


「それで、私に何かご用ですか?」

「貴様には伝えてやろうと思ってな……この村は帝国に譲渡されることになった」

「譲渡?」

「我が公爵領から切り離され、帝国の領土になるということだ」

「そうですか……」

「ふん、貴様には興味のない話か」

「私にとってはおじい様がいてこそ、意味のある場所でしたから」

「そうか……ならこれで終わりだ。貴様と私の関係もな」


 あっけない一言だった。そこには一切の未練もない。


「私を愛し続けるという誓いは、やはり噓だったのですね……」

「当然だ。貴様との婚約は政治的に必要だからこそ結んだだけだ」

「……そこに愛はなかったと?」

「私は、貴様が門番の責務を引き継ぐと信じていたからこそ、愛している演技をしていたに過ぎん。だが、まさか、門を開けられないとはな。がっかりだよ、まったく」

「…………」

「じゃあな、二度と会わないだろうが、達者で暮らせ」


 アルバートは踵を返し、森へ続く道へと消えていく。


 その背中を、フィオナは追わない。


 愛の囁きも、差し出された手も、あの人にとっては演技だったのだから。


「帰りましょうか……」


 小さくつぶやいて、立ち上がろうとする。だが膝が動かない。門の前から動くことを感情が拒絶したのだ。


 空がゆっくりと朱色に染まっていく。夕日が赤く照らし、影が長く伸びていく。


「おじい様……」


 呟きと共に時間が溶け、夜の帳が落ちていく。


 森の奥から獣の低い声が響いてくるが、それでも、彼女は門の前から離れようとはしなかった。


 そんな時だ。フィオナの肩に、ふわりと外套が掛けられる。


「寒いだろう」


 驚いて振り返ると、そこには見慣れない青年が立っていた。群青の服に身を包んだ長身の男は、月光で黄金の髪を照らしている。


「探したよ、フィオナ」

「あなたは?」

「僕はクリフ。帝国の第一皇子であり、君の婚約者だ」

「え……」


 突然の話にフィオナが戸惑っていると、クリフは優しげに微笑む。


「信じられないかもしれないが、アルバートが婚約を破棄するようなら、僕が代わりに君の婚約者になる。そういう契約をおじいさんと交わしていたんだ」

「おじい様が……でも私には門を開ける力はありませんよ」


 異世界への門を開けられないフィオナと婚約を結んでも旨味はない。そう告げると、クリフは一歩前へと進む。


「そんなことは問題じゃない」

「ならなぜ私と婚約を?」

「君は覚えていないかもしれないが、僕は幼いころ、病を患っていてね。この村にしばらく身を寄せていたんだ……当時の僕は、もう助からないと両親からも見捨てられていた。誰にも期待されず、ただひとり、死を待つだけの時間を過ごしていたよ……」

「クリフ様……」

「でも君は、そんな僕を救おうと必死に看病してくれた。その優しさが、生きる希望をくれたんだ……」


 異世界の薬と、フィオナの看病。その両方のおかげで病に打ち勝ち、次期皇帝の座を取り戻したのだと、クリフは笑う。


「今度は、僕が恩を返す番だ」


 クリフはまっすぐに手を差し出してくる。


「どうか、この手を取ってほしい。君を必ず幸せにすると約束する」


 クリフの言葉は真摯だった。差し出された手は微かに震えていて、それが彼の本気を物語っていた。


 静寂が場を包み込んでいく。だが次の瞬間、門がわずかに開いて風が吹く。


「えっ……」

「門が……」


 二人が驚いたように目を見開くと、門の向こう側から、手紙がふわりと宙を舞う。そしてフィオナの足元へと落ちた。


「この手紙は……」

「もしかしたら君のおじいさんからかもね」


 フィオナは震える手で封を切る。そこから現れた筆跡は、紛れもなく、祖父のものだった。


『フィオナへ。この手紙を読んでいる頃、私はもうそちらの世界にはいないだろう』


 たった一行で、喉が詰まる。震える指でなぞるように、次の文を追う。


『私は病だ。異世界の薬でも治療できず、きっと長くは生きられない。だからこそ、私にはやらなければならない使命がある』


 視界が滲む。けれど、読み進めずにはいられない。


『私はこれから、フィオナの本当の家族を異世界で探す。そして会えたなら、きっと連れて帰ると約束しよう。そして伝えるよ。私の孫娘は優しくて、立派に育ったとな』


「おじい様……」


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。祖父がまるで隣にいるかのように感じながら、フィオナは手紙を握る手に力を込める。


『私はお前を、心から愛している……ありがとう。そして、さようならだ。フィオナが幸せでありますようにと異世界から祈っているよ』


「う……うぅ……」


 堰を切ったように、涙があふれる。静かに、そして止まることなく、頬を伝い、手紙を濡らしていく。


「そんな……ひどいですよ、おじい様……私を置いていかないでください……」


 肩が震え、唇を噛みしめる。それでも押し殺すような嗚咽が漏れた。


「おじい様……私も……愛しているから……」


 願わくはこの声が、門を抜けて祖父のもとまで届きますように。そう祈るような言葉を口にする。


 すると、祈りが通じたのか、門が光を帯びる。かすかな地響きとともに、空気が震え、門から影が吐き出された。


「え?」


 現れたのは、大きな米俵だ。それがひとつ、またひとつと、止まることなく、次々と門を越えて現れてくる。


「これ……まさか!」


 フィオナは立ち上がり、涙の跡が残る頬を拭いながら、米俵へと駆け寄る。


「私の好物のお米……でもどうして?」


 その疑問に答えたのは、傍にいたクリフだった。


「おじいさんと同じ能力が君に宿ったんだ」

「……私に?」


 フィオナは思わず自分の胸元に手を当てる。


「でも、私はおじい様と血が繋がっていませんよ」

「だとしても、君たちは家族だ。だからこそ、異世界への門は君の気持ちに応えて、好物を送り届けてきたんだよ……間違いなく、君こそが、この門の継承者だと伝えるためにね」

「――――ッ」


 涙が、またこぼれそうになる。


 それは悲しみではなく、ようやく自分が「何者か」になれた気がしたからだ。


「私がおじい様と同じ力に……」

「きっとアルバートは後悔するだろうね。なにせ公爵家は異世界から仕入れた物資のおかげで発展してきた領地だ。それを帝国に明け渡したのだから、最悪、彼の廃嫡もありえるよ」


 婚約破棄をした彼には相応の罰が下ると、クリフは続ける。だがフィオナは興味がないのか、首を横に振る。


「あの人と私はもう赤の他人ですから」

「フィオナ……」

「これからの私は誰にも左右されたりしません。私の人生を貫きます。おじい様が帰ってくるまで、私は門番を続けるんです」


 そう言って、フィオナは静かに笑う。笑みはやわらかく、どこまでも澄んでいた。


「なら、その人生を、僕にも隣で見させてくれないかい?」

「もちろん構いませんとも。これからもよろしくお願いしますね」


 祖父は、きっと向こうの世界で笑っている。だからフィオナは、背筋を伸ばし、まっすぐ門を見据え、異世界から彼が帰ってくるのを待つのだった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました

いつも読んでくださる皆様のおかげで、執筆活動を頑張ることができます


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