5:双子の姉は前線に立つ
卒業の翌月、ガザード公爵家の騎士団を加えて再編成された討伐隊が王都を出発した。
ガザード公爵家の指揮は、次期公爵である令嬢ディアナ・ガザードが執っている。
女性指揮官ということで注目は集めたものの、アカデミーを首席で卒業した才女とあって、表立って文句を言うものは誰も居なかった。
(言いたいことはあっても、誰も口には出せないという雰囲気ね……)
当のディアナは討伐隊の空気を肌で感じとっていた。
アカデミーを卒業してからというもの、これまでは主にアカデミー内でのみ囁かれていたディアナの悪評は、広く社交界で流れることになった。
『ガザード公爵家の娘は、公爵の座欲しさにわざと目立つように振る舞っているらしい』
『男を蹴散らして得た首席なんて、さぞかし居心地が悪かろうに』
『男を立てることを知らぬ女など、誰が相手にするものか』
そんな陰口が、ディアナの耳にも入っていた。
前世では流行り病で亡くなった父の後を継いで商会経営に乗り出した後に、同じような悪評が広まったものだ。
今世では、前世よりも話題になるのが早い。
目立つことをしてしまったからだろうかと思いはするが、そこに何らかの意図を感じて、薄ら寒くもなる。
(思えば、随分と人から恨みも買ったものね)
亡き父に代わって公爵家を、そして商会を盛り立てる為に、随分と無茶をした。
敵も多く作った。
それが間違いだったとは思わないが、もう少し上手くやれたのではないかと、今ならば思う。
人生をやり直すことなど、普通は出来ない。
だが──、
(今なら……この新しい人生でなら、もっと上手くやれる気がする。ううん、やってみせる──!)
その第一歩とも言える、魔獣討伐への参加。
騎士達に混じって、ディアナも女性騎士の正装を身に纏い、本陣を歩く。
目指すは、作戦本部が設けられた天幕。
「おお、ディアナ殿」
運命を捻じ曲げてでも死なせたくない相手──王弟アラン・ラトリッジがそこに居た。
「改めて、ガザード公爵騎士団の参加をお認めいただき、ありがとうございます、王弟殿下」
「王弟殿下なんてやめてくれ、いつものようにアランでいい」
ディアナが畏まって頭を下げると、アランが気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そうはいきませんわ、仮にもガザード公爵家の兵を預かる身ですもの」
ディアナが目を細めて笑う。
彼女が微笑む姿に、周囲の騎士達が一瞬呆気にとられ、頬を染めた。
アカデミーでは常に冷静沈着、澄ました表情しか見せてこなかった。
そんなディアナの貴重な笑顔がアランの前では自然と零れることに、当人さえ気付いてはいない。
「兵を率いて来てくれたことは有難いが……」
「ご迷惑でしたか?」
「いや、そんなことはない。とても助かっている、が……」
首を傾げるディアナの前で、アランが眉間に皺を寄せる。
「ディアナ殿の安全を考え、ガザード騎士団には後方の守りを任せるべきかと──」
「失礼ながら、殿下」
再び、ディアナの口調が畏まる。
元王国騎士団長であり、王弟という立場から、アランは此度の魔獣討伐の総責任者を担っていた。
配置他全て、討伐軍の采配はアランに委ねられている。
そのアランから離れた場所に配置されては、この討伐に参加した意味がない。
「女であっても、お役に立ってみせます。どうか、他の者達と同じようにご命令ください」
「しかし……」
「自ら戦場に志願しておきながら、臆病風に吹かれたなどと思われたくはありません。どうか、このディアナにチャンスをくださいませ」
アランにとって、ディアナは友人の娘であり、自分に懐いてくれている数少ない相手だった。
王族の一員でありながら、母方の血筋のせいで他の王族から疎まれ、高位貴族からも距離を置かれている。
そんな中で友人付き合いをしてくれたディアナの父と、自分を見るなりいつも表情を綻ばせて駆け寄ってくるディアナの姿は、何よりの癒やしであった。
ディアナの願いならば、叶えてあげたい。
そう思う反面、彼女の安全にも気を配りたい。
相反する思いが、アランの頭を悩ませる。
「魔獣討伐は、気が抜けない。君を守るほどの余裕はないかもしれない」
「大丈夫です。私が殿下を守ります!」
瞳を輝かせるディアナに、自然と表情が綻ぶ。
他の騎士にこんなことを言われたら、何を生意気なと文句の一つも言っていたであろう。
だが、ディアナに言われるのは、不思議と悪くない──微笑ましさと共に、胸がじんわりと温まるような心地よさを感じてしまう。
「……分かった。本隊から──俺から離れぬようにな」
「はっ、ありがとうございます!」
ディアナの笑顔につられるようにして、自然とアランも表情を綻ばせる。
(ディアナ殿には、勝てないなぁ)
私情は禁物と思いながらも、つい他の騎士達よりもディアナのことを優先してしまいそうになる。
今回ガザード騎士団を後方に配置しようとしたのも、彼女の安全を考えてのことだ。
(あんなに幼かった彼女が、いつの間にこんなに大きくなったのか……小さい頃はアラン様アラン様と、よく甘えてくれたものだが)
そのディアナが、凜々しい女騎士として自分の隣に立っている。
そのことが嬉しく感じる反面、幼い頃のように素直に甘えられないことに、僅かばかりの寂しさを感じてしまう。
(幼かった彼女が、こんなにも美しくなって……俺も年を取るはずだ)
ディアナが本陣に現れただけで、騎士達の纏う空気が変わる。
皆が姿勢を正し、己を良く見せようと意識していた。
それだけの魅力が、彼女にはある。
月と呼ばれるほどに美しく、そして気高い姿に、誰もが魅せられた。
一部では悪く言い立てる者も居るが、そんな奴等も、ディアナ本人を見て口を閉ざす。
噂などくだらぬと一笑に付してしまうほどの気高さが、彼女からは感じられた。
アランはといえば、そんな風にディアナに見惚れる騎士を見かけると、つい睨み付けてしまう。
アランにとってディアナは友人の子であり、庇護すべき相手だ。
悪い虫を寄せ付ける訳にはいかないと自身の行動を正当化しつつ、騎士達を牽制する行動に他の感情が混じっているなど、今はまだ考えもしていない。
魔の森での魔獣討伐は、アランの身を案じるディアナが呆気なく感じるほどに、順調に進んだ。
元より歴戦の王国騎士達、よほどのことがなければ遅れを取るようなことはない。
剛勇で知られた王弟アランが指揮を執るなら、なおのこと。
(大恐慌が発生しそうな兆候は、今のところ見られないわね……)
魔の森と言われるほどの危険地帯、当然平穏とはほど遠い。
だが討伐にあたる騎士達も、アランも、異常を感じた様子はない。
それではなぜ、アランを始めとする王国騎士達が多くこの地で命を落としたのだろう。
奇妙な兆候は、魔の森ではなくその入り口に敷いた本陣で発生した。
「我がガザード騎士団に、街に戻れと?」
今回の魔獣討伐の副司令官を任命した近衛騎士団副団長の言葉に、ディアナが怪訝そうに眉を寄せる。
「まだ魔獣の討伐は続行すると聞いておりますが」
「ガザード騎士団には、負傷兵の護衛と輸送をお願いしたい」
副司令官の返答は、淡々としたものだった。
「我がガザード騎士団五百の兵を、負傷者の護衛に回すと?」
あまりに馬鹿げた命令だった。
確かに魔の森付近で魔獣が出没することがあるとはいえ、護衛に割くような人数ではない。
副司令官の言葉は、ガザード騎士団に後方に引っ込めと言っているのと同義であった。
「アラン様──総司令官は何と?」
「これは決定事項だ。ガザード公爵家も、妙な反抗心を抱かぬほうが身のためだろう」
副司令官の目は冷たく、どこか軽蔑を含んでいるようだった。
アランならばどうしてその役を担ってほしいか説明した上で、動く騎士達に労いの言葉を掛けてくれるだろう。
このように誰かを通じて指令だけを飛ばすようなことはしない。
(私達を、アラン様の隊から引き離したいということ……?)
ディアナの脳裏に、不安が過る。
大恐慌──魔物の異常発生により、アランを始めとする王国騎士達が多く命を落とした。
王城からの発表を疑ったことはなかったけれど、二度目の人生を歩む今、いざ前線に出てみれば、大恐慌の兆候は微塵も感じられない。
「しかと伝えたからな」
居丈高な態度でそう言い残し、副司令官がガザード公爵家の騎士達に割り当てられた天幕を出ていく。
その後ろ姿を見つめる騎士達の瞳には、明らかな不信感があった。
「ここで撤退って、本気か?」
「俺たちを前線から外して、何を考えているんだ……」
騎士達が眉を寄せ、不満げに囁き合う声がディアナの耳にも届いた。
「どうする、お嬢」
ディアナに直接声を掛けてきたのは、ガザード公爵騎士団副団長であり、ディアナが幼い頃から護衛を務めていたイアンだ。
ディアナにとっては数少ない心許せる相手であり、頼りになる騎士でもあった。
「命令を聞かない訳にはいかないでしょう」
「しかし、あの王弟殿下がお嬢に指令を下すのに、部下を使いに出すかねぇ」
イアンの声には意味ありげな響きが含まれていた。
彼は彼で、先ほどの指令に違和感を覚えているのだろう。
「だからって、命令に違反する訳にはいかないわ」
「それはつまり、違反さえしなければ良いと?」
何かを察したようなイアンの言葉に、ディアナがにこりと微笑んだ。
翌日、予定通りにガザード騎士団は前線基地から撤退した。
此度の遠征軍はアランが所属する第三騎士団と、副司令官が所属する近衛騎士団、そしてガザード騎士団による混成部隊であった。
ガザード騎士団の移動により、軍勢のおよそ四分の一が撤退したことになる。
異変は、その夜に起きた。
静まり返った野営地に、不審な影が動く。
蠢く影は魔獣ではなく、明らかに──人の形をしていた。