42:静かな苦悩
「さぁ、どうぞこちらへ」
若き宰相セオドア・サクソン侯爵に促され、ディアナとアランが席に着く。
王城の奥まった一室はカーテンが開けられているにも関わらず薄暗く、どこか空気が澱んでいた。
「王太子殿下はフィーラン王国特使の歓待に赴いておりますので、本日は私が応対させていただきます」
恭しく頭を下げるセオドアだが、その瞳に生気はない。
目の下を彩る隈が、整った顔立ちをどこか陰気に見せていた。
銀の髪と白い肌──普段ならば女性達が放っておかないであろう彼の美貌もどこか造り物めいて、その面にはぎこちない笑みが浮かんでいた。
セオドア・サクソン宰相は今年で二十九歳。
働き盛りの彼だが、報告書を握る手指は痩せ細り、頬は痩けていた。
「さて、どこから話したものか──」
アランとディアナと向かい合うように座り、セオドアが一つ咳払いをする。
「まずは、特使であるマクブライド海軍提督を王都までお連れくださり、ありがとうございます」
「いえ、感謝には及びません」
セオドアの言葉に、ディアナが応える。
アランは無言のまま、じっと対面に座るセオドアを見つめていた。
「ですが──相手はいまだ国交を結んでいない一国家。公爵家といえど、貴族家が独自で動くのは少々やり過ぎではないかという声が上がっています」
始まった……と、ディアナは内心でため息を吐いた。
王城に呼び出されるのは、もう何度目になるか──どれも賛辞よりも苦言ばかりを呈されている。
今回の呼び出しも、釘を刺されるだろうことは覚悟していた。
「一部では、ガザード公爵家の叛意を疑うとも」
セオドアの声に、アランの片眉がピクリと震えた。
アランの母は、謀反の疑いで取り潰されたペニントン公爵家の令嬢であった。
アランは生まれた時から謀反人一族の血を引く子供と蔑まれ、王弟でありながら王城で冷遇されてきたのだ。
「そもそも、お二人が偶然港に居合わせた時点で──」
「お言葉ですが、宰相閣下」
薄暗い部屋の澱んだ空気を、ディアナの凜とした声が切り裂く。
「新婚夫婦が海辺の街に旅行するのがおかしいと……そう仰りたいのですか?」
セオドアを見据える紫色の瞳に、強い光が灯る。
「アンガスの町を治めるクィルター男爵は我がガザード家の寄子であり、令嬢は私のクラスメイトでもあります。そんな我々が、港町を訪れること自体が不審だと?」
ディアナの瞳が、じっとセオドアを見つめる。
先に視線を逸らしたのは年若いディアナではなく、世慣れした宰相の方だった。
「あくまで、そのような意見が出ているというだけのこと」
「でしたら、事実確認もしないうちに、あなたがそれを口にすることの危うさをお考えください」
ディアナの唇から、大袈裟に息が漏れる。
「事実無根の噂ならば、訂正せねばならぬところを……どうしてそのように有象無象の声を増長するようなことを仰るのです?」
セオドアの意図は、嫌というほど分かっていた。
カーティスの応対に追われるローレンスに代わってガザード家を追求し、自分達の非を認めさせる。
大人しく牙を抜かれるならそれで良し、強硬な姿勢を取る場合は、叛意ありと見做して対処に出ることだろう。
──だが、相手はローレンスではない。
「先ほども申し上げた通り、クィルター家はガザード家の寄子です。突然見知らぬ国の軍船が現れ、彼が対処に悩むのは当然のことでありましょう。そんな男爵家の代わりに我等が応対したことが、それほど責められるべきことなのでしょうか?」
「王家に任せるべきとは思わなかったのか」
「当然、即時王都に使いを走らせました。しかし、王都から港町までは距離があります。その間、特使をただ待たせるだけにしておけと仰るのですか?」
予想通り、ディアナの剣幕にセオドアがたじろぐ。
セオドアは、ローレンスとは違う。
相手に非が無いにも関わらず、相手を追い込むことは出来ない。
己の咎をわきまえる程には、良識が残されているのだ。
「一貴族家が他国と交易を開くなど、越権行為だと申し上げているのです」
「では、どのようにすれば良かったのでしょう。追い返すか、あるいは王都から人が到着するまで待てと? あの状況で?」
自分の言っていることに無理があると、彼自身分かっているのだろう。
だからこそ、次第に語気が弱まってくる。
「向こうは最新鋭の軍船を建造するほどの技術力を持ち合わせております。下手に事を荒立てるより、穏便に対応するのが一番と愚行いたしました」
ディアナの言葉に、嘘はない。
ただ一つ裏があるとすれば──、
(前世の記憶から、そろそろ港にフィーラン王国の船が来る頃だと分かっていてアンガスに行ったのだけどね……)
どれだけ疑われようが、腹を探られようが、証拠の一つも出てこない。
それは、尋問している側のセオドアでさえ分かっていた。
「はぁ……そちらの言い分は、分かりました」
たまらず、若き宰相の乾いた唇から、ため息が漏れた。
「殿下とも協議の末、ガザード家には追って連絡をいたします」
「誤解が解ける日をお待ちしております」
席を立ったディアナが、軽く一礼する。
アランは、最後まで無言のまま。
じっとセオドアを見つめた後、ふいと視線を逸らした。
バタンと扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
一人部屋に残されたセオドアは、椅子に座ったままずるずると崩れ落ちた。
「はぁ……」
肺を空にするほど、息を吐く。
彼とて、尋問したくてしている訳ではない。
ガザード家の追求は、王太子ローレンスの命令なのだ。
(どうして、殿下はあそこまでガザード家を目の敵になさるのか……)
今もまだ、王太子の言葉がセオドアの耳にこびり付いている。
『どんな手段を使っても構わん、ガザード家を潰せ』
『しかし、殿下……理由もなしにあれだけの家門を潰すなどと──』
『理由がなければ、作れば良いだろう?』
自らが仕えるべき主の、歪んだ笑顔。
背筋が震えて、目を逸らすことが出来なかった。
『罪状一つ作れないと言うのなら、こいつを貸してやる』
『貴女は──』
そうして、王太子に紹介された相手。
その相手を上手く用いたならば、彼の望む通り、ガザード家を追い込むことは出来るだろう。
だが──、
(これではまるで、難癖を付ける王家の方が悪ではないか……)
噛みしめた唇から、じわりと血が滲む。
ぼんやりと虚空を見上げたセオドアの顔は、苦渋に満ち溢れていた──。









