4:元夫は憎悪する
「危険な場所? 誰かが行かなければいけない場所でしょう」
魔獣討伐は、ラトリッジ王国にとって必要なこと。
それをディアナが指摘すれば、マイルズの片眉が跳ね上がる。
「それをなぜお前が行く必要がある。お前は──ディアナは女なんだぞ!?」
以前は気付かなかった、マイルズの価値観。
ディアナの夫であった時も、マイルズはディアナに良き妻であること、子供を産んで育てることを求めていた。
女公爵として働くことは、一切求めたことはない。
むしろ婿でありながら、男である自分が表に出るべきだと主張していた。
「女だから、なに? 実力で私に劣る男は、大量に居ると思うのだけれど」
ディアナにとって、マイルズは自分とコーデリアを比べない、一緒に居て気楽な数少ない相手だった。
コーデリアではなく、自分を見てくれる。
そう感じていたからこそ、一度目の人生では彼を夫に選んだのだ。
今なら分かる。
マイルズも他の男達と同じ。
いや、ある意味ではそれよりもたちが悪い。
他の男達はディアナよりコーデリアが与し易いと見て、コーデリアに擦り寄っていた。
だが、マイルズは違う。
ディアナの性格、性質を知ってなお、ディアナに女らしく自分に従うことを求めていた。
ディアナに女としての役割を、自分の子を産むことだけを求めていた。
ディアナを認めてくれた訳ではない。
男勝りなディアナを自分が制御すること、いわば暴れ馬を手懐ける勇猛な騎士であると周囲に誇示したかったのだ。
「女であっても、私には魔の森で戦うだけの力がある。ならば、それを存分に発揮したいの」
力強く言い放つディアナに、マイルズは唇を噛みしめた。
「……そこまでするのは、あの男の為か?」
「え?」
低く押し殺したような声に、ディアナが紫色の瞳を瞬かせる。
「あの男って……」
「誤魔化すな! 卒業記念パーティーで、お前が唯一踊った相手だ」
マイルズが屈辱に顔を赤らめる。
ディアナの友人として、自分がその立場に収まるのだと信じてやまなかった。
だが、違った。
彼女が選んだのは、自分よりも十七も年上の男──王弟アラン・ラトリッジだった。
ディアナの友人として、アカデミーでもコーデリアを除いては彼女の一番近くに居た。
ディアナの夫は、名門ガザード公爵家の婿となる。
その座は自分のものだと周囲に知らしめ、これまで彼女に視線を向ける男子生徒達を牽制してきた。
だというのに、どうしてディアナはあんな男を選んだ?
あんな男と親しげに笑い合っていた?
あの夜ダンスホールで見た、頬を赤らめ、瞳を潤ませたディアナの表情が、今もマイルズの脳裏に焼き付いている。
自分には見せたことのない表情。
まるで恋をした少女のような──ディアナが他の男にあんな顔を見せるだなんて、認める訳にはいかなかった。
「あんな年寄りより、君にはもっと相応しい男が居る」
マイルズの胸中で嫉妬が熱を帯び、胸を焼き焦がす。
あの夜、彼女が見せた幸福な表情を思い出すたびに、胃が捩れるような不快感が湧き上がるのだ。
そんなマイルズの言葉に、ディアナが鼻白む。
「私が誰を選ぶか、それを決めるのは私自身よ。他人に口出しされる筋合いはないわ」
ディアナにとっては、どうしてマイルズがここまで自分に執着するのか、理解が出来なかった。
ディアナと一番親しい友人として、マイルズは既に自分が次期ガザード公爵家の婿の座を手に入れたつもりでいた。
それが、突然ディアナが他の男に女としての顔を見せた。
そのことがどれだけマイルズのプライドを傷つけたか。
自分の物を他者に奪われたように感じているだなんて、ディアナはまるで理解していない。
「忘れたのか、あの男は母親の出自で、王家からも疎まれていることを!」
だからこそ、マイルズの口から飛び出るアランへの批判に、露骨に眉を寄せた。
「不敬よ、マイルズ」
「事実だろう」
「私達が口にするようなことではないわ」
王弟アラン・ラトリッジの母は、今はもう取り潰されたかつての名門ペニントン公爵家の令嬢であった。
ペニントン公爵は妹が先王の子を身籠もったことで、当時王太子だった現国王オスニエルの謀殺を企み、王国を我が物にしようと画策した。
目論みが露見してペニントン公爵は斬首となり、公爵家は取り潰しになった。
唯一王の子を身籠もった妹だけが処刑を免れたが、離宮に軟禁されたままで短い生涯を終えたという。
(今更そんな話題を持ち出してくるなんて……)
全てアランが生まれる前の話であり、生まれてくる子供に罪はないからと、アランは王族として王宮で育てられた。
しかし、周囲の見る目は違う。
特に当時を知る年寄りからは、今もペニントンの子と蔑まれていると聞く。
(アラン様は強さだけでなく、誠実で真摯な人柄を持ち合わせた御方。だからこそ、私は彼に強く惹かれるんだわ……出自とか、家柄とか、そんなことはどうだっていいのに)
アランを慕うディアナにとっては、面白くない話題だ。
ディアナの視線で自らが地雷を踏んだことを理解したマイルズが、拳を握りしめる。
「私は私に出来ることをするだけよ。そこにアラン様の出自は関係ない」
「だから、どうしてそこまでその男のことを──」
なおも食い下がるマイルズを、ディアナが睨み据える。
「ディアナ、お前……ひょっとして、あの男が……?」
「貴方には関係のないことよ、マイルズ」
追求さえも許さない。
マイルズの存在そのものを撥ね除けるような言葉だった。
「分かったら、もう帰ってちょうだい。出征準備で忙しいの」
「ディアナ──っっ」
マイルズ一人を応接室に残して、バタンと扉が閉まる。
ディアナが立ち去った後の扉を、招かれざる客人が呆然と見つめていた。
(どうして……何故分かってくれないんだ、ディアナ……)
噛みしめた唇から、じわりと赤い血が滲む。
虚空を見据えるマイルズの瞳には、狂おしいほどの憎悪の炎が宿っていた。
「君を、あんな男に渡してなるものか……」
紅を塗ったような唇から零れた言葉は、誰の耳に届くこともなく掻き消えた。