3:双子の父は憂慮する
「お父様、お話があります」
「どうした、ディアナ」
パーティー翌日、ディアナは父の執務室を訪れた。
仕事中ではあるが、娘に甘いガザード公爵は、すぐに手にしていた書類を執務机に置いた。
「北方の魔獣討伐について、我がガザード公爵家からも兵を出すべきだと具申に参りました」
ラトリッジ王国北部に広がる森。
そこは通称魔の森と呼ばれ、魔獣が多く出没する地帯でもあった。
魔獣を放置すれば繁殖し、王国に被害をもたらしかねない。
よって、定期的に魔獣を討伐する為に兵を率いて北方に赴くのだ。
「どうして此度の魔獣討伐だけ我がガザード公爵家から兵を出す必要がある?」
落ち着いた様子で、ガザード公爵が娘に問いかける。
予測していた質問に対し、ディアナは落ち着き払った口調で答えた。
「この度、次期ガザード公爵たる私が成人いたしました。公爵家から王家への変わらぬ忠誠の証として、行動で示すのが良いかと」
「ふむ……」
「近年、魔獣の数が増加傾向にあり、被害報告も増えています。この機にガザード公爵家が率先して対策を取れば、王家からの信頼をより強固にできましょう」
ディアナの言っていること自体は、間違ってはいない。
王国への変わらぬ忠誠を示すのが、貴族の役目。
とはいえ、娘の言葉を素直に受け取れずに居るのもまた事実。
「その申し出、よもやアランが出陣するからという訳ではあるまいな?」
「それは……無いとは言い切れません」
父の言葉に、ディアナは内心の冷や汗をひた隠しにして、言葉を続けた。
「実は……夢に見たのです」
「夢?」
「はい。此度の魔獣討伐で甚大な被害が出て、アラン様を始めとする王国騎士の皆様が多く帰らぬ人となる夢です」
ガザード公爵として何年も貴族社会を渡り歩いてきた歴戦の父に対し、腹芸で勝てるとは流石のディアナも思ってはいない。
ならば、ある程度は事実を伝えた上で、取り込むのが上策と判断した。
「ただの夢ならばよいのですが……あまりにリアルで、あの恐怖が今も胸に残っているのです。看過することは出来ません」
本当のことを話しても、どの程度受け入れられるかは分からない。
だが、この程度なら──娘に甘い父ならば、聞いてくれるのではないか。
そんな思いもあった。
「我が家から兵を出すことには、私も反対はしない。だが……」
「是非、その兵の指揮を私にお任せください!」
被せるような愛娘からの申し出に、ガザード公爵がため息を吐く。
彼の目から見れば、娘がアラン愛おしさに言っているようにしか見えない。
二人の姿を一番近くで見ていたからこそ、幼い頃からディアナがアランに対し並々ならぬ感情を抱いていることには気付いていた。
「分かっているか、次期当主である以前に、お前は公爵令嬢なのだぞ」
「はい、理解しております。お父様も、私がアカデミーで収めた成績は知っておられますよね?」
ガザード公爵家の双子の片割れ、月のディアナ。
妹とは違い、その呼び名には薄暗いイメージが付き纏う。
女の身でありながら剣術と魔術の授業を選択し、剣術評価はA判定、魔術に至っては最高ランクのS判定。
剣術と魔術を含めた総合科目で、女生徒としては初めてとなる首席の座を獲得した。
コーデリアと比べ、ディアナに対しての風当たりが強かったのは、彼女の成績や黙して努力するその姿勢にあったとも言えよう。
可愛げがない、男に楯突いてばかり、生意気、女らしくない等々、女性らしさを求める貴族社会において、ディアナは異端であった。
生来の負けず嫌いが高じてか、相手が誰であろうと、どんな分野であろうと、勝つ為に全力を尽くす。
それだけの結果を、ディアナはアカデミーで残してきた。
「並の騎士より、役に立つ自信はあります。どうか、ご許可いただきたい」
「うぅむ……」
ガザード公爵が腕を組んで唸る。
娘を前線に向かわせることに、不安はない。
それほどにディアナは剣士としても魔術師としても優れていた。
ただ、父親としては違う。
(アランの奴、ディアナを誑かしおってからに……)
友人としてアランの幸せを願ってはいるが、その相手が自分の娘となれば、話は違う。
アランは今年三十五歳。
十八のディアナとでは、あまりに年が離れている。
この貴族社会、年の差結婚などいくらでもある。
結婚は恋愛ばかりではない、貴族同士の家の結びつきがほとんどだ。
成人前の子供でさえなければ、年齢差が考慮されることの方が珍しいとさえ言えよう。
だが、可愛い娘のこととなれば、話は別だ。
自慢の双子は、母を知らぬ。
病弱だった妻は双子の出産に身体が耐えきれず、出産の翌日静かに息を引き取った。
二人目の妻を娶る気にもなれず、父ウェズリーは男手一つで双子の娘を育ててきた。
当然忙しい身であれば、二人には辛い思いをさせたこともあるだろうが、母が居ない寂しさを感じさせないように苦心し続けてきた。
それほどまでに大事に育ててきた娘が、自分とそう年の変わらぬ友人に懸想している。
ディアナの人を見る目が確かなことを喜べば良いのか、同じ年頃の相手を探すように突き放すべきなのか、父としていまだ答えを出せずにいた。
「兵を出すことに関しては、私から陛下に申し入れておこう」
「ありがとうございます、お父様!」
望んでいた返答に、ディアナの表情がパッと輝く。
その輝きさえ疎ましく思えてしまうのだから、困ったものだ。
我が娘の淡い恋心を応援するべきかどうか──どれだけ考えたところで答えの出せない難題であった。
(こんな時に、君が居てくれたなら……)
ディアナが辞した後の執務室で、亡き妻が愛した庭園を見下ろしながら、一人虚空に問いかける。
(君ならば、きっと『あの子たちの人生ですもの、応援してあげて』とでも言っただろうか……ナディア……)
さらりと、春の爽やかな風が頬を撫でた気がした。
出征を決めてから、出発までは僅か十日ほど。
その間、ディアナは毎日忙しくしていた。
魔の森に同行する者のリストを作り、指揮系統を定める。
ディアナにとっては、初陣だ。
ディアナ当人も、騎士達も、万全の上に万全を期して臨みたいと考えていた。
──だと言うのに。
「急に訪ねて来るなんて、一体どういうつもり?」
突然の来客で時間を割かれ、ディアナが整った唇を尖らせた。
アメジストの瞳が、歓迎されていない客人──マイルズ・オドノヒュー侯爵令息を睨め付ける。
「君が危険な場所に赴くと聞いて、放っておける訳がないだろう」
ディアナを見つめるマイルズの瞳には、冷ややかな怒りが滲んでいた。