24:王弟は苦悩する
ざっ、ざっ……と、土を踏む音を響かせて、アランは一歩ずつモニークに近付いていった。
ベンチから腰を浮かし掛けたモニーク。
彼女の傍らには破れた包み紙と、宝飾店の小箱がある。
本来指輪が収められているのだろう窪み部分には、何も嵌められていない。
ちらりと小箱に視線を送り、再びモニークに戻す。
その瞳には、静かな怒りさえ宿っていた。
「聞かせてもらおう。どうして俺に店主からの言葉を伝えなかった?」
決して荒ぶることのない、低く落ち着いた声。
その声音こそが、アランの状態を如実に表していた。
混乱するでも動揺するでもなく、あくまで冷静に、まるで罪人を問い詰める時のような声音。
「は……は、はは……」
モニークは全てを諦めきったような表情で、乾いた笑いを浮かべた。
浮かし掛けた腰を沈め、再びベンチに腰を下ろす。
彼女の両手は、ぐしゃぐしゃと自らの赤毛を掻き毟った。
「見られてしまったのね……」
その一言は、彼女の行動を全て肯定していた。
アランにわざと店主の言葉を伝えなかったこと。
アランに代わって、自らが指輪を受け取ったこと。
そして、その指輪を──手放したこと。
「指輪をどこにやった?」
「さぁ、私にも分からないわ」
モニークの言葉に、アランが低く身構える。
あふれ出る殺気に、たまらずモニークが両手を挙げた。
「本当に分からないの。名前も知らない子供達に、渡してしまったから……」
アランにとっては、正に予想外の言葉だった。
彼女の行動の意味も、その理由も、何もかもが理解出来ない。
「どうしてそんなことを?」
湧き上がる怒りを必死に抑え、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
そうしなければ、今にも殴りかかってしまいそうだった。
「あの指輪がなければ……結婚式は延期されるかもしれない。そう思ったら、勝手に身体が動いていたわ……」
モニークの言葉を聞いてもなお、アランは砂粒ほども理解出来なかった。
どうしてモニークが、自分とディアナの婚姻を邪魔するのか。
どれだけ考えたところで、彼の思考は正しい答えに繋がる回路を構築出来てはいない。
「なぜ……」
かろうじて絞り出した言葉に、モニークの嘲笑が重なった。
「どうしてかって、それを貴方が言うのね。あんな小娘の求愛を受け入れておいて、私のことなんて一切見向きもしてくれない、貴方が!」
モニークの悲痛な声が、茜色に染まる公園に響く。
日が傾き、子供達は皆家路に就いたのだろう。
日中とは打って変わって、辺りは静まり返っていた。
「……どうしては、こちらの台詞よ」
俯くモニークの唇から零れた声は、奇妙にくぐもっていた。
「なんで……なんで、私じゃないの? あんなにも貴方の傍に居て、貴方の為に働いてきたというのに!!」
モニークの言葉にアランが一瞬呆気にとられ、その後ゆるりと首を振った。
「違うぞ、モニーク。俺達が働いてきたのは、俺の為ではない。騎士団の為、国の為、ひいては国民の為だ」
「はっ」
アランの馬鹿真面目な言葉に、モニークが笑い声を上げる。
ここまで言っても、なおアランはモニークを女性として意識しようとはしていない。
どこまでも仕事仲間であると、その態度が、言葉が、物語っていた。
「そんな言葉が聞きたいんじゃないわ。私はただ──」
「モニーク」
彼女の言葉を遮るように、アランが語気を強める。
武人としての佇まい。
物を言わせぬ気迫。
モニークが黙り込むと、再びアランは唇を開いた。
「俺は、ディアナ以外の人を女性として意識したことはない」
「────っっ」
彼女の想いを乗せた言葉さえ寄せ付けぬ、それは明確な拒絶の言葉だった。
「これまでも、そしてこれからも。俺にとって、愛する女性はディアナただ一人だ」
アランの言葉に、再びモニークが俯く。
「失恋すら、させてくれないのね……」
想いを告げることさえ許さない。
女性として意識されない、恋愛の対象にさえ入れてもらえない。
あまりに酷い言葉だが──それが期待を持たせない為のアランなりの優しさだということも、またモニークには分かっていた。
俯くモニークの顎に、一筋雫が伝う。
それを騎士服の袖で拭うと、モニークは公園のベンチから立ち上がった。
茜色だった公園は少しずつ影の濃さを増し、夜の色が混じりつつある。
「……私自身が盗人になるだなんて、考えたこともなかったわ」
ぽつりと零した言葉。
モニーク自身、自分が犯した罪を認めている。
あまりに衝動的で、あまりに浅はかな行為。
彼女がそれほどまでに追い詰められていたことを、アランは察してしまった。
だからこそ、強い態度でモニークとは線を引く。
その断固とした態度は、モニークにも伝わっていた。
「最初から分かってはいたのよ、いけないことだって。けど、少しだけ、夢を見てしまったの。まだ、貴方に振り向いて貰えるんじゃないかって……そんな可能性、最初っから無かったのにね……」
自嘲気味な笑い声は、涙に滲んでいた。
「……自分のしたことは、自分でけじめを付けるわ。もっとも、貴方の可愛いあの子の為に、わざわざ指輪を探してやる気にはなれないけれど」
そう皮肉げに言い残し、モニークが歩き出す。
向かう先は、己の勤め先である第三騎士団の詰所。
ただし、副団長として、女騎士としてではない。
一人の犯罪者として、重い足取りで詰所へと向かっていた──。
「はあぁぁ……」
モニークが立ち去った後、アランはすっかり日が沈んだ公園で、一人ベンチに座り頭を抱えていた。
モニークのこと、指輪の行方、そしてディアナのこと──様々な思考が所狭しと脳内を駆け巡るが、何一つ答えは導き出せないままだ。
こうしている時間はない。
急がなければ、もう指輪は見付からないかもしれない。
いっそ、新しい物を再度注文するか。
果たして、それで結婚式に間に合うのか。
自分一人であれこれ考えたところで、結論など出せるはずもない。
「……仕方ない」
今はまだ、日が沈みきった直後だ。
急げば、宝飾店の店主に再度新しい指輪を手配してもらうよう、頼めるかもしれない。
それでもし間に合わないと言われたら──別の指輪を選ぶか、あるいは指輪を探すか。
どちらにせよ、やるしかない。
既に結婚式の日取りは決まっている、それまでに間に合わせるしかないのだ。
アランの脳裏に、指輪を選んだ日のディアナの笑顔が浮かぶ。
少しでも、彼女の表情を曇らせたくないというのに──事実を知って、彼女はどう想うだろうか。
ズキリと、アランの胸が痛んだ。
「俺は……どうしようもない男だな……」
「そんなことはありませんわ」
暗がりの中響いてきたのは、思い人の声だった。








