22:双子の姉は街歩きを楽しむ
オドノヒュー侯爵との話し合いが落ち着き、ようやく平穏を取り戻したディアナは、アランと共に王都の街を歩いていた。
結婚式の日程も決まり、二人で指輪を買いに来たのだ。
恋人同士が街に出たとなれば、ただ目的の店に行くだけではない。
「アラン様、あれは何でしょう?」
普段は屋敷で過ごしていることの多いディアナが、出店の商品に興味津々といった視線を向ける。
「あれは牛の臓物を使った料理だな」
「臓物?」
アランの言葉に、ディアナが首を傾げる。
「屋敷では出てこない食材だろうなぁ。普通は捨てるところだ」
「そこを、食べるのですか?」
「確か下処理に手間がかかるんだ」
「まぁ」
アランが慣れた様子で屋台の主に声を掛け、臓物の串焼きを一本注文する。
「ぬめりを取る為に粉をまぶしたり、臭みを取るのに牛乳を使ったりと、大変なんですよ」
「それで臓物が食べられるようになるのですか……安い食材を美味しく食べる為に、手間暇を掛けていらっしゃるのですね」
「掛けていらっしゃるなんて、ご大層なもんじゃねぇが」
丁寧なディアナの口調に屋台の主がたじたじになっている様を見て、アランが笑う。
「ほれ、焼きあがったよ」
「ありがとうございます」
ディアナが渡されたのは、脂が滴るような臓物の串焼きだった。
「熱いうちに食っちまいなよ」
「はいっ」
串焼きを受け取りながら、ディアナがキョロキョロと周囲を見渡す。
やがて通りの向こう、公園の一角に置かれたベンチを見付けて、表情を輝かせてアランの手を取った。
「アラン様、ベンチがあります。あそこで食べましょう」
「ああ」
育ちの良いディアナにとっては、食べながら歩くなんて思いついていないに違いない。
ディアナと並んで歩くアランの眦は、終始下がりっぱなしだった。
「ん、美味しい……!」
串焼きを頬張って目を輝かせるディアナは、まるで子供のようだった。
元々アランにとっては子供と言って良いほどの年齢差ではあるのだが、普段落ち着いたディアナが見せる無邪気な笑顔に、ついアランの表情も綻んでしまう。
「これならアラン様の分も一緒に買うのでした」
「俺はいつも食べているから」
「まぁ、そうなのですか?」
涼やかな風が吹く公園のベンチ。
どこかから、子供達の笑い声が聞こえてくる。
公園のすぐ前、商店街の通りには出店が出ていて、香ばしい煙が立ち上る。
アランにとっては毎日見慣れた風景だ。
「ここは俺達第三騎士団の見回りルートだからな」
この街の平和は、彼等によって保たれている。
街を、人々の生活を、住人達の営みを温かく見守るアランの横顔に、自然とディアナの胸が高鳴った。
「それに、あそこの串焼きは大きいからな。ディアナ、食べきれるか?」
「確かに……少し、量が多いですね」
食べても食べてもなかなか減らない串焼きにディアナが悪戦苦闘しているのを見て、アランがひょいと串を取り上げた。
「あ──」
そうして、ディアナが見ている前で、あっという間に残りの串焼きを平らげてしまった。
(同じ串で──!?)
串を手に、もぐもぐと口を動かすアランの姿に、ディアナの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
公爵令嬢であるディアナにとって、誰かと同じ食器を用いることなど、有り得ない。
串焼き一つ取っても、誰かと同じ串で食べるなど、初めての経験だった。
(え、え、これって間接キスになるのでは……)
意識してしまえば、どんどん肌が上気していく。
公園で遊ぶ子供達の姿を眺めているアランには、いまだ気付かれてはいない。
どうにかして自分を落ち着かせようと頬に手を添えるが、自らの肌が火照っていることを自覚するだけだった。
(ダメよ、落ち着かないと……そもそも、間接キスも何も普通のキスもする仲なのだから、今更気にする必要なんて……)
そう論理的に考えようとする傍ら、キスという言葉を思い浮かべただけで、さらに思考が散らばっていく。
前世では夫の居た身だというのに、どうしてこんなにもドキドキして、胸が騒ぐのか。
どれだけ探しても、答えは見付からない。
「──ディアナ?」
「は、はいっ」
アランの声に、心臓が跳ねる。
「少し……頬が赤いのではないか?」
「あ……」
アランの指が、そっとディアナの頬に触れた。
「やはり、少し熱っぽいようだが……無理をせず、帰って休んだ方が良いのではないか?」
「ち、ちがっっ」
慌てたディアナが、ぶんぶんと首を振る。
せっかく二人で街まで来たのだ。
結婚式の日程も決めたことだし、それに間に合うように、指輪を手配したい。
「違うのです、ただ、少し恥ずかしくなって……」
「恥ずかしい? 何か恥ずかしがるようなことがあったか?」
「あの、その……」
アランの言葉に、ディアナが珍しくしどろもどろになっていた。
ディアナのこんな姿は、アランにとっても初めてだ。
今まで様々な表情を見てきた。
皆が目にするような、落ち着いて凜とした表情。
自分にだけ見せる、柔らかな笑顔。
年相応の、無邪気な表情。
今見せている顔は、そのどれとも違う。
「間接キス、みたいだなって……」
「………………」
ディアナの言葉を受けて、アランの視線が手にしたままの串に落ちる。
「間接、キス……」
「言わないでください!!」
ディアナがさらに顔を真っ赤にして声を上擦らせれば、もはや我慢の限界だった。
アランがベンチに串を置いて、両腕でディアナの身体を抱きしめる。
「ああ、もう、ディアナはどうしてそうも愛らしい……」
「あ、愛らしい……!?」
突然抱き竦められて、しかも普段は言われないようなことを言われて、ディアナの頭はもはや混乱を通り越していた。
愛らしいなどとは、いつもコーデリアが言われている言葉だ。
自分に対して向けられることはない──そう思っていたのに。
「愛らしいだろう、こんなにも」
アランの指が、ディアナの頬にかかる髪を優しくすくい上げる。
どちらともなく視線が吸い込まれ、目を離すことが出来ない。
互いの瞳に、愛おしい姿だけが映し出されている。
とくん、とくんと心臓の鼓動が重なり──、
「ちゅーするぞ! 今からちゅーするぞ!」
「あっ、こらっ、そういうこと言わないの!!」
子供達の囃し立てるような声で、ハッと我に返った。
気付けば、公園で遊んでいた子供達が、ベンチに座る二人にじっと視線を向けていた。
慌てて前を向き直り、アランが小さく咳払いをする。
「なんだ、ちゅーしないのか。ちぇー」
「いやー本当に残念だなぁ」
「殿下の意気地なしー」
子供達の声に、大人の揶揄うような声が重なった。
「あ、お前達──!」
見れば、見回り途中らしい第三騎士団の騎士達だった。
子供達には強く出られなかったアランも、彼等が相手となれば、話は別だ。
「こんなところで油を売ってないで──」
「そうだ。さっさと行くぞ」
冷たい声が、アランを遮った。
見れば、副団長のモニーク・ゴダードが整った眉を吊り上げていた。
「まだ見回りの途中だろう、知り合いに会ったからと言って気を抜き過ぎだ」
「えええ、別に話をするくらいはいいじゃないですか」
「うるさい、こちらは任務中だということを忘れるな」
モニークにぴしゃりと言われて、騎士が渋々と言った様子でその後に付いていく。
「すまないな、どうもやかましい同僚ばかりで……」
「いえ、楽しい方達で何よりです」
やれやれと言った様子のアランに、ディアナが微笑みかける。
一瞬だけ視線を感じて顔を上げると、女騎士モニークと目が合った。
別に何も言われたわけではないのに、その視線はどこか冷たく感じられて、ディアナの胸がざわついた。
目が合っていたのは、ほんの一瞬だけ。
すぐにふいと視線が逸れて、再びモニークは歩き出す。
その姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「すまないな。彼女も仕事中でさえなければ、付き合いの良い子なのだが……」
そんなモニークの様子に、アランが苦笑を零した。
モニークのあの態度を見て「仕事中でさえなければ」と言えるアランに、ディアナが内心でため息を吐く。
(どう見ても、嫌われているのよね……それも、きっとアラン様とのことで)
鈍いアランは、そのことに気付いていない。
というより、自分が恋愛の対象として見られていること自体、予想すらしていないのだろう。
(彼女もアラン様が好きなのよね……素敵な方だから、それは仕方ないと思うのだけれど……)
アランと同じ職場に居る相手に、こうも露骨に敵意を向けられるのは、流石に堪えてしまう。
暫し黙り込んだディアナを心配するように、アランがその細い肩を抱いた。
「……そろそろ、指輪を選びに行こうか」
「はい」
目当ての宝飾店は、公園のすぐ前だ。
こんな時くらい、嫌なことより良いことを考え、顔を上げて歩いていこう。
そう心に決めて、ベンチから立ち上がるとディアナは笑顔を浮かべた。
二人が選んだのは、白銀の地金に二色の石を並べた指輪だった。
アメジストとタンザナイト──二人の瞳を思わせる宝石だ。
同じ大きさの石を選んで、指輪のデザインも決めて、後は加工を待つばかり。
「出来上がったら、俺の方に連絡を頼む」
「承りました。離宮か、第三騎士団の詰所に使いを送ります」
指輪の加工に要する時間は、三週間。
来月の結婚式には、問題なく間に合う。
結婚を目前に控えた恋人達の前には、薔薇色の未来が広がっている──はずだった。