20:双子の姉は攫われる
強引に馬車の中に引きずり込まれたディアナ。
彼女を待っていたのは、皮肉げな笑みを浮かべて座る男──前世の夫マイルズだった。
「ちょっと、どういうつもり?」
手首を擦りながら、ディアナがマイルズを睨み付ける。
一時とはいえ、夫婦だった相手。
しかし、今ディアナの目の前に居るマイルズは、自分が知る男とはまるで別人のようだった。
「どういうつもりも何も、お前が俺の言うことを聞かないからだろう」
マイルズの言い分は、どこまでも自分勝手だった。
強引に馬車に連れ込んだ時点で、ディアナの意思など既にない。
一体どこに連れて行こうというのか。
この馬車はどこに向かっているのか。
流れる景色を横目に、ディアナはマイルズに向き合うしかなかった。
「私をどこへ連れて行こうというの」
気丈に振る舞うディアナだが、その声は僅かに震えていた。
「お前はただ、俺の言葉に頷くだけでいい」
そんなディアナを前にして、マイルズが唇を歪ませる。
今この場において、ディアナを助ける者は誰も居ない。
「お前は、俺と結婚するべきなんだ」
あまりに一方的な物言いに、ディアナの腹の底が沸々と湧き上がる。
だが、今はダメだ。
今ここで声を荒らげたところで、状況は悪くなる一方だろう。
「どうしてそこまで私に執着するの? 貴方とは友情止まりで、お互いに愛情なんて抱いていないと思っていたけど」
「どうして? お前がそれを俺に聞くのか」
対するマイルズの声は、どこか楽しげなものだった。
自身の狡さ、ディアナに対する態度を、今はもう隠そうともしていない。
「月のディアナに太陽のコーデリア。随分と妹と比べられてきたもんだよなぁ」
「え、えぇ……」
マイルズの言葉に頷きながらも、どうしてここでアカデミー時代の自分達のあだ名が出てくるのか、訳が分からずにディアナの顔に動揺が広がる。
「これでも頑張ってきたんだ。変な羽虫が寄りつかないよう、他の奴等を牽制したり、色々な噂を流したりとな」
(牽制? 噂? マイルズは、何を言って──)
ディアナの背筋に、汗が伝う。
この先を聞きたくない。
自分は聞くべきではない。
理性が警鐘を鳴らす中、マイルズはむしろ得意げな表情で言葉を続ける。
「おかしいとは思わないのか。同じ顔だというのに、コーデリアばかり持て囃される訳がない。そもそも、お前とコーデリアでは価値が違う」
マイルズの言葉が、じんわりとディアナの中に染みていく。
絨毯に落としたどす黒い染みのように、心を浸食する。
「お前と一緒になれば、ガザード公爵家に婿入り出来るんだ。皆がそのことに気付いていない訳がない」
「マイルズ、貴方──」
一時は友人だと思っていた。
前世では、パートナーにまでなった男。
信じられない。
信じたくない。
その男が、まさか──、
「大変だったよ、お前の評判を落とすのは」
自分とコーデリアをあえて比較して、ディアナについてあることないこと広めていた張本人だったとは。
今もまだ、馬車は王都の街を走り続けている。
どこに向かおうというのか、今更そんなことは関係無い。
(もう、こんな男と一緒に居るのはごめんだわ……)
強引に馬車を飛び降りてでも、この男から逃れよう。
ディアナの心は、既に決まっていた。
「お前が悪いんだ、俺の気持ちに気が付かないから……」
「貴方の気持ち?」
ディアナの唇から、皮肉めいた笑いが零れる。
気持ちなどと、よくも言ったものだ。
お互い愛情もない、損得と打算だけの関係だったではないか。
(本当に気持ちがあったのなら、どうして私を子供を産む道具のように扱ったの──)
喉元まで出掛かった言葉を、ディアナは無理矢理に飲み込んだ。
今のマイルズに言ったところで、何も通じはしない。
それよりも、今は一刻も早く、この男と距離を置きたかった。
「想いを寄せる相手を悪く言って、その悪評を広めることが、貴方の“気持ち”だというの?」
挑発するような声を上げながら、ゆっくりと魔力を解き放つ。
大きな魔法を使えば、すぐにバレてしまうだろう。
少しずつ、少しずつ、誰にも気付かれないうちに周囲の気温が下がっていく。
狙うは、馬車の車輪。
凍り付かせて、その走りが少しでも弱まるように。
「違う、お前のことは俺がちゃんと幸せにしてやるつもりだったんだ!! それを、あの男が──」
すっかり興奮しきったマイルズは、車内の空気が凍てついていることにも気付かない。
──哀れな男。
それ以上に哀れなのは、こんな男を夫としていた──彼のことを信じきっていた、愚かなディアナ。
「マイルズ、貴方のそれは、愛ではないわ」
車体が軋み、馬車が揺れる。
凍り付いた車輪は上手く回転することなく、どんどんと馬車は減速していく。
ちらりと、ディアナが窓の外を見遣る。
先ほどから馬車を追いかける騎馬。
その姿を確認した後、再びマイルズへと向き直る。
「貴方と一緒にいる限り、私は決して幸せになれないわ」
「ディアナ!!」
悲痛な声を上げるマイルズに、ディアナは柔らかく微笑みかけた。
マイルズが息を呑む間に、素早く動く。
扉の閂を上げる。冷たい風が吹き込み、ディアナの髪を大きく揺らした。
減速したとはいえ、馬車はまだ勢いよく進んでいる。
だが、もう迷ってはいられない。
(今しかない──!)
意を決して、ディアナは身体を躍らせた。
「──ディアナ!!」
その瞬間──馬車を追ってきた騎馬が腕を伸ばし、宙を舞うディアナの身体をしっかりと抱き留めた。