2:双子の姉は決意する
卒業式典は恙無く進み、夜は王城で華やかな卒業記念パーティーが催された。
シンプルな学生服から豪華なドレスに着替えて、ディアナとコーデリアも卒業生として卒業記念パーティーに参列する。
二人が並んで姿を現すと、会場の視線が一斉に集中した。
「さすが月と太陽だな」
「美しさだけじゃなく、気品もある」
そんな囁きが、あちこちで上がる。
ガザード公爵家の双子、月のディアナと太陽のコーデリアといえば、アカデミーだけでなく社交界でも有名だ。
学園で首席。
頭脳明晰、カリスマ性に秀でた月のディアナ。
その冷たい美貌と優秀さから、時には悪女として影で噂されることもある。
社交パーティーの華。
柔らかな笑顔で人々を魅了する学園一の人気者、太陽のコーデリア。
人々を癒やすその姿は妖精のようだと、誰もがコーデリアを褒め称えた。
まさに陰と陽、表と裏。
学園の話題を二分する二人は、いつだって注目の的。
卒業パーティーの場においても、それは変わらない。
同じ銀色の髪と紫色の瞳を抱きながら、ディアナは夜明けをイメージした群青から薄水色のグラデーションがかかったドレスを、コーデリアは夕焼けをイメージしたオレンジ色から茜色へのグラデーションがかかったドレスを身に纏っていた。
「卒業生の諸君、今後は我がラトリッジ王国の為に尽くしてくれることを期待している。皆、成人おめでとう!」
ラトリッジ王国の王太子ローレンス・ラトリッジの祝辞で、パーティーは始まった。
楽団によって音楽が奏でられ、卒業生達が手に手をとってホールの中央へと進んで行く。
卒業生にとって、今日は学生最後の一日。
例年一晩中踊り明かそうとする者が後を絶たないという。
そんな中コーデリアは吹き抜けの向こう、二階席に立つローレンスをじっと見つめていた。
(……相変わらず、王太子殿下に夢中なのね)
ディアナが小さくため息を零す。
今もコーデリアに声を掛けたいと男性達が彼女の様子を窺っているというのに、それを気にすることもなく、コーデリアの視線はただ一点に向けられている。
それがラトリッジ王国王太子ローレンス・ラトリッジ。
幼い頃からのコーデリアの憧れ、彼女にとっては正に王子様と呼べる憧れの存在。
華やかな金髪と、鋭くも魅惑的な碧眼。
自信と傲慢さを帯びたその微笑みは、周囲を自然と圧倒してしまう、まさに王族らしい存在感だった。
そんな王太子が、卒業生達に声を掛けるべく、ゆっくりとホールの階段を降りてくる。
「やぁ、ガザード公爵家の美しい宝石達。この度は卒業おめでとう」
王太子が真っ先に声を掛けたのは、ディアナとコーデリアの二人だった。
誰がパーティーで最も注目を集めているか、それを分かってのことだろう。
「過分なお言葉をいただき光栄でございます、王太子殿下」
ディアナが優雅に一礼する。
その隣で、コーデリアがハッと弾かれたように頭を垂れた。
「あ、ありがとうございます、殿下!!」
コーデリアの慌てた様子に、王太子が煌びやかな金髪を揺らし、碧眼を細めて笑う。
「コーデリアは相変わらずそそっかしい。姉を見習うといい」
「は、申し訳ございません……」
コーデリアの美しい表情が翳ったのは、ほんの一瞬のこと。
「まぁ、そういうところが可愛らしいのだが」
「──殿下!」
すぐさま、コーデリアが頬を赤らめる。
あまりにも分かりやすい。ディアナなどはそう思うのだが、この様子を見ていても、なおコーデリアに言い寄る男が居るのが不思議だった。
とはいえ、双子よりも三歳年上の王太子には、幼い頃からの婚約者が居る。
それ故にコーデリアはずっと王太子に対する恋心を秘めてきた。
(ま、私にはサッパリ分からないけど)
双子といっても似ているのは外見だけで、ディアナとコーデリアは性格も好みも全然違う。
(あんな張り付いたような笑顔のどこが良いのか……外面ばかりの王太子よりも、もっと真面目で実直な男性のほうが素敵だと思うけれど)
コーデリアが想いを寄せるローレンスのような、線が細くて美形なタイプは、まったくディアナの視界には入らない。
ディアナの好みは、どちらかと言えば屈強で逞しい騎士のような男性なのだ。
(そういえば……)
ディアナが懐かしさに胸をときめかせながら視線を巡らせると、懐かしい低い笑い声が耳に届いた。
声の主は父と杯を交わし、穏やかに談笑している──その姿に胸の鼓動が加速する。
「──お父様、アラン様!」
「おお、ディアナ」
双子の父であるウェズリー・ガザード公爵が、愛娘を目に表情を綻ばせる。
双子と同じ銀髪を抱いた、貴族然とした容姿。
コーデリアが王太子に惹かれたのは、あるいは父の姿を重ねているのかもしれない。
一方、父と一緒にディアナを笑顔で出迎えてくれた人物は、長身の美丈夫だった。
屈強な体格と、広い肩幅。
貴族として社交パーティーに参列するよりも、騎士として戦場に立つのが似合う、そんな人物。
「ディアナ殿、卒業おめでとう」
「ありがとうございます、アラン様」
祝いの言葉をかけてくれたのは、王弟アラン・ラトリッジだ。
短く刈り込んだ艶やかな黒髪の下、ブルーグレーの瞳が優しげな笑みを湛えている。
ディアナにとっては、父の友人。
自分より十七歳も年上の相手だ。
だが、ディアナはこの優しくて逞しい王弟に誰よりも憧れを抱いていた。
(幼い頃、王都に現れた悪漢から私を庇ってくれた逞しい背中……あの時からずっと、アラン様は私の憧れだった)
王国騎士団長として長年国を支えてきた英雄。
騎士団長の座を後進に譲った後も、若い騎士達の育成に励んでいると聞く。
(ああ、お父様とアラン様にもう一度会えるだなんて……)
二人の姿を前に、ディアナの胸が熱くなる。
彼女の記憶の中では、王弟アランに会ったのは、この卒業記念パーティーが最後だった。
一度目の人生、団長職を退いた後も、アランは騎士として魔獣討伐に赴いた。
そこで発生した大恐慌により、彼は帰らぬ人となった。
(アラン様、私の初恋の人……彼が亡くなって、失意の中、私はマイルズのプロポーズを受け入れたんだわ……)
果たして、あれをプロポーズと言って良いものかどうか。
ディアナとマイルズの間に、恋愛感情は一切無い。
『お前と結婚するのが一番丁度良いと思うんだ』と言われ、ディアナも頷いたまでのこと。
久しぶりにアランの顔を見て、改めて胸が高鳴るのを感じる。
幼い頃から温めていた、淡い想い。
アランが亡くなってから一人涙を零したことを思えば、今こうして生きて彼に再会出来たことは、まるで夢のようだ。
(ううん、夢じゃない……私も彼も、今こうして生きているのだから)
騎士団では鬼の団長と呼ばれ恐れられていたアランだが、親友の愛娘であり、自分を慕ってくれるディアナには、優しい眼差しを向けてくれる。
王家に生まれながら、勢力争いを避ける為に、あえてここまで独身を貫き通したアラン。
そんな彼の真摯な生き様も、騎士としての実直さも、人には見せない優しさも、その全てを好ましく感じていた。
「アラン様、よろしければ私と踊ってはいただけませんか?」
「ええ、喜んで」
シャンデリアで飾り立てられたホールの中央、くるくると舞い踊る卒業生達の中にあって、アランとディアナは注目を集めていた。
強面で通った元騎士団長の見せる、柔和な笑顔。
月のディアナと呼ばれるまでに澄ました双子の姉の、蕩けるような熱い眼差し。
互いに見つめ合い肌を寄せ合う様は、親子ほどに年が離れていたとしても、親密さを感じさせるには十分なものであった。
「ディアナ殿に誘われるとは、俺もまだまだ捨てたものじゃないらしいな」
「何を仰います。アラン様ほど頼り甲斐のある方は、アカデミーにはおりませんもの」
掌を重ね、抱き合うほどに身を寄せ合う。
胸がとくとくと早鐘を打ち、触れた指先から熱が伝わる。
アランとこんなに近くで触れ合うのは、ディアナにとっても初めてのことだった。
「アラン様はダンスもお上手ですのね」
「年寄りの冷や水だ。ディアナ殿の華麗なステップに、ついて行くのがやっとだというのに」
「まぁ」
ディアナの言葉に、アランが苦笑を浮かべる。
事実、武人として生きてきたアランがダンスの誘いを受けたことは、ほとんどない。
目出度い卒業記念パーティーの場だから、そして相手が幼い頃から可愛がってきたディアナだからこそ、共に踊る気になれたのだ。
ディアナ自身もそれを理解しているからこそ、曲が終わらずに、この時間がいつまでも続けば良いのにと願わずにはいられない。
「アラン様……この式典が終わったら、すぐに北方の魔獣討伐に出発なさるのですか?」
「ああ、それが騎士としての役目だ」
「既に団長の座は退いておりますのに?」
「団長としての役目は終えても、王国の盾としての役割は変わらないよ」
どこまでも真面目なアランの答えに、ディアナの胸が痛む。
喉元まで出かかった「行かないで」の言葉を飲み込みながら、ディアナは胸を締め付ける苦しさに眉を寄せる。
一度目の卒業記念パーティーでのディアナはあまりに幼く、自らの恋心にさえ気づけなかった。
アランに対する憧れが恋だとディアナが気付いたのは、アランの悲報を耳にした時。
──一度目の人生、全ては遅すぎたのだ。
でも、今は違う。
ディアナもアランも、まだ生きている。
ディアナの身体を支えるように、背に回された逞しい腕。
寄り添う体温。重なる鼓動。
その全てがディアナの胸をかき乱す。
(やっぱり、貴方を失いたくはない……)
ディアナが見上げると、アランの瞳が優しく細められる。
その微笑みが愛しい相手を見つめるものか、あるいは幼子を慈しむものかは、ディアナには知る術はないけれど。
(貴方を、死なせはしない。たとえ、どんな手を使ったとしても──!)
紫色の瞳に確かな決意を秘めて、じっとアランを見つめ返した。
「随分と熱烈じゃないか。なぁ」
寄り添い踊るディアナとアランを、二階席から見下ろす姿があった。
「ディアナ殿が真っ先にダンスに誘うのが、我が叔父とは……面白いものだな、マイルズ」
王太子ローレンスが揶揄うように視線を向けた先は、年下の友人マイルズ・オドノヒュー侯爵令息。
かつてのディアナの夫であり、今現在は友人として家族ぐるみの付き合いをしている相手だ。
「面白いも何も、王弟殿下とディアナでは、親子ほども年が離れております」
「おや、僕が見る限りではお似合いのように感じるけれど」
王太子の口元が皮肉げに歪んだ。
その隣で、マイルズの目が静かな怒りを湛えて揺れている。
「お似合いなどと、冗談が過ぎますよ、殿下」
穏やかな口調に隠された棘に、ローレンスの口元が僅かに弧を描いた。
マイルズはホール中央で踊る二人を見つめたまま、胸元のグラスを強く握りしめる。
その眼差しに隠された感情が嫉妬か、それとも別の何かなのか──それは誰にも読み取ることは出来なかった。