19:双子の妹は動揺する
ディアナはアランに相談しながら、商会の設立と、新居の準備を始めていた。
元々が物件をいくつも保有する公爵家の令嬢、住むところは勿論、商会の本部とする物件の候補も事欠かない。
外側の準備は順調。
後は人材をどう手配するか……と考えていたところで、ディアナの部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「お姉様、アラン様と二人で暮らすって、一体どういうことですか!?」
血相を変えて飛び込んできたのは、コーデリアだ。
どこからか、結婚後はしばらくアランと二人で暮らすという話を聞きつけたのだろう。
慌てた様子でディアナに近寄っては、まくし立てる。
「どういうことも何も、新婚だから少しだけ二人で静かに過ごしたいと思ったのよ」
そのこと自体は、何も不思議はない。
蜜月の間、家族と居を別にしてのんびり過ごすことは、貴族達にはままあることだ。
「で、でも、お姉様は次期公爵で……」
「勿論、私が処理するべき仕事は別邸で行うわ」
本邸に居なければ仕事が出来ないなんて道理はない。
理路整然としたディアナの言葉に、コーデリアは部屋に入ってきた時の剣幕から一転、言葉を詰まらせた。
「そ、そんな……酷いですわ、お姉様……」
「何が酷いと言うの?」
「あ、い、いえ、お姉様のことを心配して言っているんです……急に別邸に引っ越すなんて、体調でも崩されたのではと……」
ことさらに瞳を潤ませるコーデリアの様子は、どうにかしてディアナを本邸に引き留めておきたいかのように見える。
(何故そこまで──と、言いたいところだけれど……)
ディアナは内心でため息を吐いた。
前世でコーデリアが王太子に情報を横流ししていたことを考えれば、自ずと答えは見えてくる。
「体調はいつも通りよ。それに、新婚夫婦に気を使わなくて良い分、皆も楽だと思うのだけれど」
「それは……」
じっと、同じ色をしたコーデリアの瞳を見つめる。
いつも天真爛漫だったコーデリア。
その瞳は、落ち着かない色を湛えて私の視線から逃げるように逸らされている。
「まるで私が本邸に居なければ困るみたいな言い草ね」
「────!!」
ディアナの言葉に、コーデリアが身を震わせる。
動揺に揺れるアメジストの瞳を、冷たい眼差しが貫いた。
「わ、私は……そんなつもりでは……」
震える声で告げるコーデリアから視線を逸らし、手元の書類へと落とす。
「そう思うのなら、姉の仲睦まじい新婚生活を祝ってちょうだい」
それで話は終わりとばかりに、目線は書類の文字を追い始める。
コーデリアはしばらく俯いた後、無言のままディアナの部屋を後にした。
一人残されたディアナは、小さくため息を吐く。
魔獣討伐に出たアランが襲撃され、流行り病の兆候まで見せたというのに、今でもあの記憶が夢であってほしいと願ってしまう。
前世なんてない。
ただ、妙に現実的で不快な夢を見ただけ。
そう思えたなら、どれほどに気が楽だっただろう。
現実は次々に記憶と符合して、あれが夢なんかではなく、実際に起きたことだったのだろうと実感させられてしまう。
であれば、この後に起こることは──、
(本当に、私を裏切るつもりなの……コーデリア)
前世の自分はどうして気付かなかったのかと思うほどの、コーデリアの変容。
その裏に誰が居るのか、コーデリアの最近の行動を考えればすぐに分かる。
(頭が痛いわ……)
王太子が、このまま黙っているとは思えない。
これから起こる惨劇を防ぐには、足掻き続けるしかないのだ。
数日後、ディアナの姿は王都の繁華街にあった。
今日は商会の拠点となる物件を下見に行って、その帰り道だ。
護衛のイアンと侍女のシェリーを伴い、露店が連なる大通りを歩く。
「お父様に何かお土産を買っていきたいのだけれど……」
キョロキョロと周囲を見回すディアナの後ろを、シェリーが同じように露店を眺めながら歩く。
イアンはと言えば、退屈そうに欠伸を噛み殺していた。
「あちらのお店はどうですか? 今ちょうど焼き上がったみたいです」
シェリーが指さした先には、パン屋に併設されたカフェがあった。
パイが焼き上がったと店頭に看板が置かれ、それと同時に香ばしい香りが大通りに漂う。
「良いわね、パイはお父様の好物だわ」
「色々あるようですが、どんなパイにしますか?」
「お父様にミートパイ、あとは皆で食べるのにフルーツのパイを多めに買っていきましょうか」
「了解しました!」
シェリーがイアンの手を取って、店の前に出来上がった列に並ぶ。
イアンはあれこれ文句を言っているが、シェリー一人に持たせるには量が多いのだから仕方がない。
穏やかな午後の一時、焼きたてのパイの香りは人々の食欲を刺激したようだ。
若い恋人達から子供連れまで、様々な人達が列に並んでいる。
「食べ物のお店も、楽しそうよね」
ディアナには、前世の記憶がある。
これから先どんな商品が流行して、どんな品が持て囃されるようになるか、おおよそは頭に入っているのだ。
(一度、真面目に考えてみるだけの価値はあるかしら)
列に並ぶ子供達がカフェの商品に目を輝かせている様子を微笑ましげに眺めながら、そんなことを考えていた──その時だった。
大通りを、一台の馬車が駆けてくる。
人で混雑する通りに馬車で乗り付ける際には、スピードを落とすなど通行人への配慮が求められるが、それが貴族家の所有する馬車であった場合には話は別だ。
下手に平民が貴族の馬車を遮ったりなどしたら、平民の方が訴えられる可能性がある。
貴族と平民の間には、それだけの明確な差が存在していた。
口々に文句を言いながらも、通りを歩く人々が移動して、馬車の為に道を空ける。
列から少し離れたところでシェリーとイアンを待っていたディアナも、馬車を避けるように通路の端へと移動した。
馬車が僅かにスピードを緩め、ガタリと扉が開く。
決して停車することなく、だが明らかにディアナの前で馬車が減速する。
「え──?」
開いた扉から、誰かの手が伸びてくる。
逞しい、男の腕。
華奢なディアナの腕を掴んで、引っ張り上げる。
「うわっ」
「人攫いか!?」
周囲の人々が声を上げる。
パン屋の列に並ぶシェリーとイアンが異変に気付いた時には、既にディアナの身体は馬車の中へと引きずり込まれていた。
「お嬢様!?」
「くそっっ」
シェリーの悲鳴と共に、イアンが走り出す。
と同時に、鞭の音が響いて、馬車がスピードを上げる。
イアンが追いつくよりも先に、ディアナを乗せた馬車は王都の雑踏へと駆けて行った。