14:双子の姉は奔走する
「どうしてこんなところに居るんだ」
ディアナの右腕を掴んだ男は、怒りに語気を荒らげた。
一瞬身構えかけたイアンが、すぐさま腰の剣に掛けた手を緩める。
「アラン様……」
いつもは優しいブルーグレーの瞳に怒気が浮かんでいるのを見て、ディアナは僅かに声を震わせた。
「アラン様こそ、どうしてここに?」
「言っただろう、周辺の警戒を強化していると」
見れば、アランだけではない。
遠征で見かけた第三騎士団の騎士達が、共に見回っているようだった。
「病の話をした時の反応から、どうも怪しいと思ったが……どうしてここまで来てしまったんだ」
ディアナにとっては初めて見る、アランの怒った表情。
しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。
「私にも何か出来ないかと思ったのです」
「ここに居ては、貴女まで感染する恐れがある。ここは我々がどうにかするから、貴女には屋敷に居てほしいんだ」
アランの言葉は、紛れもない本音だった。
いくらアカデミーで優秀な成績を収めたとはいえ、ディアナはうら若き貴族令嬢だ。
騎士達ほどの体力はない。
魔法が得意で戦場では敵なしとはいえ、相手は病だ。
その細い身体でどう立ち向かうのかと、頭が痛くなってくる。
ディアナとしても、ここで引き下がる訳にはいかない。
病がこのまま広がれば、父だけではない、王国中の人々が犠牲になってしまうのだ。
せっかく魔獣討伐から生きて帰ってきたアランさえも、無事で済むとは限らない。
「それならば……」
これは、一つの懸けだった。
自分の話をどの程度信じて貰えるかは分からない。
でも、何もしないよりは遙かにマシだ。
「アラン様……私のことを信じていただけますか?」
ディアナは病の感染源が下水道の鼠にあるとして、アランを始めとする第三騎士団の騎士達に下水道の清掃と鼠の駆除の手伝いを申し出た。
当然下水道の掃除と聞いて、騎士達は良い顔はしない。
「我が騎士団の者達を清掃夫扱いするとは、如何なガザード家のご令嬢といえど、看過出来ません」
「そういう訳ではありません、ただどうしても人手が必要で……」
団員達を説得する為にやってきた第三騎士団の詰所。
折良く居合わせた副団長に掛け合ったものの、返答は敵意に満ちたものだった。
アランが第三騎士団の団長を辞した後、当時の副団長が現団長に就任し、副団長には異例となる女性騎士が抜擢された。
モニーク・ゴダード──ゴダード伯爵家の令嬢でありながら幼少期から剣を学んだ、王国では数少ない女性騎士の一人だ。
ディアナにとって直接の面識はないが、剣を学ぶ中で何度も耳にした名前だ。
女性ながらに剣で身を立てた第一人者。
出来ることならば一度お会いしてみたいと、常々思っていた。
赤い髪を高いところで一つに束ねた、活動的な美貌の持ち主。
長身で引き締まった筋肉、緑色の瞳が意思の強さを感じさせる。
そんなモニークが、ディアナに対して憎々しげな視線を投げかけていた。
「人手が必要なのでしたら、ご自慢のガザード騎士団を出動させては如何?」
「そんな──!」
ガザード公爵騎士団は、あくまでガザード領を守る為の公爵家の一員だ。
そんな彼等を王家のお膝元である王都で活動させては、ともすれば王家への叛意を疑われかねない。
北方で行われた魔獣討伐に同行させるのとは、訳が違う。
「それがお嫌なら、貴女一人でやれば良いでしょう。優秀な魔術師様なのですよね? それとも、アカデミーでの成績は公爵家のコネだったということなのかしら」
モニークの美しい顔が、皮肉げに歪んだ。
(どうしてここまで敵意を向けられているのかしら……)
自分はそこまで失礼なことを言ってしまったのだろうかと、ディアナの胸が痛む。
アランがどう言おうと、副団長がこう言っている限りは、第三騎士団の手を借りることは難しいだろう。
「……分かりました、自分でどうにかいたします」
「ディアナ!!」
大人しく引き下がったディアナに対し、アランが声を上げる。
「モニーク、どうして──」
「当たり前のことでしょう。根拠もないのに、騎士達を動かせるはずがないわ。アラン、貴方こそどうしてこんな小娘の話を大人しく聞いているの?」
モニークがアランの腕を掴む。
二人の距離は、あまりに近い。
「こんな小娘に誑かされて……貴方らしくないわ」
ディアナが見ないようにしていても、やけに親しげなモニークの声が耳に入ってくる。
「申し訳ございません、失礼させていただきます」
これ以上その場に居るのがいたたまれず、踵を返して第三騎士団の詰所を後にした。
「どうした、お嬢」
外で待っていたイアンが、ディアナの顔を覗き込む。
イアンに心配をかけまいと、ディアナはぎこちない笑顔を見せた。
「ううん、何でもないの。それよりイアン、冒険者ギルドに案内してちょうだい」
「冒険者ギルドぉ?」
「そう、依頼を出したいの」
皮肉にも、モニークの言葉がディアナにヒントを与えた。
ガザード騎士団を動かす訳にはいかない。
だが、冒険者に依頼を出すならば話は別だ。
ベテラン冒険者ならばともかく、駆け出しの冒険者ならば、掃除から雑用まで、どんな依頼でも引き受けてくれると聞く。
彼等を雇って下水道の清掃と鼠の駆除を依頼することなら、自分にも出来るのではないか。
ディアナも、公爵家の一員だ。
自分で自由に出来る金は、それなりに有る。
こんな時に使わずして、どうすると言うのか。
「行きましょう、冒険者ギルドに!」
「はぁ、まぁいいけどねぇ」
意気込むディアナを横目で眺めながら、イアンがやれやれとばかりに肩を竦めていた。
下水道の清掃と鼠の駆除。
その依頼が冒険者ギルドの一番目立つところに張り出された時、冒険者達は「こんな依頼、誰が受けるんだ」と鼻で笑っていた。
だが一人が興味本位で依頼書を手に取り、その報酬と依頼人の名前を目にした瞬間、ギルド中が湧いた。
書かれていた報酬額は、相場の約十倍。
そして、依頼主は──名門中の名門、ガザード公爵家。
清掃に必要な道具だけでなく、清掃時に着用する衣服まで完全支給。
作業前と作業後には、軽い食事が振る舞われる。
あまりに破格の条件。
しかも、受注に必要なランクは問わずと来た。
今日冒険者登録をした初心者であっても、依頼を受けることが出来るのだ。
この依頼が評判を呼び、普段は冒険者として活動していない王都の食い詰め者達まで冒険者ギルドに殺到した。
その全員を雇い、駆除作業に当たらせたのだから、ディアナが支払った謝礼は相当な額に及ぶ。
最初こそ金持ちの道楽と笑っていた王都の人々だが、下水道が綺麗になるにつれて裏通りに立ち込めていた不快な臭いが消えたことに喜んだ。
それだけではない。
このままでは大規模な流行を見せるのではないかと危惧されていた死病の発生が、下水道の清掃と駆除を始めてから、目に見えて下火になっていったのだ。
最初はディアナとイアンの二人で始めた、下水道の清掃と鼠の駆除依頼への対応。
冒険者達に必要な道具を配り、彼等が着用する衣服を手配して、清掃後には清潔な水で手洗とうがいを徹底させ、着替えた後に食事を振る舞う。
体調不良を訴えた者には、すぐ医師を手配した。
雇う人数が増えれば増えるだけ、ディアナの負担も増える一方だ。
屋敷の使用人達の助けも借りて、最終的にはガザード公爵ウェズリーその人まで動いてくれた。
蓄積されたノウハウを持つウェズリーだからこそ、ディアナには思いつかない策を提案することが出来る。
ウェズリーによってシステム化された下水道の整備案が王宮に提案されたのは、ディアナが下水清掃に乗り出した、その翌々週のことだった。
「お父様、ありがとうございます」
「なぁに、これで死病の流行を抑えられるなら、安いものだ」
ディアナは今日も冒険者達に食事を振る舞っている。
いつもなら「ディアナちゃ~ん」などと気安く声を掛けてくる冒険者も居るが、父であるガザード公爵が一緒となれば、そうはいかない。
「しかし、よく病の感染源が分かったな。我が娘ながら、誇らしいぞ」
そう言って笑う父の姿こそ、ディアナにとっては何よりも誇らしく感じられた。
(ううん、これはお父様が調べ上げたことです。前世でお父様が我が身を投げ打って調査に当たってくださったからこそ、判明したこと……)
父の努力があったからこそ、流行り病は沈静化した。
前世では父自身その途中で病に倒れてしまったけれど、今世では間に合った──。
(アラン様も、お父様も、助けることが出来た……)
喜びに浸っている時間はない。
今はまだ、王都の下水道が全て清潔になったとは言えないのだ。
今日も下水道に潜って作業してくれた冒険者達を労うべく、ディアナ自身もまた、忙しく動き回っていた。
流行り病を沈静化させた勲功を称えるとして、ディアナに再びの登城命令が下されたのは、その翌日のことだった。