12:双子の妹は闇を抱える
ディアナとアラン婚約の報せが、ガザード公爵家に吹き荒れる。
概ね好意的に受け止められた二人の婚約だが、中にはこの報せを聞いて涙した者が居た。
その多くは密かにディアナに想いを寄せていた騎士達だったが、それ以外に唯一、令嬢であるディアナの幸せを素直に喜べなかった者が居る。
双子の妹、コーデリアだ。
「コーデリア様、お聞きになりましたか? ディアナ様とアラン様が、ついにご婚約されたとか……!」
侍女の浮き立つような声を聞いた瞬間、コーデリアは胸に鋭い痛みを覚えた。
(お姉様が、アラン様と婚約──?)
その話を聞いた瞬間、コーデリアは目の前が真っ暗になるのを感じた。
すぐに自室に戻って鍵をかけ、一人になる。
双子の姉。
生まれた時からずっと一緒だった、ディアナ。
彼女は正に、魂の片割れだった。
そんな彼女が、長年抱き続けていた想いを成就させたのだ。
妹として、真っ先に祝わなければ──そう理性では思いはするのに、感情が追いつかない。
(どうして、どうして──)
ディアナとコーデリアは、別々の相手に恋をしていた。
双子が恋した相手は、どちらも王族。
十七も年上の王弟アランに恋をしたディアナ。
婚約者の居る王太子ローレンスに恋をしたコーデリア。
どちらも想いを告げられぬままに、長年拗らせてきた。
だというのに。
(どうして、お姉様だけが想いを叶えてしまったの……?)
お父様がお認めになって、二人は晴れて婚約者同士になった。
この後王家に正式に届け出を行い、結婚の日程を決めることになるのだろう。
思い人との婚約。そして結婚。
自分がどれだけ望んでも、手に入れられない幸せ。
それが、姉の元には舞い込んできたのだ。
(なんで、なんでお姉様だけ!!)
一人ベッドに横たわり、枕を叩く。
そうする以外、コーデリアには感情のやり場がなかった。
同じ双子なのに。
同じように長年片思いをしていたのに。
相手も同じ王族なのに。
どうして、どうして姉だけが幸せを手に入れるのか。
どうして自分は幸せになれないのか。
ボロボロと涙が零れる。
自分があまりに惨めで、酷く醜く思えた。
今でも姉の幸せを祝福してあげなければと思うのに、とてもそんな気にはなれない。
心が張り裂けてしまいそうだ。
自分だって、長年想いを寄せる王太子と幸せになりたい。
でも、その願いは叶わない。
彼にはもう、決まった相手が居るから──。
どうして自分は王太子殿下よりも年下なのか。
私が物心付いた頃、彼が八歳の頃には、既にエルドレッド公爵家の令嬢ケイリーとの婚約が決まっていた。
せめて自分が王太子と同い年だったならば。
そうは行かぬまでも、一つ二つでも年が近かったならば、婚約者を決める際に自分の名が上がる機会があったのではないか。
二人の縁が結ばれるより先に、王太子に出会う機会があったのではないか。
どれだけ考えたところで年の差は埋められず、一度決められた婚約は覆らない。
ケイリーは難解な王太子妃教育を順調にこなし、王家の一員となるべく準備を進めている。
二人の間に自分が入る余地など、どこにもない。
だというのに。
(どうしてお姉様は、自分だけ想いを叶えてしまうの──?)
「ああ、もうっっ」
コーデリアはベッドの上で枕を掴み、勢いよく壁に投げつけた。
軽い枕が花瓶にぶつかり、ガシャーンと耳障りな音を立てて砕け散った。
その音さえも自分の惨めな感情を刺激するようで、余計に苛立ちが募る。
「コーデリア様、どうかなさいましたか!?」
音を聞きつけたのだろう、侍女が扉を叩く。
ガチャガチャとドアノブが音を立てるが、鍵はしっかりと閉められたままだ。
「なんでもないわ、放っておいて!」
髪を振り乱し、声を荒らげる。
こんな姿、誰かに見られる訳にはいかない。
月と太陽。
お姉様ほどの才能はないけれど、コーデリアは皆から愛されて育ってきた。
唯一想いを寄せた人には振り向いてもらえなくても、コーデリアに言い寄る男は数え切れない。
そんな自分が、なぜこうも惨めな思いをしなければならないのだろう。
どうして。
どうして。
どれだけ考えたところで、答えなど出るはずもない。
ただ一人鬱屈とした想いを抱えたまま、眠れぬ夜を過ごした。
翌日、コーデリアは自室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
どうにか理性は取り戻したものの、いまだ何をする気にもなれない。
流れる雲をぼんやりと眺め、ただ時間が過ぎるのを待っている。
──そんな時だった。
「……あら」
コーデリアの視界に、公爵邸を目指し走る人馬が飛び込んできた。
目立つ長身、逞しい姿。
その腕には、大きな花束が抱かれている。
──姉の婚約者となった王弟アランだ。
いつもほど馬のスピードが出ていないのは、手にした花束を気にしてのことだろうか。
婚約を決めた翌日だ、その花束が誰の為に用意されたかは容易に想像が付く。
ふと、コーデリアの胸に悪戯心が湧いた。
性格こそ大きく違っているが、ディアナとコーデリアは瓜二つの双子だ。
自分達の外見を正確に見分けられるのは、実の父であるウェズリーのみ。
昨夜とは打って変わった上機嫌な足取りで、部屋を出る。
一階へ降りて、公爵邸の玄関へ。
扉を開けて前庭へと出れば、馬を降りて門番へと手綱を渡すアランの姿があった。
「おはようございます、アラン様」
笑顔を浮かべて、アランに声を掛ける。
門番は勿論のこと、屋敷の誰も、服装にさえ気をつければ、ディアナとコーデリアの見分けは付かない。
父にさえ見られなければ、双子がどちらか、誰にも分からないのだ。
笑顔のままで、アランに近付く。
このままディアナの振りをして、何食わぬ顔で花束を受け取ってしまおう。
彼が婚約者の為に用意した、大輪の花々。
それを自分ではなく妹が受け取っていたら、ディアナはどう思うだろうか。
一人だけ幸せを掴んだ姉に対する、ほんの些細な意趣返しのつもりだった。
──なのに。
「すまないな、コーデリア殿。これはディアナ殿の為に用意してきたんだ」
アランは笑顔のままで首を振り、コーデリアとは距離を置くように、一歩後退った。
ディアナの振りをしてアランに擦り寄ろうとしたコーデリアの身体が、一瞬で硬直する。
「え──」
アランの横で、門番が目を見開く。
アランに近付こうとするその態度で、ディアナだと思ったのだろう。
門番はちゃんと欺せている。
なのに、なぜアランには通じないのか。
「アラン様、あの……っ」
動揺が声に出て、上手く言葉が纏まらない。
(なんでバレたの!? 今までお父様にしか気付かれたことはないのに──!)
そう声に出して問いたいが、そのまま口にするのは憚られる。
苦々しい内心をひた隠しにして、コーデリアは愛想笑いを浮かべた。
「どうして私がコーデリアだと、お分かりになったのですか?」
「だってなぁ」
コーデリアの企みを知らぬアランは、どこか照れくさそうに笑った。
「コーデリア殿は、俺に何の気持ちも抱いてはおらんだろう?」
その言葉を耳にした瞬間、冷や水を浴びたようにコーデリアの身体が一瞬で冷えた。
「外見は確かによく似ているが、態度も視線も、何もかもが違う。流石に分かるよ」
アランの言葉が、胸に刺さる。
ディアナはどれほどの熱い視線を彼に送り続けていたのだろう。
アランはどれだけ姉の想いを受け止めてきたのだろう。
王太子の前で双子が入れ替わったとして、彼が気付くことはないだろう。
培ってきた信頼、築き上げてきた感情が、あまりに違う。違い過ぎる。
(アラン様は、私のことなんて今までまともに見てもくれなかった癖に!)
そう頭に過って、ふと気付く。
アランのことをまともに見ていなかったのは、自分も同じだ。
アランばかり追いかけるディアナに、いつも冷めた視線を送っていた。
姉のようにアランを熱く見つめたことなんて、一度もない。
そう、今だって──。
(……なぁんだ。見抜かれて、当たり前だったのね)
悲しみと屈辱が混ざり合い、息が詰まる。
胸が締め付けられ、心の臓が悲鳴を上げる。
あまりに惨めで、思わずその場に崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
「まずはディアナ殿の元に向かうとしよう。コーデリア殿、また後でな」
片手を上げ、アランが屋敷へと入っていく。
彼の手には、ディアナに渡されるだろう花束がしっかりと握られたままだ。
一人前庭に取り残されたコーデリアは、血が滲むほどに唇を噛みしめる。
口の中に血の味がじんわりと広がっていくように、コーデリアの心にどす黒い感情がゆっくりと滲んでいった──。









