10:双子の姉は想いを成就させる
「夫となるって──」
ディアナの提案に、アランが息を呑む。
それはつまり、二人が夫婦になるということ。
ディアナのことは憎からず思っているが、だからといって、彼女を利用したい訳ではない。
十七の年の差。
王族としての責任。
彼女の未来に自分が相応しいのか──頭をよぎる思考の全てが、ディアナの瞳に打ち消されていく。
「我がガザード公爵家ならば、貴方を守ることが出来ます」
ディアナの提案は、確かにアランにとっては利がある。
屈強な騎士団を保有するガザード公爵家。
武力も、財力も、政治力さえも、王国の中ではずば抜けている。
当代のガザード公爵はアランにとっては旧友であり、気の置けない相手だ。
窮屈な王宮で、さらに身の危険を感じるよりは、ガザード公爵家に居た方が安全は保証されるだろう。
だが、それはあくまでアラン側の事情のみだ。
「いや……俺の都合に、ディアナ殿を巻き込む訳にはいかない」
「アラン様!!」
首を振るアランに、ディアナが声を荒らげる。
悲痛な声に、アランの胸が痛む。
だが、ディアナはまだ十八の若さだ。
アカデミーを卒業したばかりで、これから先、彼女には輝かしい未来が待っている。
そんな彼女の人生を、自分の都合で縛る訳にはいかない。
「ディアナ殿、俺ならば大丈夫だから──」
言いかけて、ふとアランの声が止まる。
じっとアランを見上げる、ディアナの瞳を真っ正面から見つめてしまったから。
大きなアメジストのような瞳が、揺らいでいる。
必死に涙を堪えようとしているのだろう、薄紅色の唇をきつく引き結ぶ。
──違う。
彼女を女性として見ないようにと自分に言い聞かせはしたが、こんな顔をさせたかった訳ではない。
ズキズキと、アランの胸が痛んだ。
「……ごめんなさい、アラン様」
「ディアナ殿?」
突然の謝罪に、アランが戸惑いの声を上げる。
今謝るべきなのは、自分の方ではないのか。
そんなアランの戸惑いを他所に、ディアナが言葉を続ける。
「私は、ずるい人間です。理屈を付けて、貴方を縛り付けようとしていた──貴方の気持ちを確かめもしないで、私だけが先走っていた」
ディアナの言葉が理解出来ず、アランはただ呆然とディアナを見つめる。
光が揺らぎ、アメジストの瞳から一筋雫が落ちた。
「それでも、貴方に生きていてほしいと願う気持ちは変わりません」
「それは……」
理屈を付けて、縛り付けようとしていた。
夫になるという提案が建前で、本音は別のところにあったということだろうか。
それは、つまり──、
「貴方が好きです、アラン様。ずっとずっと、好きでした」
ディアナの言葉に、アランの呼吸が止まる。
あまりにもストレートな、想いを乗せた言葉。
幼い頃から大事に思っていた、これほどまでに美しい女性に想いを告げられ、冷静でいられるはずもない。
鼓動が高鳴り、体温が一気に上昇する。
頬を撫でる爽やかな風も、身体の熱を冷やすにはほど遠い。
「どうか、生きることを諦めないでください。貴方が有利になる為ならば、私は喜んでこの身を差し出します」
ディアナの声が、甘く耳を蕩かせる。
(ああ、もう目を逸らすことなんて出来ない……)
ことここに及んでは、認めざるを得ない。
自分は、間違い無くこの十七も年下の少女に焦がれているのだと。
「私と一緒に、運命に抗ってください!」
どんなプロポーズよりも、熱烈な言葉だった。
その言葉にどれほどの意味が込められているか、今のアランには知る術はない。
けれど、この言葉にどれだけの決意が込められているかは、十分過ぎるほどに伝わっていた。
ポロポロと涙を零し、俯くディアナの耳に、椅子が鳴る音が響く。
ふと顔を上げれば、すぐ傍らにしゃがみ込むアランの姿があった。
「ディアナ殿……俺は貴女よりも十七も年上だ。それでも、いいのか?」
「勿論です、私は……」
ぐすっと鼻を鳴らし、息を整える。
そんなディアナが、アランにはこの上なくいじらしく感じられた。
「私は、貴方がいい。貴方でなければ嫌です」
どこまでも真っ直ぐなディアナの言葉。
歯止めをかけようとする理性とは裏腹に、彼女の想いが真っ直ぐに心を貫いてくる。
「貴方にとっては、私は子供みたいなものかもしれないけれど……ずっとずっと、貴方のことだけを見ていました」
涙に濡れたディアナの頬を、アランの逞しい指が拭う。
ピクリと、ディアナの身体が震えた。
「知っていたよ、君が俺に好意を持ってくれていたことは。でも、気付かない振りをしていた。受け入れて良いものだとは、到底思えなかったから……」
アランの唇から、言葉が零れ落ちる。
今まで堰き止めていた想いが、少しずつ溢れ出す。
これほどまでに真っ直ぐに想いを告げられ、もう目を逸らすことは出来なかった。
「意識してはいけないと、何度も自分に言い聞かせたというのに……君はどんどん魅力的な女性になるものだから、困ってしまった。俺だって、そんなに我慢強い人間じゃないんだ」
「アラン様……?」
アランの言葉に、ディアナが濡れた瞳をぱちくりと瞬かせる。
ディアナの頬から離れたアランの手が、膝の上で握りしめられたディアナの手を取った。
「そんな君を……好きにならない訳がないだろう」
「────!」
アランの唇が、ディアナの手の甲に触れる。
口付けを落とした後、じっとブルーグレーの瞳がディアナを見上げた。
「こういうことは、俺から言わせてくれ。……ディアナ殿、俺と結婚してくれないか」
「アラン様……っ」
再び、ディアナの瞳から大粒の涙が零れる。
先ほど流した、堪えるような涙ではない。
心の底から溢れ出す、歓喜の涙だった。
「はい、喜んで──!」
華奢な身体を、アランの逞しい腕がかき抱く。
愛おしい人に抱きしめられて、ディアナはその胸にもたれかかるように目を閉じた。
「ディアナ……」
耳に響く甘い声に、うっとりと目を開ける。
濡れた瞳が瞬いた先には、愛おしい人の柔らかな笑顔があった。
「アラン様……」
大きな掌が、ディアナの頬を包み込む。
温もりに溶かされるように、ゆっくりと瞳を閉じれば──、
唇に触れる、温かな感触があった。