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私が贈る準イベリス  作者: 夜月 真
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6月5日

6月5日


 3日ほど前に見た週間天気予報で、おそらく今日が梅雨入りするという予想は、案の定当たっていた。

 約一か月の時間で心の整理もつけられ、前向きにとらえることができていた。今日、彼は約束を忘れずに来てくれるだろうか。確か休みの日は12時と告げたはずだ。午前中、何をしようかとベッドの上で悩んでいると、SNSで気になる投稿を見つけた。

 それは恋愛小説を投稿している人の投稿だった。2作品をつなげて読むと、一つの物語が完成するといったものだった。リンクをタップして読んでいるうちに時間は自然と過ぎていた。

 読み終えたころ、心が錆びていたようだった。


 小説だとか、音楽だとか、私はいつからか悪い印象を持つようになっていた。努力とか夢は叶うとか、そんな言葉ばかり並べて、恵まれた人の口から無関心に飛び出した言葉など、所詮私の心に響かない。そんなことを思うようになっていた。人生はそんなものじゃどうにもならないとわかっていたからだ。

 11時を過ぎ、支度をした後に家を出た。かなり早い時間になってしまったけれど、家にいてもすることがなかった。

 今日彼と会って何をするか、どう思い出して貰えるかを考えた結果、思い出をあえて作っていく事とした。だから私は今日デートに連れていくつもりだ。嫌と言われないか無駄な不安は出来るだけ無視していた。


 雨が空から滴るバス停で、何度も心の中で大丈夫、大丈夫と自分に声をかけた。バスが歩道に近づき停車した。緊張しているうちに、到着したバス停から降り、カフェの場所へと歩く。じめじめとした空気に髪の毛がパサついてしまっていた。

 足早に雑木林の道を抜け、大木がうっすらと見えてきた。いつもは建物の隙間から抜けないと見えないはずだった。しかしその謎も、道を抜けるとすぐに理解できた。

 声も出なかった。全てを奪われたような雲一つない夜空だ。生まれて一度も見たことがないほど大きな満月だ。目を凝らしてみても、欠けていることなく月面全てが輝いている。この場所に出会って初めての満月だった。その大きなオーラは圧巻だった。今にも落ちてきそうなその存在に、生きる力を受け渡された気さえした。


 足音に気づき、私はその方に顔を向けた。私に真っ直ぐと近づく彼だった。

「ちゃんと来たね、颯君」

 大丈夫、緊張していない。そう自分を落ち着かせた。

「今朝梅雨入りしたと知って、思い出したよ」

「ありがとう、わざわざ来てくれて」

 覚えていてくれたことに、嬉しさが笑顔となって表れてしまう。

「今日は素敵な満月だよ、ほら」

 私は再び天を見上げる。五感が全て喜んでいる気がした。こんなに素敵な夜空を彼の隣で見上げられていることが、これほどに幸せな事なのか、初めて知ることができた。

 彼の横顔をちらりと覗く。夢中になって見上げて、私が横にいることも忘れていそうだ。その子どもらしい立ち姿に、私は思わずふふっと声を漏らす。


「見惚れてたね、口を開けてすっごい夢中になってたよ」

 恥ずかし気に赤くなった顔を隠そうとする仕草が愛おしい。

「昔の私みたい」

「え?」

 彼の顔を見つめ続けると、自分が保てないような気がし、再び目線が天に逃げた。

「私も初めてここに来た時は、今の颯君みたいに口を開けて、この空の一部に慣れたらいいのになーなんて思ってた。たぶん、プチが話しかけてくれなかったら、永遠と見続けていたかもしれない」

 出来ることならば、このままずっと彼とこの月を眺めていたい。この月のように美しくなりたい。そんなことを思うけれど、今日はやることがある。

 一息ついて、彼の顔を覗き込むように体を傾けて、私は意を決した。


「じゃあ行こっか」

「え? どこに?」

「まあまあいいからいいから。あっちから出るよ」

 私は出口へと向かい、彼を誘導する。振り向かずとも付いて来てくれていることが足音でわかる。

「怖い?」

 振り返って彼の顔を確認したが、真っ暗で何もわからない。

「ううん、大丈夫。でも、ちょっと不安」

 私は今なら大丈夫、と自分に言い聞かせて彼の手首を掴んだ。顔が熱くなっていくのがわかったが、きっと彼には見られないだろうと腕を引っ張る。

「こっち」

 手汗をかきそうで内心焦っていた。心拍数が上がっていくのがわかる。ずっとこの時間を過ごしたい気持ちと、早くこの場所を抜け出して手を放したい気持ちが混ざり合い、喧嘩していた。

 雨音が鳴り始め、雑木林の出口を抜けて彼の手を放した。


「ここは……?」

 傘を広げ、振り返って辺りを見渡す彼に、答える。

「私はいつもここからさっきの場所に行ってるの」

「どうしてこんな道、最初に通ろうと思ったの?」

 手元の傘を広げる彼の質問に、私は2年前のあの日を思い出した。とても話せる内容なんかじゃない。

「じゃあ逆に颯君の方は、あの場所の入り口、どんな場所にあった?」

「僕の方は……小さな神社の裏側……人が入っているところを見たことがない神社の裏側が入り口だった」

「そこへはどうして入ろうと思ったの?」

「なんだか、どうしようもない好奇心というか……」

「私もそんなところかな。理由はあんまり変わらないと思う」

 正直に話すことなんてできるわけがなかった。ただ彼の答えも曖昧だったことが唯一の救いで、私は誤魔化すことができた。


「よし、じゃあ行くよ!」

 私は背筋を伸ばして気合を入れた。真っ直ぐ見つめる私に彼は驚いていた。

「え? ここからどこに!?」

「私、観たい映画があるの!」

 唖然として立ち尽くしている。本当はこれといって気になる映画はなかった。1週間ほど前に公開中の映画を調べ、悪くなさそうなものをピックアップしていた。

「あ、ちゃんとお財布とか持ってきた?」

「財布とスマホは持ってきた……けど……?」

「よし! じゃあ大丈夫だね! 行くよ!」

 半ば無理やりだったが、不器用な自分はこんな方法しか思いつかなかった。


「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり映画って、どういうこと?」

 事前に映画へ一緒に行く理由は色々考えたが、どれもしっくりこなかった。人差し指を顎に付け、考え込むふりをした後、彼に笑顔で答えた。

「んー、気分?」

「気分……」

「ダメだった? この後予定あったりする?」

 眉を顰めると、彼は考え込んだ。

「予定は……ないですけど……」

「けど?」

「……わかったよ。……行くよ」

「やった!」

 もし断られたら……。なんて考えは心配に過ぎなかった。喜びを握り締め、私達は橋横の階段を上がった。この橋を見るたびに、あの日に落ちていたらと嫌な思い出が蘇ってしまう。

 静かな住宅街に佇むバス停の前で足を止め、私は言葉をかける。

「この辺ね、住宅街だから車もあんまり通らないの」

「へぇ、なんだか大きな家ばかりだね」


 バス停には屋根があったにも関わらず、私達は傘を畳まなかった。彼の気持ちはわからなかったが、私は緊張のあまり傘の存在を忘れていた。

「うん、私も将来、大きな家に住んでみたいの」

「この辺りで?」

「そうだなぁ、この辺りの住宅街も好きだけど、山とか、森みたいなところに住みたい。人があんまりいないような」

 お互い、目も顔も合わせずに話を続けた。どこか安心感と胸が鳴る音だけが体を伝う。

「山とか森かぁ、素敵だね。空気が綺麗だもんね」

 彼のその肯定的な考え方に、また心を惹かれてしまう。

「そう、後は自分だけの世界って感じがしていいかな。憧れる」

「いいね、なんかそういうの。あ、でも買い物がちょっと不便かも」

 現実的な意見に私はプッと吹き出して、あははと笑ってしまった。


「急にリアルだね」

 とても静かだった。水が屋根を叩く音と、私達の声意外、消えてしまったようだ。足音もしない風が、傘をすり抜けて雨水を足元に貼り付ける。

 バスのエンジン音が水を弾く音と重なって聞こえ始めた。

「あ、バスがきたよ」

 バスの扉が私達の前で開き、傘を閉じてICカードをかざして乗り込んだ。日曜日ということもあり、そこそこ人が乗車していた。私は後ろの方の席に指を差して向かった。

「あそこ、座ろう」

 席の前で立ち止まり、彼を窓際の席に座らせた。この地域を見ているうちに、昔の思い出が蘇るかもしれないからだ。雨粒が窓の外を見えにくくさせていた。

「バス、発進いたします」


 私が座ると同時に出発した。エンジンの回転する音に合わせ、乗客の体が揺れる。

「この辺りね、自然いっぱいで好きなんだ。住宅街なのに。共存してるって感じがするの」

 他人に会話を聞かれたくなかった私は、彼の耳元で囁くように話をした。彼はたまに片目を向けるだけで、窓の外に夢中だった。

「翠さんの家は、この辺りなの?」

 ようやく彼の両目が私に向いた。

「うん、もう少し待つと見えるよ」

 私の一言ですぐに視線を戻した。私に興味がないのだろうか、そんな不安が無駄に生まれてしまう。私は彼に少しだけ近寄った。

「あ、ほらそこ! このオレンジっぽいアパート!」


 大通り沿いに建てられた私のアパートに指を差す。彼は窓の外に夢中で私の事を見向きもしない。悲しみが大きくなってきてしまう。

「あそこの2階の1番奥の部屋なんだ! でね、そこの部屋が……」

 とにかく気を逸らさなければと、焦る気持ちがどんどん膨らんでいった。

「どうして僕にそこまで話してくれるの?」

 唐突に振り向かれた。数センチで鼻同士が触れてしまう距離だった。無意識のうちに彼の顔の横にまで私は近づいてしまっていたのだ。一瞬だけ、本当に一瞬だけ時間が止まってしまったようだった。

「ごめん……!」

 謝る彼の表情を見られない。必死に赤くなる頬を俯いて隠したのだ。髪が長くて助かったと思った。

 止まってしまった会話を戻さなければと、彼の発言を思い出す。そうだ、どうしてそこまで話すのか、だった。心拍数が高くなったまま、私はようやく顔を上げた。

「どうして話すか、かぁ……。うーん、話しやすい、から?」

 彼はプッ吹き出して私に尋ねた。


「なんで疑問系なの」

 私も彼の笑顔に釣られて笑ってしまった。彼の笑顔は、なんだかんだ初めて見たような気がした。

「颯君のおうちはどんななの?」

 私の話ばかりだったと気づき、彼の事を訊いてみた。知っていることを、知らないふりをして聴くのは心に負荷がかかった。

 今住んでいる場所の事や、学校生活など、知らないこともあったが、それでも私の知っている彼を、初耳のような反応をしなくてはいけないことが心苦しかった。

「まもなく~終点~終点の……」

 終点にもかかわらず、ピンポーンと誰かが押した車内のボタンが全て光る。

「あ、もう着くよ」

 終点の駅に到着した。私の家の最寄り駅でもある。

 ICカードを片手に、彼に尋ねる。


「お昼ご飯もう食べた?」

「いや、まだ食べてないよ」

「そっか、何か食べよっか。何か食べたいものとかある?」

 彼は狭い天井を見上げて悩む。

「うーん何があるかわからないから……」

「ごめん、私も言ってなかったもんね。じゃあ映画館の横にイタリアンがあるからそこはどう?」

「うん、大丈夫だよ。そこにしようか」

 飲食店が多い場所だが、映画館のすぐ隣にあるためそこにした。

 バス停のロータリーに足を降ろすと、雨だというのに人の流れは意外にも多かった。傘が揺れながらあちこちへと移動している。

「日曜日だから人多いね」


「うん、この駅に来るの初めてだから逸れたらもう会えないかもしれない」

 あまりにも真剣に言うものだから、私は吹き出してしまった。

「大袈裟だなぁ」

 私は彼と逸れたとしても、また会えることを知っている。大丈夫、また会えるよ、そうポツリと呟いた。

「え?」

「ううん、なんでもないよ」

 私の漏らした言葉を気にする彼に、私は作り笑顔で誤魔化した。

「そうだ、スマホ持ってきたよ」

「お、じゃあ後でID交換しよう!」

 私の声が彼に届いていないことを願った。


「先にチケット買ってからご飯食べる?」

「うん、そうしよう」

 たった二言だけしか貰えない返事にすら、嬉しさがあった。

 映画館の中に入り、エスカレーターを昇る。段々とポップコーンの甘い香りが広がり、映画館の雰囲気を漂わせる。

「映画館の匂いって、なんかいいよね」

 エスカレーターで私より低くなった彼が上目遣いで言葉を返す。なぜだか、バスでの一件以来、やけに彼に意識が向いてしまう。

「ね、映画館に来たって感じがする」

 チケット販売機のある階へ到着し、私は慣れた手つきで販売機をポチポチと推し進める。

「何を観るの?」


「これ観たいんだけど……どう?」

 事前に探しておいた作品を差した。

 “明日の世界”と書かれた文字列を見て彼は了承してくれた。

「うん、いいよ。それにしようか」

 私はそのまま文字に伸ばした指を画面に付ける。

「ありがとう、なんだかあらすじとか、題名に惹かれちゃって、観てみたいなって思ったの」

 ポチポチと進めるが、なんだか少しばかり彼を騙しているような罪悪感が生まれた。しかし題名に惹かれたのは本当だった。あらすじに目を通しても、彼と観てみたい、そんな気持ちがあったのも本当だ。


「うん、僕もなんだか素敵な題名だなって思った」

「よかった……」

 彼が嫌がらなくてほっとした。

「席どこが良いかな?」

「んー、僕はいつも1番後ろを取ってるよ」

「うそ!? 私どちらかというと前に行っちゃう」

 彼と目が合うと、私達はお互いの真剣な表情に笑いが溢れてしまった。

「じゃあ間にしようか」

「うん、たまには少し後ろでも観てみたい」

 私達はI列の16番と17番の席のチケットを購入した。

「14:15上映開始だから、お昼ご飯食べたらちょうど良いかもね」

 小さな鞄から取り出したスマホで時間を確認すると、12:32の数字が並んでいる。


「そうだね、ゆっくり食べよっか」

 チケットを発行して、私達はイタリアンのお店に足を運んだ。

 私はカルボナーラ、彼はナポリタンを注文した。いただきます、と言ってから私は鞄の中からヘアゴムを取り出した。同級生はみんな手首に通しているが、私はどうしてもそれが気になってしまう人だった。

 セミロングの髪をポニーテールにし、再びいただきますと言ってフォークにパスタを巻いた。

 動かない彼の腕が視界に入り、口に運ぶ途中の手を止めた。

「どうしたの?」

 彼の言葉は意外なものだった。

「翠さんは、どうして僕と食事してくれるの?」

 私は言っている意味があまりわからず、首を傾げてそれらしい返事をした。


「人間なんだから、ご飯を食べるのは当たり前じゃない?」

 次の彼の一言に、私は少し驚いた。

「そうじゃなくて、翠さんみたいな綺麗な人が、どうして僕と一緒に。っていう意味」

 その言葉がとても不快だった。昔から、容姿を褒められることは多かった。だからこそ私は、私の中身を見てほしかった。だから見た目で判断されることが苦痛で、不愉快だった。

「容姿が綺麗だとか、良くないだとか、関係ないと思う。自分が誰と一緒に食べたいか、それが一番大切じゃない?」

 彼も、私の容姿だけで関わっているとしたら、私は不幸者だ。彼はなんて言い返すのだろう。

「ごめん、僕が間違ってた。翠さんの言う通りだと思う」

 とても素直な人だと感じた。今まで、綺麗ごと言うな、そんなことばかり言われてきたからだ。


「僕も翠さんとの食事が楽しい。また一緒に食べたい」

 私はふふっと微笑した。

「今食べてる最中なのに、気が早いよ。けど、次は何を食べようかね。あ、そういえばID教えてもらってない!」

 ふと思い出し、食事中にも関わらずお互いのQRコードを読み取った。お行儀が悪いのは自覚していたが、今日くらいは許してほしいと、誰もいない心に語り掛けた。

「はい、じゃあこれでいつでも颯君にイタズラ電話できると」

「え、やめてよ」

「あはは、冗談だよ」


 会話を重ね、私達は店を出た。ポップコーンの匂いを再び浴びると、あの甘い味が味覚を誘う。

「ポップコーンとか食べる?」

「せっかく映画館に来たから食べたいけど、お昼ご飯がまだお腹に残ってるから、Sサイズにしようかな」

「じゃあMサイズのやつ一緒に食べようよ!」

 大きいメニューを見上げる彼に提案する。

「その方が安そうだし、そうしようか」

 ポップコーンペアセットを割り勘で購入し、チケットを取り出すと丁度入場開始のアナウンスが流れた。


 エスカレーターで更に2階上に上がり、8番スクリーンに向かった。

 大きな部屋に入ると、意外にも人が少なかった。あまりテレビなどでも宣伝されていなかったせいだろうか。おかげでそこまで居心地が悪くない。

 オレンジ色の微灯を残し館内が暗くなると、スクリーンから光と大きな音現れ、体を襲う。映画の広告と注意事項の映像が流れる、他の作品を紹介されている時間も映画の醍醐味だと、ワクワクし始めた胸が騒ぎだす。

 ようやく本編が始まり、緊張感が部屋全体に走る。ポップコーンを二人の間に設置したため、手を伸ばしては口に運ぶ。彼は私とタイミングが被らないようにしているようだった。


 私は彼の迷惑にならないよう、音を最小限出さないように気を配る。

 エンドロールが流れ終わり、明かりがつくと、部屋全員が息を漏らしたような空気が流れた。そしてポップコーンは、細かなものと種だけが僅かに残っている。

 両手を上げ、鈍った体を伸ばしていると彼が私に声をかけた。

「翠さん、ポップコーン取るの上手くない?」

 笑いが溢れてしまい、伸ばしていた体が一瞬で脱力した。

「ポップコーン取るのうまいってなに!?」

 口角が上がる彼も自身の質問を考え直したようだ。

「ポップコーン減ってくると取りづらくないの?」


「んー、普通に指伸ばせば取れると思うけどなぁ。颯君、意外と不器用なんだね」

 席を立とうとする彼に、私は鞄から小さなウェットティッシュを取り出し、一枚渡す。

「はい、手ベタベタでしょ」

「うわ、女子力だ」

「うわってなに、これでも女子なんですけど」

「ごめんごめん、ありがとう」

 怒ったように笑い、右手に残る油を拭き取った。

 スクリーンのある部屋から出て、私の後ろを歩く彼に問いかける。

「じゃあ、次はどうしよっか? どこか行きたいところある?」

「え?」

 彼は眉を持ち上げて驚いていた。


「あれ、もう帰る気だった?」

「うん、映画も観たし、翠さんの目的も無くなったから帰宅コースかなって」

「そっか、もう帰らないといけない?」

「そういうわけではないけど……」

 疲れた表情を見せる彼を見て、考える。まだ一緒にいたい気持ちはあるが、彼を連れまわすのも申し訳ない。

「あ、じゃあちょっとだけお買い物に付き合ってよ」

「お買い物?」

「うん、ルーズリーフが無くなっちゃったの。雑貨屋さんに行ってくれない?」


「雑貨屋さんかぁ、うん、そのくらいなら全然大丈夫だよ」

 私はすぐにスマホで近くの雑貨屋を調べた。画面を覗き込む彼に意識してしまい、指がうまく文字を作ってくれなかった。

 ロータリー横にあるデパートの中にある雑貨屋さんがヒットし、私達は足を運んだ。

「ルーズリーフ……ルーズリーフ……あ、あったよ!」

 私はいつもと同じ物を手に取った。本当のところ、まだ買い足さなくても良かったのだが、口実として買いに来ただけだった。

「それで大丈夫?」

「うん、ありがとう」

 円マークの書かれた先へ向かおうと体をターンさせると、何かに視線を感じ目を奪われた。

「かわいい! 見て! 何かわからないけどかわいいよ!」

 雪だるま、なのだろうか、ハッキリとはわからないけれど私の胸に刺さる魅力があった。私は意図せず無邪気に燥いでしまっていた。


「これ一個ずつ買わない?」

「え!?」

「これ、どれが入ってるかわからないみたいだし、ふたりで買ってみようよ!」

 値段も特段高いと言うわけでもなかった。高校生でも十分に手が出せる。

「確かに可愛いけど……」

 彼をじっと見つめ、口を使わずに訴えた。真剣に悩んでくれた末、彼が負けてくれた。

「んー、わかったよ。1個だけね」

「やった!」

 私達はお互いに選んだ物を購入し、店を出た。私は袋を貰ったが、店を出た彼は手ぶらだった。ポケットにでも突っ込んだのだろうか。

「じゃ、家に帰ったら写真送ってね」

「さっきの?」


 うん、と頷くと彼は渋々了承してくれた。

「じゃあ僕は帰るけど、途中まで一緒だよね?」

「うん、けど近くだし、バス代もったいないから私は歩いて帰ろうと思う。バス停が、えっと……」

 あの橋まで向かってくれるバスはどこかと、バス停を示す為に右腕を上げかける。

「そっか、じゃあ途中まで送るよ」

「え? いいよ、家近いし悪いよ」

「僕もバス代節約したいし、もう暗くなってきたし」

「いや、でも……」

 彼の一言が、今日一番嬉しかったと共に、申し訳ない気持ちがあり喜びきれなかった。

「ごめん、迷惑だったら普通に帰るよ」

 このままでは彼はバスで帰ってしまう。1秒でも長く一緒に居たい気持ちがある私は、次は自分が折れる番だと悟った。


「ううん、全然迷惑ではないんだけど……じゃあ、お言葉に甘えようかな……」

 本当は飛び跳ねたいくらいに嬉しかった。けれど私は変に思われないよう、表に出さないように必死だった。

「うん、今日はお世話になったし。せめてものお礼……にはならないか」

彼のその細かな気遣いが、また私を良い意味で苦しめた。

「ううん、嬉しいよ。ありがとう」

 私は自分でもわかるほどに喜びが自然と顔に出てしまっていた。彼に気づかれないよう、隠しても隠しきれなそうだ。

 また彼とこうして思い出の土地を歩くことができている現実が未だに信じられない。彼と話す時間は長く、短かった。小さい頃の話や、友達の話、過去の恋愛話など、私が気にしていた話ばかりしていた。


「颯君、この辺きたことないの?」

「うん、なんだか見覚えがあるような……けど多分、夢で似たような場所を見ただけだと思う」

「……そうなんだ」

 夢なんかじゃなく、実際に昔住んでいた所だよと、そう言えたら胸が軽くなるだろうな。

「翠さんは、この地域にずっと住んでるの?」

「ううん、お父さんの転勤で、少しだけ東北の方にいたの。けど、この場所にちょっと心残りがあって、高校生になると同時に戻ってきたんだ」

 このくらいは正直に話していいだろうと思い、彼に伝えた。

「へー、じゃあ今はお母さんと二人とか?」

 自分が落ち込み始めていることに僅かだが気づき始めていた。


「え? ううん、アパートに一人だよ?」

「え! 高校生で一人暮らしなの!?」

 彼は驚くと声量の上がる人だった。その表情が私にとっては可笑しく、あははと笑ってしまう。

「そんなに驚く? 意外とできるものだよ?」

「僕なんか料理できないし……寂しかったりしないの?」

 彼の一言が私の胸を抉る。

「そりゃあ寂しいけど……それでも、ここに戻ってきたかった理由があるの」

「なに? 理由って」

 貴方に会いたくて。そう言えたらどんなに楽になるだろうか。けれど私はどうしても思い出させるのではなく、思い出して欲しかった。言葉が見当たらずに、黙ってしまう。

「ごめん、訊きすぎたよ」

「……ううん、ごめんね」

 私は精一杯に気持ちを隠して笑顔を作った。


「翠さん、ごめんね。悲しませて」

「……え?」

 彼の謝る理由がわからなかった。

「僕、馬鹿だし、鈍感だから何がいけなかったかわからないけど、翠さんが悲しんでそうだったから」

 私の気持ちが気づかれてしまった驚きで自然と目が開く。彼特有の優しさにまたも惹かれてしまう。単純な女だなと自覚があった。

 アパート前に到着し、私は手を振って彼に別れを告げた。

「じゃあ私、家に帰るね。またね、送ってくれてありがとう」

 鍵を開けて室内に入り、玄関の扉がガチャリと閉まる。そして私は大きなため息を一つ溢す。どうしたら気づいて貰えるのだろうか、そんな悩みが生まれた。


 悩みが頭に残る中、夜ご飯の支度をしながら、ベッドに置いた袋の中を漁る。箱を破って現れたその置物は、枕に頭を乗せて横になる雪だるまだった。そもそも雪だるまなのかどうかもあやふやだ。

 私はすぐにスマホを開いて写真を撮り、彼に送りつけた。

【みてみて可愛い! なんか癒される!】

 笑顔マークの絵文字を付けて送ると、すぐに既読の文字が現れた。トーク画面を開いて待っていると、画面が更新された。

【可愛いね。僕のは体育座りしてるよ。】

 彼から送られた写真のものは、ちょこんという擬音が似合いそうな雰囲気で座っている。

【颯君はどこに置くの?】

 ベッドに備え付けられた棚に置くと、まるで一緒に寝ているペットのように愛着が湧いた。


【うーん、机の上にしようかな。】

 彼も私も、トーク画面を開きっぱなしということがたった二文字で伝わる。

【いいねぇ! 私は横たわってるし、ベッドにしようかな】

 キラキラの絵文字を添えて送る。彼と私のメッセージには温度差があった。

【あと颯君、女の子とのやりとりは絵文字を使った方がいいよ?笑】

 指摘するのは好きではなかったけれど、あまりにも堅苦しかったため私はつい送ってしまった。

【絵文字ってどうやってつけるの?】

 彼の文字に驚きから実際に声が出た。

【え!? 絵文字使った事ないの!?】

 本当にスマホをあまり使わないのだなと疑いが晴れた。


【うん。そもそもメッセージ自体あまり使わないんだよね。】

 メッセージが送られてきては、指先を走らせ続けた。

【まず句点やめよう!笑 怒ってるようにみえちゃうよ!笑】

 私は良いメッセージの送り方を教えた。メッセージを送った直後に、これが彼らしさでもあるのかなと、少し後悔した。

【どうすればいい?】

 けどそれが颯くんらしいからありかも! そう文字を作っては、送られてきたメッセージを見て全て消した。

【んー、とりあえず文末に笑を付けておけばなんとかなる!笑】

 意外にも乗ってくれた彼に私は一つだけアドバイスして終わろうと思った。

【わかった笑 これから意識してみるね笑】

 なんだな彼から送られると違和感がありじわじわと込み上げるような面白みがあった。つい絵文字もつけてみて欲しいと求めてしまう。

【なんか面白い笑笑 じゃあ次は絵文字だね!】

 絵文字の付け方を文字に変換していると、電子レンジが時間を知らせ、また後で送ろうと画面を閉じた。


 インスタント食品をテーブルに運び、テレビを向かいに食を進める。再び彼のトーク画面を覗くと、メッセージが来ていた。

【ごめん、一旦お風呂入ってくるね笑 戻ったらまた連絡する!】

 つけ方がわからないと言っていたにも関わらず、自分で探し出したのか、びっくりマーク、お風呂、頭を下げる人の絵文字が添えられていて、私は一人寂しい部屋の中で笑顔を零した。

【そっか、私もご飯食べ終わったし、お風呂入って寝るね! おやすみ!】

 Zが3つ並ぶ絵文字を添えて、それだけ送った。あまり続けさせても窮屈にさせてしまいそうだ。既読はついたけれど、返事は来なかった。

 お風呂の前にテレビの続きを観ていると、次に彼と会う約束をしていないとふと気づき、私は追ってメッセージを送った。

【そういえば、次はいつあのカフェ行く?】

 テレビを見ていると、伏せたスマホは意外にもすぐに私を呼んだ。

【すぐにまた行くのはマスターに申し訳ないから、少し時間を置こうと思う。】

 とても彼らしい優しい文だった。


【そっか、お金かからないと申し訳ないよね笑 じゃあ次に会うのは梅雨明けなんてどう?】

 あえて約1ヶ月後くらい間を開けようと思った。あまりに会いすぎても彼を困らせてしまうだけだと思ったからだ。

【うん、じゃあそうしようか。】

 彼の文は、再び寂しさを感じさせていた。

【おっけー! じゃあ梅雨明けの日の朝に集合で! あと、絵文字と笑つけなね! じゃあおやすみ!】

【おやすみ笑】

 Zの並ぶ絵文字を付け加えられていて、慣れないなりに頑張って付けているのだと思うと、どうしても笑ってしまった。面白さなのか、嬉しさなのかは、自分に問い詰めなかった。

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