8話 彼氏彼女の距離感
駅の階段を上がりホームへ。外を歩いていたときと同じく、太陽が見えるホームには暖かな日差しが降り注いでいた。
白斗と倉田は座って待つということで、手持ち無沙汰な状態のオレは周囲を見回す。
設置された時計はすでに二時を回っていた。合わせて時刻表を見ると、あと数分で乗る予定の電車が到着するようだ。
といったところで、見ていた時刻表から視線を白斗たちの方に移す。正確には白斗と倉田の手に。
「……目がいくよねぇ。私的に焚きつけるつもりも予定もなかったんだけどなぁ……」
同様に時刻表を確認していた綾音がオレの視線に気づいたようで、申し訳なさそうな声で話しかけてきた。
件の二人がどうなってるのかは察しがつくだろう。オレたちのやり取りを見たせいか、恋人繋ぎをしながらイスに座っている訳だ。
ホームにいる他の人たちは前方や中央付近の車両を狙っているらしく、後方側で待つオレたちとは離れた場所にいた。すなわち、オレたちくらいしかこの辺りにいないのである。
そういった状況なのもあり、二人は恥ずかしがる心情を顔に出しながらも行動に移すことにした。んだと思われる。
「どーする? あたしらもやっとく?」
「なんで対抗しようとするんだよ……」
小声で話す綾音にオレも同じぐらいの声量で返す。
「にゃはは♪ せっかくのダブルデートなんだし、あの二人のマネすんのもありかなーって」
「……まあ嫌とは言わないが。バレないようにだぞ」
「お? にししっ、やったぁ♡」
空いていたオレの右手に綾音の指が絡まる。
いわゆる恋人繋ぎ。スベスベとした柔らかな綾音の指の感触がオレの手にじんわりと伝わってくる。
「きんちょーしてる? ユーヤの手、ちょっと汗かいちゃってるよねー?」
「あ、すまんっ。嫌ならやめておくか?」
「うんにゃ。嫌なわけないっしょ。……やっぱ改札でのやり取りが尾を引いてるとか?」
「それはあるな。無意識でやっちまってたから」
あれからも恥ずかしさは続いていたし、白斗たちが手を繋いでる状態も少なからずは意識している。実際、オレはふわふわした感覚に支配されていた。
「しゃーない。切り替えてけ」
「だな」
綾音らしい励まし方にオレは苦笑してしまう。
「にしてもユーヤの手」
「ん?」
「ちゃんと男の子って感じだよね。ゴツゴツしてるっていうかさー」
そう言うと綾音は何度も繋いだ手を握ってくる。
「そうか? まあ平均的な男子くらいにはな。綾音だってしっとりスベスベしてるぞ。毎日スキンケアとか欠かさずしてるだろ?」
「うん。手だけじゃなく顔とか足とかもね」
なんともモチモチとした柔らかさだ。触ってるだけで幸福感で満たされてくる。
「あたしの手が気に入っちゃった? お手入れって結構大変なんだぞー。味わえるのをじっくり堪能したまえよ」
「はいはい」
なんて言いながらも堪能するために握り返す。
しかし、それに応えるかのように綾音は腕まで絡めてきた。となれば巨乳な乳圧も堪能することになって。
「お、おい……!」
「サービスサービス♪」
「いやいやサービスじゃなくてだな……!」
「なーにー? 貴様〜。あたしの抱きつきを拒否すると申すのかっ?」
段々と声がでかくなってるぞ! と思い、念のため白斗たちを見ると目が合った。
「またイチャイチャしてますよ奥さん」
「……お、奥? まあしかし、俺たち以上のことを平然とするのだな優也たちは。こちらは身体で隠すことで、一応見られないように配慮していたのだが……」
呆れた様子で明後日の方を見た白斗の視線を辿る。その先には、向かいのホームの中央辺りで話している二人の女子高生の姿が。
オレの視線に気づいたのか、遠目でも赤らんで見える顔を慌ててそらす。
今の見られてたってことか!? 制服はうちの学校のじゃないのが救いだが……。
「綾音ぇ……!」
「あはは……。ちょっとちょーし乗りすぎたかも?」
「かも? じゃねえよ!」
懲りてない顔なので説教してやろうと思った矢先、備えつけられたスピーカーからアナウンスが鳴った。
「電車きたみたいじゃん。ほらほら、茅野くんとちーちゃんは立った立った。ユーヤはスマイルスマーイル」
綾音に則されて立ち上がる二人を尻目に、オレは腕にまとわりつかれたまま電車の到着を待つことになった。
決して、オレの二の腕がたわわな両胸に挟まれてたから、怒るに怒れなくなった訳じゃない。……じゃない。
「……ユーヤ、ダイジョブ?」
「お、おう」
到着した電車に乗れたものの、現在、車両の中は満員状態だった。
白斗たちとは途中から分断されたあげく、オレと綾音は辛うじて入口に留まることが出来てる状態だ。
女子である綾音に無理はさせられないので、今はオレが両腕を使ってドアを支えにすることで、綾音のためのスペースを作っていた。
「なんか漫画とかで見る展開だよね」
「あー、恋愛ものの漫画とかでか?」
「そうそう。だからこそわかっちゃうんだけど、その体勢つらいっしょ? 漫画で心の声の描写とか見る限りは」
「……まあな」
だからといってやめるつもりはない。
きつかろうとなんだろうと、綾音が苦しい思いをするくらいなら、代わりに請け負うことなんて余裕だと言えよう。
「胸当たるのも我慢できそー?」
「おまっ…………我慢する。というか、意識してる方面に余裕が裂けそうにない」
腕を伸ばしきれない、綾音一人が入れるだけの空間。そのせいでオレの上半身に綾音の胸がわずかに当たっていた。
もちろん感触はあるので我慢を強いられてはいるが、それよりも腕の痺れの方が問題だ。
電車が走り出してまだ五分くらいだが、こちら側の扉は目的の駅まで開くことはない。そのおかげで、綾音が他の奴に密着される心配がないのは安心出来る。
だがしかし、もう一度言おう。左右後ろ斜めからの圧力で腕の痺れがしんどい……と。
「がんばれユーヤ。ユーヤならやれる」
「その応援の仕方はナナシ時代を思い出す」
「そういえば言ってたっけ。……応援かぁ。そんじゃ、今日は特別に阿藤ライフ風な応援もしちゃおっか?」
「お前楽しんでるだろ?」
こっちはお前様のためにがんばってるというのに。
「にしても、ちーちゃんたちはどこにいるんだろうね?」
「この体勢だとオレは確認出来ないな。しかし、まさか乗った次の駅で大量に乗り込んでくるとは」
「それな。四人掛けの席が空いたら座ろうとか、悠長に実行してるヒマもなかったし……」
「お前の位置から白斗や倉田は探せないか?」
「うちの彼ピは無茶言いますなぁ。あたしの視界はユーヤの胸板に支配されちゃってるんだけど」
「そこをなんとか」
「しょうがないにゃあ。けどちーちゃんはむずいよ。あの子背がちっちゃいし」
綾音はそこまで言うとオレの鎖骨辺りに手を置き、背伸びをして周りを見渡す。
「えーと……? うーん……茅野くんもパッと見じゃおらん」
ダメか。まあ人が減るなり市駅に着けばなんとかなるだろ。
「ん? ユーヤからスマホのバイブ音鳴った?」
「だな。上着の左ポケットに入ってる」
「で?」
「出してくれ。白斗かもしれない」
「ほいほい。おけまる水産。にしても、しっかりマナーモードにしてんのえらい」
ポケットをまさぐられてくすぐったさを感じてしまうも、ほどなくしてスマホが取り出された。
「茅野くんからのLINEっぽいね」
「この体勢で認証確認するのはきついしパスコード言うわ」
「いいの? 次からあたしの手で解除できちゃうよ? エロ画像保存してるかもチェックしちゃうぜー?」
「あとで変える気だから早く確認しろって」
「アルバムを?」
「お前は電車降りたら覚悟しとけよ……!」
泣き顔をしながら「ジョーダンじゃんかー」と弁解する綾音にパスコードを教えてロックを解除させる。
内容を確認した綾音は。
「二人ともダイジョブだってさ。空いた席に座ってるって」
「じゃあこっちも大丈夫だって伝えてくれ。ドアの近くにいることも」
「ほいな。……よし。返事しといた」
変な内容で送ってないか一応の確認をしてからスマホを元の場所に戻させる。
「しんよーないのマジぴえんなんだけど」
「前後の会話考えれば警戒するだろ。信用される言動を心がけろっての」
「だってさーあ……彼氏がどんな性癖してんのか、やっぱ気になんじゃん。思わず保存しちゃうようなシチュや服装の画像とか知っておきたいし」
「エロいの保存してるの前提で話進めんなよ」
「してないん?」
オレは思わず綾音から目をそらしていた。察しのいい綾音のことだからバレたと思う。
「その……あたしさ。匂いフェチな気があるんだよね」
「は?」
「あたしのフェチズムの話。で特に、ユーヤの匂い結構好きっていうか。今の状況ね、顔や態度に出てないと思うけど興奮してて……」
綾音は更に密着してきてオレの胸元に顔を埋める。
「お、おい……」
「いつかでいい。ユーヤの好み全部教えて。ユーヤが喜んでくれること、格好も、いっぱいしてあげるからさ」
「……っ! そ、そのうちな……」
降りる駅に着くまで、オレはこのシチュエーションに我慢を強いられた。
場所が場所ならきっとオレは……! と思うも、きちんと自制心がもってくれたことを本気でほめてやりたい。