3話 漢となるために
「はいよーいらっしゃい! ……っと、さっきのお客さんではございやせんか。今度はボーイフレンドと買いに来たんですかい?」
「ボーイフレンドって……友達ですよ友達」
「だもんで男の友達。ボーイフレンドじゃあございやせんか」
いやまあ確かに。直訳するとそうなんだけどさ。
オレはそっち方面の気はない。ということだけは言いたい。切実に。
という訳で、オレたちはさっき買ったクレープ屋へとやってきたところだ。
「そいで、今回は何をお求めに?」
「ああ、えっと……ほら白斗。倉田とお前はどのクレープにするんだ?」
「ん、そうだな……」
白斗があごに手を当て、キッチンカーに張られたメニューに目を向ける。
「ではストロベリーとチョコレートにしよう」
「はいよ。合わせて九百四十円になりやす」
「千円で」
「確かに。おつりの六十円。では、ちょいとお待ちくだせい」
「……あ。そういえば、お前はどっちを食うんだ?」
店員が作業を始めるの目の端で捉えながら、オレは白斗にそう問いかける。
二つとも甘めな味のクレープだ。しかし白斗は緑茶とかの渋めの味を好むタイプ。
それもあり、ついつい聞いてしまったんだ。
「チョコレートはあまり好みではない。代わりに千歳がチョコレートを好きなんだ。俺は果物なら問題ないからストロベリーを選んだ」
「へえ?」
倉田がチョコを好きなのは初出の情報だな。まあ、手に入れたからなんだって話だけど。
「あ。そういえばお前、去年のバレンタインはチョコ貰っても食べてなかったよな?」
「ああ。申し訳なかったが、大抵は知り合いや部活の仲間に配った覚えがある」
見た目はクールでスポーツマン風な白斗。そんな容姿と性格なもんだから、去年は結構な数のチョコを貰っていた。
ちなみにオレは、それを羨ましく思ったことを皮切りに『失恋の傷も癒えてきたし、そろそろ彼女が欲しいな』へと、気持ちが切り替わっていったんだ。
それから二ヶ月ちょっとでギャルな彼女が出来るとか、当時は想像もしてなかったけどな。
「来年はどうするんだよ? 倉田から貰う分は最低限食べるんだろ?」
「当たり前だ。千歳のものなら、例え苦かろうと甘過ぎだろうと最後まで食べる」
さも当然のような顔で返事をする白斗。
おうおう、惚気てくれるじゃねえか白斗様は。
もちろんオレだって綾音のチョコは残さず食べるつもりだぞ。
「……そちらさんも彼女さんとのデート中なんですかい?」
ふと、焼いてる生地を裏返す店員がオレたちの会話に入ってきた。
「ん? ええ。今は彼の彼女と一緒にいます」
言いながら白斗がオレへと視線を寄越す。
「そうですかい。で彼氏さんは、その千歳さんという方のどこが好きなんです?」
「え?」
店員が白斗へ顔を向ける。サングラス越しの眼差しは見えず、どういう意図で聞いたのかも分からない。
問われた当事者じゃないけど、オレも探りを入れるように店員を見つめてしまう。
「おっと、すいやせん。世間話のつもりだったんですが、初対面の店員なんかに聞かれちゃあ困っちまいやすよね」
店員は眉毛を八の字にして申し訳なさそうな顔をした。
「あ、いえ、別に構いません」
「……そういえばオレも気になってた。お前が倉田の笑顔に惚れたのは聞いてたけど、他にはどんなところが好きなんだ?」
場の空気を柔らかくしようと、オレはその話題にあえて触れてみた。
「き、聞きたいのか?」
気になるかと聞かれればその通りなので、オレは白斗の言葉に頷く。
「そう、だな。笑顔以外ならば……誰に対しても優しく、分け隔てなく接するところ。人の良いところを見つけたり、寄り添ってくれることもだな」
なるほどな。けど、それはオレ程度でも予想出来る範囲の内容だ。
彼氏ならもう一歩踏み込んだ答えがあるはず。
オレだって、綾音のことを聞かれたら湯水の如く湧き出てくるからな。
「それと」
「それと?」
「……すごく家族想いの子だ。ご両親のこと、お兄さんのことにお手伝いの方のこと。誰に関する愚痴を、あの子は一言たりとも俺には言わない。むしろみんなが、自分にとってかけがえのない大切な人たちだと話してくれる。それをいつも俺との話題に出すほどに、千歳は家族のことを想っている良い子だ。俺はそんな純真な心を持つ千歳だから好きなんだと、胸を張って言える」
白斗が話しながら優しげな笑みを浮かべる。それはオレでさえ初めて見るほど朗らかなものだった。
しかし意外……とまでは言わないけど、倉田がそこまで家族想いなのは知らなかったな。
綾音ならそのことも知ってるんだろうか?
けどまあ、そういった家庭の話を出来るのも、白斗のことを信頼してる証拠に違いない。
オレだって重めな家庭事情を、親しくなったあとの綾音に話したことがある。当時でも綾音くらいにしか話してないほどの事情だ。
さすがに倉田の家庭に、そんな重い事情なんかはないんだろうけど、オレらくらいの歳だと、やっぱり家族のことを話すのも気恥ずかしいからな。
それをいつもと言えるほどの頻度で話す。つまり倉田が、白斗に対して本当に心を許してることへの裏付けにもなっているとも言える。
「いいんじゃねえか。お前が倉田のことを本当に好きなんだって、その顔見たら嫌でも分からされるぞ」
「そ、そう思うか?」
「ああ。お前と倉田の仲が良好でなにより……っ?」
言ってる途中で店員の姿が目に入り、オレは声を詰まらせてしまった。
なぜかと言えば、その店員が服の袖で目元を拭っていたからだ。
「優也? ……っ!? なぜあなたが泣かれて!?」
オレの視線に気付いた白斗も、店員の姿を見て驚きの声を上げる。
「あ、いや、申し訳ありやせん。良い話だと思いやして……! ついあっしの涙腺が……!」
良い話……いやまあそうは思うけど、泣くほどのことじゃなくね?
なんて野暮なことを思ったものの、この場では言わないでおくことにした。
「けどよかったぜ。倉田とは相変わらず、きちんと付き合えてるようでさ」
「あ、ああ。……本当に、お前や鞍馬さんには悪いことをしてしまった。俺個人が傷付きたくないからと、お前の告白を邪魔して、鞍馬さんまで巻き込んでしまって……」
「あ……だからいいって! オレも綾音も気にしてないって言ってるだろ」
「しかし……!」
また始まった。綾音と付き合い始めたあとにも何度かあった白斗からの謝罪が。
その度に気にしてないとは言ってるものの、当の白斗がスイッチが入ったようにネガティブになるもんだから、こっちとしてはたまったもんじゃない。
押し黙る白斗に対し、どう言えば納得してもらえるかと、腕を組んで考えるオレ。
「事情を知らぬ身なので差し出がましいかもしれやせんが」
そこへ、すでに泣き止みクレープのトッピングをし始めた店員の声が入り込む。
「そちらの方が気にしてない。そう言っている以上、あなたが気負う必要がどこにありやしょう?」
「いやしかし――」
「そうではありやせんか。あっしは、あなたが何をしたのかは存じやしません。ですが許すと言われたのなら、それを甘んじて受け止めるべきなのでは?」
「……俺はっ、俺はそれでも自分が許せない。自分勝手な嫉妬心のせいで、友人の心を傷付けてしまったのだから。あのときの女々しい自分を、俺自身が許せないんだ……!」
悔しそうな顔で両手を握りしめる白斗を見て、オレは心の中で「白斗……」と無意識にあいつの名前を呼んでいた。
「では言い方を変えやしょうかね。……過去の自分が女々しかった? ふっ。あっしには、今のあなたの方がよっぽど女々しく見えますがね」
「ちょっ、店員さん!?」
「いいんだ優也。俺だって分かっている。それでも俺は……」
「守れるんですかい?」
「え?」
店員が発した声に反応したのはオレの声だっただろうか? それとも白斗のものだったのか?
もしかしたら、その両方だったのかもしれない。
「そんな女々しい男が、大事な彼女さんを本当に守れるんですかい……?」
「っ!」
白斗からつばを飲み込む音がした。
空気すら凍らせるほど冷ややかな声。その問いかける言葉には、オレですら思わず息を呑んでしまうほどの圧がこもっていた。
「答えられないんなら、今すぐ戻って別れを告げてみたらどうですかい?」
「それは…………っ」
店員の言葉にうつむき、言葉を探すように黙り込む白斗。
俺が間に割って入ろうとしたそのとき、白斗が顔をスッと音もなく持ち上げる。そして――。
「それはっ、出来ないっ! 俺は千歳が好きだ! 本気で好きだ!! それこそ、友人を騙してまで独占したいと思ってしまうほどに!!」
感情をあらわにして叫んだ。俺と言い争ったあのときのように。
「だから別れるのだけは……ッ!」
「だったら素直に甘受しなせい!! 自分の中に芽生えた嫉妬心も! ズルいと思い、なお突き進ませたその信念も! ……全部ひっくるめてのあなたではないんですかいっ?」
「っ……」
確かにその通りだ。倉田のことが本気で好きだからこそ、白斗はオレの恋路の邪魔をした。
それだけのことをしておいて、この場でまだうだうだ愚痴をこぼすなんて、正直勝手が良すぎるってもんだ。
「なあ白斗。オレとあの日、公園で約束したよな? 倉田を絶対に幸せにしろ。あいつを泣かせたりしてみろ。オレも綾音も許さないからなって」
オレと白斗の話し合いが決した日。オレがこいつに告げた言葉だ。
「……ああ」
「今のお前じゃ、オレも綾音も、倉田を安心して任せられない。それが嫌なら強くなってくれ。過去のことも全部水に流せるくらい強く」
「優也……っ……」
オレの言葉を聞き白斗は考え込むように目を閉じる。
けどそれも一瞬で、すぐにまぶたは開かれた。
「分かった! 千歳の恋人として、お前の友人として、今度こそ約束を違わないと誓おう!」
「……おう!」
白斗の顔に柔らかさが戻る。それを見たオレも、自分の頬が緩むのを感じた。
やっと決心してくれたようだ。これまでのような迷いや悩みが一切ない返事だった。
「込み入った世間話になっちまいやしてすいやせん。歳を食うと、こう、若い方の事情に首を突っ込みたくなる性分になっちまいやして」
「いえ、ありがとうございます。あなたのおかげで自分の気持ちの整理をつけられました」
「それならようござんした。さあ、こいつがご注文の品でございやす」
頼んでいた二つのクレープが出され――って、え?
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ! 俺は普通のチョコレートとストロベリーを頼んだはず!」
「サービスですよ。こんな店員の説教を真面目に聞いてくれたお礼でございやす」
そう言って白斗に手渡されたのは、大盛りのストロベリークレープと、見事なデコレーションがされたチョコのクレープだった。
「ははっ、良かったじゃねえか白斗」
「し、しかし! これでは採算が!」
「漢になられたのでしょう? これすらも受け入れられる器量を持てなければ、おじょ――彼女さんが頼りにする彼氏にはなれやしませんぜ?」
「うっ……ぐぬぅ……」
白斗が怯む。言い切った手前、ここで折れる訳にはいかないんだろう。
「わ、分かりました。ありがたく頂戴します」
こうしてクレープ二つを手に入れ、オレたちはそれぞれの彼女が待つ場所に向かうことになった。
とにもかくにも、とりあえずは一件落着ってところか。