18、思い出話
『イサナ、それはだめです』
夜更けにワルサーの抵抗する声が聞こえてくる。
そう言われても…と私は歯ブラシに歯磨き粉を練り出しながら言い訳をする。
「いやぁ、だってワルサーとウーターニャちゃんの思い出話が聞けるのは楽しいんだもん」
ユングーが去った後から私達はもうずっとおしゃべりを続けている。
気が付けば日を跨いでしまっていたことから、もうマリルドはこの城に泊まっていけばいいよという流れになったのだ。
その事に対してワルサーは反対意見を述べている。
こんな時間からエベレストよりも標高の高い山を下山させるだなんて、いくらここが魔法にあふれている世界だからって無茶を言っているのはどっちだという話だ。
エベレストの登頂には天候に比較的恵まれたとしてもプロでさえ3週間は必要になるらしいのだから、僅か1日でこのヘプタグラム城を訪れたこの世界の人々の超人っぷりはわかるけれども、だからといって夜の下山はダメったらダメだ。
思い出話をする流れになったきっかけはマリルドの発した言葉からだった。
「子供の國に居たときからウーターニャとワルサーの2人っていっつも一緒だったよね。今も一緒とは思わなかったわ。2人ってそういう関係?」
「そんなわけないよー!」
否定しつつも嬉しそうなウーターニャ。
かわいい。
聞いてはみたものの、さして2人の関係には興味はなかったようでマリルドは次は私に向かって質問を投げ掛けてきた。
「ふーん。ワルサーって本当に誰も覚えてないの?ダイメでさえも覚えてない?」
ダイメって誰?
有名な人?
ワルサーに確認してみても『さあ?』としか返事はなく、私が探ってもワルサーの記憶にはマリルドと同様にダイメという人の記憶も残っていない様子だった。
けれどとても有名人だったようでウーターニャがその話題にしっかりと食い付いた。
「あー、レッドダイヤの髪を持つとか言い張ってた5学年上のダイメ様ね。だいっきらいだったなぁ。15歳になって子供の國から出て行ってくれる日をずっと待ちわびてたくらいだもん!」
「有名だったよね。姿は見えないけど護衛が2人、常に自分の傍に控えているとか言ってたりさ」
「そう!『ニハチ』と『ニーキュウ』ね。あれって今思えば番号よね」
「でも人望はそれなりにあったよね」
「あれって人望とは言わないんじゃないかしら?取り巻きってやつでしょう」
「あはは!確かに。ダイメと目が合ったら『可愛い』か『かっこいい』って誉めなきゃいけないんだよね。んでもし言わなかったらスゲー怒るんだよね。ワタはダイメを見かけたらすぐに逃げてたから怒られたことねーけど」
そう言いつつ、マリルドは自然と城の中へ入って行く。
てるの助くんが驚いて私にこの珍客を招いていいのかどうかを確認をとろうとしている。
私がOKとジェスチャーで伝えるとこくこくと頷いて2人を先導し始めた。
ウーターニャは会話に夢中になってしまったようでマリルドの侵入には気付いていないらしく、一緒に歩みを進めている。
うんうん、苦手な子の話って何故か盛り上がっちゃうものだよね。
『信じられない…何故止めないんですか…』
ワルサーが唖然としている。
いや、だって話に熱中し過ぎているウーターニャって面白いじゃない。
このまま流れを黙って見守ろうかなって。
そう考えを伝えながら私は必死に笑いを噛み殺す。
もちろんワルサーが探った思考解読からマリルドがこの城を訪れた理由については私ももう把握済みだ。
1度食べてみたかったこの國の有名なレストランがヘプタグラム城の魔王攻略者向けに出店を決めて急遽本店をお休みすることになったからその後を追いかけてやって来た。
マリルドがここに来た理由はただそれだけだったのだ。
敷地内に残っていた理由はただの冷やかし。
新城主が昔の顔馴染みと気付いてからはあわよくばワルサーからヘプタグラム城のコレクションを何か1つ譲って貰えないかと考えていたりする。
ワルサーがどんな人間かを知っている上でこの場に残ったという胆の据わった…いや、大変図々しいヤツなのだ。
しかしだからといって悪い人間ではなさそうなのだ。
なので私は黙って2人の会話に耳を傾けることに徹している。
「そうそう!男性化してる日に「可愛い」って言われたらなぜか取り巻きの子を説教するのよね。「庶民たちへの指導がなってない!」ってダイメが説教してるの良く見たもの」
「あぁ、その説教されてた取り巻きってハライのことでしょ。ワタと同学年だった子だわ。ダイメがハライに強制的に複製魔法の獲得をさせたって問題になったこともあったよね。今でも不思議なんだけどなんであれって世界の理に触れなかったんだろ?普通なら強制的に他人に魔法を獲得させたら世界の理に触れて消失しちゃうよね?」
「あー、あれはハライさんがダイメに心酔していたことから、誘導はしたけど強制はしていないって判定されたんだろうって話だったよ。ダイメって髪がレッドダイヤの色を宿していてとっても貴重だから親に魔法の習得は禁止されてるとかって言ってたじゃない?そこに同情させて複製魔法を習得するように促したって聞いたわよ」
「うははは!すげぇ!なんで学年が違うウーターニャの方が事情に詳しいんだ!ねぇ、ダイメの髪って本当にレッドダイヤだったと思う?」
順調にホールにまで辿り着き、マリルドは珍しそうに氷のランタンが灯る竪穴を眺めながらウーターニャに疑問をぶつける。
ウーターニャに続いてホールに飛び込んでは氷のランタンを突く辺り、マリルドと私には近いものを感じる。
『近いというか同等ですね』
おっと、そのご意見は蔑みですね。
「いやぁ、どう考えても嘘でしょ。ガーネットの色を宿してるだけなのにそう言い張ってるだけだと思うわ。ワルサーはどう思うかしら?」
こちらに意見を求められたので少し慌ててしまう。
ワルサーは私に呆れながら『雑談するだけならばウーターニャも帰っていいぞと伝えてください』と言うのみだった。
「ワルサーはダイメって人のことも覚えてないみたいだよ」
「マジか!あのダイメすら知らないとはガチで他人に興味ないんだ」
「え、嘘でしょう?8歳の時にダイメがワルサーに「君にならアタの髪に触らせてあげてもいいよ」って言って来たことがあったじゃない!」
「ふーん?」
「何が「触らせてあげてもいいよ」よ!今思い出しても信じられない!ワルサーの存在の方がずーっとずーっと尊いのに…!」
「尊い…?」
「で、そのあとワルサーが地面を1mほど液状化させて、ダイメを地中に沈めちゃったのよ。しかも騒ぎを聞き付けた傅達にバレる前に自分が魔法を使ったっていう記憶をダイメから消して何もかも有耶無耶にしたりしてね。あれは見事な完全犯罪だったなぁー」
『忘れたな』
「…忘れたらしいよ」
「マジか、すげえな」
そのマリルドの感嘆はワルサーに対してなのか、何故かてるの助くんに案内されたステートダイニングルームに対してなのか。
いや、おかしいでしょ。
我慢の限界がやって来て思わず吹き出してしまう。
「あはははは!てるの助くん、その子はこんな部屋に通す程のお客様じゃないと思うよ」
「ぶはっ!」
「え?」
マリルドが私の侮辱に笑い、ウーターニャがようやくマリルドの城内侵入に気付く。
「え!なんでマリルドがお城の中に入ってしまってるの!?」
「うははは!なんでって自分で案内してくれてたし」
「あははははは!」
『満足できましたよね。さぁ、2人を追い出しましょう』
やーなこった。
私はまだマリルドと話してないもん。
せっかくだからと大食堂に複数ある長いテーブルで夕食を共にし、ウーターニャのうっかりっぷりを弄ったり、2人各々の思い出話を聞いて無駄で充実した楽しい時間を過ごし、気が付けば深夜を迎えて冒頭の会話に至ったという訳だ。
『…それはつまり…他人目線の俺の情報を知りたかったということで…好意の表れですよね?』
恐る恐るといった風の確認はウーターニャに打ち消される。
「あ、イサナ安心していいのよ。家付き虫を呼べば何処にいたって自分の家や部屋を呼び出せるものだから」
「ん、ウーターニャもワルサーも今はもう女の子なんだもんね。なら家を呼ぶかな」
「イサナは女の子だけどワルサーはまだ無性別のままよ。マリルドは性別を選ぶ予定はないの?」
あ、ウーターニャにワルサーが男になったってこと言ってなかったかも。
「今は旅を楽しんでる最中だし、性別を決めるのはまだ先かなぁ」
「今何歳だっけ?」
「じゅーはち」
「あら、イサナと同じ歳なのね」
お、と私は思わずマリルドとハイタッチ。
『マリルドと随分打ち解けているようですね』
「ワルサーのもう半分はイサナ、だっけ。イサナはどうして女性を選んだの?」
「それがさー…」
こうして私が異世界の人間であることを説明しているうちに朝を迎えることになるとは思っていなかった。
人とダラダラとお喋りをすることがこんなに楽しいことだなんて。
いつか一人暮らしをするようになったのならば友人を自分の家に招いて時間を気にせず遊ぶということに憧れていた。
コロナの流行でお家でお菓子パーティーは疎か、お泊まり会など決してしてはいけないことなのだと諦めていたと言うのにこの世界に来て私のささやかな願いがまた叶った。
途中人恋しかった時期のことを思い出して涙が溢れ、べーべーと泣いてしまいマリルドとウーターニャの2人に、いやワルサーを含めた3人に慰めて貰う。
『はぁ…仕方がないですね。イサナが望むのなら友人をまたこの城に招くことを許しますよ』
「ありがどう」
『…もしかして鼻水出してます?嘘でしょう、俺の顔からそんなもの出さないで下さい』
「あはははは!泣いたら鼻水は垂れるもんなんだから無理だよ」
「ん?イサナ急にどうした?」
「たぶんワルサーと会話してるのよ」
もう眠くて堪らないのに、また話をしてしまう。
マリルドが大好きなシロハさんの話を始めたことが切っ掛けで、ウーターニャは大好きなワルサーの話を、そして私は大好きな妹の凪ちゃんの話をする。
各々が違う人の話をしているのに何故か話が噛み合うことが可笑しくて、幸せで。
ウーターニャに魔法陣を出した反動で気を失うことを心配されていたが、朝を迎えるまで私達はずっと眠らずに笑い合っていた。