14、訪問客
ドローイングルームに戻ったのだがそこにウーターニャの姿はなかった。
おトイレにでも行っているのかなと考えていると、てるの助くんが現れて困って狼狽えているかのように私の周りをぐるぐると飛び回る。
「どうしたの?どうしたの?ウーターニャちゃんに何かあったの?」
と聞くと、てるの助くんはティッシュの裾を引っ張り上げて方向を指し示し「ついて来て」とでも言うかのように振り返りながら食堂を出て行く。
まだ顔を描いてあげていないから振り返っているのかどうかは正直自信ないけれども。
『ついて行かなくて良いと思いますけど』
というワルサーの意見は無視をして、てるの助くんを追いかける。
地球の1/4しかないこの星の重力のことを失念したまま走り出そうとしたせいで必要以上の力を入れてしまい、右足が床を蹴りあげる勢いを制御できずバランスを崩し派手に躓く。
『あぁ!俺の体が…!』
というワルサーの悲痛な声が聞こえ、慌てて右に身を捻って受け身をとる。
床に右の掌を着き、次に右膝を着けて勢いを殺す。
辛うじて体を打ち付ける事は免れたが、忍者のようなポーズでの着地がなんとも恥ずかしい。
「…言っとくけどワルサーの為に右側で受け身をとったわけじゃないからね?こっち側が私の利き手ってだけだからだからね?」
と念を押すとまたしても『御意』というワルサーの返事。
さっきからなんだその畏まった返事は。
まぁ、いいけど。
立ち上がっててるの助くんの行方を目で追うとホールを抜けて最上階の方へと飛んで行く姿が見えた。
私も後を追いかけ、ホールに飛び込み最上階への入り口を出現させる。
扉を開くとそこはヘプタグラム城の屋上だった。
新しい服のおかげで寒さはもう感じない。
しかし服の凄さに浸ることができぬ程に外はやけに騒がしい。
「イサナ!ワルサー!」
困惑しきった表情でウーターニャが私にすがり付く。
「昨日の朝に流れた魔王発生案内を聞いてヘプタグラム城の魔王討伐を狙っていた人やそういう人達を相手にここに出店を作って商売をしようとしていた人達が先ほどようやくこの山を登頂したところらしいの。なのにヘプタグラム城の階層が増していて、すでに魔王討伐が終わっていることに気付いて外は大騒ぎになったそうで…。私を訪ねてきてくれた患者さんがこの中に1人混ざっているはずなんだけど身動きも取れないみたい。こんなんじゃ全員怪我をしちゃうわ!」
そう説明してくれた後に直ぐ様、小指を口許に当てて私ではない誰かに指示を出しているのはウーターニャが通話魔法を使用しているからなのだろう。
懸命に患者さんと連絡を取り合おうとしている。
下の様子を窺うと時折怒号も混じる騒がしさ。
本当に魔王は討伐されたのか、説明をしろと騒ぎ立てている。
ウーターニャは1人でこの混乱を収めようとしていてくれたのか。
労うつもりでウーターニャの背中をぽんと軽く叩く。
「遅くなってごめんね。買ってもらった服、とても素敵で嬉しいよ、ありがとう。こんなに高い山にここまで大勢の人が集まるだなんて誰も想像できないよ。気にせずあとのことは任せて」
『任せてってどうするつもりですか?』
「…ワルサー様はただ冷やかしたいだけの大した用事のない人達を追い返す魔法をお持ちではないの?」
記憶を読んで知り得ているワルサーの獲得魔法のことを指摘してみる。
ワルサーの思考解読魔法と一掃魔法を組み合わせれば、ウーターニャを訪ねてきた人だけを残して他の人々にはお帰り頂くことは可能なはずだ。
『…ウーターニャも含めた全員を追い返してしまった方が良いのでは?』
!!
うーわー、想像の斜め上のことを言ったなー。
お世話になったウーターニャまで追い返すとは鬼畜が過ぎるぞ。
もういい、私が対応する。
思い切り息を吸い込み、ありったけの大声を出す。
「こーんにーちはー!!!」
…滑り出しの言葉に失敗した気がする。
まぁいいか。
「本日はヘプタグラム城を訪れて下さりありがとうございます!この山を登って来ることは容易ではなかったことでしょう!6階層に増したばかりのこの日にこのように多くの皆様に足をお運び頂いたことに感謝を申し上げます!しかしながらヘプタグラム城の新城主は初日の魔王の討伐の際に魔王の反撃魔法を受け、皆様の前にそのお姿をお見せすることが叶いません!誠に申し訳ありませんが、急ぎの御用件がある方以外のお客様にはお引き取りを御願い申し上げます!新城主への言伝ては私が承りますのでお申し付けください!なお…」
新しい服の効果は体感温度調整だけではないらしく、この標高でも息苦しさも感じないのだからありがたい。
少し威厳を出したいと思い、仁王立ちしてみては、腕を組んでふんぞり返ってみてを幾度か繰り返してみたがどちらもしっくりこず、なんとなくワルサーならこのようにするのではないかと顎を僅かに上げ地上を睨めつけることにした。
再度大きく息を吸い込む。
「冷やかしで城の敷地内に残った不届き者にはヘプタグラム城の新たな家付き虫と、この私がそれなりの対応を致しますのでご覚悟召されてませ!!」
嘘は言ってないよ、嘘は。
それなりの対応とは言ったが、別に酷いことをするとは一言も言っていない。
それなりの対応というのは言葉のままの意味だ。
可愛い凪ちゃんの信用を得るために3年前に心に決めたもう嘘は吐かないという誓いは例え異世界であろうとも守っていたい。
さて私のこの叫びはどう受け止められただろうか?
そもそも下にまで声は届いたのだろうか?
却って混乱を招いちゃったりしてないよね…?
ウーターニャの患者さんに何かがあってはいけないな。
早めに様子を見に行くか。
「城のトゲを順に飛び降りれば行けるか」
『イサナ、まさか…』
「ほっ」
右の片足飛びで一番近くのトゲに飛び降りる。
思っていたより緩やかに落下しては行くものの、着地の際にかかる負荷は地球と変わらないようで、ずうんと右足に衝撃が走る。
「んがっ!」
『…信じられない。イサナは安直に動き過ぎです。俺の体に傷が付いたらどうするんですか』
「ははは、そしたらウーターニャちゃんに治療して貰えるね」
飛び降りた際の負荷を覚悟しておけばなんてことない。
私はさらにトゲからトゲへと飛び降り続けた。
すると人々が響動めきだし、蜘蛛の子を散らすように我先へと敷地の外へと逃げて行く。
「…警告の効果がありすぎるんじゃない…?」
『いや、これは俺のことを知っている人々がイサナの姿を見て慌てて逃げたのではないでしょうか』
そう言ってワルサーは自分に不必要に近付いてくる人間を魔法を使い排除してきた記憶を私に見せてくる。
魔王と面する以前のワルサーの髪は自身の視界に収まらない程長かった。
その長く美しい髪は一室に収まるはずもなく、広範囲に渡って宙に漂わせる事でワルサーは生活をしていたのだ。
頂点の國の中を漂う髪はワルサーが身動きする度に不規則に流れる為、触れようという意図がなくとも他者に触れる可能性があった。
髪と雖も、ワルサーは他者との接触を赦すような人間ではない。
故意であろうと過失であろうと偶然であろうと理由を問わず、ワルサーは己の髪に触れそうになった人間に対して液状化魔法を使い地中に埋め込ませ、幻覚魔法を使い正気を失わせ、不運魔法を使い財を失わせていたのだ。
尚、これら全て相手が実行に至る前に思考を読み取り、先手を打って魔法を放っている。
お陰で人々はワルサーの容姿は知らねども、その真珠の髪に近付くと祟りがあると考えるようになったようだ。
短くはなったけれども私の今の頭の左側に在るのは真珠の髪。
この國の人々にとっては最も忌諱するべき毛髪を持つ人物が目の前に現れたのだから逃げ出した彼らの心中は察するに余りある。
「ワルサー…あなた、容赦ないね」
『美しい薔薇に群がる害虫は駆除しなければ薔薇を枯らしてしまうでしょう?同じ理屈ですよ』
「おおぅ、そんなに堂々と言い切られると清々しいわ」
徹底したナルシスト理論に思わず感服してしまう。
「よっと」
最後の一段を飛び降りて地に立つ頃に敷地内に残る人はたったの4名のみになっていた。
私の叫びの効果では無さそうなことが残念だけれど、時間をかけてでも根気強く1人1人に対応していくつもりでいたからここまで減ってくれていたことに私は安堵した。