13、ワルサーの願い
ワルサーが溢した【願い】は聞き流していいものではなかった。
奇跡を容易に起こせるこの世界では『大量の魔力を所有する』ことを『欲が深い』と表現する。
何故『欲が深い』なのか…、それは叶球の環境に起因している。
『叶い難い願い』というものは人に「この願いが叶うのならば死んでも良い」という考えを持たせるに至るものであろう。
さて、この叶球にて「例え命を落としたとしても必ず叶えたい」と強く切望する願いが叶った場合、魔法の使用の有無を問わず、実際に命を差し出す事になるのだ。
『願い』と『命』を天秤に掛けても尚、諦められぬ願いを叶球の人々は【終極の願い】と呼ぶのだが、この【終極の願い】の難易度が高ければ高い程、魔力の成長速度は増す。
刻々と増え続ける莫大な魔力を糧にに【終極の願い】を叶えるに至るより前に、それなりに自身を満足させられる魔法を獲得したならば【終極の願い】は取り下げる事が可能になる。
しかし、如何なる魔法を獲得しようとも一切満足をせず、唯一【終極の願い】のみを切望し続ける…これを『欲が深い』と称せず何と表そう。
付け加えて説明をすると、飢えも無く、病をも克服済みのこの世界で人が死を迎えるのは致命傷を負うか、【禁忌】を犯して世界の理に抵触して消失するか、命を対価に【終極の願い】を叶えて消失するかの3パターンの何れか。
負傷による死は適切な処置を行った上で天使の元へ連れて行けば完治が可能である為、叶球では最も低い死因である。
この世界で魔法を得ようと考えるのならば『命』を差し出す事を世界に誓う【終極の願い】を抱いて髪を伸ばし、魔力を蓄える事は必須。
けれども【終極の願い】は叶えてしまうと死んでしまう…。
叶球は魔法に満ちた夢のような世界であり、そして恐ろしく危うい世界でもあるのだ。
とはいえ、叶球の人々の多くは【終極の願い】を叶えるに足る長い髪を持たない。
願いを叶えることが容易な世界である故に、人々は髪が伸び、ある程度の魔力が貯まった幼少期の段階で、それなりに満足できる【ささやかな願い】を実現させるための魔法を獲得済みだからである。
満足できたのならば、その分だけ欲求は小さくなるものなので髪が伸びるペースも落ちていく。
ワルサーが長い髪を持つことができていたのは微塵も叶うことはないと世界が判断する【終極の願い】を持って産まれ、一切の妥協を赦さずに常に1つの願いを抱き続けていたからだ。
ワルサーが産まれた時から持ち続けた願い、それは【魔法や 瞞しではない正真正銘の自分自身と出会い、愛し合いたい】というものだった。
魔法を使って叶えることを否定しているために彼の願いが叶うことは決して起こり得なかったのだ。
──しかし、それはこの世界の中に限ったこと──。
この世界が認知していなかったワルサーと同じ容姿を持つ人間がワルサーの体に現れ出てしまったのだ。
もちろん正真正銘のワルサー自身という点はワルサーの【終極の願い】とは異なるのだが、それでも私との出会いはワルサーにとっては初めての【ささやかな願い】の実現となったのだ。
こういったこの世界特有の事情があるために「イサナの心と体の両方を貰えたら死んでもいいと願っている」というワルサーの発言は極めて重いものなのだ。
私の身に凪ちゃんと同じ歳の子の命がのし掛かっているだなんてとんでもない話だ。
それに体が半分入れ替わっている今の状態でワルサーが消失してしまったら、私は一体どうなるのだろう…。
今はイヤだよ、私。
凪ちゃんと仲良し姉妹デートをするまでは絶対に死ぬ訳にはいかない。
ふうと溜め息をつくと私は鏡の前に再び立ち、鏡越しにワルサーを睨み付ける。
「んなもんどっちもあげないです。ワルサーと私は全くの別物だよ。私で妥協して死ぬな」
怒気を込めてそう言ったというのにワルサーは満足そうに
『その表情を見せて貰えるのを待っていました。怒った顔も魅力的ですね』
だなんて答える。
叱るって…難しいな…。
己の指導力のなさにもう項垂れるしかない。
私なりの乱暴な言葉にも平然としていたワルサーだったが何かに気付き、軽く首を傾げた後に目を瞬かせる。
『イサナに【終極の願い】が生まれましたね。【ワルサーを死なせたくない】ですか。…随分と俺のことを愛して下さっているようですが?』
「え?え?嘘ぉ」
『俺はイサナには嘘は吐きませんよ。信じられないのならば俺の記憶を通して確認をするといいですよ』
…ほんとみたい…だ…ね。
「なんか…ごめん」
『この様な【願い】をイサナに持ってもらえるだなんて光栄ですよ。けれど…残念ですね。俺が生きている限りイサナの髪が伸びることはないですよ』
「私には魔法を獲得できないってこと?うーん、今までだって魔法なんて使ったこともないんだし、別に…構わない、かな」
『魔法より俺のことが大事だと?』
「…言っとくけど私はいい人じゃないからね?」
『俺がイサナに惚れた理由がイサナの性格の良さにあるとお思いで?』
「思ってません。とにかくこの世界にいる限りワルサーが死んだら私も死んでしまうってことだから、それはしっかり心に留めておいてね」
『御意』
「何が『御意』だよ。あー、もう。…着替えます…!」
ばんと鏡を掌で叩いて鏡に背を向けて服を脱ぐ。
まだ自覚すらない潜在的な【願い】だなんてものを意識的に変更するだなんて不可能だろう。
自分に対して腹立たしく思いながら着替え終えた。
ウーターニャが用意してくれた服はスカートだが中性的な雰囲気のあるものだった。
レザーのような艶のある素材でできた黒いトップスは体のラインにピタリと沿う。
手の甲まで届く袖は先の方が民族的な紋様にくり貫かれており、手首から手の甲と手掌の肌が透けて見える。
何故かピタリと隙間なく吸い付いているため、まるで手首付近にタトゥーを彫っているかのようにも見える。
私のものである女性の体のラインが露にならないようにするために胸には革の上に銀を重ねた胸当てを着けるように言われている。
サンドベージュのハイウエスト巻きスカートの下には捲れても脚が見えてしまわないようにロングのプリーツレースを穿くのだが、丈が長いのに不思議と邪魔にならない。
これなら思い切り走り回れそうだ。
最後にとても丈夫そうなごつごつとしたデザインのオールレザーの登山靴を合わせる。
自分で買い物に行ってもぴったり合うサイズの靴を選ぶことは難しいものなのにどうやったのかわからないけれど、服も靴も全てのサイズ感が私にぴったりだ。
思わず鏡で姿を確認すると
『ウーターニャにしては悪くないものを選びましたね』
と上から目線の感想をワルサーが述べる。
私にはこの世界の服の流行りはわからないので周りの評価がどうなるものなのかはわからない。
着たことはないタイプの服だが、私は悪目立ちさえしなければどんなファッションでも構わない。
この世界の町を道行く人々の様子を見た限りではこの私の服装は無難な部類に入るのではないだろうか。
だとするならばウーターニャは私の好みの服を用意してくれたことになる。
「ウーターニャちゃんにお礼をしなきゃ」
と私は急ぎ彼女の元へと駆け戻る。
【ちょっぴり補足】
■イサナの願いについて
イサナがもし【ワルサーを『私のせいで』死なせたくない】と願ってしまっていたらイサナは即時消失を開始していました。
死因を限定しなかったことで曖昧な願いになり、世界が願いの完遂を判断し損ねています。
またワルサーが生きている現状においてイサナの願いを叶える必要はないと判断されている為、叶球にいる最中にイサナの髪が伸びる事も有りません。