成長戦略。
「ふぅ、いい汗をかいたわね」
そんな令息達の危機感など知らず、先頭を駆け抜けたメルツェデスは爽やかな笑顔で汗を拭きながら、リタイア組が休んでいる日陰へとやってきた。
足取りも軽く、表情に疲れも無く。まだまだ彼女には余裕があることを感じられる。
それを感じ取ることができた令息達はさらに青くなり、令嬢達はうっとりとした表情で熱い視線を送るものが少なくない。
これが普通の学園の部活後などであれば、駆け寄り話しかけるファンの一人や二人もいたかも知れないが、そこは流石に貴族の学園、全員が慎ましやかにその姿を眺めるに留まっている。
……逆を言えば、ファンと呼んでいいくらいの存在は結構な数いるのだが。
しかしメルツェデス自身はそんなファンの存在に気付いておらず、当然手を振るなどのファンサービスも行わず。
一足先にクララの様子を見に来ていた親友であるエレーナの元へと歩み寄っていく。
「お疲れ様。流石エレンね、素晴らしい走力だったわ」
「それをメルに言われると、とっても複雑なのだけれど。まあ、それなりに走れるところを見せられたのはよかったわね」
『とっても』のところに思いっきり力を入れながら、それでもエレーナは笑って返す。
プレヴァルゴの血ゆえか、メルツェデスの運動能力が桁違いであることはよく知っている。
嫉妬する気にもなれない相手は、これまたそれを鼻に掛けた様子もないのだから、軽く流してしまうのが正解なのだろうと悟ってしまってからどれ程経ったことか。
最早あの程度は当たり前。
エレーナだけでなくフランツィスカも、当の本人もそう思っているのか、首位を独走したことなど大した話題にもせずに、彼女の本題へと入る。
「そうね、エレンには今後クララさんのお手本になってもらわないといけないのだし。
そのクララさんも、かなり頑張ってたわね。リタイアはしたけれど、半分以上脱落した後だったし」
「えっ、み、見てらしたんですか!?」
メルツェデスの言葉に、思わずクララは若干裏返りそうな声を上げた。
実際、クララは平均的生徒達が中程で形成していた大集団の中に常にいて、徐々に脱落者が出ていく中、集団が消失する最後まで何とか残っていたが、まさかそれをメルツェデスに認識されていたとは。
何しろ彼女ときたら、先頭集団を率いながら2周分も大集団を周回遅れにしていたのだから。
それだけの速さで走りながら周囲を見ていた余裕のあり方に驚くべきか、彼女を認識していたことに驚くべきか。
目を白黒とさせているクララへと、メルツェデスは笑顔のまま頷いて見せる。
「それはもちろん。エドゥアルド殿下から、クララさんを実地で鍛えるようご下命いただいていますし、あなたのことを気にするのは当然です」
「そ、そう言えば、デビュタントの時に……」
言われて思い出したのか、クララはぽんと手を打ち合わせ。
それから、顔を青くしながら冷や汗をじわりと浮かばせた。
何しろ、第一王子エドゥアルド直々に声をかけられ、聖女として期待されている役割を改めて確認された出来事。
もちろん忘れ去っていたわけではないが、学園生活に馴染むことを優先、特に勉強を優先していたため、そちら方面の訓練が不足しがちだったことに今更気がついたのだ。
しかし、そんな焦るクララへと、メルツェデスは笑顔を向ける。
「大丈夫です、これもわたくしの計画通りというもの。変に心配する必要はありませんよ」
実際、彼女がゲーム『エタエレ』を周回していた時には、基本的に中間試験までは学力重視、それが終わってから戦闘力重視の育て方をしていた。
なぜなら、誰を攻略対象としていようと、その方が後々の展開をさせやすかったからだ。
そして今、こうして現実の世界として生きている状況であってもそうしたのは、まずある程度の実績を残して学園に馴染ませるという狙いがあった。
実際、令嬢としての振る舞いも違和感ない程度に身につき、試験でも半分より上に位置したことで、クララを下に見るような空気はほとんどない。
であれば、彼女とともに戦技訓練を受けることに不満を持つものもそう多くはないはずだ。
「聞くところによれば、光属性の真骨頂は仲間の強化にあるとか。
であれば、クララさんが独り我武者羅に訓練するよりも、まずは他の皆さんと信頼関係を築いてから連携を重視した方がいいかと思いまして」
「な、なるほど、それは確かに! その、光属性の魔術をご存じとギルキャンス様にご紹介いただいた神官様もそのようなことをおっしゃっていましたし」
メルツェデスの説明に、クララはうんうん、と何度も頷いて見せる。
クララの見せる素直な反応に、とりあえず納得はしてもらえた、とメルツェデスは内心で安堵した。
ゲーム『エタエレ』においては、クララはその気になれば肉弾戦キャラにも攻撃魔術特化にもできたし、それでもかなりの強さにすることができる。
しかし、ことパーティ全体の戦闘力を最大化するという面においては、やはり設定に従った形の支援型にするのが一番だった。
普通にゲームをクリアするだけならばクララの意思を尊重してもいいだろうが、何しろ敵側にゲームをよく知る転生者がいることがほぼ確実な状況だ、できる限り戦力を上げておくに越したことはない。
流石に、どこまでゲームと同じなのかはわからないが……少なくとも現状、クララ一人の火力を上げるよりは、周囲の火力を上げる方が効率的と考えていいだろう。
何しろ。
「何、クララの魔術は強化ができるの? 私の魔術も?」
誰よりも高い魔力を持つヘルミーナが、自己中な性格は矯正しきれずとも、最低限の社会性を持ち合わせているのだから。
「ふぇっ!? えっ、それはっ、た、多分できるんじゃないかとは……」
「やって、今すぐやって、さあさあ!」
「い、今ですか!? そんな、無茶ですヘルミーナ様、だって、そんな……」
いきなり迫られたクララはブンブンと首を横に振り、それから、チラリとヘルミーナを見下ろす。
「そんな、まだ足腰立たない状態で魔術なんて使ったら倒れますよ!?」
そう、先程まで屍のように横たわっていたヘルミーナは、強化と聞いてずりずりと芋虫のように這いずりながらクララの足下に纏わり付いていたのだ。
運動が苦手な彼女のものとはとても思えない、鍛えられた軍人の匍匐前進のような勢いでやって来られれば、思わずクララが悲鳴のような声を上げても責められないだろう。
窘めるべき立場であるエレーナも、流石に今この時ばかりは何も言わない。いや、言えないのかも知れないが。
そんな、若干どころでなく引いているクララの反応など、ヘルミーナが気にするわけもない。
「大丈夫、私くらいになれば、寝ながら魔術を使うことだってできる。
だからほら、早く早く」
「ひぃぃぃ!?」
ずりずりとクララの足下に絡みつき、強引に振り払うこともできない彼女を身動きできないようにしてから、じぃ、と見上げる。
絵面だけを見れば、懇願し見上げてくる美少女という中々に抗いがたい構図。
しかしおねだりしている内容にかわいげは全く無く、向けられる爛々とした視線はどこか狂気にも似た熱をはらんでいるとなれば、まだ精神的には一般人であるクララは腰が抜けそうにもなろうというもの。
当然そんなクララの様子を見て気遣う、など欠片も浮かばないヘルミーナは容赦なく迫る、のだが。
「いい加減にしろ、この魔術バカ。そんなんだからマジキチだとか言われるんだろうが」
容赦のない言葉を浴びせながら、リヒターがヘルミーナの襟首を掴み、ずりずりとクララから引き剥がす。
いきなりのことにヘルミーナもじたばたともがいて抵抗するが、いかんせん腕力がない上に体力が切れているとあっては、効果は無い。
「ちょっ、離せこのもやし、さっきまでへたり込んでたくせに!」
「うるさいな、僕がもやしなら、横になってくたばってたお前はなんだって言うんだ、濡れ雑巾か?」
「ふっ、雑巾の方が床を拭いたりと役に立つし、もやしより丈夫」
「そうかそうか、このまま地面の拭き掃除をしてやろうかお望み通りに」
そんな言い合いをしながら、抵抗するヘルミーナをある程度引き剥がしたリヒターは、言葉とは裏腹にそこで足を止める。
口では強がりながらも、まだまだ体力は回復しきっていないのだ。
むしろ、これで再び使い果たしたとすら言えて、その足はガクガクと震え出しそうなのを必死に堪えているのだが、声に出さないのは彼の意地だろうか。
「はいはい、二人ともそこまで。ミーナ、折角強化をしてもらうなら、ちゃんと全力で撃てる状態の時の方が気持ちいいと思うわよ?」
「なるほど、それはそうかも」
「おい、それで納得するのかよ」
そこへ割り込んできたメルツェデスの言葉にあっさりと頷くヘルミーナを見て、がくり、リヒターの膝が揺れる。
こんな単純さでいいのか。
しかし、これを肯定してはいけないのも間違いない。
「しかしそれで納得するのなら、だ。
実戦でも現地で全力を出せるように、まずは体力をつけないとだな」
僕もだが、とは口の中で飲み込む。
彼とて、ヘルミーナよりは遙かにましだったとはいえ、早々にリタイアしてしまったのだから。
「煩い、いっそそれも魔術でなんとかしてみせる」
「いや、それはそれで、魔力が消耗するだろ」
簡単には折れないヘルミーナへと苦笑を返しながら。
こいつを背負って運べるくらいにならないといけないのか?
と、頭の片隅で、リヒターは考えていた。




