貴族の責務。
お茶会のやり直しから一週間ほど経ち、中間試験終了の解放感もなくなって日常が戻ってきた頃。
「は、はひ~……も、もう動けません……」
そろそろ初夏になろうかという日差しに照らされるグラウンドを走っていたトレーニングウェア姿のクララが、力無く弱音を吐きながら、ぺたりと尻餅をつくかのようにへたり込む。
そこへ、彼女を周回遅れにしていた同じ服装のエレーナが軽い足取りで駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「そうねぇ、確かに限界みたいだし、しばらく休憩してなさい」
「は、はいぃ……うう、お見苦しいところを……」
「そんなことないわ、慣れてないのに頑張った方だと思うわよ?」
そう言いながらエレーナはクララに手を貸して立ち上がらせると、そのままグラウンドの端、日陰になっているところへと連れて行く。
そこでは大半の令息令嬢がぐったりと座り込んでいた。
ちなみに、リヒターも座り込んでいる内の一人だし、ヘルミーナはただの屍のようにピクリとも動かず、横になって突っ伏している。
その近くに座らされたクララは、申し訳なさそうな顔でエレーナを見上げた。
「お手を煩わせてすみません、エレーナ様。……それにしても、その、なんというか……凄く、体力がおありなのですね?」
おずおずとした問いかけに、エレーナは困ったような顔になりながら、グラウンドへと視線を向ける。
「あ~……まあ、あんなのと親友やってたら、引きずられるように、ね……」
それを追うようにクララも視線を動かせば、未だ走り続けている数人の先頭に立ち、なんなら引き離しそうになっているメルツェデス。
飛び抜けた体力を持つギュンター、必死に食い下がるジークフリートらを寄せ付けずに、涼しい顔で今も走り続けていた。
ちなみに、その集団の中にはしれっとした顔でフランツィスカも入っていたりするのだが。
男顔負け、どころではないその様子に、クララは思わず目を丸くしてしまう。
「な、なんですかあれ……いえ、メルツェデス様が活発な方なのは知っていましたけど、あそこまでだなんて……」
「むしろ私としては、普通の令嬢ですって顔しながら先頭集団に混じってるフランがどうかと思うわね」
「え。……あ、本当にいらっしゃる……え、どういうことですか、これ」
「何て言ったらいいのか……フランってば、昔からかなり運動してたのよ。メル並みとは言わないけど、それに近いくらいは」
「……はい?」
思わぬエレーナの返答に、クララは目を見開いたまましばらく口をパクパクと開閉させ、エレーナとフランツィスカの姿を交互に見る。
何度見直しても、フランツィスカの横顔はいつもの清楚なお嬢様の顔。
その長い髪をなびかせながら軽やかに走る姿もまた、お手本のように優美なもの。
ただし、鍛えている男性陣に比肩するその速さは、優美とは言いがたいものがあったが。
「あの、フランツィスカ様のお家は公爵家、エレーナ様のギルキャンス家とも並ぶ最上位貴族のお家柄ですよね……? な、なぜそんなことを……?」
「……あの子の体質って特殊でね、運動して魔力を相当に消耗しないと、身体に障りが出ちゃうのよ」
あまり詳細に説明すればフランツィスカの秘密だけでなく、自身の恥ずかしい過去も話すことになるということもあり、エレーナは最低限の説明に留める。
そんなエレーナの心情を理解はもちろんしていないが、根掘り葉掘り聞くつもりもないクララは、なるほど、と一つ頷いただけで、問いを重ねなかった。
改めて、フランツィスカへと目を向けて。
「なるほど、それであんなに体力がおありなんですね……」
「ついでに言うと、派閥を率いるフランがああだから、国王派の令嬢達も大体みんなある程度の体力作りをしているわ。
だから、まだ残ってる令嬢はほぼ全員国王派だし……ああ、先頭集団最後尾についてるモニカさんとエミリーさん、侯爵令嬢だしね」
「はい……?」
エレーナの説明を聞いてそちらを見れば、騎士候補と思われる男子生徒の集団の後を追うように、二人の少女が走っている。
流石にフランツィスカほどの余裕はないようだが、それでも、確かに彼女達は目の光を未だ失わずに走り続けていた。
それを見ているクララの目には、驚きや困惑が混じっている。
「……貴族が魔物を討伐する責務を負っていることは聞いていましたが、建前だと思っていました」
「実際、数十年もの間人間同士の争いしかなかったから、すっかり腑抜けた貴族が多くなったのは事実だし。
だから、その責務を負う意識があるのは、まだまだ私達の世代の、一部の人間だけっていう限定的なものではあるのだけれど。
それでも確実に変わっては来ているし、そういう空気に変えたのは……」
そこまで言っておきながら、素直に認めるのは若干癪だったか、エレーナは言葉を切る。
それでも、敬意と親しみともう一つ。強くも暖かな感情の籠もった視線が向かう先を見れば、誰のことを言っているかは丸わかりだ。
その視線を向けられた張本人は、今目の前を、疾風のように駆け抜けていったのだが。
「……さて、このままだと貴族派の面目が丸つぶれだから、私もそろそろ戻るわね。クララはそのまま休んでなさいな」
「あ、は、はい。その、お気を付けて……」
「大丈夫、あの二人に付き合って、私もこれくらいなら大したことないから」
笑いながら駆け出すエレーナの動きは確かに軽やかで、まだまだ限界ではないと、クララでも見てわかる。
その体力はフランツィスカのことを言えたものではないのだが、クララの頭に浮かぶのはただ尊敬の感情。
クララの面倒を見ていたから少し休んでいたとはいえ、あれだけ走っていながらすぐに先頭集団に合流し同じペースで走れるのは、並大抵のものではない。
その姿は、クララだけでなく貴族派令嬢からも、ギブアップした国王派令嬢からも尊敬の視線を集めていた。
中間試験も終わってしばらくした王立学園では、本格的に戦技訓練、あるいは軍務訓練と呼ばれるものが始まった。
平民よりも高い魔力を有することが多い貴族が、普通の人間では対処しにくい魔物、魔獣相手に戦う義務を負うことは以前述べたが、そのためほぼ全ての貴族令息令嬢が入学する王立学園では、授業の一環として軍隊のような訓練を採り入れている。
一時期は魔物の出現が減っていたため形骸化していた部分もあったが、クラレンスが王となってからはテコ入れがなされ、今ではこのようなガチの訓練を行うようになっていた。
単純な体力だけであれば、騎士志望者など前衛に立つ人間だけがあればいいと思われがちだが、そもそも魔物が発生した区域にまで歩いて行けねば魔術を使うことすらできないため、むしろ後衛タイプにこそ、こう言った訓練は必要と言っても過言では無い。
ある程度実戦経験も積んでそういったことも理解したクラレンスが指示した内容は、全員が一定以上は動けねば意味が無い、というものだった。
なお、その思想に至るまでには、多分にガイウスの影響を受けたと思われるのだが。
クラレンスそのものはプレヴァルゴスタイルに若干染まり、ジークフリートもまた戦闘への意識は持っている。
しかし、多くの貴族家当主はまだ意識の切り替えが完全には至らず、その結果、甘やかされて育った令息も少なくはない。
むしろメルツェデスとフランツィスカの影響を受けた令嬢達の方が平均的な体力では上回っているくらいで、武官系の家柄の令息以外は、かなり最初の方で脱落している者が多かった。
そして。
「ラスト一周!」
教官の声が掛かった瞬間、メルツェデスが一気にペースを上げた。
そう、彼女はまだまだ余力を残していたのだ。
即座にギュンターが反応して後を追うが、残念ながら差は離されるばかり。
更にジークフリートもなんとかペースを上げ、フランツィスカとエレーナはその後ろについて残る先頭集団の数人を置き去りにした。
結果として、一位はメルツェデス、二位ギュンター。三位にジークフリート、その後ほぼ同着でフランツィスカとエレーナ。ただしエレーナは途中でクララの介抱をしていたので、純粋な五位ではないが。
とはいえ、上位五人中令嬢が三人。
これを見て、早々にへばった令息達は愕然としている。
なんだかんだ、体力はそれなりにあるものだという思い込みに、早々にリタイアしたことでまずヒビが入った。
そして更に、自分達よりも遙かに体力がある、別格と思っていたギュンターが敗れたことで、それは粉々になった。
このままでは、まずい。
貴族としての責務もそうだが、思春期な彼らにとって何よりも重要なのは。
チラチラと窺えば、令嬢達の視線はある程度はギュンターとジークフリートに向いているものの、大半はメルツェデス、フランツィスカ、エレーナへと向いている。
憧れの存在へと向けるような熱っぽいそれは、自分達が欲しかったもの。
しかし、最後まで健闘したギュンターやジークフリートすら、それを集めることができていない。
ということは、つまり。ここでへばっている自分達なぞ、欠片も意識されることはないだろう。
それは、未だ婚約者の決まっていない者もそうだが、決まっている者も避けたいことだった。
このままでは、冷められる。愛想を尽かされる。
挽回することもできずに婚約解消などとなってしまえば、甲斐性なしの烙印を押されて結婚も出世も見通しが悪くなることは間違いない。
しかし。
そのためには。
「あの方達に勝つとか、無理だろ……」
誰かがぽつりと呟く。
才色兼備な上に文武両道、なんなら品行方正までついてくる三人。
彼女達に勝てる分野が、彼らには思いつかなかった。




