そして、訪れる夜。
そして、エドゥアルドとメルツェデスのお茶会があってから数日後。
草木も眠るほどに深まった夜、件のカフェへと音もなく忍び寄る七人ばかりの人影があった。
新月の夜、ろくな明かりもない中まるで見えているかのように慣れた足取りで彼らは歩く。
やがて扉の前に辿り着けば、腰につるしていたシャッター付きのランタンを手にして扉の前へとかざせば、目に入るのは一枚の張り紙。
「……しばらく休業いたします、か」
「あれだけやったら、カーシャはともかくカタギの店主は堪えるだろうからなぁ。むしろよく保ったもんだと思うぜ?」
「ちげぇねぇ」
男達はそう言い合うと、抑えた声でクックックと愉快そうに笑う。
連日の難癖、仕入れ先への圧力などの嫌がらせで、どうやら店主は参ってしまったらしい。
その様子は、実際に難癖を付けていた連中ではなく、まともな格好をして客を装い入店していた仲間によって確認もしている。
しばらくどこかで静養するとも言っていたから、住居も兼ねたこの店には今誰も居ないはず。
となれば、忍び込むのにこれ以上ない状況だ。
「カーシャが手を貸さねぇだとか言い出した時はどうしてやろうかと思ったが……店主にチクりもしてねぇみてぇだな」
「そりゃ、あいつだって後ろ暗い過去のことを話す羽目になるようなことはしねぇさ。
俺等のやり口も知ってるんだ、大人しくしてりゃぁ痛い目は見ねぇってわかってるだろうしよ」
いかに落ちぶれたとは言え、かつてギーズに従っていた者達だ、殺さないことによるメリットはよく知っている。
だから、抵抗さえしなければ危害を加えるつもりもなく、どうやら向こうもそのつもりらしい。
……逆を言えば、今の彼らは、抵抗があれば暴力を振るって解決することに躊躇いがないということでもあるが。
そんな変化を感じ取ったからこそ、カーシャは彼らに協力をしないと言ったのかも知れない。
が、最早彼らは、そんなことを意にも介していない。
「そんじゃぁ、邪魔の入らないうちに片付けるとするか」
リーダー格らしき男がそう言えば、他の男達もコクリとうなずく。その中にはもちろん、先日カーシャと揉めたマティスもいた。
彼らは音もなく慣れた足取りで店の裏手へと回っていく。
まだ僅かに光のあった表通りと違って鼻の先も見えぬほどの闇の中が淀んでいる裏路地は、確かに彼らの庭だったのだろう。
迷うこともなく歩き、店を囲む塀の傍で足を止めた彼らは、ランタンを掲げシャッターを薄く開けて塀を小さく照らす。
手を伸ばして塀に仕込まれた細工を弄れば、カタンと小さな音を立てて塀の一部がずれた。
そこを人一人通れるだけ開ければ、一人、また一人と中へ身を忍び込ませていく。
「ここの仕掛けも相変わらず、か。流石にちょいとガタは来てたが」
「10年だ、仕方あるまいよ。しかし塞がれてないってこたぁ、カーシャの奴、邪魔はしねぇってことだな」
かつて仕事を終えた後、人知れず戻ってくるための隠された入り口。
当然カーシャも知っているそれが、塞がれていなかったということは。
暗がりの中、男達は顔を見合わせニヤリとする。
後は隠し金を掘り出すばかりの、楽な仕事だ。
隠してあった金額を考えれば、この七人が一生遊んで暮らせるほどはあるだろう。
そう思えば彼らの足取りも、頭も軽くなってしまったのは仕方がないのかも知れない。
鼻歌さえ出てきそうな雰囲気になりながら、男達は隠し金が埋められたはずの倉庫へと辿り着く。
入り口には頑丈そうな南京錠が掛けられていたが、この程度であれば解除するのに造作も無い。
カチャリと小さな音だけを残して南京錠は取り払われ、ゆっくりと音を立てないようにしながら扉が開かれる。
ここまで来れば後わずか、後は掘り出すだけ……倉庫へと入り込んだ男達が暗闇の中ほくそ笑んだその時。
ぱっと明かりがいくつも灯り、暗闇に目が慣れていた男達はその明るさに目が眩んだか、腕を上げて光を遮る。
何が起こった、何をしてくる、と思考は回るが、確たることは何もわからず。
そうして、仕掛けてきた側もまた、何もしてこない。
訝しげになる数秒、やっと目が慣れてきて。
彼らの目に映るのは、闇にも等しい漆黒のドレスに身を包んだ一人の令嬢。
「あらあら、月明かりもないこの夜に、こうも淀みなくここまで来られるとは、腐ってもかつての我が家、ということでしょうか」
感心したような、それでいて揶揄うような。
そんな声で微笑みかけながら、彼女は一歩、彼らへと向かって物怖じした様子も無く歩みを寄せる。
「しかし、あくまでも『かつて』。我が物顔で押し入られても、ここにあなた方の居場所はなくってよ?」
泰然とした表情と佇まい、彼女こそまさにこの場を我が物としているかのよう。
かつても今も、彼女がここの住人であったことはないというのに。
そんなことをおくびにも出さない様子に、男達は飲まれたのか思わず一歩下がりそうになり、しかし踏みとどまる。
「はっ、元より長居するつもりもねぇよ! いただくもんいただいたらオサラバするつもりだったさ!」
そう言い捨てる姿に、偽りはなかった。
残念なことに、この店への愛着は欠片も無く。
自分事ではないにもかかわらず、思わずメルツェデスは溜息を吐いてしまう。
「なるほど、そんなつもりだから、あんなお粗末な嫌がらせを繰り返していた、と。この店が、この場が汚れることも気にせずに」
ゆるり、小さく首を振る。
この店は、クララが、王都の平民達が憧れる店だ。
子爵すら通い、公爵令嬢達の舌にも侮られなかった店でもあり、何よりも、彼らの仲間であったカーシャの思い入れがある店だ。
そんな場所に、彼らは全く思い入れも何もない、のだろう。
最初からか、今となっては、なのか、それはわからないが。
ただ一つ確かなのは、メルツェデスにとってそれは、情緒に欠けるつまらない心根、ということ。
もう一歩、踏み込んだことに男達は気付いたかどうか。
「は? 汚れるだなんだ、掃除すりゃぁいいことだろうが?
俺等は金をもらう、この店は元に戻る、それでお互い様だろうがよ!」
その的外れな返答に、メルツェデスはうんざりだ、とばかりの大げさな溜息をもう一つ。
ついでとばかりに両手を挙げながらこれ見よがしに大きく肩を竦めれば、その意図するところは流石に男達にも伝わる。
呆れているのだ、心の底から。
「そういう類いの汚れではない、とおわかりにならないのねぇ……やれやれ、ギーズの親分さんも、子分の教育は行き届かなかったのか……それとも」
すぃ、と取り出したのは、愛用の白扇。
それで口元を、いや、鼻を覆うようにした仕草に、男達は気付いたかどうか。
「親分さんの教えを忘れて、あなた方が勝手に腐っていったのか……カーシャさんを見るに、後者のようですけれども」
ゆらり、ゆらりと動く扇は、匂いを嫌うかのよう。
つまりは、腐ったらしい彼らの匂いを嫌っての仕草。
流石にその意味はわかったか、男達はかっとなって顔を赤くする。
「調子に乗って言ってくれるじゃなぁ、おい。……プレヴァルゴのお嬢さんだろうがなんだろうが、女一人で俺等相手に、良い度胸じゃねぇか」
いきり立つ男達を前にして、今更怖じ気づくメルツェデスではない。
むしろ、ニンマリと口角をあげて。
パチン、と音高く白扇を閉じれば、口元に手をあてる。
「オ~~~ッホッホッホ!
わたくしが、一人? まあ、わたくし一人でも十分ではありますけれど。
そう思ってしまうようなお粗末さで、よくぞわたくし相手に啖呵を切ってくださいましたわねぇ」
メルツェデスの高笑いが響き渡れば、それを合図にしたかのように彼らの背後、扉を塞ぐようにメイド姿のハンナが、横合いからクリストファーが姿を見せた。
二人の気配にまるで気付かなかった男達は、慌てたような顔で後ろを、横を見る。
……そもそも、ここで待ち受けていたメルツェデスにも気付いていなかったのだが。
ともあれ、彼らの退路は塞がれ、三人によって囲まれた。
彼ら自身は七人と、その倍の数はいるのだが。
だが。
どうにも、蛇に飲み込まれたような心地になってしまい、身動きが鈍くなる。
そんな彼らに、さらに圧力をかけるべくメルツェデスは歩を進め。
「月も隠れたこの夜に、地上に降りたこの三日月。
『天下御免』の向こう傷、無頼稼業のお仕舞いに、餞別代わりと手向けて差し上げましょう!」
高らかに告げながら左手で前髪を掻き上げ、その深紅の三日月を男達へと見せつけた。




