笑顔の第一王子。
そして翌日。
予感は的中し、メルツェデスはエドゥアルドの招待により学園内にある王家専用室へと来る羽目になっていた。
彼女からすれば、招待と言う名の呼び出しだったのが、まさかそんなことを顔にも出すわけにはいかない。
にこやかな笑みを見せながらメルツェデスがサロンへとハンナを伴って入室すれば、胡散臭いほどに爽やかな笑みでエドゥアルドが出迎える。
「やぁ、よく来てくれたね、メルツェデス嬢」
「もちろんでございます、殿下のお召しとあらば、お伺いしないわけには参りません」
王子に呼び出し食らって無視なんてできるかバーカバーカ、と言いたいところをぐっと堪えての言葉は、しかし結局『喜んで来た訳ではない』という本音を隠していない。
もちろんそれが伝わらないエドゥアルドではなく、それはもう……楽しげな笑みを見せていた。
伝わったからこそのその反応に、まさかこれは『へぇ……おもしれー女』現象か!? と失態を悟るも、さりとて取り消すわけにもいかない。
それ以上は何も言わず、誘われるがままにお茶菓子などのセッティングが為されたテーブルへと着けば、椅子に腰が落ち着いたタイミングで早速紅茶が提供される。
ふんわりと鼻をくすぐる華やかな香りに、なるほど流石王家御用達のお茶、などと感心をしつつ、いきなり手を伸ばすようなこともせずにエドゥアルドへと視線を向ければ。
「今日は私的なお茶会だから、細かいことは気にしないで欲しい。さ、折角だからお茶をどうぞ?」
と、笑顔と共に勧められ、まさか断るわけにもいかず、メルツェデスは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下。それでは失礼いたしまして」
一言断りを入れると、メルツェデスはティーカップに手を伸ばす。
お茶会の主催者から飲むように勧められた場合、この国では少し遠慮を見せながらも口にするのがマナー。
慌てず、しかし勿体も付けず、というタイミングで紅茶を口にすれば、口内で先程よりも濃密な香りが広がり、なるほどこれはと感心をしてしまう。
とはいえ、いくら私的なものと断りを入れられたとは言え王族とのお茶会、ひたすらお茶を堪能するわけにもいかない、とメルツェデスは一口だけ飲んで、カップを置いた。
「とても素晴らしい紅茶でございますね。この華やかな香りは、南部のものでしょうか?」
「流石だね、その通り。リスラグ伯爵領産のものなんだよ」
「まあ、リスラグ伯爵領のものでしたら、私も以前いただいたことがございまして……」
などと、和やかにお茶会らしい会話をすることしばし。
ある程度話が一段落したところで、音も立てずメルツェデスはティーカップをソーサーに置いた。
「さて、殿下。こうしてわたくしをお召しになったのは、他愛のない茶飲み話のためではございませんよね?」
メルツェデスの問いかけに、同じくエドゥアルドもカップを置き、どこか悪戯な笑みを見せる。
「それは質問というより確認だよね? おおよそはジムから聞いているだろうし、見当もついていると思うのだけれど」
「はて、ジムからは、ノイエというどこぞの放蕩息子と会った話しか聞いておりませんが?」
実際、もちろん見当は付いているのだが。
ジムの心労や今後のことを考えると、とぼけた嫌味の一つも言いたくなるというもの。
つんと澄ました顔のメルツェデスを見て、その意図を読み取ったのかエドゥアルドの表情が苦笑めいたものに変わったのは一瞬だけ。
「なるほど、確かにあの時会ったのはノイエという者らしいね。
と言うことは、そのノイエとやらが首を突っ込んだり、何なら捕り物に参加しても問題ないよね」
思わぬ返しに、流石のメルツェデスも一瞬言葉に詰まる。
エドゥアルドが第一王子として、あるいはエドゥアルド個人としてこの案件に首を突っ込むのならばいくらでも止めようはある。
だが、平民と思われるノイエとやらが首を突っ込んでくることに対して、王族がそんな危険な真似を、などと止めることは理論的には難しい。
そのノイエは実在の人物ではなく、エドゥアルドが世を忍ぶ仮の姿なのだから、止めようがないわけでもないのだが。
「そうですわねぇ、本当にそのノイエという人物がいるのならば。
エドゥアルド殿下、お知り合いなのですか? でしたら是非とも連れてきていただきたいのですが」
かつての愛読書は一休さん、というわけでもないが、前世でもそれなりに頓知の効いたやり取りを見聞きはしていたのもあって、にっこりとした笑顔で返すメルツェデス。
もちろん内心では、『ほんとに自重してくださいましやがれ第一王子殿下』と罵倒していたりはするのだが。
だが、敵も然る者、いや、敵と言ってはいけないわけだが。
ともあれ、そう簡単に手を引くエドゥアルドでもなかった。
「なるほど、確かにそれもそうだ。
だが私もそれなりに忙しいから必ずしも同席できないかも知れない。
その時はジークなりうちの護衛騎士なりに連れて行かせるから、それでも構わないよね?」
貴族の不文律、誰かに紹介されたわけでもない人物は信用しなくてもいいが、信用できる人物に紹介された相手は形だけでも同じく信用する、というものを悪用した言い回しに、メルツェデスは一瞬眉が寄りそうになって、しかししっかりと表情筋を固定させてそれを防ぐ。
勿論構う構わないで言ったら、構うに決まっている。むしろ大問題だ。
そして、ここで引けば間違いなく今後もグイグイと首を突っ込んでこられる、と見たメルツェデスは更に抵抗を見せる。
「単なる人脈開拓としてのご紹介でしたらそれでも問題ございませんが、今回は犯罪絡みの荒事が予想されますので、あまり事情を知る人間を増やしたくはございませんね。
それに、下手に護衛騎士様などに来られて、カーシャさんの素性を探られてはよろしくないのでは?」
そう、今回の被害者側の一人、そして事情を話してくれた人間であるカーシャは、元盗賊一味。
実際に盗みの現場に行ったことはないが、少なくとも手伝いをしていたわけだから、罪に問おうと思えば問えなくもない。
だからこそ官憲に繋がりがあるかも知れない貴族相手には慎重になっていたのだし、アウトローであるジムを巻き込んだことで話してもくれたわけだ。
そこに護衛騎士、まさに官憲の一員を関わらせればどうなることか。
エドゥアルドも即座に思い至ったらしく、今度こそ誤魔化せずに苦笑を浮かべる。
「なるほど、確かにそれは望むところではないな。
残念だ、折角噂に聞く君の活躍をこの目で見られると思ったのに」
大げさに肩を竦める仕草を見て、メルツェデスは、逆に警戒を強めた。
こうあっさり彼が引くなど、まだ二の矢三の矢があるに決まっている。
彼が一筋縄ではいかない男だということは、今までのさして多くない遭遇機会からも窺えるほど。
そして、それは正解だった。
「ということはつまり、元盗賊団というならず者達から狙われるカーシャの店を、哀れなノイエ氏は助けることも何もできない。
まさか、それらの事情を聞いた上で、噂に名高い退屈令嬢が見過ごすなんてことはないよね?」
そう言われてしまえば、今度はメルツェデスが苦笑を浮かべる番。
元よりそのつもりではあったが、これで尚のこと放っておくわけにはいかなくなった。
「そうですわね、手をこまねいているしかない哀れなノイエ氏に成り代わり、事の片付けをいたしましょう。
……それも、できるだけ店に傷を付けない形で」
やや勿体を付けながら頷いて見せたメルツェデスが、少しばかり真面目な声音で付け加えればエドゥアルドも少し改まった顔で小さく頷く。
「できればそうしてもらえると、私も嬉しいな。
ただでさえ彼女は、思い出の残るあの店に自分が勤めていたからこんなことに、と思っているところがあるし」
マティスが勘違いしていた、カーシャがあの店に勤めていた理由。
それは、あの場所そのものが彼女に取って大事な思い出だったからだ。
当時の稼業を思えば決して胸を張って言える過去ではない。
けれど、それでもギーズに率いられていたあの日々は、彼女の中ではある種の充足感を与えてくれていたのだろう。
その残り火を人知れず噛みしめながら、長い余生をあの店で送るつもりだったのだ、彼女は。
「本当は、カーシャさんには新しい人生を歩んで欲しいところですが……こればっかりは、本人が決めることでございますから。
であれば、わたくしには少しでも心の重荷を減らしてさしあげることしかできません」
「まったく、王族だ貴族だなんて言いながら、こういう時に出来ることなんてたかが知れているものだね。
特に私なんて、権力はあるけれども、それと同じだけ枷もある」
ふぅ、とエドゥアルドが小さく息を吐き出す。
呼気と言うには重く、溜息と言うには軽く。
王族として磨かれた彼が、それでも滲ませた感情の色は、薄くて複雑で、読み取れない。
ただ、わかるのは。
「だから、君に任せるのが一番なんだ。
貴族としての力と知恵と矜持を持ちながら、『勝手振る舞い』を持ち枷から解き放たれた君に」
メルツェデスを信頼していること。彼女に任せると決めたこと。
そうまで言われて、拒否という選択肢を持つことなど、出来はしない。
「かしこまりました、お心のままに」
そう答え、メルツェデスは頭を下げた。




